小さな成長(2)
俺は路地裏を歩く。今までと違うのは背中に感じる重み。俺は傷だらけのデミアンをおぶっていた。
彼曰く、あの場所にいたらまた追手がやってくる可能性があるのだという。勿論彼をほうっておくという選択肢もあった。むしろ、その選択肢のほうが俺にとって自然なことだった。それでも今、こうして彼を背負って安全な場所まで移動しようとしているのは……一種の気の迷いなのだろうか。
デミアンは随分軽かった。確かに、華奢で小柄だとは思っていたが、俺は昨日の彼の凶悪さを知っている。命を奪うその無表情の冷たさを知っている。……彼の重さは、そんな昨日のデミアンの様子とは不釣り合いなほどの軽さだったのだ。
入り組んだ路地をデミアンの指示を受けながら右左に曲がって奥へ入り込んでいく。しばらくすると建物と建物の細い隙間のような道にたどり着き、そこで背中の彼が俺の肩を叩いてきた。
「ここまでくれば、しばらく大丈夫……」
「わかった」
俺はそれを聞いて、デミアンを地面に下ろす。デミアンは壁を背もたれにして腰を下ろした。改めてデミアンを見ると、見るも無惨な有り様だ。服装は昨日着ていたままの黒いシャツとズボン。頬や手など、肌が見える部分には汚れや打撲の跡が残っている。
この様子では見えない部分も、同じだろう。
殴られて、蹴られた後の熱を持った痛みを俺は知っている。体中が重くなって、指先一つ動かすのすら億劫になるその痛みを、俺は知っている。
「はあ……」
このままにするのは、後味が悪いと思った。何より、他人事だと思えなかった。それは今の彼の姿に、過去の自分の姿を重ねたからか。
俺は胸元からペンダントを取り出す。くっつけていた黒いピンポン玉はゴムのような弾力を無くしていて、ヒビが入っていた。そういえばユリウスさんは、この魔力遮断の効力が持つのは一日程度だと言っていたっけ。
昼からの決勝では使えないということか。俺は黒いピンポン玉をペンダントトップから外して地面に捨てる。そして直接銀のペンダントに触れて自分の右手の手のひらへ力を集めていった。
「傷、治そうか? 時間はかかるけど」
デミアンは驚いた表情をするのみで返事が無い。無視かよ。
「治すからな」
どうせ、治さなくていいと言われたって治すつもりだったんだ。
傷が治るイメージを浮かべるとペンダントから銀色の光が更に溢れる。手のひらからも光が溢れ、光をかざすと俺が疲労感を覚えていくのと引き換えに、デミアンの傷はどんどん癒えていった。
「あれ……?」
俺は治癒の光を出しながら疑問を覚える。昨日エリスさんに対して回復魔法をかけたときよりも回復速度が遥かに早い。まるで、自分の身体を治すときのように見る見るうちに治っていく。
初めて魔法を使ったときと比べて疲労しなくなった様に、回復魔法も成長していっているのだろうか……?
