再会(1)

 橋山一樹は、俺が中学二年生になるタイミングで転校してきた男だった。

 あの時に俺が遭遇した『電話』の怪異。一樹の機転のおかげで何とか助かってから、俺と一樹はよくつるむようになった。

 それが無くなったのは……『柏崎燕』の死があったからだ。

 普通の友人としての関わりはあったけれど、あれからは怪異に関するような出来事で一樹と関わることはなくなってしまった。

 だから、本当に久々だったのだ。彼に怪異について相談を持ちかけたのは。……この『アクセサリー』という怪異は、『電話』の時のように一筋縄ではいかないものであったけれど。


「良かった。無事だったんだな。……輝」


 元の世界から異世界に舞台は変わってしまったが、目の前の一樹の姿は俺の知るものだった。

 暗い茶色に染められている短い髪もそのままだ。服装もそんなに変わりない。長袖のシャツを肘までまくっていて……でも、ズボンはこの世界のものに新調したのだろうか。分厚くて丈夫そうなカーキ色のものになっていた。

 ただ、変わっているものもある。腰に、二本の剣を帯びていた。時代劇の侍のように左側に二本身につけているのではなく、左右に一本ずつ。

 この世界は危険だ。モンスターもいるし、戦争の機運も高まっている。俺は奴隷商に襲われたこともある。武装するのは必然であるとは理解している。現に俺も今、左手には槍を持っている。


「一樹も、この世界に来てたんだな」


「ああ。……色々あったよ」


 一樹はうなずくと、「ちょっと、場所を変えよう」と言ってきた。確かに人通りの多い噴水広場で立ち話というのも落ち着かない。


「近くに公園があるんだ」


 そう言った一樹は「ついてきてくれ」と一言、噴水広場を抜けていく。俺は冷えていくサンドイッチにかぶりつきながら後を追っていった。


「この街にはいつからいるんだ?」


 街頭に照らされた表通りを歩きながら一樹が問いかけてくる。俺は口の中のパンを飲み込んで「もう六、七日になると思う」と返す。

 もしかしたらもう少し経っているかもしれない。ここのところ毎日毎日本を読んで寝る生活を送っている。途中船の積み込みの仕事をしたりもしていたが、基本的には同じ様な日々の繰り返しだ。日にちの感覚が狂っているのかも。


「一樹はいつくらいからここに?」


「俺は一昨日かな。……あ、ここだよ。公園」


 一樹が指差す方を見ると、王都の大きな建物と建物の隙間に入り込むようにして、小ぢんまりとした公園があった。

 公園とはいうものの、遊具があるわけではない。それなりの大きさの広場と、ベンチが幾つかあるだけだ。


「昨日、ふらついててさ、見つけたんだ」


 一樹は言いながら公園のベンチにドカッと座り込む。俺も倣うようにしてその隣に座った。


「……本当に、お互い無事で良かったな」


 一樹がしみじみと呟いた。俺は「そうだね」と言い、「一樹は、この世界に来てからどうしてたんだ?」と尋ねた。

 彼は「色々」と、いつかの意地悪っぽい笑顔を浮かべて話し始めた。


「最初に気がついた時には『ウート』っていう港町の、町長の屋敷にいたんだ。どうやら俺は町から少し離れた森の中で気絶していたらしい。偶然通りがかった猟師が見つけてくれたんだと」


