衝突Ⅱ(3)

 乾いた空気が特徴的なヒュルーの夜風が吹き付ける。風が流れる物悲しい音が響く。

 誰もが、俺を捨て去っていなくなってしまった。……気づけば、俺は一人――。


「いや」


 ――違う。俺には仲間がいる。危険な目に合うって分かっているのに、ここまでついてきてくれた仲間が。


「い、いや。はは……。やっぱ手厳しかったな、あいつら」


 俺の口から出てきたのは乾いた作り笑いと、必死に取り繕う言葉。顔を上げて、さっきの言葉を向けた相手を……ミアとエレックに視線を向ける。


「……え」


 二人とも、なんだか随分と浮かない顔をしている。ミアはうつむいているし、エレックにいたっては眉間にシワなど寄せてきている。

 あんまり重たい話だったから、ちょっと心配でもさせちゃったかな――。


「――シュヘルの話、本当なのか」


 怒気を孕んだ口調で、エレックがそう問いかけてきた。


「本当って、何が……」


「とぼけんなよ。ラルガの手勢にシュヘルの場所を伝えたのは少年なのか、って訊いてるんだ」


 瞬間的に頭に血がのぼる。またシュヘルの話かよ。俺は命を奪われそうになって、仕方なく地図を渡しただけだ。それなのにぐだぐだと悪者扱いかよ。……そんなことより、殺されかけた俺のことを心配してくれよ。こんな状況になっている俺のことを心配してくれよ。

 心配してくれないなら……味方になってくれないなら……。……それはもう、敵じゃないか。


「だったら、何だってんだよ」


「あ?」


「俺は場所を漏らしただけだ! 滅亡しただかなんだか知らねえけど、誰だかにそんなにされるまで恨まれることをしているようなシュヘルが! 自分の街一つ守れないようなシュヘルの軟弱な人間が悪いだけだろ!」


 不満を込めて言い放つ。エレックの顔が怒りに満ちていく。


「話の大筋はソラたちから聞いてた。信じられなかったけど……でも、今の少年を、いや、『お前』を見ていたら分かったよ」


 エレックが軽蔑混じりに俺を睨む。


「俺の親父はシュヘルの町長で、あの街は俺の育った街だ。ハリアの次の、第二の故郷だ。……自分の街一つ守れない軟弱な人間で悪かったな」


 オヤジ? シュヘルノチョウチョウ?

 一瞬理解することが出来なかった単語が俺の耳の中へ入り、頭の中で記憶とつながっていく。

 シュヘルの町長の名前……ニーグ。ニーグ・ケイロス。そして、エレックの剣はケイロス流だ。いや、闘技場で、ユリウスさんに聞いた。エレックは……ケイロス家の息子だと、言っていた。

 少し冷静さを取り戻して彼を見ると、エレックの金色の髪が、おぼろげになってきている記憶の中のニーグ町長の金髪と被る。


「い、いやっ! 違う! エレック! そんなつもりじゃ……!」


「『お前』のこと、嫌いじゃなかったのにな。残念だ」


 その言葉を引き金にして、目の前が真っ暗になった。嗚咽と涙が勝手に湧いて出てくる。俺は地面にしゃがみこんで、わめきながら泣き出してしまった。


「どうして……! 俺は悪くないのに……! どうして……!」


 どのくらいそうしていたんだろう。声も枯れた。涙も無くなった。ずっとうずくまって、暗い視界の中にいた。

 そんな中で、俺に近づいてくる足音が聞こえた。


「……輝」


 ミアのか細い声だった。俺はうずくまったままさらに小さくなる。


「どうせお前も、俺を否定するんだ」


 もう嫌だ。誰とも顔を会わせたくない。それなのに土を踏みしめる足音が俺に少しずつ近づいてくる。


「そんなこと無いよ。……ボクだって人殺しだ。輝は……独りじゃないよ」


 顔を上げる。ミアの小さな手が差し伸べられている。


「……んな」


「……え?」


「一緒にすんなよ!」


 俺はミアの手を払い除けた。


「独りじゃない? ふざけるな! 俺は誰も殺しちゃいない! 一緒にするな!」


 言いながら、後悔する。違うんだ。俺はそんなことが言いたいわけじゃない。でも、何よりも、俺は、俺のせいで酷いことになってしまったなんて、認めたくない。認めるわけにはいかない。