「ありがとう……」
デミアンは不思議そうな表情でペンダントの光を見ている。
「……いや」
俺は彼の顔を見る。変化に富んでいるわけでは無いが、確かに表情がある。昨日の機械のような冷たさはどこに行ってしまったのだろう。
まるで、別人のようだ。
デミアンは視線を送っている俺に気がついて顔をあげる。目が合うと、彼は慌てて下を向いた。人と目を合わせるのが苦手なんだろうか。……俺も得意ではないけれど。
ずっとうつむくデミアン。居心地の悪さを感じ始めた俺。
回復魔法を使っている間の沈黙が苦しくなってきたので、俺はなにか話すことを探し始めた。
「どうしてさっきのやつらに反撃しなかったんだ? お前ならナイフ一本あれば百人殺せるだろ?」
今更素直になるのが恥ずかしかった俺は、つい、皮肉まじりで問いかけてしまう。何故素直になれないんだ、と自分の無遠慮な発言に後悔をしていたらデミアンが小さく首を振った。
「……武器がないと」
彼が小さい声で言うのが聞こえる。意外にすんなりと会話が成立した。
しかしそういえばそうだったな。俺も戦ってわかったことだが、彼は体自体は弱いんだった。武器がないとどうにもならないというのは納得できる。だからこそ、俺も勝てたのだけど。
また、沈黙が訪れてしまう。彼も得意ではないのだろうが、俺も会話は苦手なんだ。ええと、次の話題を探さないと……。
「歳は、幾つなんだ?」
無理やりな質問だと思ったが、訊くべきことが見当たらなかった。
返答が来る前に俺は予想する。彼の声はまだ声変わり前のように聞こえた。俺の声変わりは中学生だったので、彼も小中学生ぐらいかな。
「十、五……たぶん」
意外にも俺とひとつ違いみたいだ。だが、たぶんというのはどういう意味だろう。自分の歳も正確に覚えてないのか?
複雑で面倒な背景があるのだろうか。あってもおかしくはない。俺の、いや、少なくとも元の世界の常識ではあんなに積極的に人を殺しにいく人間は普通じゃない。……あまり深く関わらないほうが良いかもしれない。やっぱり多少気まずくても、沈黙を守っていよう。
そう決心して二、三分。沈黙の中で頬の打撲痕を最後に治し、全身の治療が終わった。体を疲労感が襲ってきたが、やっぱり魔法を使い始めた頃と比べるとさほど疲れない。
「……他に痛い所は?」
デミアンが頭を左右にふるふると動かしたので俺は立ち上がった。
続いて彼もゆっくりと立ち上がる。それを横目に見て、俺はこれで最後だと思いながら質問する。
「どこか行くあてはあるのか?」
返事が帰ってこない。彼の方を向くと、静かにうつむいていた。それは言葉よりも明確にわかりやすい否定だった。
その様子に、また俺は過去の自身を重ねてしまう。行くあてもなく、なぶられ続け、頼るものもいない……。だけど俺も旅をしている身だ。彼を連れて行くわけにもいかないし、何よりこいつは危険人物だ。今は妙におとなしいが、いつ寝首をかかれても不思議じゃない。
あえて俺は彼の気持ちを汲み取らないように努めて、歩き始める。
「俺はもう行くから、それじゃあ……」
細い路地裏を出ようと足を踏み出した。すると、何かに引っかかったように腕が止まる。振り向くとデミアンが俺の袖を引っ張っていた。
彼は訴えるような顔つきで首を横に振った。
「駄目……そっちは……」
「駄目って……。ん?」
俺が進もうとしていた道から複数の足音が聞こえてくる。同時に騒がしい怒鳴り声も。
「どこ行った……! 槍を持った白い上着の男と一緒だ! 探せ!」
落ち着いて考えなくても、足音が俺とデミアンを探しているのがわかった。声色から感じるものは明確な敵意。……余計なことに手を出してしまった。
どうにか大通りに出て……人がいるところまで逃げ込まないと!
