鉱山(1)

 夕暮れ。学校の渡り廊下で俺は立ち尽くしていた。

 窓から差し込む日はオレンジ色で、遠くから吹奏楽部が練習している音が響く。誰もいない渡り廊下。

 見慣れている光景だというのに、俺は酷い居心地の悪さを感じている。


「あれ……。何やってたんだっけ」


 呟いたが空虚な空間に俺の声が反響するのみで、俺はというと、ただ西日の眩しさだけが気になっていた。


「ああ、帰らないと……」


 家に帰るんだ。こんなところに一人でいたってしょうがない。授業も終わって、家路につく時間だ。

 リノリウムの廊下を踏み出す。上履きが床を踏みしめて、そのグリップで小さく掠れる音が鳴る。


「……どこに行くんだい」


 背後から声。ちょっとだけハスキーで、それでも耳障りの良い、若い女性の声。怯えていたような、恋い焦がれていたような気持ちになって、俺は振り返る。


「あ……」


 渡り廊下には俺一人ではなかった。背の低い少女が佇んでいた。

 ショートカットの黒い髪。少しだけ吊り目だけど美人で、他者を寄せ付けない印象。でも俺は知っている。彼女は優しくて、誰かの力になりたいと思っている人間。『藤谷カズト』に憧れて、人助けなんかも行う人間。

 ……俺のグロテスクな想いのせいで、傷つけてしまった人間。


「……夢か」


 俺は時折、自分で『これは夢だ』と気づくことがある。そういう夢を明晰夢と呼ぶのだと、橋山一樹が昔教えてくれた。

 ただ、橋山一樹が言っていた明晰夢には程遠いということもわかっている。この夢は橋山一樹から聞いた『明晰夢』とは違い、俺がコントロールすることは出来ない。もし俺がコントロール出来る夢なのだとしたら、俺の目の前にいる少女……『新山ヒカリ』は現れない。現れちゃいけない。


「……久喜君」


 新山さんが俺に呼びかける。一歩、一歩。踏みしめるようにして近づいてくる。俺は逃げ出したい気持ちになりながらも身動き一つ取れない。蛇に睨(にら)まれた蛙というのは今の俺のような状況のことを言うのだろう。


「ねえ。忘れてないよね。私のこと」


 俺の前まで来て、彼女は妖しく笑う。そして俺の左手を掴んで、自らの首元に持っていく。


「やめてくれ……!」


 俺の手は、俺の意思とは関係なく彼女の襟を掴んだ。


「嫌だ……! やめてくれ……! 許してくれ……!」


 空いている俺の右手がゆっくりと拳を握る。これも、勝手に、だ。

 こんな夢、俺は望んじゃいない。

 襟元を掴まれて苦しそうな新山さんが、それでも笑った。


「ミアにエレック……支え合える仲間が出来て良かったね、久喜君。……私やカズト君では駄目だったのかな……?」


 俺の拳が力を込める。動かしているのが俺の意思ではなくともわかる。この拳は、新山さんを狙っている。


「頼むから……」


「ねえ、どうして」


 妖しく笑う新山さんへ向けて、俺は拳を振りかぶる。


「どうして加害者の君が、そんなに楽しそうなんだい?」


 振りかぶった拳が、華奢な彼女の身体に乗っかるその顔へと、吸い込まれていく――。


「――はあっ……!」


 呼気とともにまぶたを開けると、まだ日の出前だった。

 澄んだ高い空に雲はなく、水色を天に敷いている。夜明け前の明るい空。その下に幾つもの岩山が天を衝くようにそびえ立っていた。


「……なんて夢だよ……」


 俺は身体を起こして口の中でつぶやく。寝袋から這い出して、傍らに落ちている岩に腰掛けた。

 水筒から一口水を飲み、腕に巻いていた包帯を取り除く。傷跡は残っているものの、全てふさがっている。幸運にも化膿はしなかったようだ。


「気が、立っているのかな……」


 俺は遠くに見える一際大きな岩山を眺めた。

 周囲の山々と比較しても遥かに大きな岩山だ。鉱夫やトロッコが出入りするためなのだろうか、蝕むようにして幾つも小さい穴が空いているのが確認出来る。


「……フラルダリル鉱山か」


 ハリアを出発して七日目。先日の反乱軍の強襲を凌ぎきった義勇軍は、途中目標である鉱山を目前にして一晩を明かしていた。



「輝、もう腕は、大丈夫なの」


 朝になり野営を片付けて荷物を背負ったタイミングで、俺の服の裾をつまんでミアが話しかけてきた。俺は「全快したよ」と返す。

 エレックの力を使って行った回復魔法によってミアは無事に復活することが出来た。回復魔法を使うための媒介となった俺の腕は傷だらけになったものの、蓋を開けてみれば傷ついたのは皮膚表面だけで骨や筋肉には影響がなかった。

