目覚め(2)
泥まみれの手で水分が抜けてガチガチに固まったパンを食い破り、いつ作られたかもわからないような干し肉や、野草のような植物を食らう。もちろん、奪った金銭を握って裏通りの市に出れば食べ物を買うことはできるが、調理するための道具も家もない。
埃と土、泥と血の味が路地裏の全てだった。
「……おいしい……」
だからユリウスさんの屋敷で出されたパンを食べた時に、俺は感動で泣きそうになってしまった。柔らかくて、ちょうどいい塩梅の塩気がある。フォークを握って炒めものを掬って口に運べば歯ごたえのある新鮮な野菜の食感と火の通った肉から肉汁があふれる。
ああ、美味しい。温かい。こんな食事は凱旋当日の宴会以来だ。
……あのときは、あまりいい気分での食事ではなかったけど。
「がっつきますね。『路地裏の嗜虐者』様」
半分以上食べ終わったあたりで和服女が言う。食べすすめる手を止める。和服女は不愉快そうな顔を崩さない。俺は口の中の物を飲み込む。
手放しで食事を喜んで楽しめないのは、今も同じか。
「……あ、の。俺、迷惑でしたら、すぐに出て行き――」
――違う。向き合わなければならないと、考えたばかりだろう。逃げるのは、向き合ってからでも遅くはない。
……まずはここからだ。逃げ出すな。久喜輝。
俺は小さく息を吐いてから、フォークを置いて、和服女に向き直る。
「すみません……俺を、……嫌っていますか。なんというか、その……『路地裏の嗜虐者』というのが」
和服女は目を丸くする。それからため息をついた。それはつまり、肯定だろうか。そんなに嫌われてるのか。確かに俺は厄介者だ。……ただ、それを面と向かって受け止めるのは、やっぱり苦しい。
半分後悔しながらも、逃げ出しそうになる気持ちをどうにか抑え込んでそんな事を考えていたら、和服女はその綺麗な顔をずいっと近づけてきた。
「はあ……顔、覚えてませんか?」
「え、その……」
どこかで見た事有るような気はするんだ。だけど全く思い出せない。そういえば自己紹介すらされてない。せめてそれがあれば、思い出せるかもしれないんだけど。
「……そうですか。わかりました。ついて来てください」
彼女は諦めた様子を見せて歩き始めた。俺は慌てて席を立つものの、食べかけの料理を見て狼狽える。
「あ、料理は」
「……あとで食べてください」
そんな冷たい言葉の後に連れてこられたのは板張りの広い部屋だった。物がなく、天井が高い。不意に連想したのは剣道の道場だった。
「嫌な予感がするな……。聞かないほうが良かったかな……」
聞こえないように独りごちていると、「ここで待て」と言われてそのまま数分。和服女が服を着替えて現れた。和服を崩した様な服で邪魔になる袖が無い。その手には長い木剣。長く黒い髪を後ろにまとめている。
「……あ」
その姿を見てようやく思い出した。
彼女の名前はティア。闘技大会のブロック決勝戦でミアと戦った、その一つ手前で切り結んだ女性剣士だ。今彼女が持っているような長大な太刀を武器にしていた実力者。警戒した俺は最初から魔法で身体強化をして戦ったんだ。
「やっと思い出して頂けましたか。改めまして、ティアと申します」
呆れた様に和服女、いや、ティアさんは初めて笑みを見せた。それからティアと名乗った彼女は口の端を引き締めると、木の太刀の切っ先を向けてくる。俺は思わず後ずさる。
「思い出して頂けたなら話が早いです。……再戦、していただけませんか?」
言葉遣いは強いのに、それでも強要してくるようには思えなかった。彼女の落ち着いた声色のせいか。
俺は尻込みつつも考える。
闘技大会の時は魔法を使って戦ったから倒すことが出来た。今やったら負ける可能性のほうが大きいのは事実だ。……それでも、断ることはない。
ここで逃げようと思わない。『向き合う』という関わり方の手がかりにもなるはずだ。
「……わかりました。武器を貸してください」
○
「それで良いのですか?」
「はい、ありがとうございます」
俺の左手には木の短剣。右手には押入れのような倉庫で探してきた木の棒。長さはグングニルに近い。子供用の槍だそうだ。その丁度真ん中ほどを持ち、構える。
勝てなくてもいい。真摯に向き合うんだ。きっとティアさんが求めているのは純粋な競べ合い。全力を出さねば不誠実だ。
「……いきます!」
