小さな成長(1)
目を覚ますと、俺は控室のような部屋に寝させられていた。床にマットのようなものが敷かれていて、俺はその上に身体を横たえていた。上半身を起こして周りを見ると、周囲には同じ様に横になっている人間が何人かいて、皆ぐっすり眠っている。
「おお、もう起きたのか」
声をかけてきたのはマーカスさんだった。彼は部屋の隅のベンチでユリウスさんとエリスさんとともに座っていた。彼らは席を立って俺に近づいてきて、口々に「無事で良かったです」とか「決勝進出おめでとう」と言ってきた。
「……あ、あの。ここは……?」
「ああ、闘技場の医務所だよ。戦いで傷ついた人は希望すれば入れるんだ」
マーカスさんの説明で納得する。周囲で寝ているのは戦士なのだ。目を凝らすと、遠くでエレックが寝ているのも確認できた。
「左手の傷、深かったけどちゃんと治ったってさ。良かったな」
マーカスさんに言われて左手を見た。拳を握ったり開いたりするが違和感はない。傷跡一つも残っていない。でも、デミアンの短剣を掴んだときのことを思い出して、少しだけ痛いような錯覚を覚える。
エリスさんが「本当に良かったあ」と間延びした声で笑った。
「でも、凄かったですよ! あのデミ君に勝つなんて!」
「デミ君……」
デミ君というのはデミアンのあだ名だろうか。彼女の間の抜けたあだ名のセンスに若干笑いそうになりながらも、俺は立ち上がった。
「ユリウスさんとマーカスさんは、勝ったんですか?」
訊くと、マーカスさんは「楽勝楽勝」と手のひらをひらひらさせながらのたまい、ユリウスさんも「問題なく、な」とうなずいた。
……ということは、明日はこの二人と戦うことになるんだろう。
「ちなみに、輝くんの一回戦の相手は、ユー君ですよ!」
エリスさんが元気よく教えてくれた。反対に俺の元気はなくなった。練習試合をしていたときのことを考えると、魔法ありでも彼には勝てる気がしない。
「楽しみにしてるぞ、輝」
ユリウスさんはニコリと笑う。そもそも、俺が魔法を使うイカサマをしているのを、この人は知っているんだった。
糾弾はされないだろう。でも、彼と俺の差は魔法を使った程度で埋まるようなものではない。それほどまでに絶望的な差であると認識している。
「ともかく」
マーカスさんが手をぱん、と叩く。
「実は結構時間も遅いんだ。今日のところは帰って休んだほうが良い。……明日の決勝は昼からだからな。ゆっくり休めよ」
○
翌日になり、俺は宿屋で目を覚ましてすぐに支度をして、ガルムさんの鍛冶屋に足を運んだ。目的は一つ。作成をお願いしていた槍を受け取るため。昼の決勝トーナメントが始まる前に来ておきたかったのだ。
「お、来たか。随分と早いな」
ガルムさんは既に店を開いていた。売り物があるわけでもないし、武器を作って観光客への見世物をやるつもりもないのだから、俺のことを待ってくれていたんだろう。
「おはようございます。……槍、どうですか?」
聞くと「ああ」と言ってガルムさんは笑みを浮かべ、店の奥に入っていく。しばらくすると彼は一本の槍を持ってきた。穂先には布が巻かれており、いたずらに人を傷つけることがないようになっている。
「おめえ、昨日は頑張ってたからな。俺も頑張らせてもらった……ほら、受け取れ」
ガルムさんはカウンター越しに槍を投げ渡してきた。
「うわっ、と」
慌てて両手でしっかりと受け取る。普通に手渡してくれればいいのに……。
渡された槍は、小刀に慣れてきた俺にとって少し重く感じられた。でも、懐かしい重みだった。穂先の布を解いていくと、木製の持ち手の先に鋼鉄の穂先が現れる。窓から差し込む日光が銀色の刃に映り込み、ため息の出るような美しさだった。
申し分ない。これでまた、旅を続けられる。
「ありがとうございます! 助かりました!」
久しぶりに自分の得物を握るとそこはかとなく安心感を感じた。俺は槍で、ライツと戦った、ラーズと戦った、ドラゴンと戦った。この世界での命をかけた戦いには、いつも槍があった。
そして俺も、この闘技大会で少しは強くなれたと思う。また折ってしまわないように気をつけないとな。
「どうだ? 問題はあるか?」
槍に見とれていたらガルムさんが聞いてきた。だが、その表情からにじみ出ているのは不安ではなく自信だ。ものを作る人間として、作り出したものに対しての言葉を求めているのだろう。俺は初めて触るのに手に馴染む槍を握ってガルムさんに笑いかける。
「素晴らしい出来だと思います。これで、俺はまた旅を始められます。……あ、そうだ」
ふと思い出して俺は腰の小刀を外す。そしてそれをガルムさんに差し出した。
