身分(2)
「結構な量だったよな……」
図書館を出た俺は王都を散策していた。日本には……少なくとも俺が生まれ育った東京にはない街並みで珍しかったのもあるが、一番の理由は時間つぶしである。
図書館を利用するための閲覧証発行までに二時間ほどかかると言われている。それから調べ始めることができるが……あの量はすぐには読みきれないだろう。
俺は図書館の内部にみっちりと詰め込まれていた蔵書を思い出して深い溜め息を付いた。
今待たされている二時間なんてレベルの話じゃない。下手をしたら数カ月は目的の情報にたどり着けないかもしれない。そうなると心配になるのは――。
「はあ……」
俺はポケットの中に入れてあるコインケースを取り出した。コインケースといっても朝で出来た簡易的な袋だ。中を除くと金貨が数枚。
――金だ。どんな世界でも社会がある場所であれば、先立つものが必要なことに変わりはない。今持っている金額でも食費を切り詰めれば一週間くらいは持ちそうだが、心もとないのは事実だった。
「元々、俺の金だけじゃ、ないけどな」
このお金は俺がこの世界に来てから初めて辿り着いた村サウルで渡されたものだ。そして、ソラたちの分の旅費も含まれている。全部シュヘルから抜け出す時に盗ってきた。
最低なことをしているのは自覚している。しかし、あの時は生きることだけが重要だった。彼らの様に『この世界の人のために命を張って敵を倒す』なんて、漫画やゲームのようなことはやりたくなかった。
……それは今も変わらないことだ。
「どっちにしても、金は必要だよな……」
持ち物を売ろうか。でも碌なものを持っていない。まともな金になりそうなのは宿に置いてきた槍と、一応背中に隠し持っている小刀くらいか。
売るものがないとなると、働き口を探すしかない。
元の世界でもバイトをしていなかった俺だ。今までの人生で労働自体行ったことはなかった。まさかこの異世界で初仕事を検討するはめに陥るとは。
あんまり図書館から離れすぎると戻るのがしんどいので、周辺をうろつく。大きい筋の通りは来る時に既にみているので、俺は何となく枝分かれた細い道へと入っていった。
「色んな人、いるんだな」
図書館にいた人々は噴水広場の人たちよりも身なりの良い様子だった。とは言え、噴水広場にいた人もハリアやフォルの住人と比べると体格もよく、裕福そうに感じられた。
……そんな感じで豊かに見える王都だが、少し道を入っていくとそうでもない。今俺が身につけているボロボロの服装と同じくらいの汚れた格好をしている人間もいる。街全体が豊かというわけでは無さそうだ。
呑気に観察していると、後ろから騒がしい声が聞こえてきて、足音が近づいてきた。
「どけ!」
甲高い声。振り向くと、ミアと同じくらいの背の丈の、赤髪の少年が走ってきていた。ボロ布を纏った姿で真っ直ぐに向かってきている。……このままだとぶつかる!
「うわっと!」
俺は咄嗟に身を翻して躱した。少年はそのまま走って道を右に曲がり、路地裏に入り去ってしまったが、遅れて腰に剣をぶら下げた上裸の青年が一人走ってきた。彼は俺に気がつくと足を止めて「赤い髪のガキを見なかったか?」と訊いてくる。ガラの悪そうな青年だが、先程の赤髪の少年の親だろうか。
「なにかあったんですか?」
「売りモンが逃げたんだよ!」
「『売りモン』?」
すぐに思い当たった。この男は親じゃない。奴隷商……人身売買だ。
「まさか、奴隷ですか?」
「そうだ! で、見たんだな? どっち行った!」
「ええと……」
さっきの赤髪の少年は脱走奴隷なのだろう。サウルで出会ったスレイとそう変わらない年齢でそんな身分になってしまったのだと思うと可哀想だし、奴隷制を愉快だとは思わない。……でも、この上裸の青年は剣を持っている。変に睨まれたらややこしいことに巻き込まれるだろう。
俺はソラたちとは違って、自分の為にならないことで命を張れる様な人間じゃない。
「あの少年は……。……」
あの少年は路地裏に入ったと、それを伝えようとして、ためらった。
なぜか、ダグラス家の人間に追われていたときのミアの顔が脳裏に浮かんでしまった。今回のことには何も関係がないのに。
「……何だ? 庇い立てするつもりか?」
上裸の青年が態度を豹変させる。先程までとは違い、俺に敵意を向けてきた。彼は腰の剣を抜いて俺に突きつける。
「ああ……面倒になってきた。あのガキの代わりにお前を『入荷』すりゃいいか……」
「いや! かばうつもりなんて!」
「もう遅えよ!」
「うわ!」
大上段から思い切り振り下ろされる剣。俺は跳ねるように後ろに飛び退き、それから周囲を見る。誰か、衛兵に通報してくれるような人はいないのか!
