衝突Ⅱ(1)

 気がつくと、俺は元の世界にいるころに通っていた高校の廊下に突っ立っていた。

 差し込む夕日。空いた窓から吹き付ける風。風に乗る、秋の匂い。遠くから聞こえてくる運動部の掛け声。吹奏楽部が管楽器を練習する音。


「これは……ここは」


 俺は自分の足元に視線を落とす。細かな傷や土の汚れのせいで色が褪せて見えるほど、随分とボロボロになってしまった革製のブーツ。リノリウムの床には不釣り合いな異世界の製品。

 ……夢だ。俺はまだ元の世界には戻れていないはずだ。だからきっと――。


「――次は、どうするの?」


 冷たい少女の声が聞こえて、俺は振り返る。いや、振り返る前から分かっている。この声は、この場所(ゆめ)にいるのはただ一人だ。

 黒いショートカットの女の子。少しだけ吊目の彼女。新山ヒカリ。


「また、この……夢か」


「夢。そうだね。君がそう思うなら、そうかもしれない」


 新山さんは目を細めずに口元だけで笑う。対する俺は目を固く瞑った。暗闇がやってきて、それでもこの夢が与える五感から逃げ出すことは出来ない。秋の匂いも、風の感触も、……そして、音。声も。


「また、君は直面したね」


 耳を塞ぎたくなるような声。瞼の裏の暗黒の中で声が語りかけてくる。脳が揺さぶられる音だ。心が揺さぶられる音だ。


「うるさい……」


「薄々、感づいてるんじゃないのかな。……君はまた、逃げるの?」


「うるさい!」


 叫んで、目を見開く。夢というあやふやな世界の中ではっきりと存在している新山さんをにらみつける。

 彼女は変わらず冷笑し続けていた。


「へえ。君が、私を責めるのかな。……責められるべきは、君だろ」


「違う……違う! あの時だって、俺は悪くなかった! 俺は誰かのために耐えて……!」


「そして、気づいた。誰かのためじゃなくて、自分のためだったって。それこそが、君の守るべきものだって」


 新山さんはひとつ間を置いて、それから自らの手で自らのこめかみを指差した。


「そんな思いを抱えて、それじゃあ、『今度』はどうするんだい」


「『今度』……」


 思い当たる節がなくて頭を抱えた。それでも何とか『今度』が意味するところを思い出そうとすると、頭が痛み始める。『何か』が引っかかっている。『何か』を忘れようとしている……?


「私は楽しみにしてるよ。君が何を選ぶのか」


 その目は冷たいままで、やはり、新山さんは薄っすらと笑みを浮かべていた。

 頭を苛む痛みに溺れながら、俺の意識は朦朧とし始める。


「俺が……何を……選ぶのか……」


 何を選ぶ。何のことだ。わからない。でも、何か嫌なことが……逃げ出したいようなことが……。

 視界が暗転していく。その中で窓から差し込む夕日だけが最後まで残っていた。



「久喜くん!」


 呼びかけてくる声がして現実に引き戻された。声の主はすぐに分かった。

 再会したばかりの彼女のものだったからだ。そう……天見さんの声。彼女の声から感じられる必死さは、まるでこの世界に来たばかりのジャングルのとき……俺が、天見さんを見つけて起こしたときと、まるで逆だ、と思った。

 遅れて目を開くと星空。そして俺の顔を覗き込む天見さんの姿。ああ、俺は今地面に仰向けに横たわっているのか。

 光源は何なのか、どこかで焚かれている炎なのか。揺らいで揺れて、彼女の顔に不安定な影と光を落としている。


「良かった……! 起きた……!」


 天見さんが驚きながらも喜んでいるのが見えた。だが俺は、手放しで喜べない。何か嫌なことがあった気がするからだ。得体のしれない不安が胸を締め付けるからだ。


「ここは……俺は……」


 うすぼやけた思考の頭の中身と視界。それは一秒ごとに徐々にクリアになっていく。


「あ……」


 そして俺は抱えていた不安に思い当たる。

 その不安は、黄色い布を纏った鎧の男の形をしていた。


 ――そうだァ! 久喜、輝ァ! 貴様が命惜しさに渡した地図だァ!


 その不安は、拷問の痕が深く残る、醜い顔をしていた。


 ――拷問……されたんだよ……。全部……貴様のせいさ……。


 俺は勢いよく上体を起こす。俺の横に座っていた天見さんが「きゃ」と小さな悲鳴を上げて身を縮めたが、彼女はすぐに気を取り直して振り向き、「久喜くんが起きたよ!」とどこかへ向かって声を上げた。

 その横で、俺は状況を理解していく。

 ノールに殺されかけた俺がソラと思しき人物に助けられたこと。そして、身体に痛みが残っていないことから、恐らく天見さんの回復魔法によって助かったということ。


「……また……」


 俺があんなに敵視していて、あんなに気に食わない存在であるソラによって、また、助けられてしまった。甲冑龍のときと同じだ。全て、俺の無力が招いた結果だ。

 続けて、ノールとの戦い、燃え上がる村、急襲してきた黒い鎧の兵士……と、記憶が徐々に掘り返されていく。


「あ……! ……戦いは! どうなった……? ここは……?」


 俺は天見さんに向き直る。彼女は安堵の笑みと作り笑いの中間のような表情を浮かべている。


「久喜くん――」


「――戦いは、どうなったんだ! 敵の軍は……!」


「落ち着いて、大丈夫。もう終わったよ。勝ったよ」


 彼女にそう言われてから、俺は我に返って意図的に深呼吸を繰り返した。酸素が脳に行き渡り、落ち着きを取り戻した俺は辺りを見回す。周囲にも幾人かの人が寝転がっていた。ほとんどの人が血で赤黒くなった服や包帯を巻いている。