 魔力をカラになる寸前まで使ったエレックは丸一日眠りこけていたので、どうしようかと悩みはしたものの、反乱軍の強襲の影響で義勇軍自体も一日足踏みをしていたから何とか置いていかれずに済んだ。

 そういうわけで俺たちは無事に近しい状態ではあったが、そうもいかなかったのは義勇軍だった。


「数、減っちゃったな……」


 傷病兵はハリアへと引き返し、そこについていく護衛にも人数を割いたので残っている人間の数はおよそ六百人。元々千人近い人数が集まっていたことを考えると、約四割の損失だ。更に峡谷で矢を射掛けられたせいで馬車も何台か駄目になってしまった。

 軍隊としての再編に丸一日をかけて、それから奇襲や伏兵に気を配りつつ行軍したせいで、ここまで来るのにも時間がかかった。

 兵糧に問題はないという話だが、それも本当かわからない。義勇軍の中でも不安のようなものが立ち込めていた。


「少年! ミアも! ……さっきの軍議で色々聞いてきたぞ!」


 俺とミアが話しているところへエレックが駆けつける。彼は用兵の経験と戦場での活躍ぶりによって義勇軍の中でもある程度の指揮権を有する者に口利きが出来るようになっていた。

 とはいえ、エレックには野心があるわけではない。ミアや俺のために情報を得ることを目的に軍議に顔を出したりしている。

 エレックは手に持っているA4サイズほどの羊皮紙を広げて見せてきた。等高線が引かれており、その紙がフラルダリル鉱山を含むこの一帯の地図だということがわかる。


「義勇軍はこれからフラルダリル鉱山の主導権を握るために、鉱山に踏み込むつもりらしい。鉱山を越えたところにはヒュルーって村があるが、そっちは俺たちより先にハリアを発った先遣隊が攻略を開始している。鉱山の主な敵兵力はその対応に掛り切りになっているから、その隙に鉱山へ踏み込もうって算段みたいだな」


 先遣隊……。ソラたちのいる隊だ……!

 俺が表情の変化を隠しきれなかったせいか、エレックが俺を見て頷いた。


「そう。少年が探している橋山一樹はヒュルーにいるはずだ。……どうする。少年。俺たちは鉱山を無視して、直接ヒュルーに向かうという方法もある」


「……うん。確かに」


 戦いを避けられるならば、それが正解だと思った。でも、俺はソラたちと合流して終わりじゃない。彼らのうちの誰かを殺す必要がある。そうなった時に、自分の戦闘技術だけで渡り合えるとは思えない。

 ……両腕の生傷がちくりと痛む。

 エレックに力を借りたことで、魔力さえあれば魔法が使えることが証明された。とはいえ、ソラたちとの戦いにミアやエレックを巻き込むことは出来ない。すでに十分巻き込んでいるのは事実だけど、何よりミアに殺しの手伝いなんてさせたくはない。エレックも同じ気持ちだろう。

 だとしたら、俺が取るべき行動は一つ。フラルダリル鉱山へ向かい魔導石を幾つか掠め取って、ソラたちとの戦いに備えるべきだ。

 魔導石を実際に使ったことはないが、エレックの力も借りれたし、不可能なことではないように思える。


「……俺は、鉱山へ向かうよ」


「良いのか? 少年」


 聞き返されてから理由を考える。不審に思われないように、もっともらしい理由が必要だ。


「うん。合流できても、ヒュルーと鉱山の両方を抑えない限り、彼らはきっと戦い続ける。……落ち着いて話なんか出来ない。だから、彼らがヒュルーを攻めているうちに、こっちで鉱山を確保するのを手伝うよ」


「なるほどな……」


 エレックは俺の目を覗き見て、それからゆっくりと目を閉じた。


「分かった。……ミアは、どうしたい?」


 エレックがミアへ話を振る。話題を向けられて、彼女は考える素振りを見せてから頷いた。


「ボクは、ボクがやることは変わらない。……輝と行動するよ」


 嬉しく思ってから、背中に深い傷を負って臥せっていたミアの姿を思い出す。あんな思いはもうしたくない。


「だけど、危ないのは……ミアもわかってるだろ」


 しかし彼女は、つまんでいる俺の服の裾を、より力強く引くのみだった。


「……駄目って言われても、ついていくけど」


 彼女は頑として譲らない目をする。これを言われると俺は弱い。卑怯じゃないかとすら思えてしまう。

 エレックは広げていた地図を丸めてため息をついた。


「よし。ただし、今回は俺も一緒だ。この前みたいに離れないようにする。……詳しい話はマーカスがこれからするって言っていた。半刻後、本陣に集合だ」



 時間になり、本陣の周辺には戦士たちが集まっていた。俺たちもその中に混ざっている。集まっている戦士たちをよく見ると、青色の布を鎧の意匠に取り入れている兵士たち……マーカスさんたち三貴族の私兵の割合が高かった。

 軍隊ではない義勇兵と違って統率が取れていたのだろうか。確かに思い返してみると俺たちのいた隊列は義勇兵が多く、『逆落とし』で混乱してしまって混戦に持ち込まれたような気がする。

