Summer Holidays 「Up and Down」

 海岸線を望む川と森に囲まれたその屋敷は、十九世紀末に建てられたマナーハウスだった。その贅を尽くした大邸宅を囲む四阿あずまやのある庭園はイギリスの片田舎らしい素朴さに溢れ、邸内に一歩入ればそこかしこに今ではアンティークとなった家具や装飾があるのが目についた。

 さすがにすべてをそのまま使用してはいないようだったが、立ち入り禁止とロープが張られた一部の部屋には豪華な調度品が当時のまま設えられ、展示されていた。

 キャンプに参加する子供たちの宿泊に使われる部屋には二段ベッドやデスクが入れられ、がらりと雰囲気が違っていたが、ルカとテディの泊まる二人部屋はそこに元々あったものが利用されているようで、まるで映画のセットの中に入りこんだか、タイムスリップでもしたかのようだった。

 十歳から十六歳までの、七十二名のキャンプの参加者のうち、三十八名は女の子だった。人気なのはカヌーや乗馬などの体験ができるからというだけではなく、このマナーハウスに宿泊できるからであったらしい。ここについた早々、女の子たちは素敵! と感嘆の声をあげていた。

 声といえば、もうひとつ――同じくらいの年齢の女の子たちはルカとテディのほうをちらちらと見ながら、なにやらひそひそと話していた。時折、やめてよもう、違うもん、などと賑やかな声が聞こえてきて、何の気なしにそっちを見ると余計に甲高い笑い声がするといった具合だった。

 どうやら自分たちのルックスが彼女たちを刺激しているらしいと気づき、ルカは満更でもない様子で浮かれ気味に云った。

「なんかモテちゃってるみたいだな俺たち。参ったなー」

「……全然参ってなさそうだけど」

 テディは邸内を案内してもらっているあいだじゅう、ずっと無表情なままだった。





 ここでの一日のスケジュールは学校でのそれとほぼ同じだった。

 起床、食事と休憩、就寝の時刻がきっちりと決まっていて、授業の代わりにいろんなアクティビティを体験する。ルカはフェンシングとアーチェリー、テディはクアッドバイクとライフルシューティングが気に入って、いい成績を出していた。

 そしてふたりに夢中になる女の子たちの数は増えていき、ルカはますます調子に乗って、声援をくれる女の子たちに手を振ったりするようになっていた。そんなふうだった所為か男の子たちからは反感を買ったようで、いくつか仲の良いグループができたときもルカたちはどこにも属さず、ずっとふたりで行動していた。

 が、食事時やお茶の時間など、いつも決まって女の子数人のグループがふたりの傍に寄ってきた。テディは女の子に話しかけられるのが苦手なのか、そんなときはルカを放っておいてさっさと部屋に戻った。テディ派の女の子たちは、そういう無口で無愛想なところがクールでいいのだと、まったく動じることもなく変わらず騒いでいた。

 動じていたのはルカのほうだった。ルカとしては普段通り、話しかけてくる子に愛想良く対応していたに過ぎないのだ。普段学校にはいない女の子たちにモテて浮かれている自覚は、かけらもなかったのである。だからテディがすっかり機嫌を悪くしている理由も、皆目見当がつかなかった。

 そういうことには、女の子のほうが敏感だった。

「ねえルカ。テディって、ルカのことが好きなんじゃないの……?」

「はぁ? なに云ってるんだよ、なんでそうなるんだ……」

 この日も夕食後のゲームが終わってお茶を飲んでいるときに、ごく当たり前のように彼女たちはルカとテディの傍の席に陣取った。テディはお茶を飲み終えるとすぐにその場を後にしていて、また一言も話せなかったテディファンの女の子がぼそりと云った言葉だった。

「だって、テディって私たちに話しかけたりすることもないし。偶に質問に答えてくれる以外、まったく相手にされてない感じがするのよね……で、ルカがこうやって私たちと話してるとああやって部屋に戻っちゃうでしょ。なんか拗ねてるみたいに見えるのよね」

「うん、私もそう思う……とりあえず女の子には全然興味なさそうよね」

「っていうか、ルカ、実はテディとつきあってるんじゃないのー?」

 そんなわけないだろうと否定した言葉は、きゃーっと騒ぐ女の子たちの声にかき消された。

 なんなんだこの子たちはと少し呆れ、ルカは席を立つとじゃあまた明日と声をかけて、部屋に戻った。


 テディはベッドに寝そべり、本を読んでいた。テディはひとりで過ごしているとき、こんなふうに本を読んでいることが多かった。今日はドロシー・L・セイヤーズの〈 The Nine Tailorsザ ナイン テイラーズ 〉を読んでいて、ルカはあまりよく知らなかったが、どうやらテディは古典的な名作ミステリーが好きなようだった。

