34話 怪物の名はフロスト

 死の森ワールヴァルトの木々の間を縫うようにキッドは飛んでいた。そして十数人の吸血鬼がキッドを追い、囲むように飛んでいる。


「忌血だ!絶対に逃すな!」

「待て!フロスト様に献上しなければどんな目にあうか……」

「渡す時に生きてさえいればバレやしねぇ!忌血なら一滴の血でも飢えを満たせるんだ!」


 集まって来る吸血鬼をキッドは肩越しに見て言う。鉄の羽が重いため、だんだんと追いつかれて来ていた。


「予想通り集まってきたのはいいけど、流石に数が多い……ここは出し惜しみしちゃいられないか……!」


 その言葉と共にキッドの体表に雷光が飛び始める。静電気を帯び髪の毛は逆立ちはじめた。


「『雷血』……発動!」


 吸血鬼達は恐れおののいた。光など届かないはずのこの死の森ワールヴァルトで、突然に眩い光が発生したからだ。恐怖はそれだけにとどまらない。光の中心から刃が飛び出し、回転しながら吸血鬼たちに襲い掛かってきたのだ。


「宙を舞え!雷輪鉄華!」


 磁力を帯びた刃は縦横無尽に空中を駆け回り、吸血鬼の体を切り刻んでいく。そして逃げ惑う吸血鬼たちは着実に、かつ確実に、とある一点へと誘導されていく。


「木々の密集しているところへ集まれ!あの刃から逃れられる場所に!」


 一か所に集まった吸血鬼たちは、そこでようやく自分の体の違和感に気が付く。はじめは木々の枝葉かと思っていたもの、だがそれは枝ではなかった。夜目の利く吸血鬼ですら、よく目を凝らさなければわからないほど、細く作られた鉄の糸ワイヤーであった。そして、気づいた時にはもう遅かった。


「──『雷蜘蛛』」


 キッドが張り巡らされた糸に電気を流す。辺り一面がまばゆい光に包まれ、そして静寂が訪れた。


「……ふぅ。やっぱり複数属性の同時使用は体力を消耗するなあ」


 キッドが握っていた糸の端から手を離す。キッドの姿は吸血鬼から人間の姿へと戻っていた。まだ動いている吸血鬼がいないか注意深く耳をすますと、遠くから何かが走る音と何者かの悲鳴を聞き取った。


 その悲鳴はハンターのものか、吸血鬼のものか、どちらにせよ行かないという選択肢はない。加勢のためにキッドは走った。


 *


「まずはさ、両手両足の指、次に目、鼻、耳、そして全身の皮を剥いでいくんだ。それが終わったら腹を裂いて内臓を取り出していく。それでもまだ生きてるようだったら、筋肉をみじん切りにしていくんだ。……お前はどの段階で死ぬかな?」


 悲鳴の発せられた場所まで走ったキッドが見たのは、一人の男が吸血鬼を追い詰めていた場面だった。木々の影からキッドはその男の顔を見る、顔に斜めに刻まれた大きな傷、正気とは思えない目、その男は話に聞いていた非合法イリーガルハンター、ザンギスだった。


 キッドにとっては何ら問題もない。この状況においては吸血鬼を狩る仲間であり、キッドも正式なハンターではないため非合法な狩りを咎める義理もない、後は彼に任せておけば吸血鬼は退治されるであろう。


 そう考えた瞬間、キッドは無意識のうちに行動を起こしていた。ザンギスと吸血鬼の間に割って入り、居合のようにして吸血鬼の首を切り飛ばす。一瞬にして、痛みのないように。


「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」


 すっとぼけたような調子でキッドはザンギスに尋ねる。貴方が危険な目に遭いそうだったから助けたんですよ、という体裁を取っているのた。


 一方ザンギスは返事もせず、目の前の出来事にただポカンとしている。まるで遊ぶ気満々だったおもちゃを取り上げられた子供のように。そして我に帰るとすぐ、吸血鬼の体にナイフを突き刺した。だが何の反応も返ってこず、ザンギスは落胆の色を浮かべた。


「吸血鬼はすぐに仕留めないとダメですよ。死を覚悟した吸血鬼は捨て身の攻撃を行なってくることもありますから、……いたぶるようなことをしていると、特にね。非合法ハンターのザンギスさん」


 皮肉を込めてキッドはザンギスに言うキッド、だが、心の中ではこうも考えていた。


(僕のやっていることは偽善だ。退治される吸血鬼からすれば、殺されるのも、いたぶられながら殺されるのものも、死ぬという点では同じ、せめて苦しませないようになんて、僕の自己満足でしかない)


 しかし、それでもキッドは動かないわけにはいかなかった。


(だけど、あの吸血鬼が絶望のままに死んでいくのを見過ごすなんてできない!)


