タピオカ誕生物語

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

タピオカ誕生物語

 時に、タピオカが世を席巻する2019年。


「ごめんあさーせ」


 歩きスマホの群れを華麗なステップで避けつつ、岡本タピ子(16)は目的地を目指す。いかなる時も優雅に前向きであれとは、尊敬する祖母の教えである。それはたとえ今の彼女のように、一刻も早くお花をブチブチ摘みたい状況であったとしてもだ。いかにタピ子とはいえ、タピオカミルクティー三杯同時摂取は行き過ぎであった。


「ありましたわ、公衆お花畑が」


 公園の中に目標を見つけ、やや早歩きで個室へ突入。速やかに用を足し、晴れやかな顔で出てくると、同じタイミングで隣の部屋からもスッキリとした表情が現れた。


 二十歳はたちくらいだろうか。タピ子よりも頭一つ分は背が高く、スレンダーな体型。はっきりと鼻筋の通った顔立ち。こんなきったない公園の女子トイレには似合わない人だとタピ子が感じたのは、その美形に加えて、彼の性別のせいだった。


「は?」


 目が合い、一瞬の沈黙。そして。


「……なるほどね。君の言いたいことは分かる。しかし理性ある人間としては、まずは対話をしようじゃないか」


 男の声は冷静であったが、既にタピ子にビジネススーツの襟首を掴まれ、地面を引きずられている姿は滑稽であった。


「どの口が理性を語るか」


「待ちたまえ、一寸のボクにも五分の魂がある」


「ワタクシ、子供の頃は蟻を踏み潰すのが趣味でしたの」


「シリアルキラーか? いや、よく見るとあなたはボクのフィアンセではないか?」


「いかれとんのか」


 タピ子が呆れて手を離すと、男は泥まみれのスーツをはたきながらヨロヨロと立ち上がった。


「で、どうして女子トイレで犯罪行為に手を染めていらっしゃったのかしら?」


「おいおい、決めつけはよくないね。ボクはただ……」


「ただ?」


 男は、その左手に持ったスマホにちらりと目をやり、言った。


「実は女子トイレの便器が私の住む別世界に繋がっていてそこからやってきあぁーっスマホを返したまえ!」


 その訴えを無視して、タピ子は強奪したスマホをいじり始めた。


「時にあなた、お生まれはいつですの?」


 タピ子がにこやかに尋ねる。


「十二月二十日だよ」


 男も笑顔で答える。


「1220……ちっ、ロック外れませんわ」


「馬鹿のパスワードじゃあるまいに」


「しょうがないですわね……では指一本ひきちぎって指紋認証を」


「1234」


「馬鹿のパスワードですわね」


 タピ子はロックを解除すると、直前に開いていた画面を男に見せつけた。Web小説投稿サイトであった。


「今どき異世界転生とか言ってるの、カクヨムぐらいですわよ」


「いや、それ小説家になろ」


「やめましょう。で、なに? あなたに臭いメシを回避できる申し開きがあるとは思えないのですけれど?」


 すると男は突然、地面に片膝をついて訴えかけてきた。


「理由は先ほど申した通り! ボクはフィアンセであるあなたを追って、こことは別の世界から来たのだからぁそうやってすぐ警察に電話しようとするのやめてお願い」


「あら失礼、ちょうど手元にスマホがあったものですから」


「盗品で通報する胆力、さすがボクの選んだ女性だけのことはある」


「まだ言ってますの?」


「もちろんだよ。君は忘れてしまったのかい? 毎夜、君自身やこちらの世界のことを楽しそうに語ってくれたことを」


「そもさん! ワタクシの好物は?」


「せっぱ! メロンクリームソーダ!」


 タピ子は右手でおもむろに足元の泥を掬いあげると男の口へ向けて全力で振りかぶり、男はその腕をすんでのところで掴んで止めた。


