罪科(4)

 野営地点に戻るとミアとエレックは既に起きていて、各々武器を手にして何事かを話しながらうろたえていた。俺はふたりに声をかけようと駆け寄っていく。先に俺の存在に気づいたエレックが盛大にため息をついた。


「少年! どこにいたんだよ! 心配させんな!」


「ごめん!」


 俺は手早く謝って寝袋の横に転がしておいたグングニルを手にとった。武器を手に改めて辺りを見渡す。

 ついさっきまで静まり返っていた村は罵声や荒々しい足音に覆われている。さらに何かが燃える匂いが鼻腔に入り込む。嫌な予感がして空を見ると北東の空が赤くなっていた。火事だ。もう、村の中まで敵が入り込んできている。

 俺の居る場所は村の南の外れだ。俺から見て北東方向が燃えているということは、敵は村の東から攻めてきている。

 再び近づいてきた戦いの息遣いに心臓が跳ねる。恐怖と緊張が混じって吐きそうだ。


「どうすれば……」


 戸惑っていると、長剣を携えたエレックが怒鳴る。


「少年! とりあえず村の中心に行こう! 本陣のほうが安全だ!」


「待ってくれエレック! 敵は東から来てる! だったらこのまま南に逃げて村を出たほうが……」


 俺が反論している途中で、ミアが「輝!」と俺を呼んだ。彼女の方を振り返ると、ミアは村の向こう側を……南の方を指差していた。

 農場よりも遥か向こうではあるが、松明の光が幾つも灯され、揺れている。俺はそれを見て悪態をついた。


「くそ! 南からも……!」


「少年! 中央まで行くぞ!」


「その方が良いみたいだな……!」


 もう、反論の余地は無い。この様子では西も北も塞がれている……囲まれているかもしれない。夜警に出ていた連中は何をやっていたのか。

 ……文句を言ってもしょうがないか……! せめて早く本陣まで行かないと。

 踵を返して村の中央の方を向いた。その時だ。


「輝! 危ない!」


 緊迫したミアの声と甲高い金属音。俺が振り向くと、黒い鎧を着込んだ兵士とミアが鍔迫っていた。兵士は長い剣を、ミアは短刀でそれを受け止めている。


「なっ……!」


 何事だ。南から攻めてくる敵兵はまだまだ遠くにいたはずだ。なぜ俺のすぐ後ろまで来ていて、ミアと斬り結んでいる……!

 ミアは黒い鎧の兵士の剣をいなし、その右手を短刀で斬りつける。兵士は剣を取り落してうずくまり、ミアは俺の傍らまで退いてきた。


「輝、気をつけて。……もう結構、入ってきてる」


 彼女に言われて目を凝らす。先程ミアが退けた兵士の他にも数人の兵士が闇夜にうごめいている。黒い鎧のせいでわかりにくかっただけで直ぐ側まで来ていたんだ。

 だが遠くに見える松明の火の群れに動きはない。これは……陽動か!

 松明を灯して敵の軍勢が遠くにあると思わせておいて、兵士は明かりを持たずに潜入してきている。これでは本陣もこの状況に気づいていまい。


「ミア! 少年! 大丈夫か!」


 エレックが俺とミアの前に出てきた。俺は「大丈夫」とだけ答えてから、剣を取り落してうずくまっていた兵士が、ゆらゆらと立ち上がりながら剣を拾っているのを視界に捉えた。

