唾液
制服をクリーニングに出したから、今日は体操着で登校だ。
M組に入ると、まだ結菜さんしか居なく、結菜さんは制服を着ていた。
「お、おはようございます」
「おはようございます」
結菜さんは今日も淑やかに小説を読んでいる。
「あの‥‥‥制服大丈夫でしたか?」
「私の姉、この学校の卒業生なんですけど、制服のサイズがピッタリだったので、それを着てきました」
「あの、クリーニング代今度渡すので」
すると結菜さんは読んでいた小説を閉じて、隣に座る僕の太ももに手を置いた。
「あの制服をクリーニングするなんて勿体ないわ。輝久くんの匂いが染み込んでいるのだから」
「に、匂いって、あれは‥‥‥」
「気にしなくていいのよ? 私はあなたの全てを愛しているから」
その時、柚木さん以外の生徒が教室に入ってきた。
「おはよー」
すると結菜さんは挨拶を返さずに、また静かに小説を読み始めてしまった。
そろそろ先生が来る時間だけど、柚木さんがまだ来ていない。今日は休みなのかな。
そう考えていると、莉子先生が教室に入ってきた。
「みんなおはよう。柚木さんが昨日の帰りに事故にあったらしいの、命に問題はないし、怪我が治り次第退院して、また学校に来るって!」
莉子先生の言葉で、結菜さんの昨日の『私が柚木さんを消してあげるから!!』という言葉が頭をよぎる。
はい、もうこれ黒だ〜。
九十八パーセント黒だ〜。怖すぎて結菜さんの顔見れないわ〜。
ヤンデレないわ〜。
そう思っていると、結菜さんは小さな声で呟いた。
「生きてたんだ」
はい、黒ー!!百パーセントだ!!
自分の彼女が殺人未遂はヤバイでしょ!!
付き合うことになったのも不可抗力みたいなもんだったし、変なことに巻き込まれる前に後でちゃんと謝って断ろう!!
「結菜さん、授業が終わったら話があるんですけど‥‥‥」
「あら、輝久くんから誘ってくれるなんて、それじゃ、あの場所でね」
あの場所っていうのは多分男子トイレのことだろう。
※
一限目が終わり男子トイレで待っていると、当たり前のように結菜さんが入ってきた。
「話したいことって何かしら」
「あ、あの、まだお互いのこと全然知らないし‥‥‥付き合うのはまだ先でもいいのかなって‥‥‥だから一度別れてほしいなって‥‥‥」
結菜さんは泣きそうな表情で俯いてしまった。
「なんで‥‥‥どうしてそんなこと言うの‥‥‥こんなに大好きなのに‥‥‥」
すると、結菜さんはいきなり顔を上げ、目を鋭くさせた恐ろしい表情に変わった。
まさに鬼。
「誰」
「え?」
「誰に言われたんですか?」
「な、なにがですか?」
「誰かに別れろって言われたのよね? じゃないと、輝久くんが別れたいなんて言うはずがない!!」
「い、いや‥‥‥全部僕の考えで‥‥‥」
結菜さんはジワジワと近づいてくる。
「ちゃんと柚木さんを消せなかったから? そういうことですよね。見捨てないでくださいよ。次はちゃんと消しますから。全部柚木さんが悪いんですね‥‥‥こうやって私達の愛の邪魔をする!!」
あー、さっきで百パーセントだったのに、これで二百パーセント黒だ。
でも誰かに言ったら、その人も酷い目にあいそうだな‥‥‥。
「ゆ、結菜さん? あの、消すとか、そんなことしてほしくないです‥‥‥」
結菜さんは大きく目を見開き、一瞬で顔を近づけてきた。
「ねぇ、輝久くん? まさか柚木さんのこと好きとかじゃないわよね? 違うわよね? 輝久くんは私だけのものなの。悪い女に騙されたりしないように、私が守ってあげるから安心してくださいね」
「は‥‥‥はい」
僕は結菜さんの迫力に負けてしまったが、結菜さんの表情はすぐに柔らかくなった。
「分かってくれたんですね! 良かったです‥‥‥輝久くんが他の女に騙されたのかと思っちゃいました‥‥‥」
結菜さんは僕の手を握って、ニコッと笑みを見せる。
「これからもよろしくお願いしますね」
そう言って、結菜さんはトイレを出て行った。
はい、俺の人生終了で〜す!
どうしたら良いのか分からずに唖然としていると、またトイレのドアが開いた。
男はいないし、また結菜さんかな。
そう思ったが、男子トイレに入ってきたのは、金髪ショートの芽衣さんだった。
「結菜が男子トイレから出てくるのが見えたからさ、なにしてたの? まさか!」
「変なことしてません!!」
「私なにも言ってないんだけど、で? なにしてたの?」
なにって答えよう。ていうか、こんなところ結菜さんに見られたら大変だ。
なんでもいいから適当に答えて早く教室に戻ろう。
「トイレの点検です! 僕と結菜さんが先生に頼まれて」
「ふーん、まぁいいや。 それより輝久、自分のこと僕じゃなくて俺って言いなよ! もっと男らしくさ!」
「でも僕、昔から僕なので」
「んじゃ、次僕って言ったら罰ゲーム!」
「罰ゲームですか!?」
僕ってどこに行ってもいじめられる運命なのかな。
「そう! 結菜って、いつも本読んでるじゃん? その本を奪って逃げるゲーム!」
「あの、芽衣さん、ぼ‥‥‥俺を殺す気ですか? なんか恨みでもあるんですか? なにか嫌なことしたなら、ここで土下座します。むしろ靴舐めます。いや、舐めさせください」
「さ、最後ちょっと気持ち悪いこと言わなかった? でも輝久って可愛い顔してるよね」
「と、とにかく、ぼ‥‥‥俺は教室に帰ります!」
逃げようとする僕の腕を力強く掴み、そのままトイレに引き戻されてしまった。
「待ちなよ。輝久は私のことどう思う?」
「芽衣さんですか? 可愛いと思いますけど‥‥‥」
さらっと何言ってんだー!