「タピオカッ……ミルクティー……ですわっ……!」


 タピ子は泥を掴んだ手首をさらに左手で支えて粘りのねじ込みを狙い、男もそれに抵抗して力を込める。


「ぬぬ……そんなことよりっ……この泥は何のつもりかね……!」


「あなたもご存知でしょうっ……ワタクシの……もうひとつの大好物である泥だんごをごちそうしようと思いましてよっ……ぬぬぬ……!」


「どこ情報…………ダァっ!」


 気合一発、男はタピ子の手首を握った手を半回転させ、なんとか特製泥だんごを土に還した。


「はあ……はあ……う、嘘はよくないね。君は確かにメロンクリームソーダが大好きだと言っていたじゃないか、みさこ」


「はあ……はあ……だ、誰がメロンクリームソーダ好きのみさこ…………メロンクリームソーダ好きのみさこ? えっ?」


 タピ子が驚いたのも無理はなかった。なぜなら。


「どうして女子トイレ侵入および盗撮魔がおばあ様の名前と好物を?」


「息をするような罪の捏造」


「たった今、そこにおばあ様へのストーカー容疑が加わりましてよ」


「おばあ様……? では、君は?」


「ワタクシは岡本みさこの孫のタピ子と申します。あなた、一体おばあ様のなんなんですの?」


「タピ子」


「……なんですの」


「いや、タピ子て」


「それがどうかしまして? ドラえもんはどら焼きが好き。コロ助はコロッケが好きなんですのよ? ワタクシがタピオカを好きになることを見越して付けられた素晴らしい名前ではありませんこと?」


「それにしてもタピ子」


「話を逸らさないで。……えっ、あの……なに? ちょっと、顔を近付けないでいただけます?」


 男は目を細めて、ジィッとタピ子の顔を見て……ハッと何かに気が付いた。


「泣きぼくろが右にある。みさこは左だった。……ということは、君は本当にみさこではないのか」


「いや、なんでワタクシが疑われてる体になってますの」


「それ以前に、この成金の令嬢みたいなおかしな喋り方がみさこであるはずがない」


「別人だと分かった途端に失礼極まっとりますわね。とにかく、今年で還暦のおばあ様と、ピチピチJKのワタクシを見間違えるということ自体が不自然極まりない話ですわ」


 その言葉を聞いて、男は膝から崩れ落ちた。


「みさこが、還暦だと……?」


「一応言っておきますけれど、おばあ様をストーキングしようとしても無駄ですわよ。ワタクシが小さい頃に、おじい様と一緒にヨーロッパへ移住しましたので」


 タピ子の声が耳に届いているのかいないのか、男は下を向いて何やらブツブツと呟いている。


「つまり、あの異世界への入口は空間だけでなく、時間までも飛び越えてしまうということか……?」


「ほら、いつまでも馬鹿なこと言ってないで、さっさと警察に行きますわよ……って、お待ちなさい!」


 突然その場から走り出した男を逃すまいと、タピ子も地面を蹴る。しかし、男が向かったのは公園の出口ではなかった。


「ちょっ……なんでまた女子トイレに! これ以上、罪を重ねるのはおよしなさい!」


 男に続いてトイレの個室に突入したタピ子は、そこに鎮座する便器の中に、青く光り輝く水が激しく渦を巻いているのを見た。


「もはやこの世界にとどまる理由なし! ボクは帰るぞ!」


 言うなり、男がいきなり頭から便器に突っ込んだものだから、タピ子は慌てて上着の裾を掴んで引っ張った。


「ちょっとあなた何してますの!? えんがちょ! えんがちょですわよ!」


「止めないでくれ! ボクはガボッ、元の世界にガボボボ……」


「キャーッ! きったな! きったな!!」


 飛び散る飛沫を避けようと、掴んだ力がわずかに緩む。瞬間、男の顔が丸ごと渦の中へ沈んだかと思うと、勢いを増した吸引力はタピ子をも巻き込み、一気に二人の全身を渦中へと取り込んでしまったのだった。


