身分(3)

 王都であるこの街『バルク』は大陸の北にあり、海に面している。だから、俺がサウル、シュヘル、フォル、ハリア……と辿ってきた陸路とは別のルート、海路が存在している。

 大陸東側にはいつか『カデルの坂』からも見ることが出来た急峻な山岳地帯『チル大山脈』が有り、その険しさから越えることは出来ないとされている。

 だが、その向こうには東の海に面した港町がいくつも存在している。その港町を繋ぐ海路の終着点がこの王都なのだ。


 ……全て、本に書いてあった受け売りである。


「おーい! 碇をおろせー!」


 力強い声が張り上げられた。王都の港に到着した一隻の船の上で、日に焼け、潮に焼け、肌の赤くなった船乗りが指示を出している。

 客船の甲板、船乗りが必死に指示を出している横で大勢の乗客が王都の港を眺めながら潮風を浴びていた。彼らは船旅の終わりに最後の風を感じているのだろう。

 反対に港側では船の受け入れの準備を進めている。船の整備のための材料や、積み荷の受け入れなど、船が来ればいくらでもやることがあるというのが今の俺の雇い主の言葉だった。


「おい! てめえら! 金は出してやるからしっかり動けよ!」


「おう!」


 雇い主の発破に威勢よく返事をする周囲の日雇い労働者たち。そこに俺は混じっていた。王都に到着し、閲覧証を入手してから四日目になる昼間だった。


「頑張って稼ぐか……」


 閲覧証を手に入れた俺は女性司書の案内通りに王立図書館の蔵書を片っ端から読み始めていた。しかし、そもそもの魔法に関する予備知識がなかったりして調査は難航し、長期に渡って読書に取り組まなくてばならないことが早い段階で判明した俺は、心もとない財布事情を考えて働き口を探していた。

 武器を売って金を得ることも考えたが、先日奴隷商に襲われたことを考えると手放せないのが実情だった。

 困り果て、今俺が泊まっている宿屋の主人に働き口について相談したところ、そろそろ港に船が来る予定だから、荷降ろしと積込みの仕事があるだろうと言われて斡旋してもらい、今日、初仕事となる。


「おら! 新入り! ボーッとすんな!」


「あ、はい!」


 雇い主に活を入れられて、他の労働者たちと一緒に物資を運んでいく。木箱であったり穀類が入った麻袋であったり、運ぶ物の種類は様々だった。

 様々なのは周囲にいる労働者も同じだった。こういった仕事に向いてそうな体格のいい若者もいれば、他に働き口がなかったのだろうか、歳のいった者もいる。


「もう、駄目だ……」


 延々と重たい荷物を運んで二時間もすると、そんな声が所々で聞こえ始める。


 過酷な力仕事なので、体力の無さそうな人は途中でリタイアしていった。

 俺はというと、旅の中で力がついてきたのに加え、疲労で辛くなってきたら陰でこっそり回復魔法を使っていたので肉体労働自体はそこまで苦ではなかった。


 ……まあ、苦だとしても、食べるためには働かないといけないことに変わりはないけれど。


 無心で荷物を運び続け、日が傾いてきた頃にやってきた休憩時間。港の隅で木箱に腰掛けながら水を飲んで休んでいたときのことである。

 そのタイミングで声をかけてきた人がいた。


「――新入り、結構やるじゃないか」


「ああ、どうも……」


 声をかけてきた男は今日の積み込み作業で指揮をとっていた男だった。彼は俺の座っている木箱の隣に腰掛ける。身長百八十はありそうな大男で、腕や足も太い。彼に座られている木箱が悲鳴を上げているように見える。


「がっしりしてない割に、体力あるんだな……名前は?」


「久喜といいます」


「そうか、久喜か。……俺はクーリだ。あんたみたいな気合の入った若い新入りは久しぶりだ。あっちを見てみろ」


 クーリが指し示した場所には地面に伸びている男たちがいた。皆、途中でリタイアした日雇い労働者たちである。

 繰り返すようだが、船の積み込みの仕事は重労働だ。俺のような回復手段を持たない人間には本当に厳しい仕事なのだろう。年老いたものや体力のないものから順に疲弊して倒れていく。あまりいい労働環境とは言えなかった。