 いつもなら本を読んでいるときはなるべく邪魔をしないようにするのだが、このときはさっき女の子たちに云われたことが気になって、ルカはテディを見下ろす位置に立ち、声をかけた。

「――なあテディ……おまえなんでいっつも先に部屋に戻っちまうんだ? 人と話すのがあんまり得意じゃないことはわかってるけど……あの子ら、つまらなそうにしてたぞ」

 テディはごろんと仰向けになり、本の影からちらりとルカを見上げると、はあ、と息をついて起きあがった。

「なんで俺が女の子のご機嫌取らなきゃいけないんだよ。ルカはそうしたきゃずっとそうしてれば? なんかここに来てからずっと楽しそうだし……がいるなら夜の散歩にでも誘ってくればいいじゃない」

 不機嫌な表情で突き放すような云い方をするテディに、ルカはむっとした。

「なんだよお目当てって。なんでそんな膨れっ面してんだよ、俺なにかしたか?」

「……ったのに」

「え?」

 俯いたまま呟いた言葉が聞き取れなくてルカが聞き返すと、テディはルカをきっと睨んで枕を掴み、投げつけてきた。

 ぼふっとルカがキャッチした次の瞬間もうひとつが飛んできて、顔面に見事にヒットする。

「なにやってんだよ、云いたいことがあったらはっきり云えって!」

「俺のこと好きって云ったのに! ルカは調子のいいことばっかり云って、いっつもそのときだけなんだ! ほんとは普通に女の子が好きなんじゃないか! 女の子に囲まれて嬉しそうにデレデレしちゃってさ、そんなの傍で見てたいわけないだろ!」

「え……ええ?」

「もう……期待させないでって云ったのに……」

 泣きだすのを堪えているようなテディの表情に、ルカは混乱した。自分が女の子たちに囲まれて――好きって云ったのに――デレデレしてるのを見たくない――?

「……いや、テディ。俺、デレデレとかしてないし――もしそんなふうに見えたのなら、そりゃ俺の……性格だよ。よく云われるんだよ、調子がいいとか、愛想だけはいいとか……女の子、普段周りにいないから、ちょっと浮かれてたのかもって……そう云われれば、そうかもしれないとも思う。で――」

 ルカはベッドの上で項垂れているテディの顔を覗きこむようにして云った。

「それって……テディが今、そうやって怒ってるのって……ヤキモチ、だよな……?」

「……知らない。なんか……俺よりやっぱり女の子のほうがいいんだって思ったら……居場所がなくなったような気分になって……」

 それを聞いてルカは、責められているにも拘らず顔がにやけてしまっているのがわかり、手で頬を押さえた。高鳴る胸を落ち着かせようと一回深呼吸し、「テディ」と名前を呼ぶ。

「……俺、テディのことが好きだよ。でも男同士だし、テディに同じように俺のことを好きになってくれっていうのは無理だって、俺は思ってたんだ。一緒にいられるだけでいい、友達でいいって思ってた。でも、テディがそんなふうにヤキモチやいたりしてくれるなら……」

 ルカは言葉を切ってじっとテディを見つめた。まだ膨れっ面をしてはいたが、テディもルカを真っ直ぐに見つめ返す。

「なあテディ……。キス、してもいいか……?」

「前、してただろ……俺が寝てるときに」

「……起きてたのかよ」

 ルカはゆっくりと顔を傾け、灰色の綺麗な瞳が伏せられていくのを間近に見ながら、その形の良い唇に自分の唇を押しつけた。以前触れた頬よりももっと柔らかで、しっとりと吸いつくような感じがした。いったん少し離したが、またどちらからともなく角度を変えて重ね合う。

 そうして何度も何度も唇を喰みあい、薄く開けた目を合わせたまま少し離れると、テディが真っ赤になって手で口許を覆った。その初々しい様子に、自分も初めてなのを棚に上げてルカはなんて可愛いんだと目尻を下げた。

「……キスって、こんななんだ……」

「初めてだった?」

「……ルカは?」

「……家族とか犬とか以外だと、初めてかな」

「……ねえルカ……もう一回、しよ……」

 今度はテディがルカの頸に手をかけて引き寄せる。ルカは口吻けながらベッドに片膝と両手をついて、テディを押し倒すような姿勢になった。

 さっきより少し性急に唇を何度も喰んでいるうち、自然と舌を忍ばせてしまう。ぬるりと粘膜の感触を感じ、頭の芯がぼうっと痺れたような感覚に酔う。そして舌で更に奥深くまで探ろうとして――ああ、もうだめだとルカは自分にストップをかけた。

