第10話 「坊、ここはもういいですから。」
〇二階堂 海
「坊、ここはもういいですから。」
浩也さんがそう言ってくれたが…
「そんなわけにはいかない。」
俺は現場を動かなかった。
アメリカを拠点にしている俺が、日本の現場に出る事は少ない。
それでなくても、現在二階堂は待機状態。
国内での現場なんて…久しぶりだ。
そんな時こそ、状況を把握しておかないと。
「ですが、残る仕事は私達だけでも十分務まります。」
「……」
浩也さんが、俺の肩に手をかける。
「さくらに言われたでしょう?オンとオフは使い分けろと。」
…全く。
「それに、少しは下の者に任せる事も学んでください。」
若干の嫌味にグサグサと胸に刺されつつ、俺が小さく笑うと。
「さあ、奥様とお嬢様の所へ。」
浩也さんはそう言って、俺の背中をポンポンと叩いた。
「……分かりました。」
小さくため息をつきながらそう答えて。
「じゃあ、あとは頼みます。」
立ち上がる。
「任せてください。私が見届けておきます。」
「よろしくお願いします。」
今までなら…無理を言ってでも残る所だが。
咲華とリズの事だけじゃない。
本当は現場も気になるが…確かに、誰かに任せる事も仕事の内だ。
どんな現場も俺一人が仕切っては…育つものも育たない。
華音にも沙都にも…トシにも言われてしまう『クソ真面目』という言葉。
…少しは抜く事も覚えたと思ったが…
まだまだなのか…。
さすがに黒いスーツのままはいただけないと思い、一旦自宅に戻った。
するとそこに…
「あら。どうしたの?」
母さんが帰って来た。
「何。」
「動物園じゃ?」
母さんは時計を見て俺を見て、もう一度時計を見た。
「ああ…ちょっと現場に出てた。」
「えっ。浩也さんが行ってくれてた埠頭の件?」
「それ。帰らされた。」
「もう…当たり前よ。どれもこれもに首突っ込まないの。部下が育たないわよ?」
「…同じこと言われた。」
首をすくめて笑う。
シャツの袖のボタンを留めたり外したりして…結局留めると。
「今から合流するの?」
母さんがスマホを見ながら言った。
「ああ。」
「…あたしも行く。」
「え?」
「だって、ほら。楽しそう。」
そう言って差し出されたスマホを覗き込むと…
「…何で親父が。」
そこには、咲華達と合流して、ピースサインなんてしてる親父の写真。
「近くを通ったから寄った。ですって。リズちゃんが可愛くて仕方ないのよ。」
母さんは少しだけ唇を尖らせてつぶやくと。
「さ、早く行きましょ。」
俺の腕を引いた。
〇桐生院知花
「あははは。そりゃないよな。」
「そうかな。俺はありだと思うけど。」
「んじゃ、今夜正宗さんに聞いてみるか?」
「残念ながら、今夜はプラチナは休みだ。」
……あたしはー…
目の前で仲良さそうに会話してる、千里と…海さんのお父様の環さん、二人を眺めてた。
動物園に来て、何だかみんな大はしゃぎで。
もちろん、あたしも楽しんでるんだけど。
咲華は…海さんがいなくて残念なはずなのに、それを顔にも出さずに笑顔。
…我が娘ながら…尊敬しちゃうよ…
あたしなんて、つまんないとすぐ顔に出しちゃって心配かけるのに。
ああ…反省。
って思ってる所に…
環さんが登場した。
いつも見るスーツ姿で。
て事は…お仕事中のはず。
だけど、かれこれ…20分は千里と盛り上がって園内を歩いてる。
最初はみんなに自己紹介したり、リズちゃんと写真を撮ったりだったけど…
それ以降は千里にベッタリ。
…こんなに仲良しだなんて。
「光史は環さんと面識あったの?」
自然と、あたしは光史と瑠歌ちゃんと三人で歩いてたんだけど。
ふいに瑠歌ちゃんが光史に問いかけた言葉に…つい、興味津々。
「ああ…昔、陸んちに行くと必ずそこにいた人だからな。」
「へえ…」
「でも、護衛の立場の人だったから、あんな風に笑ってるのは初めて見る。」
そう言った光史の視線の先にいる環さんは、千里と笑顔で喋ってる。
…そっか。
二階堂の人だもの…あたし達一般人とは、ちょっと違うものね。
志麻さんだって、硬い表情が多かった。
「環さんて、逆玉に乗って会長にのし上がったって事?」
瑠歌ちゃんの真顔での言葉に、つい光史と二人で笑ってしまう。
「逆玉って…まあ分かりやすく言えばそうかもしれないけど、環さんはずっと織の事好きだったからな…成就した時はちょっと驚いたけど嬉しかったのを覚えてる。」
「昔から、あんなにカッコいい人なの?」
「おまえ…亭主に堂々と…」
「だってカッコいい人じゃない。」
「まあそうだけど…」
ふふっ。
光史と瑠歌ちゃんのやり取りって、何だか華音と華月が話してるみたい。
…って、言ったら失礼だから言わないけど。
こうしてみると…
あたしだけが成長してないように思えてたけど、どこの夫婦も変わらないのかなあ。
光史はクールなタイプだけど、瑠歌ちゃんと結婚して表情豊かになったし、千里ほどじゃないけど人前で愛情表現もする。
瑠歌ちゃんの生まれ育ったお国柄もあるのかもしれないけど、光史はいいように変わったと思う。
「はっ…」
不意に腕を引かれて、首に腕が回って来て。
「……」
耳元で…吐息のような…だけど…
この声はー…
「…織さん?」
あたしが少しだけ顔を振り向かせようとすると。
