第24話 「……」
〇神 千里
「……」
「そんなに見ても何も変わんねーよ。」
「……」
「知花。」
「…だ…だって…」
夕べは咲華の家で食って飲んで…
酔っ払った知花は、安定して俺にくっついて来た。
まあ、嬉しいよな。
そんなわけで、写真もたくさん撮った。
ホテルに戻って…なぜか俺も妙に眠くて。
二人揃ってさっさと眠った。
ぐっすりと。
そして、やけにスッキリした朝を迎えて…
何も覚えていないという知花にスマホを見せると。
それを両手で持って、ベッドで正座したまま微動だにしなくなった。
「あ…あたし…娘の前で…なんて事…」
「娘だけじゃなかったけどな。」
「…初対面の人もいたって言うのに…」
「ま、いんじゃねーか?おまえが酔っ払ってたってのは、みんな分かってたし。」
「…千里…嬉しそう…」
画像の俺を見て、知花が唇を尖らせる。
「俺が嬉しそうだと、なんで唇が尖るんだ?あ?」
知花の唇を指で軽く弾きながら言うと。
「酔っ払ってるあたしじゃないと、嬉しくないみたい。」
「……」
「もうお酒飲まない。」
聞いた事あるセリフだなー。なんて思いながら、俺は知花の後ろに回り込む。
「新婚旅行なんだぜ?固い事言うなよ。」
そのまま後ろから知花を抱きしめて耳元でそう言うと、知花はくすぐったそうに首をすくめて。
「だって…恥ずかしいよ…」
消え入りそうな声で言った。
「そうか?環さん達にはいい薬になってたけどな。」
「…いい薬?」
「あまりにもよそよそしいから、もっとくっつけって言ったら、まあまあな感じでくっついてた。」
「まあまあな感じでくっついてた?」
知花は首だけ振り返って。
「織さん、どうだった?」
大きな目をパチパチさせた。
「どうだった…って…織さんより海が照れてた。」
「海さんが?」
「親がくっつくのを目の当たりにした事ないんだろ。」
「…咲華は?こんなあたし見て…」
「知花からだってのは珍しいとは言ってたけど、違和感はないっつってた。」
「……」
「別に困るこたねーだろ?俺は知花とくっついてたいんだ。」
首筋を甘噛みしながら言うと。
「もう…」
知花はスマホに視線を落として、画像の続きを見始めた。
俺もそれを知花の肩越しに見る。
昨日…
山崎さんとやらは、どうして環さんに同行していたんだろう。
慰霊碑では…大した会話はしなかった。
ただ、初めて来たのかと聞かれて…
ビートランドではずっと噂になっていた地ではあるものの、簡単に来ていい場所とも思えなくて。と、打ち明けた。
…正直…
あそこは、地図にも載っていない。
Live Aliveの時、丹野さんの映像でニューヨークに慰霊碑がある事は流されたが、ハッキリとした場所はアナウンスされなかった。
何人かがナオトさんに聞き出そうとしたらしいが…
「実は俺も知らないんだよ。本当にあんのか?ってナッキーに言ってるんだけど、あいつもどうだったかなーなんて言うからさ…」
と、うやむやにされた。
そして、丹野さんの娘である、朝霧の嫁さんに直接聞き出そうとする者もいたが。
なぜか、娘であるにも関わらず…彼女もまた『何も知らない』と答えたそうだ。
慰霊碑に訪れたいアーティストは多くいるようだが、誰一人…それは叶えられていない。
ついには、映像用だったんじゃないか。なんて噂も出ている。
俺は…何となくだが、実在すると思ってた。
SHE'S-HE'Sも実在しないバンドと噂されるぐらいだ。
高原さんは…隠したい事は徹底して隠す。
たぶん、慰霊碑の事も…知ってて隠さなきゃならない何かがあったんだ。
だが、あの映像には…何等かの理由で使われたに違いない。
…そんな場所に。
知花は、何の迷いもなく向かった。
地図を見るでもなく。
まるで何かに導かれるように。
「…知花。」
抱きしめる手に少し力を入れた。
「ん?」
「昨日…」
「うん。」
「…ケリーズ、楽しかったな。」
「…うん。」
「……」
なぜ。という疑問をぶつけてみたかったが…
せっかくの旅行で。というためらいが、言葉を止めた。
そんな俺に気付いたのか…
「…どうして…慰霊碑の場所が分かったか?」
知花は…手元のスマホを眺めたまま、小さな声で言った。
〇神 千里
「わー、見て。いい眺め。」
「…だな。」
ポケットに手を突っ込んだまま、風に前髪をなびかせる知花を眺めた。
少し高台の住宅街の一角にある、小さな公園。
本当に…なんて事ない、公園。
なぜここに知花が来たがったか。
「ここはね、昔トレーラーハウスがたくさんあったの。」
「ほお…そりゃ二人の好みっぽいな。」
「でしょ?ちょうど…その辺りかな。」
そう言って知花が指差した場所には、当然だが…トレーラーハウスはない。
だが、知花が事細かに説明するそれを聞いていると。
まるで、見えないその景色が見える気がした。
知花がなぜ、慰霊碑の場所が分かったか。
それだけじゃない。
ケリーズも、Lipsも…ついでに言うとカプリも。
「…信じてもらえるかどうか分からないけど…」
知花は俺の手に触れたまま、話し始めた。
高原さんと義母さんの話を聞いているうちに、妙な懐かしさを感じた事。
そしてそれを『知ってる』と思い始めた事。
知花は義母さんのお腹にいた時、義母さんが歌ってた『If It's Love』を覚えてたぐらいだ。
この世に生まれて来る前の事を知ってると言われても不思議じゃない気はするが…
ケリーズと慰霊碑は、産まれた後の事だ。
死産だと告げられて桐生院を追い出された義母さんが、知花の存在も知り得ずに渡米してからの事。
どうしてそれを…知花が知ってる?
