38話 枷は外され、火蓋は切られた
憲兵庁舎の地下、薄暗い取り調べ室にキッドは居た。後ろ手に椅子に繋がれて拘束されている。マリア達のいる協会支部へ向かっていた所に、突然治安維持統括がやってきて逮捕してきたのだ。
「いいか!お前がやったという証言だって出ているんだ!さっさと罪を認めたらどうなんだ!」
「あのですね!そ!れ!は!」
「言い逃れしようとしても無駄だ!貴様はそんな法律があったなんて知りませんでした。なんて言うつもりなんだろうがな!硬貨の破壊は立派な犯罪だぞ!この『忌血』の小僧が!」
(知ってるよ……)
と内心思いながらキッドは目の前に居る小太りの中年男性を睨む。さっきから男は自分の言葉をまくし立てるばかりで、キッドの話を聞こうともしていない。そして言動の節々に忌血への差別と偏見が見て取れ、キッドは怒りを募らせる。
(はなから僕を犯罪者だと決めつけてる……このままじゃ、マリアさん達との集合の時間に間に合わなくなっちゃうよ。かといって強硬手段に出ればこの街で暮らすアンナちゃんにも迷惑が……)
「早く罪を認めた方がお前の為だぞ?今なら遊びのつもりでしたで済む。そうすれば罰は王都からの強制退去だけだ。だが、このまま強硬な態度を取るならば、お前を禁固刑にしてやるぞ!貨幣を
なんて理不尽な司法取引か、キッドは腹の底から煮えくりかえる怒りを抑えながら、それでもマリア達に手助けをする為に口を開く。
「はあ……わかりました、罪を……」
その次の言葉を発しようとした瞬間。
「ちょっと失礼しますよ」
突然、地下室のドアが勢いよく開く。そしてそこから1人の憲兵の青年が入ってきた。治安維持統括は狼狽しながら青年に尋ねる。
「な、なにをしに来た!防衛隊統括、ユアン!」
「何って、助けに来たんですよ。治安維持統括どのが冤罪を引き起こして、輝かしいキャリアに傷がつかないようにね」
その憲兵の姿にキッドは見覚えがあった。自分の血を分け与えていた
「冤罪?冤罪だと!?何を馬鹿なことを!証言も証拠も揃っているのだぞ!ザンギスという男が証拠とともに告発してきたのだ!
(ザンギスだって!?この状況はヤツの仕業か!)
治安維持統括はそう言うと、木箱を取り出して中の証拠をユアンに見せた。そこには溶けたあと冷え固まった。小さな金属の塊があった。そしてそれは間違いなく、キッドが刀と硬貨で短剣を錬成したときに、溶けた硬貨が滴り落ちたものだった。
「見ろ!これでもまだ冤罪と抜かすか!」
「なるほど、たしかに証拠は揃っていますね。──キッド君が無罪だという証拠が」
「なっ!?」
ユアンはポケットから硬貨を取り出すと、それを指でもて遊びながら話し続ける。
「では治安維持統括、その溶けた金属の成分は調べましたか?」
「当たり前だ!ちゃんと部下に調べさせておる!ニッケルを主成分とした合金だ!それがどうした!」
「では、今現在ヴァーニア王国で流通している硬貨の主成分は?」
治安維持統括はしばらく考えた後、ユアンの発言の真意を理解して顔を青ざめさせる。
「気づかれたようですね。今現在ヴァーニア王国で流通している貨幣は銅貨、銀貨、金貨、鉄貨のみ、ニッケルを用いている硬貨は一つとして無い」
治安維持統括は腰を抜かしてへなへなと倒れ込む。
「そして法が適用されるのは現行硬貨のみ、古銭を溶かしても罪にはならない。ですよね?」
「あ、ああ……」
「僕は何度もそう伝えようとしたんですよ?それなのにちっとも話を聞かないからー」
治安維持統括は、おどおどとキッドの顔を見ながら話しかける。
「本当に……本当に申し訳ないことをした。男の告発を間に受けて……すまない……」
キッドは治安維持統括の謝罪に対し、しばらく黙った後、深くため息を吐いて言った。
「貴方の『忌血』への差別と偏見が、このような事態を引き起こしたんです。これからはその人の属性や容姿で決めつけず、真摯な捜査をしてくださいね」
「ああ……」
キッドの言葉に治安維持統括は深くうなづいた。
「さて、さっさとこんな辛気臭い所からは出ましょうか。キッド君、ちょっと両手を出してください。今枷を外しましょう」
ユアンに促され、キッドは手錠に繋がれた手を前に出す。するとユアンは手に握っていたコインを高速で打ち出し、手錠を破壊してしまった。
「うわ!危ない!」
「すみません、鍵を取りに行くのが面倒だったもので、それじゃあ治安維持統括、事後処理をお願いしますね」
「ちょ、待ってくれ。壊した手錠の始末書は誰が」
「お願いしますね」
ユアンはキッドと共に取り調べ室から出て、さっさと扉を閉めてしまった。
*
部屋から出たキッドは、ユアンに向かって礼を述べる。
「助かりました。えーと、ユアンさん。これで遅れたけどマリアさん達の所に行けそうです」
