目覚め(3)

 板張りの床に塗り壁。どことなく日本風の部屋ではあるのだが、敷かれているカーペットは何かしらの動物の毛織だし、その上には木製の洋風テーブルと椅子が置いてある。無茶苦茶な取り合わせのその部屋で、俺とユリウスさんはティアさんが改めて用意した食事を飲み込んだ。

 話があると言っていたのですぐに用件に入るのかと思われたが、ユリウスさんが「まずはしっかりと食べよう」と言ったので黙々とパンと炒めものを頂いたところだ。

 ティアさんが食器を片付けるために部屋の外に行ってしまったタイミングでユリウスさんは満足そうに腹を擦りながら口を開いた。


「ティアは俺の家に仕えていて、家のことをすべて任せているんだ。それと同時に弟子みたいなもんで、俺はたまに稽古をつけてる」


「……弟子、ですか」


「そうだ。話せば長くなるから経緯までは説明しないが、もう五年近いな。五年教えている。だから」


 ユリウスさんが俺に視線を投げかける。


「闘技大会、驚いたさ。まさか輝に負けるとは思っていなかった」


「それは……」


 言葉を探してしまう。

 闘技大会での勝利は魔法を使って戦ったから得られたものだ。魔法禁止のルールの大会でそれを使った俺の行いは違反でしかない。それだけじゃなく、ティアさんの培ってきた自信を奪ってしまったものだとも、今なら分かる。

 だからこそ、先程俺に再戦を挑んできたということだって、同じく分かる。


「さっき、見ていたと思います。あれが、本当の勝敗の結果です」


「そうだな。魔法もない。あの妙な武器も使えない。きっとあれがお前の力だ。でも、だからこそ驚いた部分もある。……輝」


 ユリウスさんは責めるでもなく、褒めるでもなく、ただ本の記述を読み上げるように、事実を述べるように無表情。


「強くなったな。本当に」


 彼の低い声が俺の胸のあたりに沈んでいく。心地よさと、湧いてくる震え。小さな鳥肌を背中に感じながら俺は何もないテーブルの上に視線を落として、膝の上の拳を握る。

 だけど、この感情に浸り続けるわけにはいかないのだとも思った。


「俺は……本当に、強くなったのでしょうか」


 顔を上げて、無機質なユリウスさんの眼差しを受け止める。


「俺が違う世界から来た人間だと、ユリウスさんは知ってましたね」


 うなずくユリウスさん。王都にある図書館の情報をくれたのは彼だ。

 俺は彼の首肯を見て話し続ける。


「……この世界に来た俺は、元の世界に帰ることだけを考えていました。帰らなきゃいけない理由があるんです。昔は友人だった『ある男』に意地を張っています。嫌がらせを受けようが学校を休まないこと。それでいて、絶対にその男にはなびかないこと」


 今でも元の世界に戻れば傷だらけの机があって、少しは収まったといえどもチャチな嫌がらせは続くのだろう。だけど、それでも負けたくない。その感情の元になっているものは……劣等感と、嫉妬心だ。


「ずっと、そのために戦ってきました。負け続きでしたけど、その中には負けちゃいけない戦いもあった。……俺は、勝てなかった」


 ジャングルで出会った甲冑竜にも、シュヘルの近くで脅されたカイルにも、ハリアのサターンにも、王都で狛江ソラにも、心のなかではフルにも、ジャックスにも、反乱軍にも、ノールにも、負け続けた。

 あの戦いのいくつかを勝つことが出来たら、今、俺はもっと良い状況にあったはずなのだろう。

 粘りつくような不快な考えが喉元に上がってくる。頭の中では理解していた言葉。延々と反芻してきた概念。飲み込んで見ないふりをして、気にしていないふりをしていたもの。

 でも今は、口にしようと思った。向き合うために必要だと思った。


「……俺は、弱い」


 呼気とともに部屋に響く。口から出てしまった言葉は現実に馴染んで、もう取り戻せはしない。いや、本当は口に出さなかったとしても取り戻せないものだったんだ。だというのに、それを取り戻そうと躍起になった俺は、あの路地裏で『敗者の目』なんていう幻想を追い続けた。

 敗者の目。そんなものは存在しない。もし存在しているというのならば、それは俺の中にしかないものだ。


 ……向き合わなければ、いけない。


「もう、逃げるつもりはなさそうだな」


 俺の想いを汲み取ったかのようにユリウスさんは口元を緩めた。そして、再び真摯に視線を送ってくる。


「逃げないのであれば、これからどうするつもりだ」


 問いは、至極まっとうなものであった。それだけに答えるのが難しい。


「この世界に来たばかりの俺であれば、元の世界に戻るための行動を取ったんだろうなって思います」


「今は違うのか」


「今は……」


 ユリウスさんの問いかけに考え込んでしまう。目を閉じて、真っ暗な闇の中へ落ちていく。

 これからどうする。確かに今、その答えは持っていない。でも、答えは俺の中にあるような気がした。

 そう。『元の世界に戻る』だけでは足りない。ちゃんと精算しなければならない。それは――『自分のため』。……否。それは正確ではない。正しくは――『自分が自分であるために』。