「森って、ジャングルみたいな?」


 俺は自分が最初にいた例のジャングルを思い出しながら訊く。しかし、一樹は「わかんね」と首を横に振った。


「町から遠かったみたいだし、あんまり遠出する時間も無かった」


「……時間がなかった?」


「町長の『ジャン』って人に、剣と魔法を教わってたんだ」


 そう言うと一樹は自分の目の前で人差し指を天に向かって立てる。直後、小さな赤い炎が指先に灯された。

 ……見覚えがある。ハリアで戦ったダグラス家のスキンヘッド男、ウォレスが使っていた魔法とよく似ていた。


「驚いたよな、こんなことができるなんて。……輝も使えるんだろ? 魔法」


「あ、ああ。……風を起こすことができて……そうだ」


 俺は思いついて胸元のペンダントに触れてから、手のひらを出す。そして、今まで使ってきた馴染み深い風ではなく、炎をイメージした。

 ……しかし、うんともすんとも言わない。慌てて風をイメージすると、すぐに銀色の竜巻が現れた。それを握りつぶすように消してから、ため息をつく。


「俺は、炎は出せないみたいだな」


「そりゃあ、そうだ。魔法は一つだけしか使えない。俺たちみたいな『所有者』だとな」


「……そう、なのか? 何でそんなことを?」


 一樹も指先の火を消してまた口を開く。


「ウートの町長に教わったってのと、隣町から来た『所有者』に聞いたのが大きいかな。その『所有者』たちとは一緒に幾つか実験もしてみてる。制限もあるけど便利な能力だよ、魔法」


「便利なのは――」


 俺はライツと戦ったときのことを思い出す。そして、闘技大会での戦いも。風を使うだけじゃない。体を癒やし、身体能力を強くすることができた。何度も助けられた。


「――その通りだけど。その『所有者』ってのはどんなやつなんだ?」


「俺は、とにかく王都に行こうと思ったんだ。輝も同じ状況なら、情報の集まる王都に行くだろうと思ったから。だから、同じく王都を目指している『所有者』たちと一緒に船に乗って旅をすることにした」


 一樹は俺の方に向き直る。


「『所有者』ってのは今、俺が行動を共にしてる……成瀬速人、狛江ソラ、白石綾香、天見舞……この四人のことだよ」


 息を飲んだ。驚いたが、何となく察していたことでもあった。

 一樹が王都に到着したと言っていた一昨日は、王都にソラたちを乗せた船が到着した日だ。そして、チルで読んだ新聞の記事。ソラたちと同行している仲間の一人として、俺の知らない魔法使いが一人いた。その魔法使いの特徴は炎魔法と、二刀流。

 腰に二本の剣を帯びていて、炎魔法を見せてくれた一樹。そのものじゃないか。


 俺は咄嗟に周囲を見渡した。公園の奥の方は夜の帳でよく見えないが、先程歩いてきた通りには人影はない。


「あいつらなら、いないよ。今は別行動中だ。大丈夫、安心しろ」


 見透かした様な言葉に俺はホッとしてしまう。それから、彼の言った『大丈夫、安心しろ』という言葉の意味を考える。

 それはつまり、俺がソラたちと会いたくないことを知っているということ。それはつまり、俺がソラたちにしたことを、知っているということ。

 俺は恐る恐る一樹を振り向いた。


「彼らから、俺の話とか、出てたか」


「そうだな。随分な嫌われ様だったよ」


 一樹は笑いながら言う。


「逃げたと気づいたときには、金も無けりゃあ地図も無くなっていて。あまつさえ食料や野営道具まで持ってったんだってな」


 この様子だと、一樹は全部聞いているのだろう。隠してもしょうがない。それにそもそも、一樹は俺の嘘が通じるタイプの人間ではない。


「……そうだよ。俺は彼らの、……ソラの考え方には納得できなかった。だから、抜けたんだ。もう二度と会うことも無いと思ってたから、荷物も拝借した」


「そうか。それじゃあ、俺たちの今泊まっている場所には近づかないほうが良いな」


 その通りだ。もし宿が同じだったりしたら、すぐにでも場所を変えなければならない。ばったり会ってしまったら何をされるか想像もつかない。


「……どこらへんに泊まってるんだ?」


「宿屋ではないんだけど、ジャン町長の親戚がこの街で酒場兼情報屋をやっててさ。『グリフォンの羽根』ってんだけど……」


 めちゃめちゃ聞き覚えのある名前だった。何ならついさっき寄った場所だ。

 ふと、リザさんの言葉を思い出す。『しばらくはこのあたりに近寄らないほうが良い。……それが、お前のためだ』。あの言葉は、このことを言っていたのか。


「……ありがとう。知ってる場所だ。近づかないようにするよ」


「ああ。そうだな。その方が良い」


 一樹は淡々と告げてから、「そっちはどうしてたんだ?」と訊いてくる。俺は「シュヘルの後だけで良いよな」と前置きしてから話し始めた。それまでの話はソラたちから聞いているだろう。


