第91話 悪夢



 月の綺麗な夜。一人の修道女、エロンが泉の前にたたずんでいた。

 現在は修道女と分かる服装をしておらず、軽装の上からローブを羽織っている姿だ。彼女が聖女と呼ばれる女性であることは一目ではわからないが、その美貌は誰もが目を止めるものだろう。


「神よ、感謝します。再び彼女に出会えたことを。」

 いつも、ひざまずいて腕を組んでいたエロンだが、今の彼女はただ天に向かって話す。


「ですが、感謝は致しても、もうこの身をささげることは致しません。この身はただ一人、彼女に捧げます。」


「ありがとう、そしてさようなら。」

 懐から取り出した教会のシンボルを、エロンはためらうことなく泉に捨てた。


 もと来た道を戻る。


「もうすぐね。」

 クリュエル王都を出て、2週間がたった。

 ドラゴンを倒し、ウォームとはけた違いの強さを持つ魔物を倒し、魔王を倒すための力をある程度付けた。それでもまだまだ足りない。

 だけど、魔王討伐隊は進み続ける。いくら強くなっても、魔王に届かないことはわかっているから。


「次は、あの村・・・だった場所ね。」

 道案内をしているエロンは、まっすぐ魔国へ行くルートでなく、魔物がいそうなルートを通っていた。それは、かつて人が住んでいた場所ばかりで、次の場所も村だった場所だ。


「あの村は避けるべきだったかしら。」

 少し迷ったが、エロンはその村に行くことにした。それは、エロン自身にも苦痛を強いることだったが、その場所に行く必要があると感じたのだ。


「これでだめなら、諦めるわ。サオリ・・・」



「はぁはぁはぁ」

 息を切らして走る。すぐ後ろにある気配から逃げるために。


 あぁ、なんで私の体はこんなに小さいのか。もっと大人だったら、早く逃げられてもっと時間が稼げるのに。


「はぁはぁはぁあっ!?」

 地面が迫る。痛みが広がる。


 転んだ。


 終わった。



「・・・っ。夢?」

 目を開ければ真っ暗闇。目が慣れてきて、星の光を見られるようになって、起き上がる。


「サオリ様?」

「ルト・・・ごめん、起こした?」

 起き上がったルトが、私の横に座った。


「ずっとうなされていましたので、心配していました。」

「そっか・・・悪い夢を見ていたの。でも、夢だから大丈夫。」

「怖いものは怖いですよ、サオリ様。」

 ルトが私の手を握った。温かい手、私の手が冷たいのだと気づく。


「僕がそばにいます。だから、安心して眠ってください。」

「うん、ありがとう。もう大丈夫だよ。ルトも眠って。」

「なら、失礼します。」

 そう言って、ルトは私の隣に寝転がる。


「え、ルト!?」

「隣にいなければ、手を握っていられないので。お気になさらず、僕も寝ますから。」

「・・・いや、さすがにそれは・・・」

「サオリ様が寝てくださらないと僕も眠れません。僕を寝不足にする気ですか?」

「・・・ルトも、結構押しが強いよね。」

「嫌ですか?」

 私は首を振って、横になった。


 そして、いつの間にか眠っていて、気づいたら朝だった。




「今日は、私の生まれ故郷の村だった場所に行こうかと思います。」

 馬車に乗り込む前に、案内役となったエロンがそう言った。


「エロンの生まれ故郷か。村だったということは・・・」

「はい、魔物に襲われて・・・もっと詳しく言えば、四天王ラスターの手によって滅ぼされた村です。そのまま魔物が住み着いているそうで、今はだれ一人住んでいません。」

「そうか。なら、その魔物を倒して、村を取り戻すか。」

「取り戻しても村に人は帰ってこないと思いますけどね。」

「だけど魔物の住処になっているよりはいいだろ。な、サオリ?」

「そうだね。エロンも、そのほうがいい?」

「はい。それに、住み着いた魔物は強いと聞きました。みなさんの経験にもなるかと思います。」

「なら決まりだね。道案内よろしくね。」

「もちろんです。」

 こうして、その村に向かうことが決まった。なんだか胸がざわつくが、特に何も言うことなくエロンに任せることにした。


「サオリ様、昨日は眠れましたか?」

「うん、ルトのおかげだよ。あれから怖い夢も見なくて、ぐっすりだった。ありがとう。」

「いいえ。でも、お顔の色がすぐれません。少し眠ったほうがよろしいのでは?」

「何、サオリ調子が悪いのかしら?私が膝を貸してもいいわよ。」

「大丈夫、ありがとうプティ。」

「なら、僕が敷布団になります!」

「いや、だから大丈夫だから!・・・全く、誰に似たんだか。」

 毎晩顔を合わせる商人の顔と、ルトの顔が重なり頭を振った。あんな変態と一緒にするのはかわいそうだ。


 それから休憩をはさんで、村が見える場所まで来た。今から村に入れば夜になってしまうので、今日は村に入らずに、明日の朝から村に入ることになった。

 魔物の中には夜目が利くものがいるが、私たちの中で夜目が利くのは、ルトとオブルだけ。戦闘になれば不利だ。


「囲いは機能していないな。家は、朽ちているが雨風はしのげそうだな。」

「魔物の姿は見えませんね。魔人も・・・見張りがいないということは、いないのでしょうね。」

「家の中に入っているのでしょうか。以前聞いたときは、四足歩行の魔物が数体と2足歩行の魔物が2体住み着いていると聞いたのですが。」

「群れですかね。もしかしたら、狩りの最中かもしれません。」

「他に魔物の特徴は聞いているか?」

「狼のようだと。四足も二足も外見はほとんど変わらないそうです。」

「・・・それって、ドラゴンの山で見た魔物じゃねーのか?」

「確かに、村を襲ったときもあの魔物がいましたので、その可能性は高いです。」

「サオリ様、大丈夫ですか?」

 ルトに声をかけられるが、返事ができなかった。


 魔物がいない?

 なら、あれはなんだ?


 私の目には、村を襲う魔物・・・ドラゴンの山で見た魔物が見えた。そして、いないはずの人間が、その魔物に襲われている。


 頭が痛い。

これは何?私は、何が見えている?


その時、後ろから何かが迫る気配を感じ、私は振り返った。


「サオリ、顔が真っ青よ。」

「え・・・ろん。」

 苦しそうに笑うエロンが、私の頭をなでた。


「もう、今日は眠ったほうがいいわ。ほら、行きましょう。」

 エロンに手を引かれ、私はそのまま歩き出した。ルトも反対側の手をつないでそばにいてくれる。


 この手を、私が引いていた。


 あれ?何を考えていたっけ。



 必死で走った。私一人だけならいい。でも、守る者がいたから。


 なんだか、頭がボーとする。



 でも、逃げ切れないってわかったから。私はその手を放して・・・


 頭が痛い。



 私は一人で走った。私はここだと主張するように。


 もう、何も考えられない。いや、考えているけど、何を考えて・・・



『***!』

 呼ばれた気がした。それと同時に、胸に鋭い痛みを感じて、私は意識を失った。



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