 そう考えていたら、懐かしい顔が浮かんだ。


「……もう一度……」


 勝手に言葉が溢れる。きっとまとまりの無い言葉が出ていく。そうやって取り戻せない言葉が増えていく。


「……自分が寂しい。自分が心細い。それもある、だけど、それだけじゃない……」


 でもこれでいいと思う。今はただ、口にしていこう。


「……裏切ってしまった。ひどい思いをさせてしまった。自分が一番大事のくせに、そっちのほうが苦しい……」


 曖昧な感情に少しずつ輪郭を与えていくように。


「……でも。想いだけでどうなることでもない。現実も必要だ。現実に関われるだけの『力』も必要だ……」


 薄っすらと目を開いて、自らの手に目を落とす。握って、開いて。何も掴めなかったこの両手。


「……でも、必要なことは一つだ」


 彼らの顔が浮かぶ。劣等感の矛先。得られなかった人望。冷たく厳しい現実。見捨てようとした後悔。失ってしまった友情。裏切ってしまった信頼。そして――。

 拳を握る。ようやく掴んだ想いに、名前を与える。


「――俺は、彼らに会いたい。もう一度向き合いたい」


 小さな声だったと思う。それでもユリウスさんはしっかり聞き取ってくれた。かすかな笑顔で「そうか」と呟き、それからため息をついて、口の端を引き締めると、両手を軽く上げる。


「会ってどうする。また苦しい思いをするかもしれない」


「向き合って、必要なら謝ります。必要なら喧嘩もします。だけど、苦しさを理由には、諦めないです」


 言い切る。だが、ユリウスさんはテーブルに拳をぶつけた。鈍い音が響き、俺は息を飲む。そのまま彼は萎縮する俺を前にして話す。


「現実には諦めなくちゃいけないこともある。そういう理不尽が転がってる。今やってる戦争なんてまさにそうだ。そんな中で、どうしてそこまで拘(こだわ)る。どうして諦めないと言い切れる」


 声を荒げているわけではないが、一つ一つが鉛のように重たい。腹の底に沈んでくるような言葉だ。

 昔、親や教師などの『大人』に諭された時の感覚によく似ている。感情的に叩き伏せられるのとは違う重たさ。到底崩せないであろう壁を前にした時の感覚。

 当時であれば、時を待ったり諦めたりしただろう。でも今は違う。きちんと、想いを言葉にするんだ。


「自分が、自分であるため、です」


 たどり着いたのはそんな単純な理由であり、覚悟だった。

 ユリウスさんは測るように俺を睨む。『唯剣』と渾名された彼の持つ、文字通り刃物のような圧力に顔を背けたい感情が湧いてくる。だけどそこに甘えることはしない。大丈夫。俺には『覚悟』がある。そして、ここで逃げ出せない理由もある。

 数分の沈黙。部屋の中の空気が粘度を帯びてしまい、呼吸ができなくなりそうな錯覚を覚えていく中、ユリウスさんはテーブルに肘をついてうつむいた。


「……どうしてだろうな。お前を見ていると、無鉄砲だったころの自分を思い出す」


 ユリウスさんは顔を上げて、手の指を折り始める。


「いつからかな……。貴族としての俺。師匠としての俺。戦士としての俺。『唯剣』としての俺。義勇軍の兵士としての俺……。そんな沢山の『俺』を抱えているうちに、無くしてはいけないものを無碍にしてしまったことが何度もあったことを思い出す」


 咀嚼し、反芻し、彼はゆっくり拳を握る。


「それを思い出すから、その後悔があるから。……だから俺は、お前を応援したくなるんだろう、と思う。ぶつかって、折れて、立ち上がって、また折れて……自分のために戦う。酷く平凡で、それなりに不屈の……利己主義者(エゴイスト)だ」


 そして彼は屈託なく笑った。「微力ながら協力しよう」と言って、椅子から立ち上がる。


「お前が会おうとしている『彼ら』の居場所は戦いの最前線。今のお前の力では、のこのことヒュルーに舞い戻っても本懐を遂げられるか怪しいのが現実だ。ヒュルーにたどり着くことすら出来ないかもしれない」


 ユリウスさんが言っているのは本当だろう。ハリアからヒュルーに向かうまでの道のりで何度命の危機に直面しただろうか。一人で行けば反乱軍に襲われることは無いかもしれないが、今度はライツのような生物や野盗に襲撃される危険がつきまとう。今は魔法も使えないし、旅の同行者がいるわけでもない。

