それでも彼は、価値を欲した(5)
「『夢見』は比較的扱える人間が多い能力だ。だが、その中にもいくつかの種類がある。夢渡、予知夢、夢喰い……等々」
一階廊下の隅で、俺と音羽さんは向き合っていた。
彼女は数を数えるように指を折っていき、それから自らを親指で指し示す。
「私の見る夢は予知夢の一種で、自分が未来のために何をやるべきかを見せてくれる」
「はあ……」
それがどうした、と言いそうになるのを無理やり押さえる。
俺は中学時代の事もあって、オカルト方面の物事をくだらないと吐き捨てる考え方はしていない。だが、同時に俺は、そういった話のほぼ全てが嘘であって、本物の『怪異』というのは一握りしか無いことも知っている。
そして、仮に本物だったからといって、必要以上に驚くこともない。問題は、その『怪異』が自分にとってどういった意味を持つのか、だけだ。
少なくともこの音羽という女性の言うことは真実に近いのだろう。それはこれまでのやり取りで充分わかっている。でも、彼女の話している『夢』の話が俺に関係しているとは思えない。それもあって、先程のため息交じりの『はあ……』だったのだ。
それでも目の前に相手がいる状況で、無視をするわけにもいくまい。俺は観念して、彼女から話の続きを訊くことにした。
「さっき、俺のことを『夢で見たとおり』と言ってましたね。……どんな夢、だったんですか」
ようやく求めている質問を察したか、とばかりの音羽さん。彼女は目を閉じて、饒舌に話し始める。
「この学校の学園祭へ行き、昇降口で暇そうにしている男子生徒に話しかける。それから私は人探しを手伝ってもらう。探している人の名前は……わからない。でも私はその探している人の髪の毛を一本、持って帰らなければならない。それが、未来のために私がやるべきことだからだ」
誰だかわからない人の髪を持って帰る……。聞く人が聞いたら、怪しさ満点の不審者で間違いないだろうな。
ただ、髪というのが古くから呪術的な意味合いを持つものであることは――橋山一樹に教えてもらったので――知っている。
特に多く用いられるのは、文化人類学で言うところの感染呪術においてだ。感染呪術というのは、『縁』を持ったもの同士は遠隔地においても相互に作用するという発想で行われてきた呪術や魔術の総称である。
誰かの髪の毛は、抜け落ちた後もその誰かと『つながって』おり、髪の毛を通じて誰かへ影響を与えることも、髪の毛を持たせた人間に影響を与えることも出来るという。
一番わかり易いのは、藁人形を用いた丑の刻参りの例だろうか。呪いたい相手の髪の毛を藁人形に埋め込み、釘を打ち込むというもの。
……物騒なことを考えてしまう自分と、そんな知識を教えてきた橋山一樹に辟易しつつ、俺は音羽さんとの会話に意識を向ける。
彼女、なんて言っていたか。確か、探している人の名前が、わからないとか。いやでも、それはおかしい。
「名前、わからないって言ってましたけど。……俺が知っている人間だとも言ってたじゃないですか。おかしくないですか」
話の矛盾点を突くと、音羽さんは「おかしくないよ」と言った。
「夢では、君にその名前を告げたら案内してもらえた。だから君が知っているというのは間違いない。……ただ、名前を告げる瞬間、夢から音が消えちゃったんだ。男子生徒が君で間違いないことはわかってるんだけど……音がないから名前は、わからない」
頭が痛い。オカルトの世界では一見矛盾しているようなことが平気で起こる。それでも、俺は冷静さを取り戻していく。橋山一樹や柏崎燕と一緒に怪異と対峙したときと同じだ。
特殊な霊能力だったりがなくても、怪異に対して出来ることはある。なぜなら怪異というのはそのほとんどが人間――死人や能力者含め――が原因のものだからだ。人間が原因であれば、同じ人間である俺たちにも出来ることがあるはず。
「……ちょうど良いか……」
音羽さんにも聞こえないように小さく一人呟いた。
どうせ、暇していたのは事実なんだ。新山さんのこととか、戸上のこととか、藤谷のこととかをぐるぐる考えているよりも、こうして別のことを考えていたほうがマシだ。
俺は目を閉じる。そして、想像する。
俺は夢を見ている。夢の中で昇降口にたどり着く。俺は人を探し出して髪の毛を手に入れなければならない。昇降口には男子生徒が……俺がいて、人探しを手伝ってもらうことになる。
夢の中の俺は、不審者じゃないかと疑ってくるので、それをいなしながら、探している人の名前を告げる。……ただし、音は聞こえない。
でも、音がなくても……。
俺は目を開いた。目の前の音羽さんに質問を投げかける。
「音が消えた場所……あなたが、その名前を告げた場所は、この場所ですか? どこでしたか?」
「ん。まあ、大体ここらへんだったね。ちょうど君のいる位置に、夢の中の君も立ってた」