 暗くて見辛いが、あの兵士が先程ミアによって手元を切りつけられていたのは見ていた。なぜ、剣を持てるんだ。思ったより傷が深くなかったのか。


「……邪魔だ……」


 低い男の声。痛みを感じていないのかと思ってしまうほどの虚ろな声で、彼は構える。

 ――この感じ、覚えがある。

 そう思っていたら、兵士が斬りかかってきた。俺の前に立っていたエレックは剣を受け止めて、思い切り突き飛ばすように前蹴りを放つ。そしてミアの方を振り返る。


「……ミア。これは……」


 緊迫感は変わらない。だが、彼の表情と声は驚きを示すような震えを帯びていた。答えるミアも、口を横一文字に結んでいた。


「……多分、そうみたい」


「やっぱりか……。……ホンっとによォ!」


 エレックがいきなり声を荒げる。前を向いてしまった彼の顔は見えないが、怒り狂っていることだけは俺も理解できた。


「エレック、どうしたんだ!」


 問いかけるが、彼は俺を振り返りもしない。その右手に握る剣をわなわなと震わせて、全身で怒りを顕(あらわ)にしているだけだ。


「……少年は、知らなくていい。これはこっちの問題だ。……さっさと本陣へ行け」


「だけど、エレック――」


「――行けェ!」


 エレックの怒鳴り声に驚き、俺は息を飲んでしまう。言葉も返せず、戸惑っていると、ミアが手を引いてきた。


「輝、行こう」


「で、でも……」


「いいから」


「……分かったよ!」


 わけがわからない。俺も若干苛つきながらミアの手を振りほどく。

 エレックとミアは一体何を抱えているんだ。俺はふたりの仲間じゃなかったのか。どうして俺に、協力させてくれないんだ。


「……くそ」


 俺はエレックに背を向けて駆け出す。恐怖と緊張と混乱で平静ではない俺は、苛立つ気持ちを抑えつけられないまま村の通りを走っていく。ミアもすぐ後ろをついてきているのは足音で分かったが、並んで走る気持ちにはなれなかった。

 周囲から悲鳴が聞こえる。それが戦士のものなのか、この村の住人のものなのか分からない。空を見上げたら火の手が複数上がっていた。もしかしたらもう、本陣の近くまで攻め込まれているのかもしれない。


「はあ……はあ……」


 息が上がるほど走り、村の中央まであと半分というところまで来て、俺は前方の人影に気づいて速度を落とす。火事が起き始めているからか明るくなってきた村の道。そのど真ん中で、その人影は立ち尽くしていた。


「……何だ……?」


 反乱軍のように黒い鎧を身にまとってはいない。鈍色に光るうろこ状の板金を編み込んで出来た鎧の上に、擦れた汚らしい黄色い布を巻きつけたような服装だった。頭をすっぽりと覆う兜を身に着けていて、目元は空いているものの暗くて中の表情は見えない。左手には白い布のボウリング玉くらいの包みを持っていた。

 だが、一番特徴的なのはその右手にある武器。身の丈以上もある大きさで、持ち手から刀身までが白く薄ぼんやりと光る大剣。刀身に描かれている精緻で大胆な太陽の意匠が月の光を受けてきらめく。


「久喜、輝か……?」


 兜の中からくぐもった男の声が響いた。そこに暗澹とした何かを感じ取った俺は、足を止める。遅れてミアも俺に並んだ。


「久喜、輝だな……?」


 兜の奥は暗く深い闇で、その黄色い鎧の男がどんな表情で話をしているのか分からない。それでも、俺の全身が総毛立った。

 ……恐怖。本能的な何かが、『こいつは危険だ』と訴えかけている。


「人違い……かと」


 俺は一歩退いた。ミアが入れ替わるように前に出る。俺は小声で「駄目だ。逃げるぞ」と言ったが、彼女は無言で首を横に振る。

 対して、黄色い鎧の男は大剣を肩に担ぎ、ゆっくりと膝を折ってしゃがむ。


「見つけた……。女の子を……盾にするなんて……。相変わらずの……卑怯者だ……」


 俺の中のパトランプが一斉に鳴り響いている。駄目だ。こいつは。関わっちゃいけない。

 彼の声は言葉の内容とは打って変わって、にやけた笑いを交えたような声色。俺は反射的に小刀を鞘にしまい、代わりにポケットから『魔導石』を取り出した。そして、『魔導石』から魔力を取り出して、全身へ流し込む――。


「――死ね……!」


 その声は、俺の右斜め後ろから聞こえた。魔力による感覚強化でそれを察知した俺は即座に反応して振り向く。黄色い鎧の男が大剣を振りかぶっていた。

 回避は間に合わない。受け止める……!