「……これ、ありがとうございました」
元々、この小刀は貸してもらうだけという話だった。デミアンとの戦いでは何度も死線をともに乗り越えた武器ゆえに正直惜しいところはあるが、まさかパクるわけにもいくまい。
しかし彼は首を横に振ってきた。
「武器の使い手は、武器自身が選ぶ。俺も、武器を見りゃその使い手が選ばれているかどうかくらいはわかる。……もう、手に馴染んでいるんだろう?」
言われてから、差し出している小刀を見下ろした。短い期間だった。それでもこの武器は俺を守ってくれた。俺の覚悟を貫き通す道を切り開いてくれた。
「……はい」
俺はしっかりと頷く。ガルムさんは満足そうな表情でうなずき返してきた。
「……これはもう、てめえのものだ。良い戦いも見せて貰ったしな。それに……まだ、必要だろう?」
彼が言っているのは、これから始まる決勝トーナメントのことだろう。
さらなる強者との戦いが俺を待っている。ユリウスさんも、マーカスさんも、そして、まだ見ぬ強者も。
恐怖はある。昨夜のデミアン以上の危機に陥るかもしれない。でも、俺もここまで来た。
試したい……! 俺の力がどれだけのものか。俺は試してみたいと思った。
俺は差し出していた小刀を力強く握る。答えるように、小刀が手に馴染む。
「受け取りました。大事にします。この小刀」
「ああ! 大事にしてもらえるってのは職人冥利に尽きるものだな。……さ、試合は昼からなんだろ? しっかり休んどけよ」
そう言って店内へ戻っていくガルムさんの背中に俺はもう一度頭を下げて、武器屋を去った。
○
ガルムさんの武器屋を出て、俺はフラフラと街なかを歩いていた。
闘技大会は今日まであるのでまだ屋台はたくさん出ていた。観光客やら地元の子供たちやらが楽しそうに談笑しながらはしゃいでいる。
それを見ているとこっちまで楽しくなってくる。後は気の置けない仲間でもいたら最高に楽しかったのかもしれない。
「仲間、か……」
今更のようにソラや天見さんたちのことを思い出した。
彼らがチルという港町でドラゴンを討伐したというのを新聞で知った。それも複数だ。俺もドラゴンとは戦ったが、歯が立たず、ラーズに助けられて何とか生きながらえている。しかも、あれは子竜だとラーズも言っていた。
そうなると、ソラたちは大きな力を身に着けているのだろう。甲冑竜と対峙したあの時……初めて魔法を使ったときでさえ、ソラと俺の魔法の威力には大きな開きがあった。
俺もあれから魔法の能力は伸びた。色々な使い方も出来るようになったと思う。だけど彼らも成長しないとは限らない。それに、俺と同じ様なアクセサリーを持っているのだから、ソラだけでなく他の皆も魔法を使いこなせるようになっているはずだ。
もしかしたら、彼らと一緒にいたほうが安全な旅路になったのかもしれない。……ひとりで旅する孤独や不安も、感じなかったのかもしれない。
「違う……」
彼らが『誰かのために』戦うのならば、いずれ俺とはぶつかっていただろう。それが早いか遅いかの違いだけ。そもそもの前提が違うんだ。
……それでも、やっぱりひとりは寂しいな。
「マーカスさんたちは、昼までどうしてるのかな……」
俺は坂道の下った先を見据える。下っていって、どっかの住宅街に入っていった先にユリウスさんの家がある。あのときは住宅街で迷子になった挙げ句偶然たどり着けたが、今また同じようにたどり着けるとは思えない。
「でも、時間あるな……」
早めに闘技場に行って控室で試合まで休んでいるのもアリかもしれないが、暇になってしまいそうだ。だったら例えたどり着けなくても、家に向かってみようと思った。
「よし。とりあえず、行くだけ行ってみるか」
俺は脳内の記憶を頼りに、街を歩き始める。
大通りの坂を途中までくだり、脇道に入る。祭の歓声や騒がしさは、膜がかかったように離れていく。右だったか、左だったか。あやふやな足取りで進んでいく。携帯電話も無いから自分が今何処に向かっているのかも定かではない。
しばらく進んだところで出た薄暗い路地裏は表通りとは全く違う様相だった。
「こんなとこ、通ったかな……」
それとなくこの薄暗な通りを見ると、良くわからない生ゴミや布切れが散らばっていたり、あまり衛生が良くなさそうだ。人ももちろんいる。だが酒に溺れて昼間からフラフラしてる人や、何か傷だらけの厳ついオッサンが地べたに商品を広げて露店を営んでいたりと、なんだか堅気とは程遠い雰囲気。
白い石が多用されているハリアの建築だけど、路地裏の影に入ると青みを増す。温暖な気候なのに底冷えしてしまうような気がして一瞬鳥肌が立った。