俺から足を踏み出した。裸足が板張りに気持ちよく吸い付く。二歩踏み込み、右の棒を左から右へ。太刀で上手くいなされる。俺はそのまま右に体を捻り、左の短剣を突き出す。額を狙ったが首を傾げたティアさんによって避けられる。
右回りを止めず、右手の棒、柄の部分で払う。これも上手く防がれるが、その回転を活かしてとどめの回し蹴り。
「く……! む……?」
ティアさんは俺の蹴りを肩と右腕で受け止めて眉をひそめた後、瞬間不思議そうな顔をした。俺はすかさず足を引いて一歩下がる。
今度は彼女の太刀に動きがある。向こうの攻撃だ。細腕には似つかわしくない太刀のなぎ払い。受け止めるのは難しいだろう。
俺は右手の棒で太刀を斜め下から上にぶつけ、姿勢を低くして潜り込んだ。重い一撃だ。反撃に転じたいが迂闊に踏み込んだら二撃目を食らってしまう。そして俺には彼女の太刀を受け切る自信がない。
「くそっ」
脚を走らせて後ろへ後ろへと下がる。
俺は両手に武器を持っていて、蹴りも少しは撃てるから接近戦では五分五分。彼女の腕力を考えると中距離で競り勝つのは難しいだろう。そう考えると、中途半端な距離にいることが一番危険だ。
飛び込んでいって、不利になりそうになったら潔く離れる。割り切って戦おう。
ティアさんが太刀を引いて、肩に担ぐように構え直す。あそこから放たれるのは範囲の広い横薙ぎか、それとも威力の強い打ち下ろしか。いずれにせよ簡単には踏み込ませてくれないだろう。彼女も、接近戦より中距離戦で戦いたがるはずだ。
思案していると、彼女と目があった。
「来ないのですか?」
挑発。しかし、純粋な問いかけにも受け取れた。その様子に昨日のユリウスさんを思い出す。似ていると思った。武器を握る手に力がこもる。
……今の全てを、見てもらおう。
「はあああっ!」
俺は姿勢を低くして棒を突き出し、突進をしかける。
飛び込むにはこれが最適だと俺は答えを出した。捨て身とも言えるかもしれない覚悟の突進。視界が狭まっていき、彼女と棒の穂先に意識が集中していく。しかし俺はその集中力を意図的に逸らす。見るべきは彼女の目の動きと、肩の動き。
ティアさんの目が俺を捉え、そして肩が動く――。
「てやあああ!」
――上からの打ち下ろし!
直線距離を進む俺の勢いを止めるための一撃だろう。俺は突進の途中で大きく脚を踏み込むと、力を溜めて床を一気に蹴る。蹴りながら棒を横に向けて、頭上へ飛び上がる。打ち下ろしを迎え撃つ!
「うおおお!」
硬い木と木がぶつかり合う派手な音。同時に強い衝撃。地面に叩き落されながら、俺はしっかりと地面に着地して、重たい太刀を支えるように受け止める。
右腕が震える。この馬鹿力もユリウスさんとそっくりだ。前へ進みたいのに脚が動かせない。
「ぐ……!」
これでは近寄れない……接近戦なんて出来やしない……!
ティアさんが両腕に力を込めて押しつぶそうとしながら、歯を食いしばった声で言う。
「この程度ですか……! 私を倒した久喜輝は……!」
「う、く……!」
そうだ。全力だ。
少しは力もついてきたと思ったのに。闘技大会の時にアクセサリーの魔法にどれだけ頼っていたのかを思い知る。今の俺はまだまだ無力だ。路地裏であれだけ勝てたのは、グングニルの性能あってのものだったのか……。
……いや、違うはずだ。俺があの場所で身につけた力をまだ使っていない。
目潰しは砂がなくて出来ない。石も転がっていない。だけど、左手には短剣がある。
「全力を……!」
多分この、道場のような場所には似つかわしくない。だけど、俺はここで、俺の全力を……『俺』を見てもらう。それが誠意だ。向き合う心だ。
だから、……『自分が、自分である』ために!
俺は左手を振りかぶり、木の短剣をティアさんに向けて思い切り投げつける。
「な……!」
動揺したティアさんが力を緩めた。短剣は彼女の脇を通り抜けて外れてしまったが、機は出来た。
「あああああっ!」
棒を両手で持った俺は上からのしかかってきていた太刀の軌道を逸らし、脇に流した。
「何……!」
ティアさんの太刀は勢い余って床に叩きつけられる。構え直すためにそれを引こうとする彼女の動きを見て、俺は逆に、棒で太刀を押さえつけながら走りだす。
「貰った!」
太刀に這わせて滑らせた棒がティアさんに向かう。その瞬間、彼女は太刀から両手を離した。
「な……」
思い出した。闘技大会でも同じことをされた。彼女は太刀が無くても戦える闘技を持っている……!