 怪我人か……死人か。

 しかし、痛みを訴えたり、うめいたりする人がいないのが不思議だ。まさか全員、死んでいるのでは無いだろうな。


「ここは、臨時の診療所。回復魔法を使ってもすぐに意識の戻らなかった人を寝かせてるの」


 混乱する俺を見てか、天見さんが説明した。彼女の言葉の通り、確かによく見れば、血を流し続けている人はいない。寝息を立てている。

 ただし、数は少なくない。全部で百人以上は居るように見える。この全てを天見さんが診たのだろうか。そんなに回復魔法を使えるものなのだろうか。

 疑問を抱きつつも天見さんの顔を伺う。陽の光の下ではないからわかりにくかったが、あまり顔色は良くなかった。

 俺は、俺が魔法を使えた頃に感じた、魔法による疲労感を思い出して、それから申し訳ない気持ちになる。あの疲労感は独特なものだ。肉体的なものとは違う、精神的に追い込まれるような疲労感。


「あ、の。……ありがとう」


 お礼の言葉を伝えると、天見さんは首を横に振って笑った。作り笑いのはずだが、綺麗なものだった。俺なんかには本物と偽物の区別が出来ないほどに。


「ううん。意識が戻って、良かった」


 彼女がそう言い終わった瞬間に金属質の何かが落ちた音が響く。反射的に音の方へ首を向けると、俺のいるところから十メートルほどの距離に一人の少女が立ち尽くしていたのを見つけた。

 ミアだ。足元には鉄製の洗面器のようなものが転がっている。さっきの音は彼女がそれを落とした音だったのだろう。


「輝!」


 駆け寄ってくるミア。近くに来ても速度を落とさない彼女は、そのまま俺に飛びついてくる。頭でもぶつけてまた倒れては形無しだと思い、慌てて受け止めた。


「ミア……! 無事だったのか……!」


 そして、その肩越しに金髪の青年が佇んでいるのにも気づいた。エレックだ。

 ……良かった。二人とも生きてる。


「エレックも……!」


 呼びかけるが、彼は遠間で立ち尽くすのみで近寄ってはこない。難しい顔をして俺を遠巻きに見ているだけ。


「……エレック……?」


 彼の雰囲気に違和感を感じた俺は心の中で首をかしげる。

 何か、あったのだろうか。

 再び胸のあたりをもやもやとした不安が覆い包んでくる。生きているのに、ミアもエレックも無事だったのに、戦いも終わったのに。何故か俺は嫌な予感を感じていた。

 そして恐らくそれは……俺の勘は正しかったのだろう。


「起きたか……輝」


 聞き覚えのある声。声の方向はエレックより更に後ろ。砂地の地面を蹴ってゆっくりと足音が近づいてくる。闇の中から篝火に照らされて現れたのは明るい茶髪の少年。……狛江ソラだった。

 俺は息を飲んで、言葉を失った。

 彼はそんな俺を気にせずにエレックを通り過ぎて更に歩み寄ってくる。そして、その手には巨大な武器。……ノールが使っていた白い大剣『グラム』を持っていた。


「舞。もう輝の身体は問題ないんだな」


 質問というよりは問い詰めるような雰囲気。天見さんはそんな彼の顔から目を逸らして無言で頷いた。

 空気がおかしい。一体何だって言うんだ。

 ソラは、天見さんから俺へ視線を戻す。


「輝、立て。話をしよう。ここじゃなくて、別の場所だ。来い」


 有無を言わさぬ威圧感を発してから彼は俺に背を向ける。俺に抱きついてきていたミアも異様な空気に気づいて俺を開放し、それから一歩、俺から離れる。

 不穏だ。ソラは武器だって持っている。どんなことを話したいのかは知らないが、少なくとも楽しい話のはずはない。

 俺は「わかった」と答える。さり気なく自分の腰に手をやって、小刀を身に着けていることを確認してから立ち上がった。


「……『話』、なんだよな」


 念を押す俺にソラは顔だけ振り返る。彼は「そうだ」と短く言葉を放ち、俺から離れるように歩き始めた。

 ……欠席はできなさそうだな。行くしかないか。

 俺がついて行こうとすると、服の裾を引っ張られる。ミアだった。


「ボクも、いく」


 ソラは足を止め、振り返らずに話し始めた。


「ミアと……エレックは来ないほうが良い。気分を害するかもしれない」


「嫌だ。ボクも行く」


 頑として譲らないミア。ソラは「後悔するなよ」と一言。それ以上は何も言わず、前を向き、再び歩き始めた。

 何の話だ。俺が彼らを殺そうとしたことがバレたのか。バレたとして……誰から。この話を知っているのは一樹と……天見さん。

 俺は思い当たり、未だに座っていた天見さんを見る。彼女は「私も呼ばれてるよ。だから、一緒に行こう」と言って立ち上がった。

 俺が彼女に目を向けた意図は通じていないみたいだった。


「……ふう……」


 一つ息を吐いた。

 ……良いさ。話はソラ本人から聞こう。この分だと一樹たちも呼ばれているとみて間違いない。いきなり殺されるなんてことは無いはずだ。

 もし、そうだとしても――俺は腰の小刀の柄に触れる――立ち向かうだけだ。

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