罪科(5)
ヒュルーは村と呼ばれていた。だから確かにフォルやハリア、王都と比べると規模は小さい。それでも普通の村と違うのは、家々が密集していることだ。鉱山が近くにあるこの村は家の一つ一つに畑や農地があるわけではない。だから家と家の間隔が近いんだ。
俺はそんな建物と建物の間に生じた裏道を一心不乱に走っていた。
「はあ、はあ……!」
肺が痛みを訴える。脚がもつれそうになりながら、気力で前へ前へと駆け抜け続ける。
あの黄色い鎧の男。あれはヤバい。仮に俺が魔法を使えていたとしても勝てるとは思えない。
……多分あの男も魔法使いだ。間違いない。一瞬で俺の後ろに回り込んだあの速度も、一撃で俺を吹き飛ばした豪腕も、普通の人間にできることじゃない。
今の所、あの黄色い鎧の男はカイルの『氷の刃』やソラの『光の弾丸』ような遠距離魔法を使ってきてはいない。しかし、その速さは王都で戦ったソラに匹敵するほどのものだし、その力の強さは鉱山で相まみえたカイルを凌駕するほどのものだ。
どっちにしろ、俺にどうにかできるようなものではない。本陣にいるはずのユリウスさんや、魔法を使えるソラたちに助けを求めるしか、生きる道はない。
「くっ……!」
息が上がり、俺は緩やかに足を止めていく。
魔導石を使い潰してしまった今の俺には『魔法』がない。魔力を身体に通して身体強化をすることも回復魔法で肉体的な疲労をとることも不可能だ。走れるのは、息が続く間のみ。脚が悲鳴を上げるまでのみ。
ついに足を止めてしまった俺は膝に手をついて息を整える。周囲には鉱山労働のための道具や木箱が散乱していて、人の気配はない。……少し休もう。
「はあ……。……いや! 駄目だ……!」
唐突に背後から濃い気配を感じた。振り向くと、俺と数メートルも離れていないような家の屋根の上に、大剣と白い包みを担いでしゃがみこんでいる黄色い鎧の男がいた。
この距離では、一瞬で詰められてしまう!
「くそぉ!」
戦うのは無理だ! 魔法なしじゃ絶対に敵わない!
再度前を向いて走り出そうとする。だが、俺が進もうとした裏道の真ん中に……俺の目の前に、黄色い鎧の男が棒立ちで待ち構えていた。
いつの間に。それほどまでに。あいつの足は速いのか。
「どうした……本気を出せ……。逃げて隠れるのは……得意だろう……」
上がりきっている息を飲み、俺は後ろへ数歩下がる。
幾ら何でも速すぎる! いつの間に回り込まれていたんだ! ……こんなの、逃げ切れない……!
「何が理由で俺を狙う!」
俺は黄色い鎧の男へ質問を投げかけた。でもこれは純粋な疑問などではない。逃げるための、時間稼ぎ。
俺は後ずさりながら横目で逃走経路を探す。同時に、視界の中心には黄色い鎧の男を捉え続けておく。男は担いでいる白い大剣の切っ先を地面に下ろしていた。
「さあ……どうしてだろうな……」
くぐもった声が愉悦に歪むように聞こえた。この男は、俺を追い詰めて楽しんでいる……!
「付き合いきれるか!」
視界の端に脇道を見つけた俺は、再び走り出した。脇道を通り抜けながら、地面に積まれている小さな木箱や、レンガ造りの壁に立てかけられている鶴嘴(つるはし)などを崩す。魔法使いに対してどれだけの効果があるかは分からないが、何もしないよりマシだ。
脇道に出た俺はなおも本陣を目指す。黄色い鎧の男が迫りくる気配を感じながら、何度も曲がり角を折れて、本陣のある場所へと近づいていく。
「後少し……!」
何が理由かは知らないが、あの黄色い鎧の男は本気で俺を殺しに来ていない。本気なら、もう既に殺されている。
なぶられているのか? 遊ばれているのか?