しかし、運悪く誰も通りがかっていない。上裸の青年は意地悪く笑う。
「お前、旅人だろ……。王都(ここ)は出入りが多いんだ。ヨソモンが一人消えても誰も騒がねえよ!」
「くそ……!」
俺は背中に隠し持っていた小刀を抜いた。槍を置いてきたのは失敗だった。こんなに治安の悪い場所があるなら武器は常に身につけておくべきだった。
「ああ? やるってのか!」
「ただでやられるかよ……!」
魔法を使おう、と思った。
俺は胸元に触れて、ペンダントから魔法の力を導き出す。全身が軽くなり、感覚が鋭くなる。そして、俺が魔法を使う理由は身体強化(それだけ)じゃない。ハリアでは俺が魔法を使っただけでダグラス家の人間が逃げ出した。この世界における魔法使いの威信に頼るため――。
「おいおいおい! 隠れ魔法使いか! こりゃ四肢がなくても高値で売れるぞ!」
――だというのに、上裸の青年は逃げ出すどころか目の色を変えている。逆効果だったかもしれない。
彼はズボンのポケットから親指の爪ほどの黒い小石を取り出すと、剣の柄頭にあてがう。
「加減はいらねえな! こいつの斬れ味、試させてもらうぜ!」
彼は剣を横に構えてから、振り抜く。だが、先程飛び退いたので距離がある。届くはずがない。
それが、油断だった。
振り抜いた剣から緑色の光を纏った衝撃波のようなものが飛んできた。俺がいつも使っている『風の刃』にひどく似ている。
「魔法……!」
俺は慌ててしゃがみ込む。頭上をかすめるようにして斬撃が通り抜けた。間一髪だった……!
上裸の青年は不敵に笑う。
「この剣の魔法陣は『飛ぶ斬撃』か……悪くねえなァ」
「やめてくれ……!」
「やめるかよ!」
俺の懇願も足蹴に青年が剣を構える。交渉ができる相手じゃない、と思った。だったら、力尽くでこの場を上手く逃れるしか無い。
小刀を持っていない左手を青年にかざし、頭の中で風の動きをイメージすると、それに呼応して銀色の帯で表された風が集まってくる。作り出すのは銀色の竜巻、風の刃だ。
……殺すつもりはない。片足だけでも傷つければ走って逃げられる。
「くらえ!」
俺の手のひらから射出された風の刃が空間を裂きながら青年へと飛んでいく。だが、彼は焦った様子も見せずに剣を構えていた。
「その程度……!」
青年の右足に当たった風の刃。しかし、柔らかい肉を斬りつけるはずのそれは、ふさわしくない金属音を響かせて弾かれて消える。
「なっ……!」
「思ったとおり、雑魚魔法だ」
余裕をかましている青年の右足をよく見ると薄い緑色をした光の膜のようなものがまとわりついていた。オーラのようにも見える。風の刃は十中八九、あれに弾かれたんだろう。
……きっと、あのオーラは右足以外も覆っているはずだ。じゃなきゃ上半身ハダカの無防備な状態でここまで余裕を見せてくるはずがない。
「どうした。もうネタ切れか? まあ、野良の魔法使いじゃこんなもんか!」
「……くそ」
小刀しか持っていない今の俺に、風の刃以上の威力の攻撃は難しい。槍があれば身体強化と突進であの護りを崩せたかもしれないが、持ってない今考えても意味のないことだ。
……そうなると、こんな時に頼れる方法はたった一つ。俺にとって馴染み深い『あれ』だけだ。
「ネタ切れだから、ここでさよならだ!」
もう一度左腕に風を集める。そして、それを凝縮して風の刃にするのではなく、荒ぶる風のままで思い切り地面に打ち付けた。
「くっ……! 風が……!」
地面から砂埃を舞い上げつつ広がる風に、青年は両腕で目をかばった。俺はすぐに両脚に力を集めて踵を返し、駆け出す。
「お前! 逃げんな!」
背後から声が聞こえる。もちろん止まるつもりはない。敵わないならば逃げるだけだ。真っ直ぐ逃げるだけでは『飛ぶ斬撃』に狙い撃ちされるかもしれないので路地裏に入っていき、全速力ででたらめな方向に逃げる。
自分でもどこにいるのかわからなくなるくらいに曲がり角を曲がって、追ってくる足音が無いことに安心してから足を止める。