 ミアの大きな目から、零れ落ちるものがあった。彼女はそのまま崩れ落ちるようにしゃがんでしまう。

 反対に俺は立ち上がり、そんな彼女から目を逸らした。


「ち、がう。……俺、は……悪くない……!」


 俺はミアに背を向けて小刀を拾い、逃げるように歩き始めた。行くあてなど無い、ただ、夜風が冷たい。焦げた臭いがする。暗い。闇。


「俺のせいじゃない……。俺のせいじゃないんだ……!」


 遠くから、誰かが泣く声がした。それでも俺は歩みを止めることはなかった。



 晴れ渡る空。少しずつ昇る朝日。黄金色が長い長い闇を溶かす。

 しかし光が全て闇を溶かしきれるかというと、それは違う。遠くの岩山、崩れた家、傷ついた兵士。そこには当たり前のように弱々しい影が出来ていた。

 そうしてヒュルーの長い夜は終わりを迎えていく。今日を強制起動し、何事もなかったかのように、いつも通りの朝が来る。

 居場所を無くした俺は朝までの時間、村をうろつき続けて、最後には『本陣』の前の広場まで来ていた。

 周囲に人はいない。活気なども勿論無い。寝てるのか、それとも、別の場所に本陣を移したか。


「あ……」


 昨夜の戦いで荒れた広場の一部に、鈍く銀色に光るものを見つけた俺は近寄っていく。近くまで来て光っていたものが何なのかを理解した俺は、直ぐ側まで駆け寄った。


「グングニル……」


 地面に横たわる、刀身の長い銀色の短槍。恐らく重すぎて誰も拾わなかったのだろう。


「誰にも……拾われなかった……か」


 俺はグングニルを拾い上げる。馬鹿みたいに軽くて、手に馴染む。誰もが持ち帰るのを諦めてここにあったとするなら、それは……酷く、俺に似ている存在なのだと思った。


「準備、急げ!」


「分かってる!」


 そんなことを言いながら広場を通り過ぎた戦士がいた。彼らは「荷は積んだか?」「やっとハリアに帰れるな」「馬車に乗れるかもな」などと口々に言っている。

 そうか。白い大剣を奪った少年も昨日そんなことを言っていたな。義勇軍の一部はハリアに戻るんだったか。それじゃあ、あの戦士を終えば、ハリアに帰る軍隊に合流できるのか。


「……ここにいても……仕方ないよな……」


 俺はふらふらと歩いていく。身につけているのは小刀とグングニルだけ。荷袋はどこにいってしまったのだろう。……どうでもいいか。

 数分歩くと村の東側の入り口までたどり着いた。ここも戦いの痕が酷い。燃え残った家々がまだ煙を吐いている。

 村の入り口には数十台の馬車があった。義勇軍の最終目的地であるヤマトはもっと西の都市だ。東へ頭を向けて待機しているこの馬車たちは十中八九、ハリアへ戻るためのものだろう。


「……あ……」


 幾つもある馬車の一つに、エリスさんが乗っているのが見えた。彼女は遠目に見ても疲れた顔をしており、うつらうつらと船を漕いでいた。


「……もう、いいよな……」


 ハリアへ行こう。これ以上義勇軍にいたって意味などない。エリスさんに頼み込めば乗せてくれるか、悪くてもハリアへ戻る部隊には組み込んでくれるだろう。


「……あれ……」


 そのエリスさんが乗っている馬車の近くに、数人の人だかりが出来ていた。そのうちの一人は目立つ大きさの白い大剣を持っている。随分とわかりやすい。

 だけど、もう関係ない。

 俺は彼らを見ないようにして、馬車に近づいていく。人だかりの中にマーカスさんの姿を見つけた俺は、近づいていった。


「……輝」


 マーカスさんが俺に気づいて一言。さっきまで彼と離していたと思しき、白い大剣を持った人間は俺も方を見ているようだが、俺はそちらに視線を遣りはしない。


「マーカスさん。ハリアに戻るんですか」


「ああ。ここを前線としつつ、一度補給を整えたい。ラルガは一筋縄じゃ行かなかったからな。本丸に攻め込む前に、準備が必要だ」


 この俺の姿を見ても何かを態度に出すことなく告げるマーカスさん。こちらとしてはその方がやりやすいので好都合だ。俺も、ただ要望を伝えよう。


「俺も、ハリアに戻りたいんですが、ついていっていいですか」


 マーカスさんは一瞬考える素振りを見せてからうなずく。


「……分かった。問題ない。俺たちの馬車が一人分空いてる。乗ると良い」


「ありがとうございます」


 のろのろと頭を下げて、お礼を言う。俺はそのまま馬車へ乗り込もうと、馬車に近づき始める。


「……輝!」


 声がした。寝不足の脳裏に、茶髪の、光魔法の使い手の顔が浮かぶ。俺はそれをかき消すように、再び歩き始める。すると、目の前に誰かが立ちはだかった。


「よう、どうした。寝不足か?」


 仕方なく顔を上げる。腰に白い鞘の長剣。胴には動きを阻害しない軽そうな鎧。そして、短髪。俺の前に入ってきたのはユリウスさんだった。


「ひどい顔だな。……帰るんだろ」


「はい。帰ります」


「即答かい。……良いのか?」


 ユリウスさんは視線で俺の後ろを示した。俺は力なく振り返る。白いマントローブの五人と、二人の異世界人が立っていた。

 敵意のような、失望のような、俺を拒絶するような雰囲気のその中で、黒いショートカットの髪型をした小柄な異世界人の少女だけが、ただ一人何か言いたげに口を半開きにさせている。

