5-10 私にできる事は

”落ち着きなさい、ナナエ”


 その一言と一緒に、インクがにじみ出るように世界に色が戻り、即座に私の手が窓のガラスへと吸い寄せられて触れた。

 窓ガラスの冷たい感触を確かめながら、イナンナ様の言葉を聞く。


”本来はこの状態に入るだけでも魔力を消費するし、心身にも影響はあるのよ。

 だから……”


 そこまで言ったところで私は彼女の言葉に割り込んだ。


(イナンナ様?)


 焦燥感に焦がされているわけでは無い、そう自分で信じながら言葉を選んでいく。

 これは何が起こっても大丈夫なようにするために必要な事なんだし。


 私は窓に少しだけ体重を預けながら再度質問をする。


(あの白黒の世界で、私は体を十全に動かすことって出来ないんですか?)


”出来なくはないわ。むしろ、それが私の魔法の範疇なのよ”


 話を止められたことを気にかけた様子もなく、イナンナ様はそう答えた。


 彼女の魔法の範疇。それだけで、私は言わんとしている事を理解する。


 自分でも、どうしてこんなに勘が優れているのか、単純に私が聞いた事を覚えていて考えることができたのかちょっと不思議に思うのだけれど、何はともあれ彼女の言いたい事はこうなんだろう。


(それって、認識を変換させて、高速化された思考と同じ速度でも動けるようにするって事ですか?)


”おおむね正解、ね”


 そして、イナンナ様が重そうに正解を告げた理由にも考えが及んでしまう。


(でもそれって、普通にやっても肉体はついていかないんですよね? 無理させるって事で合っていますか?)


”ええ。その通りよ。基礎的な肉体強化と心理的な強化で無理やり速度を出すのが私のやり方よ。

 弊害として、ほぼ常時治癒をし続けないと肉体が速度についてこれなくてバラバラになるって言うのと、生身の人間でそれを行った場合、連続した治癒により寿命は著しく縮まる・・・・・・・・・わね”


 治癒魔法の使い過ぎによる寿命の低下は、高校に入ってから学校で習った事だった。治癒魔法を使い過ぎると細胞の再生限界が早く訪れることになり、結果として早く死ぬ。大戦後に生き残ったはずの魔術師が次々と早逝したのもそれが原因だったとかなんとか。


 イナンナ様には何かその解決方法がある……とは思いにくかったけれど、私は一応それを聞く。


(今まではどうやってその問題を克服していたのですか?)


”今まで? ああ、基本的に私が降臨した時の肉体は使い捨て・・・・よ”


 あっさりと言い放ったそれに、ああ、うん、ですよね。としか答えが出ない私。


”そもそも、こんな肉体なんて執着するものでもなかったもの。用が済めば捨てればいいのだと思っていたわ”


 その言い方は、最初に私と合った時の口調とよく似ていたと思う。でも、今は少し違うのを知っている。


”安心してナナエ。今となっては私はこの体を粗末に扱うつもりはないわ。ただその代わり、戦力として見積もるときに低く評価することになるのは否定できないけれどもね”


(なんとかならないんですか?)


”即時的には難しいわね。今すぐに何かをしようとすると、確実に寿命を削ると思っていいわね”


 言い換えれば、寿命を削ればなんとでもなる、と。


”させたくはないわ”


 彼女に言ったわけでは無かったのだけれど、それは即答だった。 


”一年や二年の単位で馴染ませていけばある程度の所までは出来るでしょうね。

 ええ、長い目で考えてそうするべきでしょうね”


 イナンナ様の言う事はもっともだった。正しいと私にもはっきりとわかるのだけれど。


 お互いに無言の時間が続き、窓際から離れた私はまたベッドの上に寝っ転がった。


 正しいとはっきりとわかるのだけれど、それとは別に私達には時間が無い。そうも私は感じていた。


(あと二日で何とかなりますか?)


”二日?”


 珍しくイナンナ様の返事は疑問形だった。


(ええ、あと二日です。明日と、明後日の二日だけ。

 三日目の木曜日に多分何かが起こるはずですから)


”木曜日……?”


