函館異聞―神住まうまち―
金糸雀
(1)
函館市民がゴミ収集車の音楽として親しんでいる「はこだて賛歌」の歌いだしはこうだ。
「誰かに住む街 聞かれたら はい 函館と答えます
明るく胸はり 答えます」
「出身地どこ?」
「北海道です」
「北海道のどこ?」
「函館です」
誰かとこうした社交辞令めいた会話をする時、私は「はこだて賛歌」のこの歌詞を思い出す。別に「明るく胸はり 答え」はしないのだが、
「食べ物美味しいんでしょう」
「夜景が綺麗なんだよね」
「異国情緒あっていいよね」
「住んでみたい」
とまぁ、概ねポジティブな、いや、
「五稜郭」とか、「函館山」とか、「海が見える綺麗な坂」とか、ピンポイントな観光名所の名前を挙げられることも多いし、「新選組最期の地だよね?」などとワクワクしたような目を向けてくるような歴史好きもいたりして。
こうして故郷を褒められ、ポジティブなイメージを伝えられ、悪い気はしない。
しかし。
食べ物が美味しいのかどうかは、18歳までそれを当たり前と思って育ったのでよくわからない、というのが正直なところだ。
夜景は確かに写真を見れば綺麗だと思うが、函館の夜景というのは主に山の天辺から見るものであり、普通に地上で暮らしている住人が見られるわけではない。強いて言うなら、「ウチらの家も夜景の一部なんだぜドヤァ」と威張れる、という程度のものだ。いや、別に威張りたくはないが。というかこれは別にドヤれるようなことではないだろう。
異国情緒は、確かにあるかもしれない。なんせ、道内では最初に開かれた町だ。しかし上京してから悟った。「規模でもオシャレ感でも、横浜には負ける」と。
「住んでみたい」とは、これ言語道断である。函館は市長が自ら「半世紀以上も斜陽都市と言われ続けてきた」と嘆く、寂れた町だ。ロクな大学もない。書店もない。病院についても些か不安だ。道内では比較的温暖な気候とはいえ、冬の寒さは長く厳しいし、雪かきは苦行だ。極めつけに、仕事がない。住もうにも経済的に立ち行かないのだから、無理だ。極めつけに、仕事がない。住もうにも経済的に立ち行かないのだから、無理だ。
それでもまだ財政破綻などせずに市としてやって行けているのは、現実の褒められ要素であるところの「夜景」や「異国情緒」をウリにして観光客を呼び込んでいるからだろう。函館は古くは北洋漁業などで栄えた、日本でも有数の大都市だったというが、私が物心付いた頃には既に、かつての繁栄の面影はなく、「デパートが撤退する」だの「市電が一部廃止になる」だの、不景気な話題ばかりを聞きながら育った。
町は帰省するたびに観光客に媚びたような雰囲気を帯びて行き、デパートがなくなった駅前に観光需要を当て込んだホテルが林立している風景は、なんだか物悲しく映る。
結局のところ函館は「観光客向けの町」以外の何物でもなく、栄えているように見えたとしたら、それは国内外から押し寄せた観光客によって人口が嵩上げされているだけだ。とりわけ人気の高いベイエリアなど、それこそ、この人の群れの中に、住人って一体どのくらいいるのか、という感じだ。
私は、寂れているくせに観光客向けには綺麗な顔を見せる、情けないこの町が嫌だったし、一生暮らせる場所でもないと思ったから、大学進学と同時に上京し、大学卒業後は千葉に移り、なんだかんだで20年来関東を拠点に生活している。故郷を捨てたようで申し訳ないという気持ちは、それは確かにあるにはあるが、こうまで未来がない町からは、離れる選択しかあり得なかっただろう、というのが本音だ。
かくも、出身地に対する感情というのはアンビバレントなものだ。
しかし、そうした気持ちを差し置いても、この町はそんなお綺麗なイメージではないだろう、と思う根拠がある。それは、この町がやたらとイカを推しているという点だ。イカが名産といっても行きすぎだろうこれ、と呆れるほどに。
函館が独自に制定している「市の魚」がイカ。おそらく「イカは魚じゃないだろ」と突っ込まれることは覚悟のうえで、それでも敢えて市の「魚」と言い張ることにしたものと思われる。
祭りの時はオリジナルの「いか踊り」を踊る。これが振り付けも歌詞もなんともいえないダサさを醸し出す代物だ。ちなみにこの「いか踊り」、私が産まれる1年前に誕生したらしい。意外と新しい踊りなのだ。こんなもん考えたの誰だ、と言いたくなるが、案外、考えた人達はまだ生きている可能性がある。
市電のプリペイドカードの名前は「イカすカード」だし、イカの形の金属製記念乗車券が発行されたこともあった。「イカ」と「イカす」を掛けての「イカすカード」だということは説明されずともわかるが、そもそも「イカす」という言葉が既に死語であり、ネーミングがダサすぎると思う。
小学校の給食のおかずにはしばしば「いかめし」が出た。郷土料理を給食に出すことの教育的意図はまぁなんとなくわかるのだが、個人的には、おかずではなくせめて主食として出してほしいところだった。
終いには、市が民間業者に依頼するか何かして「イカール星人」なるイカ娘のパチモンみたいなご当地キャラまで生み出してしまった。どこまでイカを強く推して行く気なのかと、まったく、呆れてしまう。
つまるところ私にとっての函館は、私が産まれる前から斜陽都市に成り下がり観光でどうにか食いつなぎ、事あるごとにイカを全面に押し出そうとする、なんともしょっぱい、しかし嫌いきれない町なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます