それでも彼は、価値を欲した(4)
変わらず、戸上から連絡があったときは屋上へ行って痛め付けられる日々。無感動でいようと努力しているせいか、クラスメイトの言う『ノリ』はどんどん悪くなっていって、気づけば彼らとの距離も更に離れていく。
空き時間に一人でいることも多くなってきた。藤谷とユウスケは未だに話しかけてくるけど。
藤谷にアップルサイダーを奢られた数日後、ホームルームが行われた。学祭でやる劇の話だろう。
いつものように山吹さんが凛とした態度で黒板の前に立つ。見慣れた光景だ。
「今日は配役と係を決めようと思う。今よりクジを配る。クジの結果に不満があるものはそれぞれ申し出て交換するのも許可しよう」
「えー! クジかよー!」
石田の不満そうな声が聞こえてきた。石田の取り巻きの集団もぶつぶつ言っている。
確かに俺もクジには反対だ。俺は放課後に時間が取れない。練習に時間を取る係や役にはなれない。
「せっかくの機会だからさ、普段自分のやらない事をやってみるのも良いと思うんだ」
藤谷が山吹さんの横から級友たちに呼び掛ける。
「どうしても嫌なら交換したって良いからさ、な?」
そう言って頼み込む藤谷。彼に頼まれて簡単に首を横に振れる奴はうちのクラスには少ない。クラスメイト各々不満は残っていそうだが、クラスの空気は自然とクジ引きを行う流れになっていった。
「では各自クジをひいていってくれ」
山吹さんの指示でクラスメイトたちが席をたって動き始める。教卓にクジの入った箱が置かれて、その前に皆がこぞって並んだ。それぞれが引いたクジの内容を藤谷に報告し、それを彼が黒板に書いていく。
俺は机に肘をついたまま目を閉じた。俺には関係ない。クジなんて一番最後で良い。放課後があまり束縛されない係や役なら良いんだ。
しばらくそうして待ってから俺は列の最後に入った。
男子がヒロインを引いてしまってもう一度やり直すというトラブルは何度かあったが、それを除けばすんなりと進んでいく。黒板の前にいる藤谷の近くで係や役の交換をしている人もいる。その彼から黒板へ視線をずらしていく。
ユウスケは大道具、前田さんは小道具・衣装、新山さんはナレーター。藤谷と山吹さんは最後に引くからまだだ。意外なことに、主人公とヒロインが空いている。ヒロインをさらう悪役は普段大人しい雰囲気の女子で少し驚いた。
俺の番が来た。箱の底には折り畳まれた三枚の紙が張り付いている。黒板を見ると主人公とヒロインと悪役の手下Bの三つが空いていた。
僅かに緊張してしまう。
ヒロインを引いたらやり直し。悪役の手下Bなら勝ち。主人公は絶対に引きたくない。
普段信仰すらしていない神様に軽く祈りながら、俺は一番小さな紙を取った。次いで山吹さんと藤谷が引く。この時点で山吹さんはヒロインに決定しているから意味はないけれど。
俺は折り畳まれた紙を開いた。
「あ……」
……主人公だ。やってしまった。
「お。俺は手下Bみたいだな。輝、頑張れよ」
名前を呼ばれて顔を上げた。藤谷は笑っている。
周りにいる級友たちは微妙な反応をしていた。皆、藤谷が主人公をやるものだと考えていたんだろう。俺だってそうだ。
……それに、俺には練習する時間がない。
「頼む、交換してくれないか。俺には無理だ」
「いや大丈夫だって、なあ皆?」
藤谷が周囲に同意を求める。皆が諦めたかのような表情でうなずいていた。彼らの態度は理解できる。主人公役なんていうのが、俺には不相応な役なのはわかってる。
情けなくて、悔しくて、上手くいかなくて泣きそうになる――。
「――おいおい、やりたくないやつにやらせる必要ねーだろ?」
救いの手は予想しなかったところからやって来た。
石田の言葉だった。
彼が声を上げたのを切っ掛けとして他の人も同じような事を言い始める。それは藤谷でも押さえられないほどの確かな『世論』だった。
結局俺はクラス中の意見によって主人公ではなく悪役の手下Bになった。劇の中盤で主人公の藤谷に斬り殺される役。
練習も要らないし、俺にはぴったりの役だ。
「……おい、久喜」
配役や係が決まった後の喧騒の中、石田が俺に話しかけてきた。
「ちょっと来い」
「え? ……わかった」