「俺が何したってんだよ……!」
本陣の前にある広場へつながる路地を駆ける。全力疾走を続けていたせいか身体中が酸素を求めて呼吸は荒く、今この瞬間にもあの白い大剣が俺の背中を斬り裂いて来てもおかしくない、という恐怖が、さらに呼吸を荒く。
「広場だ……!」
路地を抜けて、広場へ出た。
ここまでくれば、誰かいるはずだ……! 例えユリウスさんやソラたちが居なくたって、戦士たちが待ち構えている――。
「――な……!」
しかし、俺が目にした本陣は、数十分前とは全く違う状況になっていた。
煌々と焚かれた篝火と、幾つかの家が燃え上がっていて明るい。その光に照らされた中で、武器を手にした戦士たちが叫び声を上げながら戦っている。戦っている相手は黒い鎧を身に着けた兵士たち……敵の、反乱軍の兵士たちだ。
本陣の目と鼻の先であるこの広場でさえ、敵味方が入り混じっている。最早戦線というものも維持できていない。
「く……!」
本陣も安全ではない! 敵軍がこんなところまで入り込んでいるんだ!
俺は本陣である、石造りの館の前に目を向ける。ユリウスさんやマーカスさんが……ソラたちが居ないかを探しての行動だった。
「……どこだよ……!」
しかし、見当たらない。もしかしたら彼らのような精鋭は、本陣ではなく村の出入り口の方にいるのかもしれない。
村への襲撃は東の方からだ。皆がそちらに向かっていてもおかしくない。
「鬼ごっこは……もう終わりか……?」
背後から声が聞こえた。
全身の毛穴が開き、俺は勢いよく前方へと飛び出す。広場の砂地へヘッドスライディングで飛び込んで振り返ると、さっきまで俺の居たところに向けて黄色い鎧の男が白い大剣を振り下ろしていた。
「もうここまで……!」
黄色い鎧の男が悠々と広場へ入ってくる。周囲にいる戦士も何人かがそれに気づいていたが、彼らはわかりやすく怯えていた。それは、黄色い鎧の男が振るった大剣に、白い光がまとわりついていたからだ。
「やっぱ、魔法使いかよ……」
この世界における魔法使いは畏怖の象徴だ。だからこそ、俺は何度か助かったし、逆に戦いにも巻き込まれた。
周囲の戦士たちもそんな魔法使いの強さを知っているんだ。
だが、黄色い鎧の男は衆人環視を気にも留めずに白い大剣を構え直す。
「さっきの質問……答えようか……。なぜ貴様を……狙うのか……」
黄色い鎧の男は、不意にそうのたまった。俺が返事もできずに居ると、彼は大剣の柄を利用して器用に自らの左腕の鎧を外した。
「うっ……」
俺は、黄色い鎧の男が見せた腕を目にして思わず唸る。
彼の腕には大きなケロイドが……火傷の痕があった。肉が焼けた後の生生しい傷跡。赤くなっているその腕を見て若干気分の悪くなった俺は左手で口元を覆った。
黄色い鎧の男は傷のある左腕を見せつけながら話し続ける。
「俺の名前は……ノール……。いや、それじゃ……わからないか……。貴様のせいで……こんな傷を負った男だ……」
「俺の……せい?」
「シュヘルという街で……衛兵をやっていた……。俺は街から逃げるお前を……砂煙一つで逃した無能だよ……」
ノールという名前は初めて聞いたものだ。それでも俺は脳裏に一つの光景を映し出していた。そう。それは俺が、シュヘルを逃げ出した時。
「あ、あの時の……!」
俺はソラたちに反抗し、彼らの荷物を奪って街の外へと逃げ出した。誰にも見つからず逃げ切れるのが理想だったが、一人だけ俺を止めた男がいた。
……シュヘルの門番だ。
門番は逃げ出す俺を止めようとしてきた。だから俺は、地面に風をぶつけ、地面の砂を巻き上げて砂嵐を作り出したんだ。
あの時作り上げたものは視界を遮るための単なる煙幕のようなものだったが、おかげで俺は逃げおおせることが出来た。
ノールと名乗った黄色い鎧の男が俺に白い大剣の切っ先を向けてくる。
「シュヘルはラルガ・エイクによる戦争を……阻止する目的を持った同志の集まる街だった……。だからこそ……その場所は王国側に秘匿されてきた……」
俺はシュヘルの町長の存在を思い出していた。
ニーグという名前だったか。柔和そうな雰囲気や謙虚な立ち振舞をしていたが、彼から出てきたのは将軍を倒してほしいという物騒な依頼だった。その言葉にソラは乗せられ、ソラは他の人を乗せた。俺を除いて。
彼は元々反体制側の人間だった。だとしたら、そのシュヘル町長とつながりの深いサウルもきっと同じだろう。……俺たちは初めから、この国に対抗することを求められていたんだ。
だけど、それがどうして俺を狙う理由になる。
「誰か……!」
俺は広場を見渡す。争っていたはずの戦士たちはいつの間にか俺とノールから距離をとって囲んでいた。攻めることも逃げることもしていない。ノールの魔法に怯えて様子を伺っている。
俺が何を言おうが彼らを動かすことは出来ない。
本能的にそう察した俺の目の前で、醜い腕の傷跡を晒したままのノールが話を続ける。
「だがその場所は……ラルガの手勢によって攻め滅ぼされた……。一人のガキが渡した地図のせいで……場所が暴かれたからだ……」
「地図……それって……」
俺はカイルに地図を渡したことを思い出す。
シュヘルから少し離れた藪の中で俺はカイルに脅されて、自分の命のために地図を渡した。
……それが原因で、シュヘルが攻め滅ぼされた……?
