95話 メイシンの過去

 メイシンの父はうだつの上がらない下級官吏であった。いつまでも出世することができず、後から入ってきた部下が自分の上司になる始末。

 故にその男は愚行に走った。自分の息子を宦官として出世させ、自分も取り立ててもらおうと言う愚行に。


「本当に愚行としか言いようがないんですよね。ネロ様が皇帝となって久しく、後宮制度も形骸化して宦官の新規登用なんて無くなっていたんですから」


 メイシンは呆れたようにそういう。その声色には、肉親に対する僅かばかりの情が含まれていた。


「え?宦官にする方法ですか?当時は幼かったので詳しくは覚えていないのですが……そういや切り落とした後、ロウで穴に挿入していましたね。肉で穴が閉じないようにするためだとか。辛かったのは水を三日間飲んではいけなかったことですね。飲んだらどうなるかって?死ぬんですよ」


 かくして、メイシンはをされ宦官となるなるために父親の上司の元に連れて行かれたのだ。


「宦官だと?今、そのような募集はしていない!さっさと帰れ!」


 そのように言った上司だったが、メイシンを一目見て態度を変える。メイシンの容姿が、感嘆するほど見目麗しかったからだ。


「……だが、私が見る限りその子には才能がありそうだ。私の元で官僚になるための勉強をさせてはどうかな?」


 その上司は下卑た目でメイシンを見つめていた。

 そしてメイシンは官吏の道を歩み始める。


「さあメイシン……今日も官僚になるための勉強をしようか……私の部屋でじっくりと……」


 自分の心を犠牲にしながら。


 *


 官吏となったメイシンは、倉庫の毒物を管理する役職についていた。といっても、重厚に施錠された倉庫の中身を、持ち出しなどがないか点検するだけの至極単純な仕事であった。


(このような体になって、あの上司に心を売って、つけたのがこんな誰でもできるような仕事だなんて……私の存在意義とは、いったいなんなのでしょう)


 それでもメイシンは毎日職務に忠実であった。そうすることが、父の立身出世につながると信じたからだ。

 しかし、その希望も潰えることとなる。


『愚かな父を許してくれ。お前を犠牲にしておきながら、私は結局立身出世を果たすことが出来なかった。悪いのはお前じゃない、無能な父が悪いのだ』


 そのような手紙とともに、父が自殺したという報が届いた。メイシンが生きる意味は完全に失われてしまったのである。


「死ぬか」


 メイシンはそう言い、管理していた毒物の保管倉庫へ向かった。



 倉庫の中に入ったメイシンは、中を見渡しどんな毒があるか調べ始める。


「なるべく楽に死ねる毒はないかな……」


 そう調べていると、世の中には多種多様な毒があることを知る。それまでメイシンにとってでしかなかった毒物が、キラキラと輝く宝物のように見えてきた。そしてメイシンは、楽に死のうという考えを改め始める。

 そして、毒の詳細が書かれていない、『未知』とラベルの貼られた毒を目につけた。


「どうせ死ぬのなら、どんな毒か身をもって調べてから逝きますかね」


 そう言ってメイシンはためらいなく毒を飲み始める。それが自分の存在意義だったとでも主張するかのように。


 毒を飲み干したメイシンは紙を広げ、筆を片手に机に向き合う。


『症状はすぐに現れ始めた。私の皮下に鮮紅色の星のような斑点が浮き出たのだ』


 メイシンは必死に自分の症状を書き取り始める。次第に全身の穴という穴から血が流れ出し始めた。大量の出血に、握っていた筆を落としてしまう。しかしメイシンは流れ出る血をインクにして、指で症状の記述を続行する。


『体中から血が流れ出してきた。血が固まらなくなってしまったようだ』


 次第に指を動かす力も無くなっていき、床に倒れ込む。そして、メイシンの意識はどんどん遠くなっていった。


「これで……私の役目も……果たせましたかね」


 *


 目を覚ましたメイシンの視界に入ってきたのは闇に閉ざされた室内であった。


「ここは……あの世ですかね?」

「残念ながら、お主はまだ死んでおらん。自殺は失敗じゃのう。皮肉にも、お主が記した書き置きのせいでの」


 メイシンが記した巻物を手に持っていたのは、『毒血』の真祖、ネロであった。


「ふむ、あの毒の引き起こす症状は播種性血管内凝固症候群であったか。血管内で血液凝固反応が無秩序に起こることにより、血小板の数が足らなくなり血が固まらなくなる……いやはや、恐ろしい症状を引き起こす毒じゃのう」

