第54話

 ――良い目を持てば、名画の中の小さな欠点を探し出し、秘密を知ることができるものだ。 


 水野は向日葵の写真の中で定規を当てた箇所へ乾いた筆を持ち、自分が描いた向日葵になぞらえてゆっくりと筆を走らせた。

 筆が走る。

 しかしそれは歪な形ではない、長方形を描いた。その長方形を描き終えるとゆっくりと画布から筆を話してイーゼルの上に置いた。

 勿論、自分が描いた模写ではこの線は分からなかっただろう。写真があっての発見だった。

 それは水野にとって、はっきりとこの向日葵に対する断定的な答えをもたらすことになった。それは今自分が手にしている写真の向日葵はゴッホが描いた芦屋の向日葵ではないと言う断定的な答えだった。

 この写真がもし本当のゴッホの描いた向日葵ならばこうした四方形をこれが分かるったものに対して仕掛ける芸術的は仕掛けの意味があるだろうか?

 水野は自問する。

 色彩と向日葵のポジショニング、それ以外にもゴッホはこの向日葵に芸術的な仕掛けを施したかもしれないが、

 これは明らかに誰かの作為的意思によって工夫されたキャンバスの上に油絵で描かれた向日葵なのではないか?

 水野はそこまで考えるとポケットから煙草を取り出した。それからゆっくりと口に咥えて火を点けた。

 面前を揺れ昇る煙草の煙が見える。その煙の向こうに乾玲子の面影が浮かぶ。

(彼女は今俺が見つけたこの向日葵に施された仕掛けを知っているのだろうか…?)

 水野の細くなる視線に煙草の煙が重くのしかかる。

(いや…恐らくそれは全く気付かずのままだろうな…こんなことは普通の人間じゃ分からない。やはり訓練された画家でしか分からないことだろう)

 ちらりと向日葵に視線を送ったがそこで再び煙草の煙の行く先を水野は見つめた。

(もし知らないのであれば、これは誰も知らないこの絵に隠された秘密と言えるのではないか…)

 煙草の煙が天井まで伸びてやがて静かに消えた。

(それが何かの秘密であったとして今の俺にどんな関係があるのだろうか?俺はこの絵を彼女から描いてほしいと言われただけだ…)

 そこまで思うと腕を伸ばして灰皿に煙草を押し付けて火を消した。消す時僅かに指先に火の熱さを感じた。

 火の熱さを払いのけるように指を振ると水野は筆を取った。

(まずは完成させることだ。もうこの絵はあと少しで完成できる)

 筆先をプルシアンブルーに着けて、それをキャンバスへ運んだ。

 それで背景を彩るために。

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