ノールは地面へ白い大剣を突き刺す。そして自らの兜に手を持っていった。
「そうだァ! 久喜、輝ァ! 貴様が命惜しさに渡した地図だァ!」
そして、くぐもった声で叫びながら彼は兜を脱ぎ去った。兜が地面に落ちる金属の鈍い音が響いて、彼の顔が顕になる。その顔に俺は驚き、小さく悲鳴を上げてしまった。
「ひっ……」
化け物のような相貌だと思った。
髪はところどころ生えておらず、まばら。顔の至るところに大小の傷跡が残っており、一番衝撃的だったのは、その口元。本来口があるべき場所を越えて、大きく左右に裂けていた。
彼は不便そうにその口を動かして言葉を紡ぐ。
「どうだ……男前だろ……。拷問……されたんだよ……。全部……貴様のせいさ……」
兜を脱いだから、声はくぐもっていない。それでも聞き取りにくい声だった。
彼は拷問と言った。ラルガの手勢というのが、シュヘルを襲った。門番だった彼も被害にあったのは間違いない。そしてその罪が俺にあると……ノールはそう言っている。
走ったせいで流していたものとは違う質の汗が全身から吹き出す。
俺が、俺のせいでシュヘルが滅んだ……?
あのニーグという町長も? もしかしたら、サウルからシュヘルへの案内役だった少年、スレイも?
俺は一歩、ノールから距離をとるように後ずさる。
「お、俺は関係ない! 街の場所が漏れたのだって、俺以外からの可能性だってあるだろ!」
「捕まった男は拷問され……女は犯された……。耳に悲鳴が残って……鳴り止まないんだ……」
俺の話を聞いていない! 彼は何箇所か欠けて、裂けてズタズタになっている耳へ手をやる。
周囲の戦士の視線が気にかかった。これではまるで、俺が街を滅ぼした悪人ではないか。
……違う。俺のせいではない。俺は自分のために、自分の命のために行動してきただけだ。
「だから! 俺じゃない! 地図は確かに渡したけど、それが原因とは限らない……」
そこまで言ってから、俺は一つの可能性に気づく。
俺の言った通り、シュヘルの場所が漏れる可能性なんて幾らでも考えられる。それなのにノールは俺のせいであると断定している。
……掴んでいるんだ。今の彼は反乱軍の一員。……カイルと話をすることだって、出来ておかしくはない。
カイルも言っていた。シュヘルの場所を知ることが出来たのは、俺の地図があったからだと。だとしたら実行犯はカイル。そして、情報を流してしまったのは……俺で間違いない。
「カイルに、聞いたのか……?」
「おお……気づいたか……」
耳から手を離したノールが感心したような声色で話す。その顔の傷の多さから表情は正しく読み取れないが、愉しんでいる。
周囲の戦士たちを一瞥すると、彼らはノールの話に聞き入っているようだった。一部の人間は俺に対して敵意に近い視線もぶつけてきている。
不味い。このままだと、助けてもらうどころの話ではなくなってしまう。何とか言い返すんだ。俺が悪いのではないと、証明するんだ。
俺は首を大きく横に振り、訴えかける。
「だとしても、悪いのは実行したカイルだ! そもそも、お前は、なぜそのカイルが居る反乱軍に入って――」
「――全く……その通りだ……」
ノールが左手にずっと持っていた白い包。彼はそれを地面に放る。地面に落とされた包は衝撃で結び目が解かれ、その中から丸いものが転がり出てきた。
俺は、その物体を見て、一拍遅れてそれが何なのかを認識した。
「こ、れ……」
ボウリングの玉くらいの塊から伸びてきている金色の毛、浅黒い肌。……そしてその物体に張り付いている、苦悶の表情。
首だ。人間の首。……今日の昼に鉱山で遭遇した、カイルの首だ!