これがスラムというものなのかは、日本でぬくぬく育った俺にはわからない。でも、俺がここにいるのは場違いだと思った。
それに、どちらにせよこれじゃユリウスさんの家にもたどり着けなさそうだ。
「仕方ない」
残念だけど一度大通りに戻ろう。そして早いとは思うが、闘技場の控室で時間を潰そう。軽く身体を動かして温めておくのも良いかもしれない。
地理に疎いから仕方ないことだ。……重ね重ね思うが、携帯電話が無いと、本当に不便だなあ。
「……はあ。……ん?」
溜め息を吐きながらまた歩き始めようとすると、どこかから鈍い音と短い悲鳴が聞こえてきた。少し距離がある。隣の通りだろうか。
「ああ……」
聞き覚えのある音と悲鳴だった。この世界に来る前から、馴染みのある音。……誰かを殴る音。殴られた人が唸る音。殴る人間が恫喝する音。
興味本意で鈍い音が聞こえてきた方へ行くと、日の当たりの悪い小路で黒いジャケットを着た五、六人の屈強そうな男が誰かをいたぶりなぶっている。時折、そのうずくまる誰かの悲鳴とも唸り声とも取れる音が聞こえる。ああ、ここでやってたのか。
ここは路地裏だ。日の当たらない場所だ。表の世界にいられない人間の陰惨な暴力というのは、この異世界だろうが、元の世界だろうが大きな違いは無いのだろう。
……だから、その光景が俺の『過去』と被って見えた。
嫌らしい笑みで暴力に酔いしれる少年の拳。目の前のいびつな快楽にやつす濁った目。肺を満たすくすんだ空気を吐き出すような汚い笑い声。
俺が、『戸上』という男と、その取り巻きになぶられ続けたあの時間。元の世界での、あの時間。俺が、俺の尊厳のために、痛みに耐え続けたあの時間。
腹のところから煮えたぎった感情が湧いてきた。……これは、怒りだ。目の前の光景に対する怒り。そして、『あの頃』に対する、大きな怒り。
助けるか? ……いや、馬鹿な事を考えるな。六対一で勝てるわけが無い。第一俺には関係無い。……関係無いんだ。こんなところであの私刑を止めたところで、過去の俺は救われない。
俺は誰かのためじゃない。自分のために生きている。だからこそ……。
「本当に、馬鹿だ」
だからこそ、関係無いと思うのに。
「……てめえら、やめろ!」
気づいたら一声叫んで右手をかざして『風の刃』を放っていた。
俺の放った『風の刃』は真っ直ぐ飛んで、暴行に加わっている男の内の一人の腕をかすめる。風の刃を受けた男は俺の方を向く。
「いってェ! 何すんだお前!」
腕を押さえて俺を睨む男。俺は右手をもう一度相手にかざした。
「今のは、威嚇射撃だ。……次は当てるぞ」
右掌に再び銀色の風が集まる。手のひらの前で小さな竜巻が生じる。小さいが、威力はある。先程の風の刃であれば、何度でも撃てる。遠くに敵がいるうちは一方的に攻撃できる。
近づいてきたとしても――俺は受け取ったばかりの槍を握る――こいつがある。それに今は、小刀だって扱える。
六人という数は脅威的だが、それは俺が退く理由にはならない。
「さあ、やめるか、俺と戦うか、さっさと選べよ!」
「まさか、魔法使いか! 何で王都でもないこんなところに! ……おい、一旦逃げるぞ!」
男は俺の『風の刃』を見るなり仲間を率いてさっさと退いてしまった。
「はは……助かった……」
俺はホッと胸を撫で下ろす。負ける気はなかったけど、勝てる確証もなかった。だから本当にほっとした。
それにしても一目散に逃げていくあたり、この世界では魔法使いは相当強いんだな。それに、珍しい存在でもありそうだ。そう言えばサウルのあの子供……スレイ・アールトもそんなことを言っていたっけ。
「う……」
か細い唸り声がした。
声の方を向き直ると、ついさっきまでなぶられていた被害者がいた。小さい体で丸まって、亀のように地面にうずくまっている。
急いで近づく。背中は上下しているが、呼吸が荒い。大丈夫なのか?
「えーと。立てますか? さっきの奴らはもう、行きました」
恐る恐る手を差し伸べると、ゆっくりと華奢な手が俺の手をつかんだ。
「ありがと……」
少し高い声。……どっかで聞いた覚えが、ある。続いてそいつが顔を上げる。と同時に目が合った。
「……あ! お前!」
男にしては長めの髪に、線の細さ、大きい目。女顔。そして感情の読めない無表情……ではなく、涙目で怯えているが間違えようはなかった。
忘れてしまうには早すぎる。この人物は、俺が昨夜闘技大会のブロック決勝で凌ぎを削った少年……デミアン・ダグラスだった。
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