「こっちも、色々あったよ」


 ライツというバケネズミに殺されかけたこと。フォルでイースさんに助けられたこと。フォリア橋でラーズに槍を教えてもらったこと。ハリアで闘技大会に出たこと。そして今、王都に辿り着いたこと。

 逐一話すのも長くなってしまいそうなので、適当に掻い摘んで話をした。


「想像してたより、ハードだったんだな」


「自分でもよく死ななかったなって思う。よくあるゲームや漫画じゃ、もっと楽で楽しく異世界を冒険してるのに、実際やってみたら上手くいかないことばかりだ」


 本当にそうだ。

 確かに、魔法という力を手にすることはできたけど、それだけではどうにもならないことがほとんどだった。

 甲冑龍から始まり、子竜やライツ、ラーズやマーカスさんたちにも負け続けていた記憶しかない。それに、サターン。本当に歯が立たなかった。


「同感だ。だから……こんな危険なこの世界からは、さっさと去らなきゃな。面白い経験だから、もったいないのはあるけど」


 一樹は深く頷いた。彼はこの久々の『怪異』を楽しんでいるようでもあったが、それ以上に、この状況から抜け出すことに対しては真剣にみえた。


「手がかりとかは、あるのか?」


「全然。でも、ひょんなことから時空を越えてしまった話自体は幾つも聞いたことがある」


 どろりと、周囲の空間が歪んでいく錯覚を覚える。この独特の雰囲気は、一樹が中学校のころに怪異について話す時に出していた雰囲気だ。

 俺は思わずあの頃のように唾を飲み込んでしまう。


「例えば、エレベーターの話というものがある」


 彼が語ったのは、昔イギリスで起こった話。

 四階部分を建て増すために建築中の三階建てのビルがあり、そこに入った男がエレベーターに乗った。男は三階を押そうとして、操作盤に四階のボタンが有るのに気がつく。そのボタンを押してしまった彼は、行方不明となった。

 そしてその一年後、四階部分が完成したビルのエレベーターから、行方不明になった当時の姿のままの彼が現れたのだという。


「これは、昔輝にも話した『時空の歪み』についての話と類似している。他にも霧に包まれて別の場所に移動してしまった軍隊や、幾ら走っても抜け出せないトンネルのせいで飛行機に乗り遅れたと思ったら、その飛行機が墜落事故を起こしたって話とか、枚挙に暇がない。……それほど世界には『転移』のための扉が幾つも開かれているんだと思う」


 一瞬現れた寒気は、それでもすぐに引いていった。

 彼の話に必要以上に恐れることはない。現に今俺が陥っている状況自体が、怪異なのだから。


「……時間も空間も、本人の意志とは別に吹き飛ばされることがあるってことか」


「そうなんだろう。それに、そういった話自体は創作物にも溢れている。『人が想像しうることは現実に起こる可能性がある』ってのはよく言ったものだ。逆に言えば、俺たちにも馴染み深い『異世界召喚モノ』で主人公たちがどうやって元の世界に帰ったのかを考えることが、ヒントになるかもしれない」


 論理は飛躍していたが、眼の前にいる俺に「なるほど」と思わせる説得力があった。彼は昔からそうだった。眼の前でそれらしい話をされてしまうと、俺はいつも納得してしまう。


「一樹が思う、ヒントってのは?」


 一樹は目を閉じて顎に手を当てた。そして、数秒。「仮説でしか無いけれど……」と語り始める。


「エレベーターの話、異世界召喚モノの話も、どちらも共通しているのは、『因果』だ」


「……『因果』、か」


「そう。エレベーターの話では、『四階部分が建て増しされる』『まだないはずの四階のボタンの出現』という原因から、その結果としての時間移動。『異世界召喚モノ』でよく語られているのは、『主人公に何かを頼みたくて異世界に喚んだ』という原因の結果としての異世界召喚。そして、『頼み事をこなしたら元の世界に戻る』という文脈。……これを俺たちに置き換えてみるのはどうだ?」