 俺はすぐに前を向き、ユリウスさんに頷いた。


「別に、良いです。乗せてください」


「……分かった」


 ユリウスさんは目を閉じてから、俺に背を向ける。先に彼が馬車の後部座席に乗り込んで、俺は後に続く。

 馬車に乗り込もうとタラップに足をかけた時、服の裾が何かに引っかかったように引っ張られた。

 この力加減も、角度だって、知っている。おかげで俺の服の裾は少し伸びてきているんだ。

 だけど、俺はそれを強引に振り切る。


「あ、きら……」


 聞き慣れた少女の声が聞こえたが、振り返ることはない。馬車に乗り込んで、俺はユリウスさんの隣に座った。

 横は見ない。ただ、前だけを見据える。

 しばらくしてからマーカスさんが前に乗り込んできて、程なく馬車は出発した。


「あ……」


 馬車が動き始めて数分。俺は自分が荷物を忘れてきたことを思い出した。持ってきているのは小刀とグングニルだけ。

 ラーズが俺に手渡してくれた、覚悟を知った証であるドラゴンの牙も、覚悟を身に着けた結果である闘技大会の賞状で作成した身分証も、何もかも持ってきていない。


「いや、……どうでもいい」


 何も考えたくは無い。馬車の揺れが心地よく振動を与えてきて眠気を誘う。抗うことなく、俺は徐々に眠りについていった。



 高校の廊下に立っていることを自覚した瞬間に、俺は夢を見ていると気づいた。そして、ここには『彼女』がいることも。


「また、君は選んだんだね」


 声がして振り向く。この夢はもう何度目だろう。

 新山ヒカリ。彼女は笑いもせず、俺を見据えていた。


「そう。君はそういう人間なんだ」


 俺は言い返すこともなく、彼女に近づいていく。否、俺の意思とは関係なく勝手に身体が動く。そして、俺の左手が新山さんのワイシャツの襟を掴んだ。


「素直だね。抵抗もしない、か」


 俺は新山さんの首元を締め上げていき、右手に拳を作っていく――。


「――おい、輝。起きろ」


 声がした。目を擦りながら開くと、既に馬車は止まっており、どこかに停車していた。西日が眩しい。日が落ちてきている。


「今日はここで野営だ。とりあえず、俺が降りられないから、先に降りてくれ」


 右隣のユリウスさんからそんなことを言われて、俺は馬車を降りた。

 ヒュルーやフラルダリル鉱山周辺と変わり映えしない景色だ。荒れ地と土臭い風、乾燥した空気。あまり距離は稼げていないのか。

 空気が澄んでいるからか、夕日だけは綺麗だ。


「眩しいな……」


 俺は目を細めて、赤くなってきた陽光から目を背ける。さっきまで見ていた夢の残滓が頭にこびりついている気がしてもう一度目を擦った。


「新山さん……」


 あの春と夏と秋のことがフラッシュバックする。

 校庭の地面。多目的教室。屋上。下卑た笑い声。痛み。泣き顔。決意。


「俺は、自分のために行動してきたんだ。責任を抱えて、誰かのためになんて、馬鹿だ」


 俺は目を固く瞑る。

 罪から逃げているとしても、罪から隠れているとしても、自分のためになることをしているだけ。

 ――それを決意したあの時も、同じような夕景だった。



 オレンジ色の夕陽に照らされて街の家々は暖かな光を反射する。あの家々の一つずつにそれぞれが元々持っている光もあるんだろう。眼に染みるそれに俺はわずかに下を向き目を逸らしていた。

 俺は、学校の屋上の手すりに寄りかかり、夕焼けの街を見下ろしていた。異世界に来る前の、高校一年生の秋のことだった。


「痛え……」


 腹に鈍い痛みを感じる。寝起きで、頭がしっかり働かない。

 それでも家に帰らずこの場所にいるのは、『藤谷カズト』がここに来ると思っているからだ。


「……俺は、自分が一番大切だ。『自分のため』が、一番なんだ」


 噛み締めるように呟いて、もう一度遠くを見渡した。

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