「……ごめん、つい……もうやめないと、止まらなくなっちまう」

 ルカは身を起こしてさりげなくスウェットパンツのポケットに手を突っこむと、の位置を直した。なんとなく気恥ずかしくてテディに背を向け、ベッドの端に坐って脚を下ろすと、テディも起きあがってその隣に並んだ。

「……テディは、女の子はまったくだめなのか?」

 ルカがそう訊くと、テディは考えこむように首を傾けた。

「……どうなのかな……興味があるかどうかって云われたら、ないと答えるしかないな……。そういうルカはどうなの、ルカは別にゲイってわけじゃなさそうだよね……」

 ゲイ、という具体的な言葉が出て、ルカは少し動揺した。

 テディの云うように、自分はおそらくそうではない、とルカは感じた。かといってまったくのストレートならテディにこんな感情を抱くこともないわけで――

「……バイ、なのかな……。こんなこと考えたこともなかったけど……でも、テディのこと、好きになっちゃったからな」

 こうして並んで坐っているだけで、程良い暖かさのとろりとした空気に包まれているような、なんともいえない心地良さを感じる。穏やかな空気の中で、ずっと長いあいだふたりでこうしていたみたいだとルカは思った。そのくらい、テディとこんなふうにただ居るのが自然なことに感じた。

 ここがどこであっても関係ない――ふとルカは思った。さっきテディが云ったように、テディにとって居場所は自分だし、自分もまた同じなのだ。これはきっと、一瞬で爆ぜて想い出になるだけの、夏の花火のような恋じゃない。きっとテディとは長いつきあいになる……最初に、音楽の趣味がほぼ同じだと知ったときにも感じたことだ。ルカは思った――自分は人生の中で何人もいない、かけがえのない相手にめぐり逢えたのだ。

 クラシカルな部屋のエレガントな壁紙を背景に、ルカはその美しい横顔を見つめ、そっとその手を握り微笑んだ。





 朝、目覚めたとき。身支度を整え部屋を出るとき。廊下を折れて、そこに誰もいなかった瞬間。夕食後のゲームを終えて部屋に戻り、扉を閉めたそのときも、シャワーを済ませてペプシの缶を渡し、手が触れたときも――ふたりは機会があるごとにキスをした。軽く唇を触れあわせるだけの口吻けが、こんなにも世界を変えて見せるなんて想像もしたことはなかった。

 あまり好きではなかった森の中でのキャンプもツリークライミングも、そこにテディがいるだけで楽しいアクティビティへと変化した。夢にみた浜辺でのキャンプファイヤーも現実となり、一緒に星空を見上げることもできた――どうして今周りに人が大勢いるのだろうともどかしい思いをした以外は、最高にロマンティックな夜だった。

 カヌーに乗ったり川遊びをして楽しんだ日も、周りに水着姿の女の子がたくさんいるにも拘らず、ルカはハーフスパッツタイプの水着の上から濃いブルーのショートパンツとウインドブレーカーを着たテディばかり見ていた。夏の眩しい太陽の下、水飛沫を浴びてきらきらと輝いているテディから、まったく目が離せなかったのだ。


 そしてサマーキャンプも終盤になった、ある日の夕食後。

 ピアノのある大広間が初めて開放され、そこに皆が集められるとヴァイオリンとチェロを抱えた燕尾服姿の男性と、黒いカクテルドレスを着た女性が入ってきて、小さな演奏会が行われた。

 メンデルスゾーン、ブラームス、ドヴォルザークと有名どころの三重奏曲を演奏したほか、〝 Theme from aテーマ フロム ア Summer Place サマー プレイス 〟やビートルズの〝 In My Lifeイン マイ ライフ 〟、サイモン&ガーファンクルの〝 Scarborough Fairスカボロー フェア 〟なども演ってくれ、ルカとテディは大喜びで聴き入っていた。

「――最初、クラシックでつまらないなと思ったけど、ビートルズとか演ってくれて結構よかったな」

「うん、クラシックでもなんでも生音が聴けるとやっぱり違うよね。〝スカボローフェア〟もよかった」

 ふたりはまだ軽く興奮を引き摺ったまま部屋に戻ってきて、いつものようにキスをした。まだふわふわと浮かれた気分だったルカは、テディの手をとってくるくるとワルツを踊るように廻りだし、トゥルルル……とハミングで〝 A Taste of Honeyア テイスト オブ ハニー 〟の一節を歌いだした。テディが呆れたように「ちょっとどうしたのルカ……」と云いながらくすくすと笑う。やがてベッドにぶつかりそのままふたりして倒れこむと、じっと見つめあったまま頬に手を伸ばし、すっとルカが真顔になる。

