第92話 サオリとエロン




 青い顔をした、意識のないサオリ。

 エロンは、そんなサオリの頭をなでて、頬に手を添える。サオリの温かみを感じて、生きていることを実感し、息をつく。


 あの時と違い、温かくて、息をしている。

 それが、とてつもなく幸せなことだということを、一度失ったエロンは知っていた。


 エロンは目をつぶった。

 そして、あの時のことを思い出す。


 あの村で、生まれ故郷であった悲劇を。




 エロンは、少し裕福な農家の生まれで、両親ともに見目がよく、優しかった。そんな2人から生まれたエロンも、周囲から抜き出た愛らしさを持ち、心根の優しい少女で、誰もが彼女を愛した。


 しかし、多くの友の中で、特に親しくしていた少女は、気味悪がられる子で、彼女とは正反対だった。子供らしくない、それが少女の忌避される理由だった。

 だが、エロンは自分の知らないことを、大人さえ知らないことを知る少女を尊敬し、その話を聞いた。そして、彼女から一番の秘密を教えてもらう。


「私ね、本当の名前はさおりっていうの。」

「サオリ?」

「そう。エロンにだけ教えてあげる。私はね、一度死んで生まれ変わってここにいるんだよ。しかも、生きていたのはこことは別の世界なの。」

「別の世界?勇者様みたいな?」

「うん、そう。召喚された勇者と、たぶん同じ世界から来た。」

「すごい!」

 嘘みたいな話。でも、エロンは信じた。そして、それからはサオリの世界のことをたくさん聞いて、サオリの世界のことが好きになった。


 そして、本当の名を呼ぶようになって、エロンはサオリの特別であることに温かい気持ちになり、もっとサオリが好きになった。


 家の手伝いをして、サオリから別世界の話を聞いて、遊んで。そんな日常がいつまでも続くのかと思っていた。でも、そんな日常は唐突に終わる。


「来て、エロン!」

 両親に言いつけられ、家の物置に隠れていたエロンの手を、サオリが引っ張った。エロンは、そんなサオリに従って、必死にサオリに合わせて走る。


 家を出れば、鉄の匂いと焦げた匂いがして、怒声と悲鳴、獣の咆哮が聞こえて足が震えた。それでも、サオリが引っ張るので、何とか足を動かし走った。


 いつまで走るのか、いつ終わるのか。

 そう思ったとき、サオリが足を止めた。目の前には、村の中心に植えてある大きな木。


「エロン、ここで待っていてね。」

「サオリ?」

 目を潤ませて、泣きそうな顔で笑うサオリだが、動かないエロンを無理やり木の根元付近にあった洞

うろ

に入れた。ぎりぎり子供一人が入れる大きさの洞。


「サオリ、どこに行くの?」

「息を殺して、目をつぶって、何も聞かないで。きっと助けが来るから、その時まで・・・気配をできるだけ消して。」

「待って!」

「黙って!」

 今まで怒鳴ることのなかったサオリが、エロンを怒鳴った。そのことがショックでエロンは黙り込む。それを見て、悲しそうに笑って、サオリは声を出さずにつぶやいた。


 さようなら


 走り出すサオリを目で追って、そんなサオリを狼のような魔物が追うのを見て、怖くて声が出せなかったエロンは、目を閉じることさえできずに、その光景を見ていた。


 サオリを追う狼は、遊ぶようにサオリに追いつかないように走っているようだった。だが、それもサオリが転んだことで終わった。

 魔物は、どこからか剣を取り出して、サオリの胸にその剣を突き立てた。


 何かが叫ぶ。それは、サオリのこの世界の名を呼んでいた。その声は、すぐ近く、自分が出している声で、エロンはサオリの言いつけを守れなかった。


 サオリの血がしたたる剣を持った魔物が、こちらを見た。その顔が笑った気がした。




「ルト!」

 リテのルトを呼ぶ声で、エロンは目を開けた。近くに座っていたルトは、今は立ち上がりリテを迎えていた。


「こちらは無事のようですね。あっちは魔物に襲われて、今アルクたちが相手をしています。」

「そうですか。こちらに異常はありません。こっちは僕たちに任せてください。サオリ様は僕たちが守ります。」

「・・・お願いします。オブルはいますか?」

「俺はサオリの護衛だからな。」

 暗闇から現れたオブルを確認して、リテは頷いた。


「では、任せます。決して無理はしないように。勝てないと分かった時点で、何としてでも逃げてください。」

「わかりました。リテさんもお気をつけて。」

「ありがとうございます。」

 サオリを一瞥した後、リテは走ってこの場を後にした。



 そして、ルトが魔物の気配を感じ取り、サオリをエロンに任せて2人は魔物と対峙した。


 獣の咆哮、剣同士がぶつかる金属音。そんな音がエロンの耳に届いて、身体が震えた。


 自分は何をしているのか?みんなが戦っている中、自分はまた安全な場所にいる。体は大きくなっても、これでは子供の時と同じだ。


 何も変わっていない。


 罪悪感にさいなまれるが、エロンが動くことはなかった。エロンが行ったところで、足手まといになるのは目に見えているからだ。




 それから、数時間がたち、戦闘が終わった。

 傷ついた仲間たちを見て、エロンは立ち上がる。やっと自分の出番だと。


 仲間に回復魔法をかけながら、誰一人欠けていないことに安心し、子供の頃と違い仲間を癒せる自分を、少しだけ誇った。



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