俺は音羽さんに近づいていき、先程まで俺が立っていたほうを見る。良かった。ここならよく見える。
……さっきまで俺のいた場所の更に向こうには手を洗う流し台があり、壁には鏡がくっついている。ちょうど、俺と音羽さんの姿を映していた。
俺は納得してから音羽さんを振り返って、一歩下がった。
「……鏡に写っていた自分の口の動き、思い出せませんか?」
そう告げると、音羽さんは満足げに笑う。
「へえ。なるほどね。やっぱり冷静だね、君。過去にこういうのに巻き込まれたことがあるんじゃないか?」
「……そうですね。中学生の頃に少しだけ」
まあ、そんなことは、今はいい。ここまで来たら彼女の探している人を絶対に見つけてやろうじゃないか。
「それで、どんな風に口を動かしたか、思い出せますか?」
促すと、彼女は大げさにうなずく。
「もちろん。今からやってみせよう。よく見ててくれ」
俺は少し恥ずかしくなりながらも、彼女の形の良い唇を注視した。
まずは、唇をすぼめて『う』の形。次に、口の端を引き伸ばして『い』の形。今度は口を開いて『え』……いや、舌の角度から見るに『あ』の形。次にまた『い』の形。
「……と、ここで少しシーンが飛んでしまった。次に覚えているのは君が案内をしてくれるシーン。そこで私の目が覚めてしまった」
音羽さんが「でも、手がかりは出来たな」と言う。
「母音は『う』『い』『あ』『い』。ヘボン式ローマ字で言うところのUIAI、で間違いない。……途中で切れてしまっていて申し訳ないが、どうだ? 心当たりはあるか?」
「そう、ですね……」
俺は知人の名前を思い出していく。高校で案内をしたということは、今学校にいてもおかしくない人だろう。
ユウスケは赤田……AKATAでAAA。山吹さんはYAMABUKIでAAUI。前田さんのAEAも、新山さんのIIAAも違う。石田のIIAでもなければ、戸上のOAIも違いそうだ。冴島先生のAEIAも外れ。
ただ、一人該当する人間はいる。はじめから気づいていたが、目をそらしていた存在。藤谷……FUJITANIはUIAIでしっかり合致する。
またあいつか。やはり特別な人間というのは違うらしい。でも、髪の毛を抜かれるのは少しくらいは痛いだろうな、ザマアミロ。せめて、そう思っておこう。
「UIAI、当てはまるやつ、わかりました。……案内しますよ。多分、間違いは無いはずです」
学園祭の騒然とした雰囲気の中で音羽さんを連れて歩いていく。階段を登り、生徒会室の存在している二階まで来ると、ちょうどその生徒会室から藤谷が山吹さんと新山さんを引き連れて出てくるのが見えた。
藤谷と山吹さんは分かるが、新山さんは……。ああ、そういえば、彼女も生徒会に入ろうとしていたんだっけ。……藤谷カズトにあこがれて。
彼らは随分忙しそうだ。暇で苦しい俺とは違う。
「……あいつです。あの、背の高い男ですよ。藤谷カズトって名前です。FUJITANIで、UIAIが合致します」
俺は遠間から藤谷を指差して音羽さんに伝えた。音羽さんは立ち止まった。どうやら藤谷に気づけたらしい。しかし――。
「確かに、彼が何か非凡な存在だというのは分かる……だけど、違うね」
――しかし、彼女は否定するのみだった。
俺はため息をついてしまう。名前も合っているし、彼は音羽さんの言う通り非凡な人間だ。こういった非日常的な状況の登場人物としては申し分ないだろう。
そうこうしている内に藤谷は山吹さんと新山さんを連れて廊下を逆方向に進み、離れていってしまう。何が違うんですか。そう訊こうとして音羽さんを振り返る。すると、彼女はコンビニの前にたむろする不良のごとくしゃがみこんでいた。
「無駄足かあ……。おかしいなあ……。こんなこと、今まで無かったのに」
まあ、どれだけ勘のいい人でも外すときは外すものだ。一流のスポーツ選手だからと言って、毎回ベストパフォーマンスを発揮できるわけではないのだ。人間である以上、風邪を引くときもあれば、事故に巻き込まれるときもある。
「あの……。俺、もう良いですか?」
俺は恐る恐る音羽さんに話しかける。まだ学園祭の時間は潰しきれていないものの、彼女に付き合ってやる義理もない。
音羽さんはしゃがんだ状態から、頭を上げて、見上げてくる。
「……君、まだ暇?」
細い声でそういう風に言う。
「まあ……暇は暇ですけど」
可哀想で、思わずそう答えてしまった。すると彼女はすくっと立ち上がり、強引に俺の腕を掴んで引っ張ってくる。
「それじゃあ、もう少し付き合ってもらおうかな」
「え?」
「綺麗なお姉さんと学園祭デートなんて、嬉しいご褒美だろ? ここまで助けてくれた分、お礼におごってあげよう」
もしかしたら、それも良いかも知れない。でも、俺はうつむいてしまう。
このキャップ女と話をしていたから目を逸らせていたが、さっき藤谷の姿を見かけて我に返ってしまう部分があった。