※ ※ ※


「ヴォエエエ! ッオエエエエエ!」


 入口があれば出口もある。二人がグルングルンとさんざっぱら水流に揉まれた挙げ句、勢いよく吐き出された先は新たなる便器であった。


「ウオオオエエエエエエ!」


「あの……君、大丈夫かね?」


 先程からずーっと洗面台に顔を伏せてえずいているタピ子を見かねて、男が声をかけた。


「ぅオエッ! ……べっ、便器に頭から突っ込んで大丈夫なはずがないでしょう! オゲッ」


「いやしかし、あれは汚水ではなく流水型ワープゲートなのだが」


「メンタル!! メンタルへの負担!! 考慮!!」


 涙目で訴えるタピ子に、さっきの仕返しとばかりに男が追い打ちをかける。


「それにしても君、随分とお嬢様キャラが崩壊しているようだね」


「は〜? キャラでやってるんじゃありませんわ! ワタクシ、れっきとした資産家の令嬢ですのよ! 合法令嬢ですわ!」


「合法ハーブ、合法ユッケ」


「言葉のチョイスから悪意が漏れてましてよ。ところで、ここは一体どこのトイレですの?」


 天井からは暖色のシーリングライトが隅々まで暖かく照らし、壁のタイルにはカビの欠片も無い。洗面台の脇を見ると、綺麗に畳まれたフカフカのタオルが重ねられている。どれをとっても、あのきったない公園のトイレとは比べ物にならなかった。