石田に連れられてこっそり廊下へ出る。石田は「手短に言う」と言って話し始めた。
「俺はな、久喜。お前の『屋上』についてを知ってる」
「……そうか」
石田は戸上とつながっている。そもそも、最初の屋上に呼び出してきたのも、石田なのだ。知っていて当然だろう。
「戸上さんに聞いた。取り敢えずお前は屋上の事を他の誰かに言う気はねえんだろ?」
石田のぶっきらぼうな言い方に俺は頷く。彼は続ける。
「隠すための協力はしてやるよ。今みたいな時だけはな」
「……助かる」
不愉快ではあるけど、ありがたいことに変わりはない。
石田はしかめっ面を崩さない。
「勘違いしてほしくないから先に言うけど、俺はお前の味方にはなれない。だから礼も要らねえ。この話は誰にも言うな。……良いか。悪いとは思っているけど、俺はお前の友達じゃない。普段話しかけられてもシカトすっから」
それだけ言うと堅い表情を崩して教室へ戻っていった。
普段の軽い言動からは考えもつかない石田が新鮮で、俺は不愉快よりも面白さを感じていた。
取り敢えず第三者だろうが敵だろうが理解者がクラスにいるのは助かる。
……より、屋上のことを隠しやすくなった。
○
それからの日々は速かった。
打撲は治るそばから増えていき、当たり前だけど劇の練習なんてとてもじゃない。級友たちには俺が大した用事も無しに直帰しているように見えるんだろう。
本当に、皆が冷たくなってきた。
学園祭を数日後に控えたある雨の日、いつものように戸上から呼び出された。
何度も登らされた屋上に繋がる階段を登ると、屋上につながる扉の前に戸上が一人で立っていた。
「やあ、久喜。今日は雨だからナシだ」
「……じゃあ、なんで呼んだんだ」
顔を伏せたまま、戸上の前で立ち尽くす。すると戸上は鼻で笑った。
「なんか、慣れてきちゃったみたいだからさ。他の皆も飽きてきてるし」
俺は思わず顔を上げてしまった。
待ち望んでいた時が来た。彼らが飽きたなら、これで終わりになるかも知れない――。
だが、戸上の表情は醜く歪んだ笑顔だった。
「久喜、学園祭で劇をやるんだよな」
学園祭の話? 一体どういう……。
「石田から聞いたよ。藤谷カズトに斬り殺される役なんだろ。……そこで、一つ催し物だ」
彼はその右手を上げて、ゆっくりと下ろす。
「本番、藤谷を逆に斬り殺しちゃえよ」
「それは……」
「お互い小道具の剣を持ってるだろう。その小道具で藤谷を叩き伏せろ。出来たら、前田ユミの写真は消そう」
「本当か……!」
思わず身を乗り出してしまう。戸上は歪めた口を動かして続ける。
「本当だ。……でも、なんだか随分乗り気じゃないか。久喜を助けてくれた恩人相手に」
言われてからハッとして考える。確かに戸上の言うとおりだ。俺がやろうとしていることは藤谷に対しても、クラスメイトのみんなに対しても裏切り行為そのものだ。それでも――。
脳裏に、藤谷について話をしていた時の新山さんの笑顔が浮かぶ。
――それでも、俺の心は全く躊躇などしていない。
「やる。……約束は、守れよ」
俺が言うと、戸上が満足そうにうなずいて、俺の横を過ぎ去り階段を降りていく。
「守るさ。君が藤谷カズトを倒したら、それで俺の『調査』も終わりなんだから」
「『調査』……」
「ま、期待してるよ」
戸上はそれだけ言って去っていく。
彼が言う『調査』。確かにいつだか、彼はそんな話をしていた。だけど内容は思い出せない。……どうでもいい。あんな狂人の言うことに意味なんて無いだろう。ただ単に飽きたから、最後に楽しもうという腹づもりでしか無いはずだ。
「……もう少しだ。もう少しで、終わりなんだ」
俺は自分に言い聞かせるように一人呟いた。
○
俺の通う高校では学園祭が二日間に渡って開催される。クラスの劇は二日目に体育館で行われるので、一日目は特にやることもない。クラスメイトたちはというと、皆部活の出し物の手伝いや友達と学校を回ったりで忙しいようだ。
そんな中に俺が行った所で楽しいはずもないのは明確だった。藤谷と山吹さんは生徒会関係の仕事があるし、ユウスケはバスケ部の手伝いがある。新山さんと前田さんは二人で回っているのを見かけた。
俺はというと学園祭の喧騒の中、一人で校舎内をうろうろしていた。