 右手を引き上げ、グングニルで受けた。直後伝わる衝撃。


「がっ……!」


 全身が揺さぶられて、景色がもの凄い速さで流れる。回転していく。

 地面に何度かぶつかりながら吹き飛ばされていく。何メートルだ。何十メートルを越えたか。それすらわからなくなってしまったころ、最後には何か硬いものにぶつかり、それを破壊しながら俺はようやく止まった。


「か……はあ……」


 全身の痛み、白黒する視界。あまりのことに、すぐさま回復魔法を使う。痛みがとれていって状況が飲み込めてくる。俺は今、うつ伏せで地面に這いつくばっているということが分かった。砂埃が辺りに舞っている。

 村のどこぞまでぶっ飛ばされたのか……。ミアは無事なのか……。

 脚に力を込めた瞬間、電撃が走ったような痛みを感じた。


「うぐ……!」


 回復魔法を使ったというのに、立ち上がろうとした時に右脚が痛みを訴えた。右の太ももを確認すると、大きい木片が深々と刺さっている。


「ぐ、あああ……!」


 痛みから逃れるために、回復魔法を使おうとして留まる。耐える。この木片を抜かなきゃ何度回復しても意味がない。

 一旦グングニルを地面に置いた俺は歯を食いしばり、全身から変な汗を吹き出しながら木片を右手で掴む。そして、息を止めて一気に引っこ抜いた。


「ふうっ……!」


 赤黒い血液があふれ出し、血圧が落ちたせいか意識が飛びそうになる。気合と根性で魂をつなぎとめながら回復魔法を使って傷を癒やす。


「……はあ……『ライツ』の時……思い出すな……」


 フォルに辿り着く前に遭遇した臭い匂いのバケネズミとの戦いを脳裏に浮かべつつ、血の混じった唾を吐き捨てながら血みどろの木片も捨てて、グングニルを握った。

 何とか立ち上がって周囲を見渡すと、俺はどうやらどこかの民家の物置代わりの空き地まで吹き飛ばされたのだと分かった。空き地には俺がいま追突して壊してしまった木箱の他にも、樽や麻袋が幾つか放置されている。

 俺は近くにある石とレンガ造りの民家を見てため息をついた。


「あっちにぶつかんなかったのは、不幸中の幸いか……」


 衝突したのが木箱で良かった。レンガや石じゃひとたまりもない。

 そして、俺は左手の魔導石を確認した。続けて舌打ち。最初にユリウスさんに渡された時には輝かんばかりの鏡面だったのが、道端の石ころのようにくすんでいる。

 この石はあと何回使えるんだ……。またさっきの黄色い鎧の男と鉢合わせたら持たないぞ……。

 いや、ともかく……。


「……ミアのところに戻らないと」


「まだ……生きてるか……」


 背後からくぐもった声が聞こえ、俺は振り向いた。黄色い鎧の男が、幾つかある木樽の上にしゃがみこんで、俺を見ていた。

 なぜ。距離は。こんなに直ぐに。ここに居るのが分かる。速すぎる。


「う、おおおおお!」


 俺は左手の『魔導石』を握り込む。そして地面から砂を巻き上げるように風を起こした。黄色い鎧の男を取り囲むように砂塵が舞い上がる。

 何の威力も無いが、姿をくらます役にくらい立つはずだ。

 だが、同時に俺の左手の中で、不穏な感触もあった。


「割れた……」


 手の中には黒い石の破片。もう何の魔力も感じない、ただの石屑がそこにあった。でも砂は未だに舞い続けている。この隙に、一メートルでも遠くへ行かなきゃいけない。

 しかし、ミアのいる場所は不味い。何の因縁があるのか知らないが、この黄色い鎧の男は俺のことを狙っている。彼女のところまで行ってしまったら巻き込みかねない。

 ……だとしたら目的地は本陣だ。この化け物みたいな黄色い鎧の男は確かに強い。それでも本陣にいるはずのユリウスさんなら……。……もしくは、魔法を使えるソラたちなら……。

 一瞬のうちに逡巡する。それを邪魔するかのように砂煙の中からくぐもった笑い声が響いた。


「目くらましか……懐かしいな……。それじゃあ……逃げ切ってみせな……」


 砂の塊からくぐもった声が響く。俺は黒い石くずを地面に投げ捨てて、本陣に向かって走り出した。

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