 その日は、イベントの時に司会者が龍神教の教祖が来ると言っていた日だった。

 その事に対してもう一つ、私は以前霧峰さんが言っていた事を重ねる。


 たしか、この件は十日でカタをつけるって言っていたはず。


 その時から数えて十日目が丁度三日後の木曜日で、同じく龍神教の教祖が来る日だったとしたら、あの人ならば偶然ではないんだろうと私は半ば確信していた。


”……たとえそうだとしても、時間が無さ過ぎるわ。基礎を重ねる事はおろか、付け焼き刃さえまともに出来るかわからないぐらいの時間しか無いわね”


 イナンナ様がそう答えたとしても、私には押し通すことしかできない。


(わかっています。でも、お願いします)


”努力、してみるわ”


 真剣に、だけれど重苦しく返すその返事を聞いて、私は相反する思いを抱く。


 私は神様に何を言わせてるんだろうね。

 無理を言って、あまつさえ、神様に努力までさせるなんて。


 そんな気持ちと一緒に、


 イナンナ様、ありがとうございます。


 いい加減筒抜けなのだから無駄なことなのはわかっているけれど、なるべくその思いは秘めて心の奥底で思うようにした。


 心の引き出しを閉めるように、私はゆっくりと瞼を閉じる。

 もう少し話をしようと思っていたのだけれど、魔力を使った反動なのか虚脱感が一瞬で体を襲い、引きずり込まれるかのように私はそのまま寝入ってしまった。



* * * * * * * * * *



 解っていたことだけれど、その夜も私は夢を見た。 

 魔法を使ったのだし、当然なのだけれども。


 それほど鮮明ではなかったから魔力の量的には大したことが無いと判断は出来たけれど、その夢はいつもの夢だった。


 主人公は長尺の槍を持った銀髪の少女。

 ストーリーはいつも通り。繰り返される悲劇はいつも通りの所から始まる。


 いつも通りではあるのだけれど観客である私はそれを集中して見る事にした。歩法や体の動かし方や、芸術的な槍捌きだけではなく、受けた攻撃の経緯まで。

 さすがに三次元的な動きまでは再現は出来なくても、飛来する黒い弾に対する弾き方や、身のかわし具合を可能な限り記憶しようと試みる。

 この夢の出所はわからなくても、いずれ参考にはなる。そう思って最後の瞬間まで私は集中して見た。


 人にあらざる動きで飛び上がった後の、彼女の最後の振り下ろし。

 弾かれた後に迫りくる竜の顎、それが閉じられる瞬間までしっかりと。



* * * * * * * * * *


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 集中し過ぎた結果として、私は激痛と共に飛び起こされることになった。


”大丈夫!?”


 イナンナ様に言われる間もなく、私は服をめくって古傷を確認する。

 傷跡からうっすらとにじみ出る血が、激痛の源だと訴えていた。


 思い込みから生じる痛みだと昔から医者に言われていたものだけれど、ちゃんと予期しておかないとそれはすごく痛くて、起きた瞬間は体がねじ切れるかと思えてしまうぐらいだった。


 私はにじみ出た血を無造作に着ているパジャマで拭い去り、そのまま仰向けにベッドに倒れる。


 ああもう、パジャマこの洗濯に出さないといけないな。

 血の付いたものは洗濯面倒なんだよね……ああでも今はクリーニングでいいのか。


 考えることは余計なことばかり。

 痛みは相当なものだったけれど、いつもの事過ぎて、どうしてこうなるのか? なんて考える気にもならなかった。


”ナナエ、あなたどうしたの?”


(いつもの事ですよ)


 イナンナ様に返した言葉も普段通り。


”それならいいんだけれど。

 あなたのその古傷、本当に大丈夫なんでしょうね?・・・・・・・・・・・・・・


 彼女から返ってくる言葉も普段通りの気遣いだった。

 それは普段通りだったのだけれど、何故だかそこに私は引っかかりを感じてしまう。


 言葉にするなら、イナンナ様はどうしてそれを聞くんだろうか? って感じ。 


 もっともな質問ではあるのだけれど、それは彼女が私に聞く質問ではないはず。

 私と一緒にいるイナンナ様が知らないはずがないのに。


(ええ、大丈夫ですよ。見栄えは良くないですけれど、動くのに支障はないのはイナンナ様もわかっていますよね?)


”……そうね。大丈夫ならそれでいいわ。にしても、夢を見て血を出すなんて、よくよく変な夢を見るものね”


 ちゃんと夢の事を言って居るし、おかしくはない……ように聞こえるんだけれど……


 のどに小骨が引っかかったような状態は解決されることはなく、私達はすぐにこの話を打ち切ることになる。


 時間はまだ早朝だというのに、部屋の外からトントンとならされるノックが今日の一日の始まりを告げていた。

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