俺は踵を返して通りの逆側へ走り始める。そして途中まで行ってから、振り返った。
「おい、お前も逃げるぞ!」
「……え?」
突っ立ったままのデミアンは心底不思議と言わんばかりに口を半開きにさせる。この男はさっきまで自分がひどい目にあっていたのを忘れたのか。捕まったらまたボコボコにされるのがわからないのか。
「え? じゃなくて! ああ、もう……!」
足音と怒号が近づいてきている。ためらっている場合じゃない。俺だけでも早く逃げないと。
だが、考えていることとは裏腹に、俺の足が動かない。
何故だ。でも、理由はわからないけれど、ここに彼を捨て置いておけない……捨て置いておきたくないと思った。
「いいから、行くぞ!」
俺はデミアンの細い腕を取る。そしてそのまま引っ張るようにして走り出す。通りを抜けて、また別の路地。左右を見渡すと、右から黒いジャケットを着た男の集団が剣や棒切れを手に走ってきていた。
「いたぞ! こっちだ!」
「くそ!」
右は駄目だ! 俺は左へ走り出す。途中で脇道に入りながら、迷路のような路地を右左と曲がって進んでいく。次第に足音が遠くなっていった。
どうする……! 複雑な路地のおかげで少し距離を稼げたが、俺も自分がどこを走っているのかすらわからなくなってしまった。
捕まってしまったら不味い。俺もあの黒ジャケットたちのターゲットになってしまっている。それに、武器も持っていた。捕まったら無傷で帰れるとは思えない。
考えながらも闇雲に走っているとデミアンのスピードが落ちていく。彼の方を見ると、すでに相当息が上がっていた。そうだ、こいつ体力ないんだ……。しばらくすると、デミアンは完全に足を止めてしまった。
「はあ、はあ……。もう、いい……。ボクに、構わないで……」
「俺だって元々構うつもりはない! ……けど、ここで見捨てたら」
デミアンの姿に、過去の自分が重なる。
「ここで見捨てたら、……駄目な気がするんだよ!」
「――見つけた!」
声がして振り向く。黒ジャケットの屈強な男たちが三人。追いつかれてしまった。俺はデミアンを引っ張って逆側に振り向いた。しかし、そこにも三人の男。
「捕まえたぜ……」
前後を挟まれてしまった。向こうは恐らくこの街の人間だ。むやみに走り回っていた俺と違って地の利がある。上手くこの場所に誘い込まれてしまったのかもしれない。
俺はデミアンから手を離してペンダントに触れた。そして全身に力を回す。槍も片手で持てるくらいの力を。次いで、腰の小刀を左手で抜いた。そしてそれぞれの切っ先を、前後それぞれの黒ジャケットたちに向ける。
最後に、手のひらではなく槍を握った右の拳の前方に小さな竜巻を発生させた。
「来るな! 『次は当てる』って言ったはずだぞ!」
槍を向けている方の黒ジャケットの一人が一瞬おののくも、武器を構え直してきた。
「てめえら、飲まれるなよ! こっちは挟んでるんだ! 同時に突っ込めば魔法を撃たれても逆から攻めて畳んじまえる!」
「く……!」
相手は冷静だ。魔法を見せても怯む様子はない。それに黒ジャケットの言う通り、一気に襲いかかられたらどうしようもない。今やっている変則二刀流だってハッタリでしかないんだ。使いこなせるはずもない。
……一人なら逃げ切れるか? 片側に向かって風の刃を放って、そのままラーズに教えてもらった突進で突っ込んだらこの包囲を突破できるかもしれない。突破さえしてしまえば、あとは後ろに風の刃を撃ちながら走るだけ。でもそれは、デミアンを捨て置くことが条件だ。疲弊した彼の足では俺についてこれまい。
……選ぶしか無いのか。俺と、デミアンのどちらかを。
「少年! こっちだ! こっちに向かって走れ!」
若い男の声がした。俺の右手側……槍を向けている方、黒ジャケットの集団よりも、遠くから。
黒ジャケットの集団も「何だ?」と疑問符を浮かべて振り向く。その瞬間に、三人のうちの一人がふっとばされて地面に倒れた。
代わりに現れたのは金髪の剣士。……エレックだった。
「少年! 早く! デミアンを連れてこい!」
「エレック! ……わかった!」
俺は左手の小刀を納刀し、デミアンの手を掴んで走り出す。すると後ろから「させるか!」という声とともに迫ってくる足音が。俺は振り返って右の拳に集めていた竜巻を放った。