「まあトイレはそこそこ綺麗ですけれど、異世界という割には、ワタクシの世界とさほど変わりませんわね」


 窓から外を覗くと、整備された道路をたくさんの自動車が走っていた。脇の歩道を歩く人々のファッションにも、これといって変わったところは感じられない。


「ああ、ボクもみさこから話を聞いて同じことを思ったよ。しかし、君の住む日本とは大きく違うところがひとつあるんだぞ」


 妙に得意げに言う男にイラッときて、タピ子は一瞬こいつ無視したろかと思ったが、少しでもこちらの世界の情報があった方が有利だと考えて我慢した。


「それはね、この国が君主制だということさ。そして……」


 わざとらしくもったいつけてから男は言った。


「ボクはこの国の王様なのさ!」


「へえ。で、結局この建物はどこですの?」


「リアクション小さくないかね」


「別に、よその世界の王様が誰であろうが、ワタクシにはどぉーーーでもいいことでしてよ!」


「あ、はい……」


「で?」


「えっ? ……あっ、うちの王宮の離れにあるトイレです、はい」


「ふうん、ちゃんと元いた世界には帰れたわけですわね」


 こうして男が再び自分の世界に戻ってこられたということは、つまり、同じ手段を用いればタピ子もまた元の世界に帰れるということだ。しかし……。


「…………ゥオエッ」


 タピ子は、その「ワープゲート」に目をやった途端、先程までの地獄体験が脳裏をよぎり、たちまち胃液が滝登りを始めたのを感じた。


「……も、もう少し体調が整ってから帰ることにしますわオエップ」


「ふむ。なら、気分転換に軽く王宮を散歩でもしようか。じいやに案内をさせよう」


 と、男はズボンのポケットから丸い押しボタンを取り出した。


「これを鳴らすと、じいやが部屋から飛んでくる」


「ファミレス感覚」


「王族の特権だよ」


 そう言ってボタンを押した次の瞬間には、早くもドアの向こうからけたたましい足音が聞こえてきた。


「確かに早いですわね」


「い、いや……これはいくらなんでも焦りすぎじゃないか、じいや」


 勢いよくトイレのドアを開けて現れたのは、白ヒゲ燕尾服の、絵に描いたような「じいや」であった。 


「王様! よくぞご無事で! ……おお! お妃様も見つかったのですな!」


「どうした、じいや。何をそんなに慌ててるん……」


「どーしたはこっちのセリフでございますよ! 一体どこをほっつき遊ばれておったのですか!」


「どこって、夜中にトイレに行ったまま帰ってこないみさこを探しに行くのだと、ちゃんと告げておいたはずだが?」


「いやいやいやいや」


 じいやが激しく首を振る。


「なんだ? イヤイヤ期か?」


「何を馬鹿なことを……。一年間も国を空けたまま、一体どこまで探しに行ってたのかと尋ねておるのです!」


「……ん?」


「だから! 一年間もどこへ行っていたのかと……」


「まま待ってくれじいや。ボクが便器に顔を突っ込んでから、まだ30分も経っていないぞ!」


 あたふたとみっともなく慌てる男に、見かねたタピ子が口を挟んだ。


「ハァ〜、察しの悪い男ですわね。ついさっき『異世界への入口は空間だけでなく、時間までも飛び越えてしまう』とか言ってたのはどこの女子トイレ盗撮王ですの?」


「なっ……! では、ここは一年後の我が国だというのか? そんなことが……」


「王様……」


 呆然とする男の肩に、じいやが気の毒そうに手を置いた。


「女子トイレを盗撮されたのですか?」


「そっち」


「普段の行いって、こういうところに出ますのね」


 男はゴホンとひとつ咳払いをして、仕切り直しを図った。


「しかし見たところ大きな混乱も起きていないようだし、ボクがいない間、よくやってくれたね」


「ええ。王様がいない間、弟君が先頭に立ち、我が国をしっかりと統治されておりました」


 それを聞き、さすが優秀な我が弟、と男は満足げであった。が、じいやの表情は曇っていた。


「そうです。とてもとても優秀な弟君です。ゆえに、あなた様が失踪した直後にクーデターを起こされたのです。つい、いつものクセで王様、王様とお呼びしておりましたが、正確にはあなた様はもう王ではございません」