「いえ、お気になさらず。私の是々非々で行動しただけです。それにしてもキッドさん、あの古銭溶かしてしまったんですね」
「はい!おかげで強い剣も作れたりしました!正直に言うと昔のお金だったから使えなくて難儀だなーって思ってたんですけどね。何にでも使い道はあるものですね」
「……アレ古物商に売れば一枚金貨5枚くらいで売れますよ」
「え゛!?」
キッドは驚いて体を硬直させる。
「100年以上前、ヴァーニア王国が吸血鬼と深く結びついていたときに『雷血』の技術で作られていたものです。金や銀を用いず、国への信用と偽造の難しさで価値を担保しようというコンセプトで」
「……確かに古銭にしては今のお金より作りが精巧だと思ったなぁ。すみません、僕皆さんのことを『今じゃ使えないお金で払うなんて、さすが吸血鬼の時間感覚は独特だなぁ』って思ってました」
「私たちもさすがにそこまで人と時間感覚がずれたりはしてはいませんが……まあ、あなたの血にはそれほどの価値があるのですよ。金貨だと荷が嵩張ると思って、古ヴァーニア硬貨で払おうと私たちの間で取り決めしていたですが、変に空回ってしまったようですね」
「ぼ、僕の血にそこまで言われるのは恐縮なんですが、ほら、『鉄血』の血も混ざったりしてますし」
「あのえぐみが珍味のようで私は好きですがね」
「そんな魚の内臓みたいな」
その時、突然憲兵庁舎の扉が開き、息を荒くした協会局長が入ってきた。
「ユアンくんはいるか!?キッド君が逮捕されたとは何事!……ん?」
局長は入るやいなや、庁舎内を歩くキッドとユアンを見て困惑の顔を浮かべる。
「……逮捕されていたのでは?」
「それは無かった事になりました。それにしても耳が早いですね。
「いや、私はヤン君に教えてもらったのだが……ならヤン君はどこから情報を?」
そのとき、扉のそばに立つ局長を突き飛ばすように憲兵の1人が入ってくる。そしてユアンを見るたびこう叫んだ。
「大変です!蚤の市が開かれている広場で、に、刃傷沙汰が起こったとの報告が!」
*
時間は少し前に遡る。日が沈んで少し経った頃、ガス灯の明かりで照らされた大通りで蚤の市が開かれていた。アンナはそこで、様々な鉄の道具を並べて店番をしている。フードを深く被り『忌血』だとバレないようにしているようだ。店に立っているのはアンナだけでエルマの姿は見当たらない。その代わり、「非売品」と札のついた鎧一式が置いてあった。
「らっしゃいらっしゃーい。質の良い包丁や鍋を格安で売ってるよー。赤字覚悟の大セールだよー」
もとがエルマ達によって作られたものなので赤字も何もないのだが。売り文句が功をそうしたのか、品質の良さも相まって品物は次々と売れていく。だが、フリーダの包丁だけは高価なためか中々売れない。
「さすがに値を張り過ぎたかな……?でもフリーダさんのこの芸術品をこれ以下の値段にするのは私の商人としてのプライドが……」
「すみません、その包丁をくださいな」
目の前に家政婦の女性が現れ、ジャラジャラと硬貨を置き始めた。
「これで足りるかしら?」
「ちょっとまってくださいね……!?これは100年以上前に使われていた古ヴァーニア硬貨じゃないですか!大丈夫です!十分なくらいです!まってくださいね、今お釣りを……ん?」
だが、その女性はお釣りを受け取る前に、品物と共にこつぜんと消えてしまっていた。
──
蚤の市が行われている大通りに繋がる裏通りで、1人の男が歩いていた。その男は目を血走らせ、牙を伸ばし涎を垂らしている。
「忌血……忌血の匂いだ……!」
その男は吸血鬼であった。この街にきて日が浅いため、入り組んだ路地に迷いながらも、匂いをたよりにアンナ目掛けてやってきたのだ。
「……あ?」
その時、男は背後に人の気配を感じて振り向く。そこには家政婦の女と職人姿の老人が立っていた。これほど近くに来るまで気配を感じ取れなかったことに男は疑念を抱く。
「な、なんだてめえらは!」
「同族のよしみで忠告します。やめておけ、と」
女はポケットからくるまった布を取り出すと、男に向かって放り投げた。男が布を受け取り広げると、その布にはわずかに血が染み付いていた。
「その血を舐めれば、飢えは満たせるじゃろて。それと、もしおぬしが
男はワナワナと肩を震わせた後、布を地面に叩きつけて怒りの形相を浮かべる。
「ふざけんじゃねぇ!これっぽっちの血で満足できるかよ!それに人間共と暮らすだと!?舐めたこと言ってんじゃねえぞ!人間はエサだ!忌血のガキを喰らって力をつけたあとには、広場の人間を食い尽くしてやる!それを邪魔するならてめえらもぶっ殺してやる!」
女と老人は、少し残念そうな顔を浮かべたあと、その場で揺れるような動きをする。