 そう考えながらザンギスを睨むキッド、するとザンギスは突然足元の死体を蹴り飛ばした。死体蹴りのつもりか?とキッドが眉をひそめた直後、死体の体から氷柱が飛び出してきた。キッドですら感知出来なかった攻撃を、すんでのところで避けたザンギスに、キッドは不気味なものを感じ取った。そしてザンギスがイラついた様子で話しかけてくる。


「ありがたーく、その忠告覚えておくよ。だがよ。非合法ってなんだぁ?勝手に吸血鬼を殺すことを罰する法律はねえだろ?協会に所属してないってだけで非合法ハンター呼ばわりなんてなぁ。合法じゃねえが、違法でもねえだろ?」

「……そうですね。僕ももう何も言いません」


 キッドにとっては非合法ということより、いたぶるような真似をしていることが問題だったのだが、それ以上は何も言わなかった。ハンターにもザンギスほどではないにせよ、家族や大切な人を殺された怨みから、必要以上に残虐な殺し方をするものもいるからだ。


「ですが、今のようなことを続けていては、いつか必ず命を落としますよ。吸血鬼はあなたが思っているよりずっと狡猾です」


 だが、キッドはそのようなハンターが復讐心から命を狙われやすいことも知っていた。この状況においてなお、キッドはフロストも死なないことを願っていたのだ。


 キッドはザンギスに背を向け森の中を進んでいく。ザンギスのおぞましい行いを防ぐには、ザンギスより先に吸血鬼を退治するしかない。矛盾した思いを抱えながら、キッドは仲間との合流をめざした。


 *


 ザンギスの仲間たちは吸血鬼を追って森の中心近くまで進んでいた。


「しかしよぉ、ザンギスも楽な仕事を紹介してくれるよなぁ」

「ああ、ハンターのやつらの狩り残しをとらえて引き渡すだけで金ががっぽりだ」

「後は美人の吸血鬼が転がってくれてたらもっといいんだが……ん?」


 そのとき、男の一人が木に繋がれて縛られていたマリアの姿を目にする。そして下卑た笑みを浮かべたそばに近づいてきた。


「どうしたハンターさん?もしかしてやつらに捕まっちまったのかぁ?しょーがねーなぁ。助けてやろうじゃないの、その前に、お礼はたっぷりともらうがな!」


 男が近づいてくるのを見たマリアは男に向かって大声で叫んだ。


「馬鹿野郎!これは罠だ!今すぐ逃げろ!」


 マリアがそう叫ぶと同時に、木の上からツタのような腕が伸びて男を縛り上げる。男は驚き、声をだそうとするが口元まで腕に覆われ、悲鳴すら上げることができなかった。残った男の仲間は木々の上に潜むものを見て、腰を抜かしその場にへたり込んでしまった。


 木の上では異形の怪物、フロストが蝙蝠のように逆さにぶら下がっていた。フロストは男を自分より上、位置関係では自分の腰の部分まで持っていくと、男をぞうきんのように絞り始めた。肉がつぶれ、骨が砕ける音が響き、フロストはしたたり落ちる血を一心不乱に飲み干していた。


「オ姉サンヲ餌ニ仲間ヲオビキ寄セヨウウッテノハ、イイアイデアダッタナ。改善点トシテハ、オ姉サンノ口ヲ塞イドカナイト作戦ヲ邪魔サレチャウ所カナ」


 フロストはそう言って地面に降り立つと、マリアの口元に手を伸ばし、冷気を纏った手で触れる。マリアの唇はかじかんで口を開けなくなってしまった。そしてフロストは腰を抜かしているもう一人の男を、不揃いな三つの目で睨む。


「ひっ、ひい!」

「オ前ヲ食ッテカラ、マタオ姉サンノ罠ヲ仕掛ケルコトニシヨット」


「──残念だけど、もうその罠は使えないネ」


 そのとき、フロストの延髄に向かって鋭い蹴りが入れられた。フロストは白目を向いてその場に倒れ込む。マリアが「ヤン!」と叫んだが口が動かせなかったため明瞭な言葉にはならなかった。


「マリア!今助けるヨ!」


 ヤンが地面に降り立ちマリアに向かって振り向く。生き残った非合法ハンターの男は拙い足取りで逃げ出した。


 ヤンがマリアに駆け寄り拘束を解除する。


「銃は……奪われてるようネ」


 そのとき、意識が回復したフロストがヤンに向かって触腕を伸ばして攻撃してきた。ヤンはそれを手で受け流しながらフロストの懐に入っていく。接近して来たのを見てフロストも冷気のブレスで応戦する。


「そういう技は攻略済みアル!」


 ヤンは『炎血』の吸血鬼にやったように、腕を使って冷気をかき乱す。胴体が目と鼻の先に来たその時、フロストの体から血が吹き出し、血を凍らせ棘の鎧を作り出した。ヤンは状況を瞬時に判断し、攻撃をやめフロストの足元に滑り込んだ。ヤンが足払いを仕掛けるも、フロストはその場で飛び、避けて木の上へと移った。