 告げられた衝撃の事実に、男はまた慌てふためいた。なお、隣のタピ子はわずかに残った人の心で必死に笑いをこらえていた。


「ど、どうしてそんなことに!?」


 男の人生の懸かったその質問にじいやは即答した。


「国をうっちゃって、逃げられた嫁のケツを追いかける男に王は務まらぬ(原文ママ)」


「……………………」


 返す言葉、なし。


「ぐう」


「…………タピ子くん。人が窮地に陥っている時になんだね、それは」


「ぐう、ぐう、ぐう」


 ざーとらしく唇をとがらせたタピ子が、半笑いで謎の言葉を繰り返している。


「理由は分からんがイラッとくるな」


「わかりませんこと? ぐうの音も出ないあなたの代わりに言ってさしあげてますの。ぐう!」


「理由が分かってイライラ三倍」


「冗談はさておいて……そういえば、おばあ様にも家を飛び出した妹がいると聞いたことがありますし、まったく、きょうだいが優秀すぎると苦労しますわね」


「なに、みさこに妹? それは初耳だな。他にもボクがまだ知らないことがたくさんありそうだし、じっくりみさこのことを教えてもらいたいな」


「あら、このご時世、個人情報はお高いですわよ」


「国家予算を組もう」


「あの……バカ話の腰を折って申し訳ございませんが」


 まったく申し訳なさそうには見えない真顔でじいやが横槍を入れた。


「ふん、ジョークだよ。今のボクに国家予算を組む権限など無いと言いたいのだろう?」


「いえ、そうではなく……」


「ああ、言い忘れていたな。この人はみさこではないんだ。話せば長くなるのだが……」


「あの、そういう話はまた後で……」


「……なんだ? 一体何をそんなに慌てておるのだ、じいや」


「誠に申し上げにくいのですが、今のあなた様は国家反逆罪で指名手配中の身でありまして」


「なんだと!?」


「さらに言いますと、警護班が王族の居場所をいつでも把握できるようにと、今、着用されているネクタイピンには発信器が付いております」


「ということは?」


「現在、警察が一斉にこのトイレへ向かってきております」


「なぜもっと早く言わない!」


「……はぁ〜、昭和の見本みたいなコントですわね。いっぺん豚箱で令和の空気を吸ってきた方がいいですわよ」


「何を他人事みたいに言ってるのかね? ボクの妻ということは、つまり君も国家反逆罪の片棒を担いだということだよ」


「は? でたらめも大概にしてくださる? そもそもワタクシとおばあ様は別人……」


「果たして世間がそう見てくれるかな?」


 消えたみさこ。代わって現れた、みさこにそっくりなタピ子。答えはひとつである。


「何してますの! とっととここから逃げますわよ!」


 言うが早いか、トイレのドアを蹴り開けて廊下に飛び出したタピ子であったが、通路の左右から挟み撃ちの形で迫りくる屈強な警察官たちを目にして、勢いそのままに踵を返しドアを閉めた。


「どどど、どうしますのっ!?」


「どうするって、ボクたちに残された選択肢はひとつしか無いだろう?」


 と言いつつ、男は既に個室のドアに手をかけていた。これ以上、この世界にはいられない。もはや便器に顔を突っ込みたくないとかワガママ言っとる事態ではないことは、尋ねたタピ子も内心では理解していた。


「長いこと世話になったな、じいや! 達者で暮らせよ!」


「はい、王様こそお元気で……」


「ちょっと! 何をとっととお別れ済ませてますの!」


 その抗議が耳に届く頃には、既に男の頭は便器の中へと沈んでいた。と同時に、派手な音を立てて入口のドアが蹴破られた。


「もう〜〜〜っ! どうなっても知りませんわよ! 南無三!!」


 叫んで、タピ子も便器へと飛び込んだ。トイレには、無駄足となった警察官たちとじいやだけが残された。ふたりを見送ったじいやが、感慨深げに呟いた。


「南無三、聞いたの昭和以来ですな」


※ ※ ※


「ごほっ!」


 ようやくワープゲートの渦から解放されたタピ子は水面から顔を出し、大きく息を吸い込んだ。が、直後ふたたび水流に飲みこまれ身体の自由を失った。


(なっ、流されてますわ……!)


 先程までより水の流れが速く、必死で足をバタつかせても前に進むことができない。


(こんな……こんな便器の中で窒息なんてダーウィン賞モノの死因はイヤですわ……!)


 しかし、いくらもがいても水の勢いには逆らえない。程なくして肺の中の酸素がすべて吐き出された。


(も、もうだめ……)


 だんだんと意識が薄れ、視界から光が消える……その寸前、タピ子の腕を掴んで水面へと引っ張りあげたのは、先にワープしていた男だった。


※ ※ ※


「ごほっ! ごっほ!」


 どうにか陸に辿り着いたタピ子は咳き込みながら辺りを見渡し、ここが便器の中ではなく、住宅街を横切る小さな川であったことを理解した。川の中に現れた青く光るワープゲートの渦は、激しい水の流れによって散り散りとなり、もはや二度と使うことはできなくなっていた。


「大丈夫かね?」


「ええ、なんとか……。おかげで助かりましたわ。……それにしても、ここはどこですの?」


「おいおい、こちらの世界のことは君の方が詳しいだろう? それに、重要なのは『どこ』ではなく『いつ』じゃないのかい?」


 『異世界への入口は空間だけでなく、時間までも飛び越えてしまう』……一体、今はいつなのか。


「こういう時は新聞の日付を確認しますの。昔、映画で見たことありますわ!」


 そう言って駆け出した二人を、電柱に取り付けられた複数の監視カメラが追っていた。


※ ※ ※


「昭和55年……1980年。つまり、40年近く前ですわね」


 売店で購入した新聞でその日付を知っても、タピ子にそれほどの驚きは無かった。ここへ来るまでに見かけたもの……LEDではない信号、舗装の行き届いていない道路、消費税のかからない新聞。そして、公園として埋め立てられる前の川……。なんとなく、時代は推測できようというものだ。