 彼の言っていることは尤もだ。だけど……。


「それでも――」


 ――俺が反論しようと口を開くと、ユリウスさんは俺に手をかざして「待て」と制してきた。


「分かってる。どうあっても行くつもりだろう。ただ、現実は現実として認識すべきだ。いくら立派な覚悟や理由があっても、それを示すための手段がなければ――力がなければ――、その想いは存在しないに等しい。俺が一緒について行ければ問題ないかもしれないが、俺にもやるべきことがある」


 返す言葉はない。いくら心持ちが変わったからといって、それがそのまま現実を変える劇的な要素になるわけじゃない。依然として俺は、ひ弱な一個の人間だ。

 握った拳に力が入る。それを知ってか知らずか、ユリウスさんは話を続ける。


「……お前が持っていた力を取り戻すべき時だと、俺は思う。闘技大会が開催された時点では、本当なら天地がひっくり返っても埋められないティアとの差を覆した、力を」


 俺は顔を上げて、ユリウスさんに倣い席を立つ。

 彼の言う『力』。それは俺をこの世界に突き落とした元凶でもあり、ソラたちと別れてからの一人きりの旅を支えてくれた恩人でもある。


「……魔法――」


 ――そして、フル。


 しかし、その力はすでに封印されている。王都の王宮まで行って封印を解く方法を調べるのも一つかもしれないが、あそこまでの粗相をやらかした俺が無策で行けば、封印を解くよりも捕まって処刑される方が早いだろう。

 それに、俺はフルに二度も身体を奪われている。三度目はない。だからこそ、『嫉妬』という感情を遠ざけて、何度も殺してきた。

 それこそ、現実的ではないんじゃないか。


「ユリウスさん。魔法なんですが……」


「簡単に取り戻せるものなら、お前は誰に言われずともすでに取り戻しているはずだ。それをしていないということは、再び『まったく同じ力』を宿すのは無理なんだろうな」


 きっぱりと言い切るユリウスさん。俺はうなずいて肯定する。


「だから、取り戻すというのは語弊があるか。……改めて、力を手に入れるという方が正しい。……『銀の首飾り』に『月の王』を宿す」


 銀の首飾りというのは、俺のしている輝きを失ったアクセサリー……銀のペンダントのことだろう。そして、月の王。不慣れな呼称だが……。


「それは、『フル』を宿すということですか?」


 あの屋上で奴はそう名乗っていた。銀の首飾りが銀のペンダントであるならば、月の王とはフルで間違いない。

 しかし、ユリウスさんは考える素振りを見せてから首を振る。


「『フル』というのは知らないな。あくまで聞いているのは『月の王』という名前だ。……いずれにせよ、恐らく輝が元と全く同じ力を取り戻すよりは可能性のある話だと思う。……当然、リスクが無いわけじゃない。危険は伴う。それでも良いか?」


 ユリウスさんの言うリスクというのは身体を奪われるということか。それとも、命を奪われるということか。どちらも想像できる。逆に言えばそれ以上は無い。

 怖い。だけど、フルに身体を明け渡さないための方法は分かっている。


 ――『嫉妬』に飲み込まれないこと。


 なるべく考えないようにして、浮かんではその感情を殺し、そうやってここまで来れた。それを続けるだけだ。『嫉妬』なんて卑小な気持ち、乗り越え続けてみせる。


「……構いません」


「……そう言うと思った。俺は用意するものがあるから先にここを出る。そうだな……準備を整えて、正午に闘技場の前まで来い。そこで説明する」


 ユリウスさんはそう言って俺に背を向けると、部屋の出口へ向かった。俺は「わかりました」と了解し、それから彼の名前を口にして呼び止める。


「……ユリウスさん」


 彼は立ち止まって振り向く。「どうした」と素直に問われた俺は、微笑んだ。


「ありがとうございます」


 小刀を教えてくれたこと、闘技大会で力を貸してくれたこと、カイルとの戦いで助けてくれたこと、ハリアへ戻る馬車に乗せてくれたこと、『路地裏の嗜虐者』となった俺を止めてくれたこと、そしてまた、道を開いてくれようとしていること。

 全てを込めるつもりで感謝した。伝わっているのかはわからないけど、彼ははにかんだように笑う。


「ふふ。いいさ。半分以上、俺のためでもある。……俺が本当に目指したいものは、『唯剣』なんかじゃない。『気の良いお兄さん』って称号に憧れてるんだ」


 それだけ言うと、今度こそ彼は部屋を出ていった。その背中が見えなくなり、俺は再び椅子に腰を下ろす。

 俺は理不尽や苦境にずっと苦しんできたと思っていた。でも、そんな中にもユリウスさんのような人がいる。目を開いて良く見れば、これまでだってそうだったのかもしれない。


「だから……向き合うんだ」


 こうやって何かに気付くことを『目覚める』と形容することがある。ぴったりだと感じた。まるで新たな一日の始まりのように、その『気付き』というものが、未知の世界へ連れて行ってくれるようだと思ったからだ。

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