放たれた竜巻は宙を裂きながら鋭い刃になる。風の刃は背後から襲ってきた三人組のうち一人を捉えて吹き飛ばした。
再び前を向く。エレックが二人の男を相手取って戦っていた。流麗な剣技で黒ジャケットたちの攻撃を全て防ぎ、的確な一撃で沈めていく。よく見ると彼の振るう剣には鞘がついたままだった。……殺しては、ないのか。
「早めにどこかで手当てしてもらうことだな」
そしてエレックは俺と目が合うと「後は任せろ」と言って、すれ違う。彼は後ろから迫ってきている残る二人を相手取るつもりなのだろう。
俺は足を止めて、デミアンから手を離した。
「……俺も!」
左手でペンダントに触れて、振り向きざまに突き出す。手のひらの先に銀色の小さな竜巻が生成されて、俺はそれを放った。
俺の撃ち出した風の刃が、残る二人のうち片方を吹き飛ばす。もう片方はエレックによって危なげなく一瞬で倒されてしまった。
「エレック……すげえ」
シンプルに『強い』と思った。デミアンと戦っていた時よりも数倍強く見える。黒ジャケットたちの剣技の実力の程はわからないが、それでも武器を持った男をこうも簡単に倒してしまえるのは確かな力量の証明だろう。
「ふう……とりあえず、大丈夫そうだな」
エレックが鞘ごと振るっていた剣を腰の帯に差す。それから「場所を移そう」と言って、すたすたと歩き始める。お礼を言う暇もなく急いでついていくと、先ほどと同じ様な裏通りに出た。
「助かったよ、少年」
開口一番、エレックはそう言って頭を下げてきたが、助けられたのはこちらの方だ。お礼を言われる筋合いは無いと思って戸惑っていると、エレックは話を続ける。
「デミアンを守ってくれたんだよな」
「あ、ああ……」
さっきのお礼はそういうことか。デミアンを守ったことに対するお礼……。でも、そうだとしても疑問は残る。昨日エレックはデミアンに殺されかけていた。普通なら、守りたいと思うよりもむしろ復讐したいと思うものだろう。
……そう言えば、エレックは昨日こうも言っていた。『救いたい』と。
「……エレックは昨日、殺されかけたんだぞ。こいつに」
俺は視線をデミアンに向ける。相変わらずうつむいていた。申し訳無さそうな表情をしている。本当に昨日の無表情とは別人だ。
「それなのに『守ってくれた』って……。昨日言っていた、『救いたい』って話と何か関係があるのか?」
エレックは困ったような表情をする。そして頬を掻きながら苦笑した。
「まあ、はたから見たら、わかんないよな……。『表向きには』彼女は貴族出身で短剣術の天才、さらには狂気の垣間見える無表情。救いたいなんて思えないだろう」
「『表向きには』? いや、というか今……」
聞き間違いだろうか。俺はエレックに聞き返す。
「……『彼女は』って聞こえたけど」
「ああ、そっか。少年は知らないのか。……デミアン・ダグラス。この子は歴(れっき)とした女の子だよ」
「えっ!」
すぐにデミアンに視線を移した。言われれば納得出来ないことはない。顔の作りも、華奢な様子も、髪の長さも、元々女っぽいとは思っていたんだ。でも……。
俺は彼……ではなく、彼女の胸元に目をやった。『悲しきかな、俺は男子高校生である』などと思いつつも、どうやって表現すべきか迷うのだけど……結構、なんというか、スッキリ、しているように見えた。そうじゃなかったら女だって気付く。というか背負ったけど、そういった存在感は全く感じなかった……。
デミアンが、俺に目を向けた。俺の不躾な視線に気がついてしまったのだろうか。彼女は顔を赤くさせて、目をうるませた。
「……じっと見るのは、やめてほしい……」
俺は一瞬でそっぽを向いた。向いた先にはエレックがおり、意地悪な笑みを浮かべている。
「……お年頃なのは、わかるけどな」
もう言い訳が通じる状況ではないということを理解した。
俺は目を閉じて、頭を下げる。
「謝ります……すみませんでした……」
そうして、路地裏に俺の謝罪が虚しく響き渡ったのだった。
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