「そこまで過去なのか……」


 男は、自らの判断で故郷に別れを告げた自分はともかく、巻き込んでしまったタピ子に対しては申し訳なく思った。けれど、タピ子は存外に明るかった。


「まあ、クヨクヨしてても始まりませんわ! 『いかなる時も優雅に前向きであれ!』 この時代でどう生きていくかを考えましょう!」


「その言葉……あなた、何者なの?」


 突然聞こえてきた声に振り向くと、そこには二十歳はたちそこそこの女性が驚いた表情で立っていた。タピ子が彼女への既視感の正体に辿り着くより先に、男が声を上げた。


「みさこ!?」


※ ※ ※


「なるほどね。……でも、まさかこの若さで自分の孫と対面するとは思わなかったわ」


「あら、ワタクシだってこんなに若いおばあ様に会えるなんて思ってもみませんでしたわ」


 二人は見つめ合って、フフッと笑った。


 みさこは、元々タピ子と同じ2019年を生きる女子高生であった。しかし、タピオカミルクティーの飲み過ぎで駆け込んだトイレで便座を上げるのを忘れてしまい、ケツからワープゲートへと突入し別世界へ。そこで出会った王様とイイ仲になって婚約までしたものの、今度はこの世界で流行していたメロンクリームソーダにどハマリしてしまったことでトイレが近くなり、夜中に寝ぼけてまたも便座を上げ忘れたことで、こうして元の世界に戻ってきたのであった。


「追いかけてきてくれるとは信じてたけど、それにしたって五年待つのは長かったわよ〜!」


 みさこが戻った時代は1975年。男が一年後の世界に戻ったように、どうやらワープ先の時代には誤差があるようだった。


「でも、おばあ様。よく女子高生ひとりで五年も生活できましたわね」


「そりゃあね。未来人ですから」


 と、みさこはじゃらりと腕や首に付けた高級そうなアクセサリーを見せつけた。


「株でも特許でも、未来の情報を持ってるってだけでここじゃ勝ち組だから。おかげであっという間に資産家の仲間入りよ」


 ちなみに、稼いだ金で街中に監視カメラを仕掛けて、二人が来るのを待ち構えていたのもみさこである。


「さすがはおばあ様! いかなる時も優雅に前向きであれ、ですわね!」


「……おかげで、孫がとんでもない育ち方をしているぞ」


 これまで散々タピ子に振り回されてきた男が苦言を呈した。


「ふふ、そうみたいね。でも、私たちの可愛い孫ですから」


「ちょちょ、おばあ様! 本気でこの男と結婚する気ですの!?」


「それはそうよ。だってもう婚約までしてるんだから。……ねっ、ジローくん」


 それを聞いてタピ子は諦めがついた。なぜなら、その名前こそ彼女の祖父のものであったからだ。


※ ※ ※


「とりあえず、タピ子ちゃんは今日から私の妹ってことにしてウチで暮らしなさい。成人するまではしっかり面倒見てあげるから。その後はGAFAの株でもなんでも買って自由にするといいわ」


「ええ、ありがとうおばあ様……じゃなくって、お姉様」


 タピ子とジローとみさこが、並んで家路に着く。ちょっと変わっていても、これもまたひとつの家族の形である。


「自由にするとは言っても、タピ子には将来何かやりたいことはあるのかね?」


 ジローが尋ねると。


「ええ。ワタクシ、この時代にひとつだけ大きな不満がありますの」


「不満?」


「それは……タピオカミルクティーが無いことですわ!」


 ジローは思わずズッコケそうになったが、タピ子の目は本気だった。


「タピが無い世界なんて想像するだに恐ろしいですわ! だからワタクシ、成人したらすぐに家を出て本場の台湾で起業しますの! そして作り上げますわ! 至高最高のタピオカミルクティーを!」


 タピ子はまだ知らなかった。このあと彼女が台湾で作り上げたものこそが、この地球上に初めて誕生したタピオカミルクティーとなることを。


 そして。


「そうそう、お二人にお願いがありますの」


 タピ子は、満面の笑みで言った。


「孫娘が生まれたら、名前はタピ子でお願いしますわ!」



-おしまい-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タピオカ誕生物語 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