ティアさんは身をかがめて俺の棒を避ける。そして、その両手で俺の服の襟をつかもうと手を出してくる。……いや、違う!
「同じ轍は踏まない!」
彼女は片手を俺の右手へ……木の棒を持つ右手へ向けて、掴んできた。そして襟元も掴まれてしまったと思った瞬間、俺の視界が反転した。
「ぐあっ!」
背中に衝撃。受け身をとっているものの、板張りに強かに打ち付けて呼吸が苦しくなる。
これは知っている。……背負い投げだ。それも投げた後まで掴んでいてくれるような優しいものではなく、放り投げるような強烈なもの。
「つ……くう……」
仰向けに倒れている体勢から急いで寝返りをうち、膝を立てる。しかし、力が入らない。疲労もあるのだろう。立ち上がることが出来ない。
顔を上げるとティアさんは息を切らして無手で構えていた。まだやれるのだろう。彼女がまだ戦えるのならば、立ち上がれない俺は……負けだ。
「はあ……負け。はあ……ました……」
素直に認め、尻もちをついて肺に酸素を取り込む。ティアさんも膝に手をついて荒い息を整える。しばらく、二人の息遣いだけが『道場』に満ちる。
前回と、闘技大会のときとは真逆の結果になってしまった。だが、不思議と心残りはない。負けたというのに、今までのような苦しさがなかった。目を閉じて、どうしてだろうと考えていたら「ありがとうございました」という声が聞こえてきた。
目を開くと、俺の目の前まで着ていたティアさんが手を差し伸べてきている。
「私の無理に突き合わせてしまい失礼致しました。……手を」
「……ありがとう……ございます……」
俺は彼女の手を取る。その時に気付く。何故、負けたというのに苦しくないのか。それは、彼女の目に、敗者を見下す色が無かったからだ。
同時に、こんな感覚は過去にもある、と思った。
負けたというのに苦しくない……。ヒュルーへ向かう荒れ地で、何度も青天井を見上げた。その時の感覚。
……そうか。ミアに戦い方を教えてもらったときだ。あの時のミアは、訓練の中で俺を降しても俺のことを見下しはしなかった。
俺はティアさんの手を借りて立ち上がる。それから、もう一度「ありがとうございました」とお礼を言った。
彼女は無言で頭を下げる。彼女と俺の間であれば、無言で事足りると思った。
不思議だな。あまり話していないのに、何故か俺はティアさんのことを、彼女は俺のことを少しは分かっているような気がする。
「――お疲れ。ふたりとも」
声がした。そちらへ顔を向けると、ユリウスさんが『道場』の片隅で微笑みながら腕を組んで立っていた。いつから居たんだろう。全く気づかなかった。
ユリウスさんは組んでいた腕をほどいて近づいてくる。ティアさんは慌てて背筋をただし、顔を真っ赤にしてユリウスさんに謝り始めた。
「も、申し訳ございません! 勝手にお客様と訓練を……」
「いや、良いよ。それよりティア、輝と戦って何か気づかなかったか?」
頭を上げたティアさんは考える素振りを見せた。俺をちらっと見て、恐る恐る発言する。
「……闘技大会で戦ったときよりも、弱くも強くもなっていました」
「詳しくいうと?」
「身体能力がかなり落ちてました。ですが不思議な事に……」
「不思議な事に?」
言い淀むティアさんをユリウスさんが促す。ティアさんは「おかしいと思われるかもしれませんが」と前置きをして口を開いた。
「動き自体はあの時よりも、数段階も洗練されていました。身体能力に頼った無頼な動きだったのが、独特ですが、戦いに慣れている人間の動きに……」
ユリウスさんはその言葉に頷き、納得した様に笑顔を見せる。
「うん。合格だな。……さて、ティア。俺は少し輝と話がしたい。用意してもらえるか?」
「あ、ありがとうございます……! かしこまりました! すぐに準備いたします!」
ティアさんは太刀を持ってまた一度頭を下げると慌てて走り去って行った。後頭部にまとまっている彼女の黒い髪を目で追っていたらユリウスさんが声をかけてきた。
「それじゃあ、俺たちも行こうか」
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