「ふう……油断した」
本音だ。
大きい街だから危険も無いだろうと高をくくっていたのが間違いだったのだ。それに、闘技大会で強敵と渡り合えたことで自分の力に慢心していたのも原因だろう。
「しかし……なんなんだよ、あれ……」
上裸の青年が使っていた技も予想外だった。
魔法のような飛ぶ斬撃。そして、風の刃をいとも容易く弾いた謎のオーラ。あれも魔法の一種だったのだろうか。
本当に、この世界には知らないことが多すぎる。そして、危険だ。
「早く、閲覧証出来ないかな……」
俺は背中に背負っていた鞘に小刀を納めると、図書館へと向かった。槍を持っていない状態でうろちょろするのは危ない。大人しく図書館の近くで閲覧証ができるのを待っていたほうが良さそうだ。
……今度は誰かに襲われないように気をつけよう。
○
「あ、お待ちしておりました」
再び図書館に入ると、先程応対してくれた女性司書が声をかけてきた。彼女の座るカウンターに近づいていくと、俺の様子を見て作り笑いを浮かべながら問いかけてくる。
「……なにか、ありましたか……?」
疲れが顔に出ていたのだろう。まさか新しい街に来て数時間で命の危機を覚えるような戦闘をするとは俺だって思っていなかった。
「いや、ちょっと迷子になって」
取り繕う。彼女に話したって意味のないことだ。この街の人間だし、被害を訴えたら然るべきところへ通報くらいはしてくれるかもしれないが、それだけだ。
それよりも、聞きたいことがある。
「閲覧証は……?」
「はい。こちらです。一緒に身分証も作成しましたので、お渡ししますね」
女性司書がカウンターに二枚のカードを置いた。どちらも銀色で金属光沢がある。触れてみると、固くて冷たい。思ったとおり金属製だ。王立図書館閲覧許可証と書かれているものと身分証明証と書かれているものがある。
作成をお願いしたのは閲覧証だけだったので、俺は怪訝な気持ちで二枚のカードを受けとった。
「身分証……ですか?」
「ええ。今までお持ちではなかったようですので、あまり馴染みはないかもしれませんが、国の影響力が強いところではあると便利ですよ。……銀級ですし」
「銀級……」
「主に貴族階級の身分証レベルです。大会参加の際に、お聞きになりませんでしたか?」
そういえばそんな話もあった。マーカスさんの話だと、大会で上位に入賞した人間は貴族階級になることができるということだった。元々、この世界に長居するつもりはないので興味がなかったから忘れていた。
「確かに、聞いたかもしれないです。あ、それよりも……」
一番重要なのは元の世界に帰るための方法だ。
「本を探してるんですけど……」
「お手伝いいたしますよ。何という名前の本ですか?」
答えに詰まる。ユリウスさんからも本の題名までは聞いていなかった。仕方ない。当初の予定通り、関係ありそうな本を片っ端から調べていこう。
「名前はわからないのですが、魔法に関する本を探していて……」
「魔法関係でしたら三階部分全部になります。その『銀級』の身分なら禁書も閲覧許可が下りますので、鍵が必要でしたらお申し付けください」
三階全部!
俺は吹き抜けになっている大広間の三階部分を見上げる。遠目でもわかるくらいに大量の本が本棚に納められている。自分でも顔がひきつっていくのがわかった。
「……わかりました。えーと、結構多いですよね?」
「はい、かなり多いです。本気で全部読もうと思うなら、何十年もかかりますね」
「何十、年……」
「ハイ。何十年もです」
にこやかに答える女性司書。絶望に近い気持ちはあるが、ここでこうしていても何も進まない。苦手でも読み進めていかなければ、手がかりにはたどり着けない。
「ありがとうございます。頑張ります……」
俺はため息をついてカウンターを離れ、三階へ向かって階段を登っていくのだった。
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