-今日も勇者はパンを焼く-
「おぬしには勇者となって魔王を倒して貰いたいのじゃ」
若くして事故で死んだ僕は自らを神と名乗る爺さんの甘言に乗り、生まれた世界とは別の世界で勇者として生きることを選んだ。
しかも特別な力を使えるようにしてくれると言われ、ウキウキ気分で別世界に飛び込んだ。
「そんな、嘘でしょ?」
言葉が通じないとかいう事は無かったけど、別の事で僕はがっかりする事になった。
「嘘じゃない。俺も神様から能力を貰った勇者さ」
勇者と言うのだから一人だけと勝手に思い込んでた僕が悪いけど、まさかこんなに勇者が一杯いるなんて聞いてない!
その日、僕の神様への信仰心が少し落ちた。
多くの勇者は冒険者として各地に赴き魔族と戦い活躍しているらしい。
神様から貰った能力のおかげだろう。
一方僕はというと最初に到着した街でこちらの世界の人たちと同じような生活をしている。
一度冒険者になろうとはしたけど、最初の依頼で酷い目に遭い、周りから向いてないと言われまくった。
それもこれも神様から貰った能力があってないような力のせいだ。
僕の能力は時間を操る力。
操ると言っても戻すことは出来ず、止めるか緩やかに進めるだけ。
これだけ言えば凄い能力に思えるがこの能力には大きな欠点があった。
僕もその能力の影響を受けてしまうのだ。
仮に時間を止めたとして僕に出来る事は目に映ってる事を把握するぐらいしか出来ない。
スローにしても体が鉛のように重くなってとても疲れる。反動も凄い。下手に使うと自分が怪我する時もあった。
そんな使い勝手の悪い能力だった。
最初それが分かった時はかなり不貞腐れた。神様を信仰するのをやめようかと思ったぐらいに。
でもそんな能力でも一つだけ役に立った時があった。
「頑張ってる?」
「うん」
「どれどれ・・・んー、もうちょっと生地を練った方がいいかな?」
「わかった」
この子は僕が下宿させてもらっているパン屋の娘さん。
偶然ここの店の裏路地を通りかかった時、積み上げた小麦粉の袋が倒れて下敷きになりそうだった親父さんを能力を使って助けたのが知り合うきっかけだった。
変に期待されるのも困るので勇者である事は隠して身寄りの無い事を伝えたらここに住み込みで働く事を条件に下宿させてもらえる事になった。
おかげで僕は屋根のある建物で生活できるようになった。
この時は神様に感謝した。ありがとうございます。
パン屋に下宿させてもらうようになってからそれなり年月が経った。
パン作りの腕も一人前になり、自分の店を持つまでになった。
「さ、今日も美味しいパンを焼きましょう」
「うん」
そうそう、結婚もした。
妻は下宿と修行をさせて貰ったパン屋の娘さん。
いつの間にか親公認の仲になってたのでそのまま結婚した感じだ。
「今日はベリーがいいですわ」
「・・・柑橘系がいいと思う」
「肉にしようぜ肉!」
生地を練ってる間、店の中で今日のおすすめを選ぶ会議が行われる。
四人の女性が会話しているだけで賑やかに感じる。
ちなみに全員僕の妻だ。
一人は店の土地を誘致してくれた地主の娘。
一人は小麦粉などを卸してくれる問屋の娘。
一人は元冒険者の娘。
どの子も最初はうちの従業員として入ってきたのだけど、気が付いたらそういう仲になって妻になっていた。
四人はそれぞれ価値観を持っていて考え方は様々だが僕が疎外感を感じる時があるぐらい仲が良い。
そんな四人の力添えもあって僕のパン屋は毎日大盛況だ。
多くの従業員を雇い、支店を出し、街で店の名前を知らない人はいないぐらいに有名になった。
そういえば最近世継ぎはまだかと言われる事が多くなった。
一応頑張ってはいるけど、こればっかりは時の運なのでどうしようもない。
最近妻達が何やら画策しているようだが、見て見ぬふりをしている。
四人同時とかはダメだからね。お店の経営に支障が出ちゃうから。
妻達と共に暮らすようになってかなりの年が経った。
僕ももういい歳だ。
店は子供達に譲り、今は妻達と悠々自適な生活をしている。
僕がこちらの世界に来てから周りの生活は大きく変わった。
特に食生活が充実した。
僕のパンもそれに一役買っているようで嬉しい。
でもまだ魔王は倒されていない。
別世界の勇者がまだやってきているからたぶんそうなんだと思う。
僕は勇者として神様の頼みは叶えることは出来なかった。
この世界にはそう思って還っていく別世界の勇者達が沢山いる。
そんな人達の中、僕は幸せな人生を送れたと思う。
出来ればこの先僕達が作ったパンが未来永劫人々の口に入り続けてくれると僕は嬉しい。
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