「あ?なんだ?二人がかりで来ようが俺は……」
次の瞬間、男の首が飛んでいた。胴体から噴水のように血が吹き出し、真っ直ぐに地面に倒れ伏す。
男の後方には、手に大皿を持った女とノコギリを持った老人が涼しい顔で立っている。
「おぬし、さっき買った包丁は使わんかったのか?」
「あんな小物に使うなんて勿体ないでしょう。ああ、それにしても『真祖』の作り出した包丁を手に入れられるなんて、私はなんて幸運なんでしょう……」
「後でわしにも見せてくれ、職人としてすごく興味を惹かれるわい」
「いいですけど、本当に見るだけですよ」
人知れずのうちに、街の安穏は守られていた。二人の影鬼はそのまま夜の闇に消えていくのだった。
──
「あの殺気の鋭さ……
「ザ、ザンギスさん、何を言っているんですか?」
路上で突然独り言を発し始めたザンギスに、部下は戸惑いを見せる。
「気にすんな、こっちの話だ。さて、俺たちも仕事の時間だ。怖ーい吸血鬼から『忌血』を守ってやんねえとなぁ」
そしてザンギスとその部下の男は、蚤の市に向かって歩いていくのだった。
*
「いやーそれにしてもこの店には良い鉄製品が揃っているね……あ、あなたの後ろにある鎧一式を下さい」
「あっ、すみません。これ売り物じゃないんですよ」
「あっ、そうでしたか、それにしても良い品物だ。作った職人さんを知りたいね…… あ、あなたの後ろにある鎧一式を下さい」
「すみません。これ売り物じゃないんですよ」
「そうかそうか……いやはや、鉄の品質も素晴らしい、鉄鉱石の産地はどこかな…… あ、あなたの後ろにある鎧一式を下さい」
「売り物じゃないんですよ」
「そこをなんとかあああああああああ!!!!!」
店の前で一人の男が、大声を上げて鎧が欲しいと懇願している。
「うーん、なんでそこまでこの鎧を欲しがるんです?」
「それはもう!その鎧が美しいからですよ!質実剛健なたたずまい!女性らしさを感じさせる曲線的なフォルム!ああ!台座に乗せて飾りたーい!毎日磨いてあげたーい!」
どことなく変態らしさを感じる男に、アンナは引き立った笑みを浮かべながら応対する。
「今は無理ですけど、後からなら売ることができるかもしれません」
「ほ、本当ですか!?」
「まってくださいね。今書類を……」
その時、アンナは店に向かってやってくる男二人組を目にする。その内の一人、顔に傷を負った男は店の前に立つなり、話し始めた。
「こんにちは〜、君がアンナちゃんだよね?……『忌血』の」
深くフードを被っているのに、男は自分が忌血だと知っていた。アンナは警戒して鎧のそばに近寄る。
「この店評判が良いらしいねぇ。品物が飛ぶように売れてるとか、もう残ってる品物はこの小刀くらいかな。いやぁ中々出来のいいね。欲しくなっちゃう」
「……ありがとうございます」
「な、なんだね君は!今私がこの子と話をしているから後にしてくれたまえ!」
「ああ!?ザンギスさんになんだてめぇその態度は!」
「ひぃ!ど、恫喝には屈しないぞ!」
「おい、やめないか」
ザンギスは部下の男を制止しながら、アンナに話しかける。
「聞いてくれアンナちゃん。今君は狙われているんだ、悪〜い吸血鬼にね。俺たちは君を保護しようとしてるんだよ。だからちょっとついて来てもらえるかな?」
「……結構です。もう私には守ってくれる人がいるので」
アンナの言葉にザンギスは笑みを浮かべて答える。
「うーんそれはどうだろうね。だって、キッド君は今逮捕されているからなぁ」
「!?どういうことですか!」
驚きを浮かべるアンナに、部下の男は痺れをきたしたのか、品物台に足を乗せて喚き散らす。
「さっさとついて来いって言ってるんだよ!忌血のガキがよぉ!ザンギスさん!さっさとふんじばっちまいましょう!」
「……チッ。事を急ぎやがって、大義名分は向こうに出来ちまったじゃねーか」
ザンギスは小声で言葉を漏らす。男がアンナを捕まえようと近づいて来た時、アンナは歯で指の腹を切って後ろの鎧に擦り付けた。
「エルマさん!お願いします!」
その時、空の鎧が急に動きだし、部下の男に向かって言葉通りの鉄拳をぶつけた。男の体は2〜3mほど吹き飛び地面に叩きつけられる。
『アンナちゃんに手を出そうとしてるのは……どこのどいつだ!?ああん!?』
鎧の中に響くようにエルマの声が発せられた。
突然の出来事に、広場は騒然となる。逃げ惑う人々の中、ザンギスだけが笑みを浮かべてエルマを睨んでいた。
「……面白くなって来やがったじゃねえか!」
ザンギスはナイフを持ち出して、鎧のエルマに向かって突進する。
戦いの火蓋が、今ここに切られた。
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