ふと、孤独というのは周囲に誰もいないような本当に一人のときに感じるものではないと思った。孤独は、周囲に他の人がいるのに、自分が一人のときにこそ強く感じるものだ。
「早く、終わらないかな……」
昇降口近くに休憩所を見つけ、その中にあるベンチに腰かける。
時刻は昼前。恐ろしい程に時間が進まない。いっそのこと家に帰ろうかとは思ったけど、家にいるのを親に見つかったら心配されてしまうだろう。できれば家族に心配はかけたくない。かと言ってどこかの店に行くには今着ている制服が厄介だ。学校から脱走したところを補導されて、教師に見つかる可能性もある。
一人でいるとたまに好奇の視線を投げられるが、辛いのはせいぜい後四五時間と少し程度だろう。何とか耐えきってみせないと。
明日は私服も持っていって外で着替えて、劇の時間になるまでは近所のファミレスにでも居ようか。
「君、少し良いかな」
戸上たちも学園祭の間を縫ってまでリンチをしたいとは思わないだろう。
「なあ、君。聞いているか」
劇さえ上手く立ち回れればいい。藤谷を、倒せればいい。
「おい!」
「うわっ」
突然肩を掴まれて我に返る。驚いて顔を上げると、キャップを深く被った若い女性がいた。制服は着ていない。スキニーパンツとフライトジャケットのボーイッシュな格好の女性だ。学校の近所の一般客だろうか。
「え……と、すみません。……何か用ですか?」
俺は椅子から立ちあがって聞き返す。
キャップの女性は表現し難い複雑な表情をした。悲しんでるような、喜んでるような。その顔を見て今更のように、綺麗な人だ、と思った。
スッキリとした顔の造形をしているが目の形が綺麗だ。キャップからはみ出す髪は黒色で、赤のメッシュが入っている。普通の人がやったら痛々しい髪色なのに、不思議と似合っている。
キャップの彼女は口を開いた。
「人探しをしてる。手伝ってほしい」
「……はあ?」
いきなり不躾に何を言うのだろう。不満顔をしていたら、キャップ女は目を細める。
「君、暇だろ?」
みりゃわかるだろ、と言いたくなる。
「……まあ、それは、そうですけど」
「じゃあ、問題ないよな」
「いや、急にあんた何を――」
「――あんた、ではなく、音羽(おとわ)香夜(かや)。音の羽に香る夜と書く。私の名前。フリーターだけど高卒だ。私のほうが先輩で偉い」
音羽と名乗ったキャップ女はしたり顔で右手を差し出してきた。俺は彼女の脈絡もクソもない言葉に狼狽えてしまい、思わず握手を返してしまう。
右手に柔らかい体温を感じてから、俺はハッとして手を離す。文句を添えようと思ったが、急に馬鹿馬鹿しくなってしまい、ため息をついた。
面倒だ。さっさと用件を聞いて話を終わりにしよう。
「……それで、探しているのは誰ですか。俺、知り合い少ないからわからないかも知れないですけど」
「大丈夫だ。君の知っている人の中にいる。ま、とりあえず歩こうか。私はこういう催し物が結構好きなんだ」
音羽さんは勝手に休憩所を出て歩き始める。俺は慌ててそれを追いかけて、彼女の横に並んだ。
言動が無茶苦茶だ。不審者かも知れないし、教員に報告したほうが良いだろうか。
「その必要はない」
隣を歩く彼女が急に口走る。
「……え?」
「不審者じゃない、という意味だ」
この女は何を言っている?
確かに俺は『不審者かも知れない』とは思ったが、口に出してはいない。
急に、中学時代に橋山一樹と遭遇した『怪異』に似た空気が彼女から漏れ出していることに気がついた。
音羽さんが俺を横目に見てにやける。
「動揺しないね。夢で見たとおりだ。……『こういうこと』に慣れていると見える」
急に現れた『非日常』。それが『日常』に滲出して来るような感覚。周囲を談笑しながら歩いている同校生は俺たちのことなど気にも留めない。俺は足を止める。少し遅れて、音羽さんも立ち止まって振り返る。
「あなたは、何者ですか」
問うと、彼女はキャップを被り直した。
「とある調査会社のバイトをしてるフリーター。ちょっとだけ勘が鋭い、ね」
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