「大体、半分はこうなっちまう。まあ、それを見越して多めに人を採ってるから良いんだけどよ」


「……しんどい仕事だってわかってるのに、それでもここに来るっていうのは、やっぱり報酬が良いからなんですかね」


 実際、報酬は他の仕事と比べるとべらぼうに良かった。ただし、途中でリタイアしてしまったら一銭ももらえなくなってしまうというデメリットも有る。だが、それでも頑張る価値はあるほどの報酬はもらえる。この一日分の仕事で二週間は宿屋に泊まることができるほどだ。

 クーリは「それだけじゃない」と疲れのみえる声で呟いた。


「『外』から来た人間の身分じゃ、安定した仕事はもらえない。だから辛いのが分かってても、ここに来るしかねえんだよ。あんたもその一人だろ」


 身分か。先日の奴隷といい、大きな街だといっても――それとも逆に、大きな街だからなのか――見る場所を見れば綺麗事ではない現実が蠢いているようだった。

 もしかしたら、俺が知らないだけで元の世界の日本でも、こういった『現実』というのは存在していたのかもしれない。


「……うまく、行かないものですね」


「ああ……」


 クーリは染み染みと呟く。それから今までの重たい雰囲気を払いのけるように、彼は木箱から勢いよく立ち上がってみせた。


「悪い。暗い空気になっちまったな。あんたに話しかけたのはこんな話がしたかったからじゃねえんだった。……我らが雇い主が、明日も同じ仕事があるって話をしててな。活きの良いのが居たら声をかけてくれって頼まれてるんだ。……どうだ、興味はあるか?」


 即答は出来なかった。迷ったからだ。

 確かに、この仕事は割が良い。俺のように回復魔法を使える人間からすれば、稼ぐための絶好の機会だろう。でも、しんどいのも確かだった。

 残りのお金は、今日稼いだ分を合わせて、あと二、三週間を過ごしたら潰えてしまう。その期間で元の世界へ帰るための手がかりを見つけられるだろうか。


 目を閉じて想像した王立図書館の蔵書量。……難しい、と思った。


「……是非、働かせてください」


「そうかい。良い返事が聞けて良かったよ。当てにできる労働力は多いほうが良い」


 クーリがからからと笑う。確かに、途中でリタイアしてしまう可能性のある人間が多ければ多いほど、最後まで働く人間の負担は増えてしまう。彼もそれはなるべく避けたいのだろう。

 クーリはその手に持っていた水筒から水を飲んで、それから俺を振り返る。


「……それにしても、あんたはどうして王都に来たんだ?」


 単純な疑問のようだった。

 さっきのクーリの話からするに、この街でこの仕事に就いている人間は王都の外から流れてくる人間が多いのだろう。『どうして王都に来たのか』という話題はこの界隈で一般的なものなのかもしれない。

 俺は包み隠すこともなく伝えることにした。


「図書館で、調べ物をしてるんですよ。ここへは調べ物をする間の滞在費用を稼ぐために来たんです」


「へえ! 貧乏学者さんか? たまにいるよなあ」


 俺は首を横に振った。


「いや、学者とかでは無いです。……ちょっと魔法について調べなきゃいけなくて」


「ほう。魔法ねえ。使えたら、便利なんだろうが……ああ。魔法と言えば、この船――」


 クーリは今日入港してきた船を指差す。木造の大きな帆船だ。今は帆も畳まれて、乗っていた乗客もいつの間にか街へ下りて散っていってしまった。


「――魔法使いが乗ってたって話だ。確か、新聞にも載ってた……チルでドラゴン退治をした魔法使いのパーティだったはず」


「チル?」


 記憶に引っかかる。最近聞いた単語……そうだ!


