4-26 これが虎穴に入った結果です

 それからしばらくして、霧峰さんが一人で戻って来た。

 法衣姿はそのままに乱暴に扉を開けて入ってきた彼は、姿を見てソファから立ち上がった私たち二人を無視して、手にしていた錫杖を部屋の隅に投げつける様に置いた。

 そして、苛立ちを押さえているのか、無言のままソファに腰掛ける。

 テーブルの上にあった水差しから、コップに注ぐのではなく、直接水をガブガブと飲み干していく姿は、私にはまるで彼が吐き出したい言葉を飲み干していくようにも見えた。


 流石に今回は頭から水を被ることはしなかったけれど、全て飲み干した後で乱暴に水差しを置いて口を拭ってから彼は言った。


「座っていいぞ、奈苗ちゃん。ハタナカはいつも通り立っていろ」


 有無を言わせないその口調はやっぱりお父さんを彷彿させる。

 そして、私達はその言葉に従うしかなかった。


「まず先に、いい話から教えてやる」

 

 と、私が座った後で彼が言った。


「りるの容体は大したことは無かった。単に強い魔力に当てられて意識を失っているだけだ。

 恐らくは急性の魔力適応障害だな。許容量以上の魔力を当てられてパンク寸前になっただけだから、魔力を抜けば何とかなる。

 しばらく様子見の為に入院させる事にはなるが、後遺症などが残るような状態にはならんだろう。

 これに関しては、当直の術医師と俺の見立てが一致したからほぼ間違いないと思っていい」


 その言葉を聞いて、ほっと胸を撫でおろす。


「安心したか?」


 そんな私に霧峰さんが優しい笑顔を向ける。


「ええ」


 一言返した所で、すぐに私の顔が引きつった。


 その、その、その……霧峰さんの顔は全く笑っていない笑顔だって事に遅まきながら気づいてしまったから。


「俺は全く安心できなかったぞ?」


 表情を変えずに、固まった笑顔を向けたまま彼は話を続ける。


「自分の状況を何も考えずに龍神教の施設に行くわ、目を付けられて自分の身を危険に晒すわ、挙句にあんな魔力の使い方するなんて一体何考えてるんだ」


 怒鳴るでもなく、冷静な口調で攻め立てる言葉は十分に痛い。


「りるに外傷が無いのは良くやった結果かもしれんがな。奈苗ちゃんの熾した強い魔力のせいでりるは……」


 そこで言葉を止めないで欲しかった。


 何も様子を変えないまま、霧峰さんはジェスチャーだけで田中さんに合図を送り、追加の水を要求してから、また言葉を再開する。


「……まぁいい。これは無事だった事の方を感謝すべきだろうからな」


 言い切ってから、彼の表情に感情の入った苦いものが浮かぶ。

 けれどそれも一瞬だけ。苦い顔をしていた自分に気付いたのか、すぐに表情を戻し、さらなる言葉を紡ぐ。


「そして、悪い方の話だ」


 一息だけ私に心の準備をする間をおいてから、彼はその中身を告げた。


「奈苗ちゃんは完全に狙われている。当然ながら、女神イナンナが降臨した稀有な人間と言う事でだ。

 ああ、俺らの敵は龍神教でアタリだよ。今更隠してもしょうがないから言うがな」


 私はゆっくりとその言葉を、事実を噛み締める。


「今回は情報戦では負けていなかったはずなんだ。

 空城の計の作戦がバレていたのはこっちでもわかっていた、ハタナカの護衛もつけておいたしな。

 ただ、その状態で奈苗ちゃんがわざわざ相手の懐に飛び込んだのが致命的だった。

 まずは引き込み勧誘でもするのかと思っていたのだが、まさか初手から送り狼を用意して実力行使を選んで来るとは、よくよく相手はこちらの想定外を選ぶ」


 霧峰さんは私の知らない所で情報と言う名の戦いをしていた。それを知らずに動いていた私の行動と結果はこの始末だった。


「さて、この状況で俺は奈苗ちゃんにどうして欲しいかわかるか?」


 霧峰さんは田中さんから注いだ水を受け取り、一口だけ口を付けてからそれを置いた。

 その後で、ゆっくりと、彼は怒気も笑みも無く感情が抜けた平坦な顔を向ける。


「もうわかるだろう、流石に。

 それに、この状況でそれを断るような奈苗ちゃんではないと信じているよ」


 彼は私の行動を決めつけはしなかった。決断は、私に委ねた。


「……私に、動くな、と」


 私に言えることはそれだけだった。


「ああ、もし奈苗ちゃんがさらに迷惑を掛けたいのでなければな」


 それに頷いた後で、ダメ押しの様に彼は続ける。


「ああ、そうそう、奈苗ちゃんは学校の事を気にしていたな。

 学校は行っていいいぞ。ただし、送迎はハタナカにさせる。それと、何か事態が変わったらそれも無し、その二つの条件を飲めるのならだ」


 やったことも無い詰め将棋ってのをさせられている気分だった。

 私には道は一本しか用意されていなくて、「はい」としか、そこには言葉が無い。


 従順に反応を返した私に向ける言葉は変わらぬ口調だった。


「最初からそのぐらい物分かりが良いと良かったんだが」


 けれど、私に向けるその目は、何と言うか、普段とは異質な雰囲気を持っていた。


 期待? その反対? いや、何か別の事を考えている?


 私の直感が何かを受け取る前に、霧峰さんは視線を田中さんに移す。

 

「おい、ハタナカ。お前も今回の件で謹慎だ。明日はホテルから一歩も出るな。 

 その後は事が終わるまで、ずっと奈苗ちゃんの護衛をやっていろ」


 耳がその言葉に反応してしまい、私は先にそちらの意図を理解してしまった。


「了解しました。霧峰様」


 と、頭を下げて命令を受ける田中さん。


「田中さんは私の護衛兼、見張り役って事ですね」

「ああ、手持ちの中で最良にして最高の役回りだ。護衛とは言え流石に部屋にまでは入れんが、ホテル内であっても動くときには連れていけ。

 今は何が起こってもおかしくないし、何が起こるかもわからないんだ」


 この場の私には、「わかりました」しか本当に言葉が無かった。


「事が終わったらすぐに自由になる、りるにもその頃には退院しているだろうから会えるはずさ」


 最初の方に見せた作り笑いも、違和感の感じる目つきも既に無く、いつもの真剣な顔付きに戻って霧峰さんはそう最後の言葉を言った。

 そして、私は田中さんに連れられてその場を引き下がったのだった。



* * * * * * * * * *



「霧峰様は、お嬢様の身を心配されているのです」


 部屋に戻るまでの短い間に、田中さんはそんなわかりきっている事を言った。


「……わかっています」 


「ええ、重ねてご理解頂ければ大丈夫です。

 それと一応確認ですが、本当に・・・体の方は・・・・大丈夫なんですね?・・・・・・・・・


 その返答には頷きだけで返し、田中さんと別れた私は自室へと籠る。



 考える事はいっぱいあった、知らないといけない事も、聞かないといけない事も。

 考えようによっては時間もそれなりに出来た。

 だから、今からそれをする。


(イナンナ様)


 着替える事もせずにベッドに横になり、すぐにイナンナ様を呼び出す。

 色々と話をしなければならないのだ、私は。


 ううん、私達は。

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