「あの……なんで私は生きているのですか?」

「『未知』の毒を調べようと取りにいったらお主が倒れておっての、お主の残した書き置きを元に症状を特定できたゆえ治療もできたのじゃ」

「あの出血から……?いったいどんな方法を……」

「それよりお主、この暗闇の中でよくわしの顔がわかると、疑問には思わんか?」

「え……?たしかに、これは……」

「治療にはわしの血を使った。半人半鬼となることにより、傷ついた肉体は治り、毒を分解したのじゃ。しかしまさかここまで適合するとはのう」

「つまり私の体は……人間ではない?」

「長年続けてきた人間の半吸血鬼化、その成功例がお主じゃ。一度捨てたその命、わしのために役立ててもらうぞ」


 その時、メイシンはようやく自分の本当の存在意義を理解した。この身をネロに、国家に捧げて奉仕することが役目なのだと。


「私の全てをお使いください」


 *


「遅いぞ、メイシン。どこに行っておった」

「すみません。転任することを報告に行っておりまして。墓前と、あそこが腐り落ちてしまって入院中の上司の元へ、ね」

「……おお、こわいこわい」


 ネロの目の前には、蛇皇五華将じゃおういつかしょうの刺繍の入った黒い衣装を纏うメイシンの姿があった。


 *


「はあああああああああ!!!!」


 夜明け前の平原で、空から急降下してきたメイシンとキッドが激突する。

 キッドは白い髪を持ち、武器は刀。

 メイシンは黒い髪をたなびかせ、武器はレイピア。

 対照的な二人、共通点は半人半鬼であること。


 メイシンの繰り出す突きを、キッドは盾を生み出して防ぐ。そして返す刀でレイピアを狙って攻撃を仕掛けたものの、すぐに引き抜かれて避けられてしまった。


「甘いですね。肉体ではなく武器狙いとは、そんな心構えで勝てる相手ではないですよ?私」

「正直に言って、メイシンさんとは戦いたくないんです。貴方達は敵であっても、悪ではないから」

「……それになんの違いがあると?」

「敵であれば、利害関係が変化すれば仲良くなれます。たとえば、ネロが『支配ドミネーター』から真祖の力を取り戻した時、とかね」

「……ムカつきます」

「……何が?」

「真っ直ぐな心で、ネロ様の味方になれる貴方たちが、羨ましいんですよ!」


 レイピアで横なぎの一撃が放たれる。それをキッドは刀で交差するように受け止めた。


「だったら!メイシンさんもネロの味方につけばいいじゃない!」

「それができたら苦労はしないんですよ!私は蛇皇五華将!この国に、人々に、我が身を捧げているんです!貴方達のようにはできない!」


 メイシンは激昂とともにレイピアのラッシュを繰り出す。キッドも刀を振り回して攻撃を逸らしたものの、体の端に攻撃が突き刺さってしまった。


「痛ッ……!」


 メイシンから距離をとり、体勢を立て直そうとする。しかし、体に力が入らない。


「痺れ……これは!」


 メイシンの方を見ると、レイピアの先端に舌を這わせていた。


「不良のやっているナイフ舐めとは訳が違いますよ。貴方の考えている通りです。神経毒の混じった唾液を付着させていました」

「……もっと強力な毒を付着させられたんじゃない?」

「そんなことしても貴方の持つ『凍血』の力で治されてしまうでしょう?もっと遊びましょうよ」


 キッドはメイシンの発言に違和感を覚える。その時、少し離れたところでヤンと戦っていたフェイが背中越しに話しかけてくる。


「ここは時間を稼ぐんだ、キッド。もうすぐ夜が明ける。そうなりゃ、半人半鬼から人間に戻る。そうだろ?そうなったら待機させてる部下達と共に攻撃だ」

「時間……稼ぎ……」


 その時、キッドはメイシンとヤンの企みに気づく。


「違う!時間稼ぎをされるとダメなんだ!」

「え?なんでだよ」

「さっきメイシンさんは僕との短期決戦を避けた!朝になれば弱体化しているというのに!何か罠がある!」

「罠……そういや、ああやって空飛ぶ乗り物から降りてきたってことは、俺たちの位置をある程度把握していたってことだよな……そしてコイツらは蛇皇五華将!人や軍を自由に動かせる地位にいる!」

「そうなんだ!タイムリミットがあるのは僕たちの方なんだよ!朝になって、人間の目で捕捉される状況になってしまったら……何千、いや、何万人という兵士達に取り囲まれてしまう!吸血鬼のみんなが動けない状況で!」

「今更気づいてももう遅い」


 焦燥感に駆られるキッド達に、ヤンは冷静に言い放つ。


「そしてもう一つ絶望的なことを伝えておこう。いまここに向かわせている兵士の数は何千何万といく桁じゃない……20万人だ」


 キッドの耳に地鳴りが聞こえてくる。それは、20万という大群がこちらに向かっていることの証左であった。

 絶望の足音が、ジワジワとにじり寄ってきていた。

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