 あの場で冷静さを欠いていたのは俺だけじゃなかったはずだ。むしろ、冷静に動いていたミアやエレックのような戦士のほうが珍しかったように思う。


「そういえば、エレックは敵の司令官を見つけられたのか?」


 時間になっても現れないマーカスさんを待ちながら、俺はエレックに訊いた。彼は首を横に振って、顔をしかめる。


「いや……。分隊長クラスは見つけられたが、あの襲撃の司令官は隊列の先頭を進んでいた本陣を受け持っていたらしい。俺が先頭までたどり着いた頃には敵は制圧されてたよ。マーカスの指揮で動いていた私兵によってな」


「じゃあ、あの時言ってた『気になること』ってのは……」


「ま、少年は気にしなくていい。……ほら、総大将が出てきたぞ」


 エレックに促されて本陣の中央の馬車に視線を送る。そこには馬車の屋根に登ったマーカスさんが居た。

 傷一つ負ってはいないが服装が汚れている。指揮だけをしていたわけではなく、戦闘もこなしていたのだろう。

 マーカスさんは、いつか俺に小刀を教えてくれたような人懐こい笑みではなく、鋭い眼光でもって眼下の戦士たちを眺める。そして、口を開いた。


「諸君。これから向かうフラルダリル鉱山はラルガ率いる反乱軍の前線基地である。すでに先遣隊が陽動のためにヒュル―で戦闘行為を開始している。鉱山の敵兵はその対応のために数を減らしている」


 マーカスさんの言葉が通る。しかし、好材料であるはずの言葉にも戦士たちはあまり積極的に反応しない。中には不安そうな様子のものも多くいる。

 空気でわかる。今、義勇軍の指揮はこれ以上なく低い。『逆落とし』による強襲が、戦士たちの心を折っている。


「……皆、怖いか?」


 マーカスさんはつぶやくように問いかける。だが、義勇軍の中に否応の反応をするものはいない。疲弊した雰囲気があたりを包んでいる。険しい顔のマーカスさんは、再度口を開いて……それから、意外にも苦笑した。


「……怖いよな。本心を言えば、俺も怖い」


 そんな弱気な言葉を放つ彼に驚き、俺は周りを見る。誰も彼も、俺と同じく目を丸くしている。皆も、強い言葉で叱咤されるとばかり思っていたんだ。

 場の空気が変わった、と感じた。


「……でも、だからこそ思い出してくれ。その恐怖は、サターンの蜂起で、俺たちの友人が、恋人が、親が、……子供たちが感じたものだと! そしてこのまま何もしなければ、もう一度あの恐怖を味わわされるのだと!」


 馬車の屋根の上で叫ぶ青年に人々の目が集まる。


「そんなことはさせたくない! だから俺たちは剣を取った! だから俺たちはここまで来た! 思い出せ! 諸君が何故剣を取ったのかを! 思い出せ! 諸君が何故ここまで来たのかを!」


 叫び声の後、一瞬の静寂。それを破ったのは壇上の青年ではなく、観衆の戦士――青い布の鎧を身にまとった私兵の青年――だった。


「……そうだ。俺、ハリアに息子を残してきたんだ……」


 それに続き、他の戦士も口々に声をこぼす。


「俺は友人を失った……! 敵討ちに来たんだ!」


「俺だって、守りたい人がいてここにいる!」


「へっ……俺はこの戦いで武功を手にして王都で一旗揚げんのよ! そんで田舎の家族に楽させてやるんだ!」


 はじめは静かに、しかし次第にその言葉たちは混ざりあってうねる。気づけば戦士たちの目と声に活力が戻っていた。

 マーカスさんは大きくなってきた声を制するように、馬車の屋根の上で、腰の短剣を抜いた。誰もが口を閉ざし、マーカスさんのその右手の短剣に注目している。

 そして彼は短剣の切っ先で、左手にはめている手袋の甲を切り裂く。顕になったその手の甲には、なにかの図形を描いた青い入れ墨があった。


「その昔、ハリアを築いたハリアの御三家は襲いくる賊軍を蹴散らし、街の平和を守った! ……俺はその子孫が一人、マーカス・ソードだ! 証の紋章は我が甲にあり! 諸君、ついてこい! 此度も街の平和を守るぞ!」


 響く、鬨の声。もう義勇軍に不安そうな空気は漂っていない。あるのは妙なまでの高揚感。それでも俺はその雰囲気に流れることは出来なかった。

 疎外感を感じそうになりながら、心のどこかでは合点している。


 ……ここで流されるような健全な心の持ち主であれば、俺は『あの時』ソラたちについていった。そうではなかったからここにいる。家族のためでも友人のためでも想い人のためでもない。俺のためだ。


「……生きて元の世界に帰るぞ、俺は」


 背中に帯びているグングニルの柄を握り、俺は呟いた。

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