 原因の解決。それが『俺たちが異世界にいる』という現時点での結果を変えてくれる。

 もっと簡単に言うのならば、『水を止めたいなら、蛇口をひねればいい』という話だろう。

 俺は一樹の話を噛み砕いてみる。


「何者かは知らないけど……この世界で、俺たちに何かをさせたがっている。だからそれを解消すれば、元の世界に帰れる……そう言いたいのか?」


「正解だ。もちろん。これは仮説でしか無い。でも、それ以外に何も見えてないのも現実だ。だから俺は仮説を一つ一つ潰していこうと思う」


 一樹の言うことは尤(もっと)もだ。悲観して何も行動しないより、仮説に基づいて何かをする。駄目だったら、別の行動に移る。何のヒントも無い中であれば、そうやって動くしか無いだろう。


「じゃあ、一旦その仮説に従うとして……俺たちは何のためにこの世界に喚ばれたんだと思う?」


 一樹に聞いてみるが、彼は首を横にふる。


「わからない。それも、この世界をよく見て、一つ一つ試していくしか無いと思う。……でもとりあえず今は、ソラの目的についていこうと思っている」


 ソラの目的。どこだかの将軍を倒す、というやつか。


「……危険だ。リスクが大きい」


「わかってるさ。だけど……。たまたま訪れた世界で、たまたま国の実権を握って戦争の機運を高めようとしている人間がいる……なんて、一番『怪しい』だろ?」


 確かに、英雄譚であればそれが正しい文脈なのかもしれない。確証がないことも、逆に、他に手がかりがないことも十二分に承知している。それでも、それは俺が一番やりたくないことだった。


「……そうかも知れないけど」


「理解はできても腑に落ちない、って顔だな」


「……だって、そうだろ。危なすぎる」


 俺は一樹を止めようとは思わなかった。彼が『やめろ』と言って止まるな人間ではないのは勿論のことだけど、俺もまた、シュヘルのあの時の様な裏切られたような気分になりたくないからだ。

 それに、俺にも一樹と同じように『仮説』がある。


「……一樹。俺も今、独自に調査を進めてるんだ」


 俺は王立図書館で調べた『アクセサリー』についての考察を一樹に伝えた。

 アクセサリー自体に世界を行き来する転移魔法が込められていて、それをもう一度発動させることで元の世界に戻れる、という仮説だ。

 一樹は俺の話を聞いた上で「それも、調べてみる価値はありそうだな」と頷いた。


「わかった。俺はもう少しこっちで調べてみるけど、輝もそっちの方針で調べてみてくれ。お互い、情報が集まったらまた話し合おう」


「……そうだな。そうしよう」


 一緒には来てくれないんだな……。心の中でそう思ったが、今日はこれ以上踏み込んでも仕方あるまい。無理に説得しようとして喧嘩別れになるなんてことになったら、いよいよ俺はこの世界で一人っきりだ。

 一樹はベンチから立ち上がると、俺を見下ろす。


「お互い、王都にいる間は情報交換しよう。明日、同じ時間にこの場所で集合できるか?」


「大丈夫。ベンチで座って待ってるよ」


「了解。じゃあ、俺は一旦あいつらのところに戻る。輝も宿に戻ると良い」


「わかった。……ま、俺、そっちについていったら何言われるか、わからないもんな。はは」


 自虐気味に笑って言いながら俺も立ち上がる。一樹は複雑な顔をしていた。


「……そうかもな。……でも、舞は、結構お前のこと心配してた。他の奴らもどこかでお前のことを心配しててもおかしくないようなお人好しばかりだ。だから……いつか、一緒に旅ができる日も来るかもな」


 彼はそう言い残し、先に公園を出ていった。一樹の後ろ姿が見えなくなってから俺は一人で立ち尽くして呟く。


「来ないさ」


 自分に言い聞かせるために。


「それより俺が元の世界に戻る方法を見つけるほうが、先だ」

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