最終楽章

「戻ってきたんですか」


 修一は長々と息を吐いてから、そう言った。


「……証拠品を残していくわけにはいかないでしょう。あなたこそ、戻って来るなんて意外だったけど」


「ひょっとして、野暮なことをしましたかね?」


 修一は扉の近くで佇んでいる人物の瞳をじっと見た――南沢優は相変わらず穏やかに微笑みながら修一をぼんやりと眺めていた。


「いいえ。真実はいつか明らかになるものだもの。でも、こんなに早くバレるとは思わなかったなあ」


「このCDはあなたのものですね。そして中に入ってるのは、別れの曲……ショパンの書いた練習曲」


「覚えてたの?」


 優は幾分嬉しそうな表情で問いかける。


「僕も、記憶力はいいのでね」


 修一は苦笑しながら、さらに続ける。


「文芸部で見つかった怪文章というのも、あなたが書いたもの。そして、この録音音声を使って僕らを騙し、あの噂話が現実に起こったように演出した。要するに、自作自演だ」


「……そこまでハッキリ言われると、やっぱり野暮だわ」


 南沢優は口を少し尖らせて表情を曇らせた。


「何故こんなマネを? 僕らを騙して何になるんです?」


 優はゆらゆらと揺れながら音楽室を歩き回り、窓際の椅子に腰かけた。それから煙草を吹かすように長い溜息を吐いてから、再び口を開いた。


「金城君のことは、前から知っていたんです」


「あいつを?」


「ええ。彼は大のオカルト好きで、校内新聞に偶にそんな感じの記事を書いてるって。須波さんから聞いたのだけれども。だから、もし彼が不思議な出来事を体験したら、喜んで記事にしてくれるだろうって思ったの」


「あいつに記事を書かせたかったってことですか? あなたの書いた文章を元にして……」


 修一はなんだかくらくらするような気分になってきた。


「まあね。けれど、証人が一人では心許ないと思わない? それで、あなたにも同席してもらうことにしたの。あなたは金城君の友人で、しかも周囲からの信用も厚い。話の信憑性を上げるにはもってこい」


「そういうこと……」


 つまりは、自分と金城は彼女の作り上げた物語に真実味を与えるための駒だったわけか。南沢優の語りは落ち着いていて、尤もらしい響きを持っていた。


「……そもそも、そんな話を流布して何になるんです? そんな噂話……」


「実はね、今日は私がこの学校に通う最後の日なの」


 唐突な告白に僕は驚いたけれど、優は気にすることもなく更に続けた。


「両親が海外に移るので、転校が決まったの。この学校に通うのも、今日で終わり。でも、ただ普通に学校を去るのは、面白くないかなーって思ってね。それで、ちょっとした筋書きを考えたのね。


 私の消失を目撃した金城君は、あのメッセージについての記事を書くでしょう。そして実際、私はもう教室には戻ってこない。謎の予言は成就し、めでたし、めでたし。これ以上にインパクトの残る去り方って中々無いと思わない? きっと私の名前、みんな忘れられなくなるよね」


 修一は段々優の言っていることが理解できているのかどうか、自信がなくなってきた。CDを見つけた時、それが優の仕掛けた工作であることに考えが至った時、修一は心の中で霞んでいた彼女の実体を手の中に掬い取ったような、一種の勝利感を覚えていた。


 けれども今、彼女は再び修一の理解という手の中から零れ落ちようとしていた。掴みどころがない――彼女を形容するのに、これ以上相応しい言葉は無いと修一は思った。


「……流石に先生たちは知っているのでしょう? あなたが、海外に去ることくらいは」


「……だから、大人は嘘を吐いて、私が遠くに転校しました、というだろうって書いておいたの。……金城君の記事を読んだ後で、誰が先生たちの言葉を信じるのかしら」


 優はフワリと立ち上がると、少しだけ悲し気な表情を浮かべる。


「そのCDをあなたが見つけてしまった以上、私の自演劇はお仕舞。あなたの好奇心を見積もり誤ったのね。まさか、戻ってきて捜査を始めるとは思わなかった。……そのCDは差し上げます。戦利品として」


 南沢優はそう言い残すと、部屋の出口に向かって歩き出した。


「……聞きたいことがある」


 しかし、修一は強めの声で優を呼び止めた。


「僕があなたの演奏を聞きに行ったのは、偶然だったはずだ。僕がたまたまあの場所をあの時間に通り過ぎて……それから、僕が金城にこの話を振ったのも偶然だった。須波さんが文芸部で見つかった赤い詩のことを教えてくれたのも偶然だった。けれど……」


 修一は廊下の方を見つめている南沢優の背中を見つめながら、ゴクリと生唾を飲んだ。


「けれど……どこまでが偶然だったんですか?」


 南沢優は、修一の方に少しだけ顔を向けた。そして、穏やかな笑みを一瞬だけ浮かべてから、それ以上は何も言わずに教室を去っていった。


 修一は南沢優が去った後、暫く動けなかった。白いCDを手に持って、腑抜けたような表情を浮かべながら、誰もいない教室に一人立っていた。


 彼女の予言通り、金城はこの件について記事を書くに違いなかった。そして先生たちは、南沢優は海外へと転校していったのだと口裏を合わせるのに違いなく、それを生徒たちが怪しむのも確からしく思われた。そうして色々な憶測が飛び交った挙句、自分の所に色々な人が話を聞きに来るに違いない。


 そして自分は、一体どのような返答をするのだろうか――自分は真実を話すのか、否か。修一は未来の自分の行動について、まるで他人事のようにふわふわと考えていた。

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ある音楽の終わりについて 赤河令 @akorei

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