「ぎゅってしてもいい……?」

 テディはなにも答えなかったが、自分の目を見つめるその灰色の瞳に引き寄せられるようにルカはまたキスをすると、両腕の中にテディをそっと閉じ込めた。

 ほんの少し汗の匂いのする髪に顔を埋め、はぁ、と息をつきながら少し力を込めて抱きしめる――テディの手がシャツの背中のあたりをぎゅっと掴むのを感じる。どうしよう、こうしているだけで本当に、幸せでたまらない。

 そう感じているのは事実なのに――いったい何故、下半身のほうはこうも欲張りなのか。

「ごめん、このまま寝ちゃいそうだ、シャワー浴びないとな」

 そう云ってテディから離れ、起きあがるとルカは不思議そうな顔をしているテディに一瞬途惑って「あ、違う違う! そういう意味じゃなくって! その……」と、真っ赤になりながら両手をぱたぱたと振った。

「……別に、なにも云ってないよ?」

 小首を傾げて苦笑するテディにほっとして頷き、ルカは着替えを持って「じゃ、じゃあ俺、先に汗流してくるな……」と、バスルームへと逃げこんだ。

 ああ、どうしては自分の意のままになってくれないのだろう。ルカは恨めしそうにボクサーショーツを持ち上げている自分の分身を睨んだ。

 しょうがない、また水音でごまかしながらさっさと抜いてしまおうと、ルカはシャワーを浴び始めた。壁に手をつき、右手で自身を握りこむとそれはますます硬さを増して反り返った。

 目を閉じると浮かんでくるのはやはりテディの姿だが、ルカはそれにはジレンマを感じていた。テディに対して性的な欲望を抱くことに物凄い罪悪感があるのに、こんなふうに自慰をするとき他に思い浮かべるものを思いつかない。実際に直接、性的な行為をしなくても、テディを汚してしまっているような気がして厭な気分になる反面、背徳感によって更に自慰が捗ってしまったりするものだから、終わったあとの後悔や自己嫌悪感は凄まじいものだった。

 それでも暴れだしたものは鎮めなきゃいけない――ルカは黙々と手を動かし続けた。

 しかし、そこで思ってもみなかったことが起こった。かたんという音がして、バスルームにテディが顔を出したのだ。ルカは驚いて振り返り「なんだよ!」と声をあげ、慌てて股間を手で隠した。テディは「一緒に入ろうと思って」と云い、動じることもなく中に入って扉を閉めた。

「いや、テディ、一緒にって……だめだよ、すぐに済ませるから順番――」

「もう入ってきちゃったし。それに……」

 テディはなにも隠さず恥ずかしがることもなく、当たり前のように全裸で扉の前に立っていた。ルカはそのほっそりとした肢体につい見蕩れ、隠したものが見えないように両手でそれを押さえていた。

 テディはその様子をちらりと見やり、そして云った。

「それに……なんかいつもつらそうだったから、今日はしてあげようかと思って……」

「して……って、え? あっ、おい――」

 テディはルカの前に跪き、その邪魔な手をどけると現れたそれにそっと触れ、顔を近づけた。温めのシャワーがテディの髪を一瞬濡らし、背中を打つ。

 混乱した頭でその様子を見つめ、テディが口を開くのを見てなにをしようとしているのかわかった瞬間――ルカはテディの肩を掴んで思いきり突き飛ばし、大きな声をあげた。

「――なにやってんだ!! いったいなに考えてるんだテディ、誰がそんなことしてくれって云ったよ!?」

 タイルの上に尻餅をついて、テディは痛みに顔を顰めながらルカを見つめて首を振った。

「……だって……よろこんでくれると思って……」

「よろこぶ? 俺がそんなことをおまえにさせて喜ぶだって? バカなこと云うな、そんなことしてもらって喜ぶくらいならベッドでもっと先までしてるよ!」

 ルカは信じられなかった。いつだって自分の不純さに比べ、テディはなんて純真なんだと思っていた。なのに、テディが、テディのほうから口腔性交オーラルセックスをしようとするなんて――そんなことを、躊躇いもせずできるような奴だったなんて。

「……テディ、なんでこんなこと……、こういうこと、誰かにしたことがあるのか?」

 訊いてしまってから、ルカは後悔した。経験もないことをこんなふうに仕掛けるとしたら、そっちのほうが驚きだ。テディは困ったように俯き、そしてその場に坐り直した。

「……俺はただ……、ルカがいつも困ってそうだったから、こういうことできるんだって……してあげられるから我慢しなくていいって、教えようと……」

「そうか、わかった。男とつきあったことあったんだな。しかも、そんなことまでしてたんだ。……なんだよ、俺バカみたいじゃねえか。俺だけなにもかも初めてで、幸せだって舞いあがって――」

「違うよ! 違う……俺、本当に、ルカだから……自分からしてあげたいって、初めて――」

「もういいよ」

 床にしゃがんでいるテディに背を向け、シャワーを一浴びするとルカはさっさとバスルームを出ていった。

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