「母さんが…寝た切りになってた時に、あたし、何度か会いに行ったの。」
それは、高原さんがマンションとは別に、寝た切りの義母さんと生活するために買っていた家。
緑の中にポツンと佇む、まるで…おとぎの話に出て来そうな屋敷だった。
「そこに通い始めて…何度か不思議な夢を見た。」
「…不思議な夢?」
「ええ。歩いた事のない道を、あたしは行きかう人達に挨拶をしながら歩いていくの。だけど…それはあたしじゃない誰か。」
「……」
「すごく鮮明な夢だった。だから忘れられなかった。」
そして…寝たきりだった義母さんは、何がキッカケだったのか俺は知らないが…
目覚めて、桐生院に戻った。
「母さんが桐生院に戻って、嬉しい反面…ずっと後ろめたくも思ってた…」
それは、想い合っていた高原さんと引き裂いてしまったという罪悪感。
そんな思いのせいか、知花はずっと…高原さんにも義母さんにも、負い目を感じてた。
そして、義母さんもまた…
桐生院のみんなに。
特に、知花には。
負い目を感じてる。
「…あの夢は、母さんだ…って気が付いたの。」
普通ならあり得ない話なんだろうが…
俺にとっては、それが普通に思えた。
「ただ…慰霊碑のある場所は…」
知花は伏し目がちになって。
「…宝石店があって…」
俺の胸にすがると。
「…母さんは…」
「……」
「…母さん…」
小さな声で繰り返した。
俺は知花をギュッと抱きしめる。
「…なあ。」
「…え…?」
「俺は義母さんが何者でも、家族として…おまえの母親として大事だと思ってる。」
「……」
「それに、おまえがどんな人間でも、だ。俺にとっては最愛の妻で、かけがえのない存在だ。」
「千里…」
「言ったろ?覚悟しとけって。」
「…ありがとう…」
正直…少し足がすくみそうになった。
知花は…そこまでもを夢に見ていたというのか。
あの宝石店で、銃撃戦があった。
義母さんはそこで…丹野さんを撃ったテロ組織全員を…射殺した。
…一人で。
義母さんは二階堂を辞めた人間。
すぐさま、記憶は消されたが…ずっと意識の中に罪として居座り続けたそれは。
きっと今は…戻っている。
義母さんの記憶の中にも。
「…あたしに…無駄に色んな知識があったり…」
俺の胸で、知花が涙声になった。
「あり得ないぐらい…耳が…良かったり…」
「…ふっ。おまえの特技、俺は自慢だぜ?」
「……」
「何も気にするこたねーよ。何も背負わずに生きてるやつなんていねーんだ。それを小さくするか大きくするかは自分次第。おまえのそれは、俺達の幸せより大きいか?ん?」
頬に触れて問いかけると、知花は涙を拭きながら俺を見上げて。
「…いやんなっちゃう…こんなカッコいい旦那さま…」
泣き笑いをした。
…関係ねーよ。
ほんと。
今回、旅行の話をした時…環さんから聞いたあれこれの中で…
俺は、自分の記憶についても考えた。
アズと出会った頃が思い出せない。
あんなに気になって知花ともケンカになったっつーのに…
どうでも良くなった。
それは、知花の背負ってる物の方が大きいからとかじゃなく。
純粋に、今を大事にしたいと思ったからだ。
過去があっての今だとしても。
過去は過去でしかない。
「ほんと、いい眺めだな。」
知花の手を取ってそう言うと。
「若い二人は、ここでどんな風に生活してたんだろうね…」
知花は自分から俺の腕の中に来て。
「…千里、ありがと。」
安心したような笑顔で…目を閉じた。
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