明日には、藤谷とクラスメイトを裏切ってしまうような劇が待っている。戸上に言われたときは二つ返事で了承したものの、心のどこかで迷っている俺がいる。
こんな気持ちのまま、誰かと学園祭を回るなんて、出来やしない。
「……ええと、その……」
煮え切らない言葉を発すると、音羽さんも冷めてしまったように、先程のテンションを引っ込めた。
「何だ。暗いな」
「……そうですね」
どうしても脳裏によぎる戸上たちのことが忘れられない。こんな状況で何を楽しめというのだろうか。
すると、音羽さんが俺の腕を掴んだ、引っ張って歩き始めた。バランスを崩しかけながらついていくと、彼女は歩きながら話し始める。
「……わかった。じゃあデートの代わりに占いをしてあげよう」
「占い?」
訊き返したところで二階の廊下の隅にたどり着き、音羽さんはようやく手を離してくれた。
そして、彼女はジャケットの内ポケットから小さなメモ帳と細いペンを取り出す。
「怪異(こういう)関係の人間だし、例に漏れず、そういう知識もあるってこと。……今日は名前の話をしたし、姓名判断がいいかな」
音羽さんは無邪気にメモ帳のページを捲る。
別に、彼女は俺を振り回そうとしたわけじゃない。素直に何かお礼が出来ないかと考えているだけなのだろう。彼女の様子からそれがわかったから俺は、久しぶりの自然に出てきた笑顔でうなずいた。
「わかりました。じゃあ、お願いします」
「こう見えて、バイト先じゃ当たるって評判だから楽しみにしておけよ。……それで、君の名前は?」
「久喜(くき)……久しく喜ぶと書いて久喜。下の名前は、輝くと書いて輝(あきら)です」
「久喜輝、ね。ふむふむ」
音羽さんがペンでスラスラとメモ帳に名前を記していく。個人情報を得体の知れない人間に渡してしまった、と一瞬後悔したが、真剣に画数を数えている彼女の様子を見ていたらどうでも良くなってきた。
それから、音羽さんの表情に曇りがよぎる。
「そうだなあ。……少しばっかり、ハードなことに巻き込まれてしまいそうだね。いや、今もうすでに巻き込まれてるのか」
「……そうですか」
彼女の占いが本物であるのならば、それは多分、戸上のことだろう。
「心当たりがあるみたいだね。……アドバイスをしてあげるよ」
「アドバイス、ですか」
誇りもなく、ただ俺の意地のためだけに戸上にいたぶられ続けているこの救いのない状況に、何をアドバイスしてくれるのだろう。
俺は薄ら笑って耳を傾ける。
だけど、その直後に聞こえてきた音羽さんの言葉は、妙に俺の耳に残ったんだ。
「誰かのためでも、自分のためでも、覚悟を持って行動することがあなたの価値になる。その価値があなたを支えてくれる」
胸につかえていた重さが何故か溶けていくのを感じた。
彼女は、俺が、価値を持てると言っている。こんな俺でも、価値を持てると。
……そうか。
きっとユウスケと前田さんを戸上から守ることは、藤谷にも山吹さんにも、新山さんにも出来ないことだ。
それが出来るのは俺しかいない。それはきっと、俺の価値だ。
「……どうかな。何か助けには成れただろうか」
音羽さんが聞いてくる。俺は先程まで浮かべていた薄ら笑いを止めて、代わりに深くお辞儀を返した。
頭を上げてから、自分の手のひらを見る。
この手でユウスケと前田さんを守る。そのために、藤谷とクラスメイトを裏切っても良い。それが俺の在り方だ。
「そう、ですね。少なくとも俺は今、これからどうすべきなのか、決めました」
「そう」
音羽さんはメモ帳とペンをしまい込んで、その両手をジャケットのポケットに入れた。
「それじゃ。私も行こうかな。用事ももう済みそうだし」
「え……用事って。……でも」
「ああ。君の言う藤谷カズトとやらは違った。ただ、もうひとりUIAIは存在している」
音羽さんはそう言って、一気に俺との距離を詰めてくる。そして、俺の懐に入ったかと思うとその右手を俺の頭に向けて……いや、横にかすらせるように伸ばしてきた。
「いてっ」
ぷちり、と、俺の頭に小さな痛み。目の前にいる音羽さんが伸ばした手を胸元に戻すと、その指先で何かを摘んでいた。
……髪の毛。俺の髪の毛が、一本。
「よしよし。これで任務達成だ、久喜輝……子音を差っ引いてUIAIA君」
「あ、そうか……!」
すっかり見落としていた。俺も、KUKIAKIRAもUIAIに当てはまる。
「またどこかで会えるかもな。お元気で。明日も頑張れよ」
音羽さんはキャップを目深にかぶり直し、後ろ手に小さく手を振って去っていった。
「明日……か」
明日、戸上に例の命令を指定された劇の本番だ。
「……それが俺の、価値になるのならば」
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