「チルって……まさか、港町の!」


「あ、ああ……そうだが」


 クーリが少し驚いたような顔をする。

 俺はハリアで鍛冶屋を営んでいるガルムさんの工房で見かけた新聞を思い出した。

 ハリアと海を隔てるチル大山脈の向こう側には、海に面した港町のチルがある。そして、そこに三匹のドラゴンが現れた。それを倒したのが五人の魔法使い。率いていたのは光魔法と剣を扱う少年だったと書いてあった。

 ……恐らく、ソラたちだ。

 彼らは海路を使って俺の今いる王都までやってきたんだ。そして乗っていた船というのが、今日俺が荷を詰め込み続けたこの船。


「済みません、さっきの話、やっぱナシにしてもらってもいいですか」


「さっきの話って……明日の仕事か?」


「……はい」


 俺は深く頷いた。本当は今すぐにでもここから立ち去りたいくらいだった。でも、今日の分の報酬をまだ貰っていない。逃げるのはそれからだ。

 クーリは怒るよりも先に、不思議そうな顔をする。


「まあ、良いけどよ……どうした? 魔法使いに何かあるのか?」


「……いえ。ちょっと」


 俺は言葉を濁す。

 何かある、というレベルの話じゃない。俺はシュヘルで彼らと袂を分かったときに、荷物や金貨を奪ってきた。彼らから見たら俺は泥棒もいいところなのである。

 もし、ここで出会ってしまったら、ただでは済まないだろう。

 仮に襲われたとして、魔法の力に頼って抗戦する方法もあるかもしれないが、子竜ですら苦戦した俺がドラゴン三匹を倒したソラたちに立ち向かって無事で済むとは思えない。


「……わかった。深くは聞かねえが、まあ、もし大丈夫だったら戻ってこいよ」


「……ありがとうございます」


 礼を言うとクーリは他の生き残りの日雇い労働者の方へと足を向けて去っていった。

 俺は今更のようにパーカーの帽子を被る。意味はないかもしれないが、少しでもバレないようにしようという抵抗だった。


「なんで王都に……」


 彼らはシュヘルでニーグ町長から依頼を受けて、どこだかの将軍を倒すために動いているのではなかったか?

 それで、そんな危険なことはせずに王都で元の世界に帰るための情報を探したい俺と別れたはずだ。


「……情報、か」


 俺は思い当たる。

 目的こそ違えど、情報が必要なのはソラたちも同じ。将軍とやらがどこに居て、何をしようとしていて、どんな力を持っているのか……。

 そういった情報を集めるために、王都はふさわしいのかもしれない。将軍ということは王国の軍隊の中でも地位のある人間だ。そもそも本人が王都にいる可能性もあるし、王都にいないとしても、関わりある人物がいる可能性の高いのも王都(ここ)だ。


 一応、辻褄が合う。

 彼らが本気でどこだかの将軍を殺そうとしているなら、王都を目指していたとしてもおかしくはない。


 俺は目を閉じて、ため息をついた。


「どうにか、許してもらえたりしないものかな……」


 彼らと一緒になって戦うつもりはない。それでも、情報交換はしたい。……いや、それは嘘だ。格好をつけた嘘だ。本当は――。


「――ただ単純に、寂しいだけだ」


 思えばこの世界に来てから何人もの人々と出会った。

 サウルで俺の財布をスッてきたスレイという少年。シュヘルのニーグ町長。フォルの街で傷の手当をしてくれたイースさん。フォリア橋で槍の使い方を教えてくれたラーズ。ハリアの貴族のマーカスさん、ユリウスさん、エリスさん。槍を直してくれたガルムさん。そして、俺を冒険に誘ってくれたミアとエレック。

 ……他にも、まだまだいる。


 その出会いのどれもが良いものではなかったけれど、良い人ばかりだった。

 それでも、彼らはあくまで別の世界の人間たちだ。

 そうではなくて……元の世界の人間と、話がしたいと思ってしまうのは自然なことだと思った。


 ……あんな風に喧嘩別れをして、荷物を盗んでここまできた以上、都合が良いのは百も承知だが。


「良いさ。今まで一人でも俺は大丈夫だった」


 顔をあげる。港の水面に夕暮れ時の赤い陽光が反射して揺らめいていた。

 その光の色に、サウルからシュヘルまでの道のりを歩いた時のことを思い出す。

 まだ、全員揃っていた頃だ。……あの頃には戻れない。俺が、戻れなくしてしまった。


「これからだって、一人でも大丈夫だ」


 俺は胸元のペンダントを握る。全身に魔法の力を回していくと、肉体的な疲労感が薄まっていく。同時に心の疲れが溜まってきて、重たい気持ちで木箱から立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る