2-11 練習試合・私

”ホントにもう……”


「ホントにもうですよね……」


 相槌をうったつもりはないけれど、つい小声で、私の口からイナンナ様と同じ言葉が漏れる。

 それは独り言のつもりだったのだけれど、私は近くに人が居る事を忘れていた。


「何か言った?」


「何でもないです! 夜野さん!」


 あああ! 夜野さんに聞かれてた!


 何でもないとばかりに私は両手を振って否定する。


「……ほんとに大丈夫?」


 それでも気になったのか、すり寄って来た夜野さんは、それだけでは足りないとばかりに結構近い位置まで顔を寄せて来た。


「大丈夫だから! 何でもないです!」


 慌てたけれど、私は座りながら後ろに飛び退いて距離を取る。

 ふぅと安心する前に、入れ替わりで今度はイナンナ様が私に告げた。


”もうわかったけれど、ナナエの頭、大丈夫じゃないわよね?”


(イナンナ様のせいですよ!)


 私はすぐさま声に出さずに脳内で抗議する。

 でも、それは脳内だけでは済まなかったみたいで、


「さっきから表情色々と変えているけれど、どうしたの?」


 夜野さんは表情を変えていたらしい私を心配そうに見つめていた。


 あああ、どうしよう、変に思われないようにしないと。


「あはは。いや、その……そう、今後の進路考えていてね?」


 あたふたした挙句、口から出たのがこれだった。


「そう、それならいいけれど。ところで、次、稲月さんの出番よ? 先生に呼ばれているわよ?」

「あ、うん。そうね、行きます!」


 渡りに船とばかりに返事を返した私は飛び出すように試合場に向かう。

 でも、焦ってもロクな事は無いわけで、急いでいた私は薙刀を持ち忘れてしまっていた。

 気づいていそいそと取りに戻る私に、イナンナ様から一言冷たい声が掛けられる。

 

”無様ね”


(はい、わかってます)


 薙刀を持って試合場に戻る時には私は結構うなだれていたと思う。

 でも、そんな私の元には、泣きっ面に蜂と言うか、さらにげんなりとさせるような事態が待ち受けていた。

 

 確認したのは試合の開始位置で薙刀を構えてからだった。

 イナンナ様や夜野さんと話をしていたせいで全然気にしていなかったのだけれど、私の対戦相手は憤怒の形相を隠さない朝倉あさくらさんだった。

 先日のクラスの事件で、一番最初に幻覚の炎で焼かれた一番の被害者の朝倉さん。


”この人間、また燃やそうか?”


 一目見ただけで物騒な事を言い始めるイナンナ様。


(やめてください! そのせいで怒っているんですよ!)


”冗談よ。あれだけやられたのに歯向かって来るだなんて、いい根性しているじゃないの。ナナエも見習うといいわ”


(いや、それもどうかと思いますよ?)


 それに、どうかしているのはイナンナ様だけじゃない。

 朝倉さんがどうしてそんな敵意を向けてくるのか私にはわからなかった。

 夜野さんの話だと、みんな状況を理解してくれているんじゃなかったの?


「私は、あなたのせいで巻き込まれたのよ。クズの稲月のせいで!」


 ああ、はい。


 私に飛ばされた朝倉さんの声は、決して小さくなかった。

 「お願いします、先生。こういう時は指導してください」と言いたかったが、先生の開始の合図を待たずに、機先を制されて遠目から彼女の横薙ぎが飛んでいた。

 その一撃には、声と同じ彼女の怒りが込められているのがわかる。


 でも、遅いんですけどね。


 初段持ちは伊達じゃないんですよ、っと。


 その一撃は、いくら気落ちしていようと、私にとっては遅くて全く奇襲にすらならないものだった。

 遠距離から払われる横薙ぎを、固く受けると弾くだけなので優しく受けて力を流し、朝倉さんの体ごと下に流させた。

 あとは軽く切り返して小手に切りつける。それだけであっさりと私の一本が入った。


 開始位置に戻り、礼をして、壁際に戻りながら汚名返上しようとイナンナ様に自慢する。


(どうですか、イナンナ様? 腕前はなかなかですよね?)


”つまらないわね。弱いものをいたぶっても美徳にはならないわよ”


(……どうせ、お褒めの言葉は貰えないと思いましたよ)


 あっさり勝ったはいいものの、試合開始前と変わらずにがっくりと頭を落とす私。



 頭を落とした、その瞬間だった。

 頭を落として丸くなった私の背を掠めるように何かが飛んでいき、壁でガシャンと大きな音がした。



「出来損ないの不良品のくせに!!!」


 朝倉さんの声を背に、壁に当たって落ちた薙刀を見る。理解は後からついてきた。

 戻ろうとした私の後ろから朝倉さんが薙刀を投げつけた、と言う事に。

 その大きな音からして、魔法を使って投げたかもしれない。でも、後ろを振り返って彼女を見る気力は無かった。


 先生を含め、クラスメイトに朝倉さんが押さえられている音だけが聞こえる中、私はその場から逃げるように更衣室に走った。


”運が良かったわね。大丈夫?”


 イナンナ様に話しかけられている間も動きは止めなかった。

 返事だけは頭の中で静かに行う。


(ええ、いつもの事なんで)


”いつもなの?”


(流石に薙刀を投げてきたのは、初めてですけれどね)


 更衣室でジャージから着替える途中で、自分の指が微かに振るえていると気付く。


 あの薙刀が頭に当たったら、なんて考えが浮かび手が震える。

 そのせいで、ジッパーがうまく上げられない。

 早くやろうとすると、どんどん動かなくなる。もどかしさを覚えても手が動かない。


 ああ、もう、嫌……


”大丈夫よ。あなたには私が付いているから”


 その声はいつも通り私だけに響く。


(……イナンナ様、こんな時に優しくしないでくださいよ。すがりたくなるじゃないですか)


”こんな時にこそ、神にすがるべきなのよ。

 私の供物エサになる、愚かな人間よ”


 私は愚かかもしれないけれど、そこに込められたイナンナ様の慈愛だけははっきりと感じられる。


(やっぱり愚かですよね、私。

 でも、こんな時だからこそ素直に助けてなんて言えなくて……)


 そう思いながら、私はみんなが着替えに戻ってくるまでの間に、一人でちょっとだけ泣いていた。

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