「さすが、いい耳。」
あたしは織さんに後ろから抱きしめられてるみたいな感じで、そのまま『よしよし』ってされた。
「久しぶりだな。」
そんな織さんを見て、光史が笑う。
「光史も来てたの?」
「ああ。息子と孫も。あ、嫁の瑠歌。」
光史が瑠歌ちゃんを紹介すると…
「あたしは…初めましてですよね?瑠歌です。」
瑠歌ちゃんがそう言って、少しだけ織さんをマジマジと見て。
「陸さんとそっくり…」
目を丸くした。
…うん。
織さんと陸ちゃんは、ほんと…よく似てる。
きれいな双子。
「光史がこんなきれいなお嫁さんもらうなんてって、あの頃は驚いたけど…意外とお似合い。」
織さんがあたしの肩を抱き寄せたままで光史に言うと。
「意外とって何だよ。」
光史は笑った。
〇二階堂咲華
「全く。こんな大事なプライベートを差し置いて仕事に行くなんて、我が息子ながら呆れるな。」
そう言って、リズの頭を撫でてるのは…海さんのお父様。
格好から見て、どう考えても仕事中なのに。
突然現れて…
「二階堂 海の父です。」
って、みんなに挨拶して。
って言っても、初対面は沙都君のお母さまだけ。
それから、リズを抱っこして写真を撮って。
なぜかうちの父さんと笑いながら肩を並べて歩いて。
ちょっと寄ったぐらいなのかなあ?って思ったけど…
もう、かれこれ30分は父さんと並んでる。
そうこうしてると…
「遅くなってごめん。」
「ぱーっ!!」
「え…っ、海さん…?」
海さんが、笑顔であたしの腕からリズを抱き上げた。
「ぱっ、ぱーっ。」
あー…
リズの喜ぶ姿見てると、何だろ…泣きそうになっちゃった。
一緒に来れなくて寂しかったけど、海さんの仕事柄、それは仕方ないって思ってたのに…
やっぱりあたし、来てほしかったんだよね…
「…仕事…」
遠慮がちに問いかけると。
「要らないって言われた。」
海さんはあたしの前髪をかきあげたついでに、頭を抱き寄せて。
「遅れてごめん。」
少しだけ…額にキスしてくれた。
もう。
そんなことされたら、なんでも許しちゃうじゃない。
「…お母様も?」
少し離れた場所で、うちの母さんと朝霧さんご夫婦と歩いてる海さんのお母様を見付けて問いかけると。
「親父から楽しそうな写真が送られて来て、行くって言うから連れて来た。」
海さんは首をすくめてそう言った。
「ふふっ…勢揃いね。」
「空と泉に文句言われそうだ。」
「あっ、ほんと…大丈夫かな。」
「泉は向こうにいるから仕方ないとして…空には電話しとくか…」
本当、仲良しな海さんのご家族。
空さんに電話をする海さんを見て、華音と華月も早く来ないかなって思った。
そして、聖も来れたら良かったのに…って。
「出掛けてるらしい。今日の事を今言うなって叱られた。」
空さんとの電話を切った海さんは、苦笑い。
「確かにね…まさかの増員だったから…」
「ま、今度何かで埋め合わせするさ。」
「うん。」
「それよりリズ、キリンは見たか?」
海さんがリズの顔をマジマジと見ながら言うと、リズは小さな手で海さんの顔をピタピタと触りながら笑った。
「キリンさんもゾウさんも見たわよね~?」
「そうか。一緒に見れなくてごめんな?また絶対一緒に来よう。」
「お仕事だもの…仕方ないわよ。」
「しなくてもいい事まではしないよう、努力する。」
「……」
「ん?」
「ううん…」
ああ…
あたし…
海さんの事、大好きだ…。
海さんのあたしへの想いに追い付けるかな…って悩んでた事があるなんて、嘘みたいに。
気持ちを計れるメーターがあるとしたら、全開で振り切れてるし、あたしの方がぜっっっっっったい大きい。
…そんな事、口にした所で反論されそうな気がするから言わないけど…
しなくていい事まではしないよう、努力する。なんて…
今までいろんな人から海さんの仕事ぶりを聞いてたけど…本当に、仕事人間。
プライベートなんてなくていいって言うほど、仕事が大好き。
それを…『しない努力』だなんて…
無理させてないかなあ?
「思ったことは言う約束じゃ?」
リズを抱っこしたまま、身体をあたしにぶつけて来る海さん。
「………仕事大好きなのに、しない努力なんてさせていいのかなって。」
少し考えて、小さくそうぶやくと。
海さんは少しだけ周りをキョロキョロとした後に…チュッとあたしの頬にキスをして。
「もちろん仕事は大事だけど…仕事より大事に思えるものが出来たら、そうしたい気持ちが湧いたのも事実。」
それから…リズの額に唇を落とした。
その仕草が優し過ぎて…自分の旦那さんなのに、胸がギュッと締め付けられる。
「…こっちで大人数に慣れたから、向こうに戻るの嫌じゃないか?」
「寂しくはなるかもしれないけど…あなたと離れる方が嫌。」
「……そんな可愛い事、こんな場所で言うのは反則だぞ?」
「…聞いたのは海さんじゃない…」
「…キスしたい。」
「……………父さんが見てる。」
海さんの向こう側。
少し離れてるけど…父さんが目を細めて見てる。
あたしの言葉に、海さんはリズをあたしに渡すと。
「遅くなりました…」
来た報告をしに、父さんに駆け寄った。
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