芽衣さんは意外にも照れたのか、顔を赤くした。
「ど、どの辺が?」
「その顔が赤くなるところとかですかね」
また僕は何言ってんだー!
「赤くさせたのは輝久じゃん、責任取ってもらわないとね」
あ、なんか今フラグが立つ音が聞こえた。
なんだろ、今すぐここから逃げたい。
うん、逃げよ。
「教室戻りまーす!」
「ちょっと!」
芽衣さんの手を振り払い教室に戻り、席に着くと、結菜さんが心配そうに僕を見つめた。
「遅かったけど、大丈夫ですか?」
「ちょっとお腹痛くて、長引いちゃいました」
あー、なんでこんな嘘ついたんだろ。
絶対、大したと思われた!
裏でアダ名、うんこマンにされる!
芽衣さんも教室に帰ってきて、思わず僕は顔を逸らすが、まさかの爆弾投下をくらった。
「なんで逃げたの?」
はい、アウトー!!
とにかくシラを切ることにしよう。
「な、なんのことですか?」
「はいー? さっきト」
言わせるかー!!
「さっきトナカイがいたって先生が騒いでたけど、どこにいたんですかね! 芽衣さんは見つけたんですよね?」
「え?」
「だってさっき『なんで逃げるの?』って言ってたじゃないですか」
「いや、だからー」
このタイミングで莉子先生が教室に入ってきた。
「はーい、みんな席についてね、授業はじまるわよ」
僕は今、初めて先生という存在の価値を認められた気がします。ありがとう、先生!
今日は先生が天使に見えます。初めて見た時から綺麗だと思ってたけど。
だが結菜さんに視線を移すと、僕を不満そうに見つめていた。
「ど、どうしました?」
「いえ、なんでもありません」
とりあえず乗り切れたみたいだ。
※
そして授業が終わり、お昼の時間だ。
僕もお昼ご飯を食べようと準備していると、結菜さんがカバンから弁当箱を取り出し、話しかけてきた。
「これ、輝久くんのために作ったの。よかったら食べてください」
「ぼっ、俺のために!? それじゃ俺の弁当をあげるよ!」
結菜さんが満足そうな表情をして僕の弁当を眺めていると、そこに弁当を持った芽衣さんがやって来た。
「一緒に食べよ」
「う、うん!」
芽衣さんは僕の目の前に座ったが、結菜さんは無反応だ。
なんだこれ‥‥‥すごい気まずい!!
早く弁当を食べてしまおう。
僕は結菜さんがくれた大きな水筒のようなものが気になって聞いた。
「これは何が入ってるんですか?」
「お味噌汁です。遠慮しないで飲んでください」
蓋を開けると、一部、泡のようなものが浮いているのが見える。
持ってくるときに揺れて泡立ったのかな。
そんなことある?と思いながらも味噌汁を飲んだ瞬間、結菜さんが耳元で小さく囁いた。
「美味しいですか? 私の唾液」
「ブッー!!」
結菜さんの言葉に驚き、思わず味噌汁を噴き出してしまった。
その味噌汁は芽衣さんの顔に思いっきりかかってしまったが、芽衣さんは意外にも怒らない。
「ねぇー、汚いよ」
すると、いきなり結菜さんが立ち上がり、凄い形相で芽衣さんの胸ぐら掴んだ。
「貴方‥‥‥」
「な、なんだよ!」
芽衣さんが立ち上がると、結菜さんは急に無表情に戻って席についた。
「取り乱しました。ごめんなさい」
その後は何事もなくお昼が終わり、その後の授業も無事に終わった。
※
下校の時間、僕は約束通り結菜さんと帰っている。
「今日は俺のために弁当ありがとうございます! 味噌汁は少しビックリしましたけど、作ってくれて嬉しかったです! 美味しかったですし!」
すると、結菜さんはその場に立ち止まって俯いた。
「輝久君‥‥‥どうして‥‥‥どうして自分のことを僕じゃなく、俺って言うようになったのかしら」
「えっ」
「トイレから帰ってきた時から、様子が変よね」
やばいやばいやばいやばい!!
どうか神様、本当に神様がいるのなら、この現状から僕を救ってください!
お願いします!
「芽衣さんと何かあったわよね」
神は死んだ。
「な、なにもないです!」
「輝久くんが言わなくても、明日、芽衣さんから聞き出せばいい話です。それじゃ私こっちなので、また明日」
「ま、また明日」
明日、芽衣さんが本当のこと言ったら、どう言い訳しよう。
本当のことを言ったら、きっと僕じゃなくて芽衣さんが危ない。
考えてたら頭痛くなってきた‥‥‥考えるのやめよう。
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