ノールは、その崩れた顔でも分かるほどの笑みを浮かべた。
「傭兵として近づいて……やっと仇がとれた……」
その言葉とカイルの首が、俺の問いに対する答えだった。
……ノールがこの反乱軍に入り込んだのはシュヘルを滅ぼしたカイルへの復讐のため。
首だけになり、動くことのなくなってしまったカイルの横顔を見て、俺は唾を飲み込む。
カイルは強い戦士だった。しかしユリウスさんによって手負いになっていたし、まさか身内に襲いかかられるとは思っていなかったのだろう。そしてその結果が、『これ』――。
身震いした俺は、ノールへ視線を戻す。
「じゃ、じゃあもう良いだろ……。仇は、とれたんだろ……?」
「そうだ……そのはずだ……」
さっきまで満面の笑みを浮かべていたノールが再び耳を覆う。
「それなのに……悲鳴が鳴り止まない……。それで気づいた……まだ仇の『全て』が討ててないんだ……。だから悲鳴が……聞こえるんだ……。だから次は……お前の番だ……」
耳から手を離した彼は地面に突き刺していた大剣を抜き、俺に向ける。その切っ先に込められている殺意。それが俺の喉元へ真っ直ぐに伸びている。
俺はその大剣の切っ先と、転がっているカイルの首を交互に見て、後ずさった。
死ぬ。殺される。このままでは俺は、あのカイルと『同じ』になってしまう。
「だ、誰か……」
俺は周囲を見回した。ユリウスさんもいない。マーカスさんもいない。ミアも、エレックもいない。
それどころか、俺と目のあった戦士たちは視線をそらすばかりだった。
「畜生……!」
ここに居るのは――ここに居て、俺の味方になってくれるのは――俺だけだ。
覚悟、俺を、俺を守るための覚悟、自分のための覚悟、力をくれ、どうにかしてくれ。
「う、うう……」
俺はグングニルを両手で握って、ノールに向かって斬りかかった。
「うわあああ!」
上段、下段。続いて刺突。何度も何度も斬りつける。突き刺す。しかしノールはまるで児戯をいなす大人のようにかわし続ける。かすりもしない。大剣で防ごうとすらしてこない。
「遅い……遅い……」
ノールが大剣を大上段に構えた。
「ひいっ!」
俺はグングニルを横に向けて衝撃に備える。直後ノールが振り下ろした大剣。その一撃を受け止めきれず、俺はまたもや吹き飛ばされる。
「あがっ」
今回は最初よりも衝撃が弱かった。それでも俺は気づけば地面に伏している。そして不味いことに……頭を強かに地面へ打ってしまった。
視点が定まらない。暗闇が断続的に視界に暗幕を下ろす。
それでも何とか見上げると、ノールが振り終わった大剣を眺めてつぶやいていた。
「硬い……槍だ……。この『グラム』と……同じか……」
その顔は、先程の笑顔と変わらない。朦朧とした意識のなかで俺は思わず言葉にしてしまう。
「狂ってる……」
ノールの視線が俺を捉える。
「狂わせたのは……誰だ……」
もう、駄目だ。立ち上がれない。それどころか、意識を保つことさえ――。
「――そこまでだ」
揺らぐ視界の中で一人の人間が、俺とノールの間に立ちはだかったのが見えた。
明るい茶髪、白いマントローブ。そして、そこから伸びる右手に握られた金色の光を帯びた剣。
……狛江、ソラ。
視界が暗くなってきた上、背越しなのでその顔は分からないが、あの光は本人で間違いない。
「お前は……狛江ソラ……」
「シュヘルを救えなかったのは、俺の力不足だ」
凛として言い放つソラに、ノールは大剣を向けるのがおぼろげに見える。
「そうか……なら……。お前も殺さないとなあ!」
「だけど俺は、まだ死ぬわけにはいかない」
そして、ソラがその光を帯びた剣ででノールを真っ二つに切り裂いた。
「がっ……糞餓鬼が……」
血を吹き出しながら吐き捨てるノール。ソラの顔は依然として見えない。いや顔だけじゃない。……もう、視界が霞んでしまって何も見えない。
「……お前の死も、シュヘルのことも。その罪科は俺が背負う……」
「……綺麗……ごとを……」
暗闇の中で彼らの声だけを耳にしていた。そして俺はその直後、……意識を手放してしまった。
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