「デカイ図体の割にすばしっこいヤツ……!」

「僕ノ勝チダネ、素手デハ僕ノコノ鎧ハ突破出来ナイヨ」


 冷や汗を流すヤンの肩に、マリアが手を置いた。


「マリア?」


 そしてヤンに向かって鼻を鳴らす。それを見てヤンも気付いた。


「そうか!マリアの鼻センサーは今なお健在ネ!」


 それと同時に、高速で飛来した氷の槍がフロストの腹に突き刺さった。フロストは無言のまま槍を引き抜くと飛んできた方向を向き、目の前のハンターを睨んだ。


「……同情するぜ。なんも知らねぇガキが、吸血鬼になって、大人どもの共喰いに巻き込まれて、そんな異形の姿になっちまうなんてよ」

「子供ダカラッテ、馬鹿ニスルナ。今ノ僕ハ、オ前ヨリ体ダッテ大キインダゾ」


 バイアスはフロストに向かって、優しさのこもった口調で話しかける。


「馬鹿にしちゃいねえよ。よくやったもんだ、今じゃこの森の吸血鬼達を支配するほどにまでなってる。凄えガキだよ」

「エヘヘ」


 バイアスに褒められたフロストは上機嫌な様子を見せる。


「ソウダ!オジサン、僕ノ仲間ニナッテヨ。他ノ大人達ヨリズット頼リニナリソウ、ソウスレバ、コノオジサンノ仲間モ殺サナイデアゲル。一緒ニ、コノ国ヲ支配シヨウヨ!僕ラ『凍血』ノ求メル『栄光』ヲ手ニ入レヨウ!」


 だが、バイアスは返事を返さない。バイアスの求める『栄光』とは権力を手に入れることでも、他者を従えることでもない。ただヴァンパイアハンターとして英雄になることなのだ。


「……だからこそ、だ。子供の身でここまで出来るヤツはそういねぇ。将来成長すればもっととんでもない強さになるだろう。お前の部下の『毒血』が言ってた。真祖にすら届きうるって話も、間違いじゃねえかもな。フロスト、お前みたいヤツをなんて呼ぶか知ってるか?」


 バイアスが周囲に『凍血領域フローズン・エリア』を作り出す。それと同時に、フロストの周りに多くの氷柱つららがフロストの方を向いて出現していた。


だよ」


 大量の氷柱がフロストに向かって射出される。ブリザードのように、射出と生成が行われ、フロストは身を固めて守るだけで精一杯だ。


(逆に言えば防御に徹すればこの俺の攻撃ですら耐えられるってことかよ)


 バイアスはフロストの潜在能力の高さに危機感を覚える。異なる属性相手の共喰いという禁忌すらやってのけた怪物だ。ここで仕留めなければ人類にとっての脅威となる。バイアスは槍を握りしめた。


「必死で生きてきたんだよな。そんな姿になってでも、生きていきたかったんだよな。わかるぜ、でもな……


 バイアスはフロストに向かって高速で突進する。確実に息の根を断つために。


「バイアス、気をつけるネ!マリアの銃が取られているヨ!部下が狙っているかもしれないアル!」


 無論、バイアスもヤンの言ったような、部下からの攻撃を警戒していた。そのため、後方や側面から攻撃されても木々が弾を防ぐようなルートを取って突撃していた。


 だが、バイアスは一つ過ちをおかした。──もっとも、それはフロストと話して彼の考え方をよく知ったマリアでしか気付きえないようなことだったが。


 それは、フロストは決して他者を信用しないということ、部下に自分の命を託すようなことはしないということだった。


 フロストは目の前のバイアスに向けて大きく口を開けた。そして口の中には、


「──発射ファイア


 バイアスの心臓を弾丸が貫いた。


「……!?」


 バイアスは空中で姿勢を崩し地面に落下した。胸元からは血がとめどなく溢れている。


「バイアスーーーーーーー!!!!!!」


 叫んだのはヤンであった。怒りとともにフロストに突進していく。それを見てフロストは棘の鎧を見せるが、ヤンは止まらない。


「腕なんてくれてやる!『滅殺破掌』!」


 ヤンはフロストの心臓目掛けて掌底をくらわせた。氷の棘が突き刺さり、ヤンの手は傷つき、凍りついた。だがフロストも心臓が破壊され、大量の血と共に隠し持った銃を吐き出した。


「もっと早くこうしていれば……マリア、早くバイアスの手当てを……」


 だが次の瞬間、ヤンは信じられないないものを見る。心臓を潰したはずのフロストがヨロヨロと立ち上がり、こちらを睨んでいたのだ。フロストは吸血鬼の枠組みを超え、一つの強靭な生命体と化していたのだ。


「マダ生キテル……止メヲ……サス!」


 フロストがバイアスに向けて触腕を伸ばす。マリアが咄嗟に間に入るが、フロストの腕はマリアごとバイアスを突き刺すだろう。マリアが死を覚悟したその瞬間。


 フロストの触腕は一刀の元に切り飛ばされた。マリアの目の前にはよく見知った一人の少年が映っていた。


「約束したでしょう?みんなで生きて帰るって」


 吸血鬼ヴァンパイア、キッドがフロストの前に立ちはだかっていた。

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