第5話 元祖嫌な女より、覚悟を決めて
「たっだいま~!」
長身の全体から高くてよく通る声を出すのは、icy tail のギターボーカル兼メインソングライター、そして我が blessing software 音響担当と、音楽関係ではマルチに才能を発揮する、mitchie こと氷堂美智留だ。
「なにようるさいわね。そういう明るく活発なだけのキャラクター設定は、まぁ一定の層には人気があることは否定しないのだけど、知性や品というものを感じさせないわね」
「知性や品を感じさせておきながら、あからさまな色仕掛けでしか男を誘うことのできないキャラ付けもどうかとおもうけどねー」
お互いに嫌味を言い合っているのに、険悪なムードにならないのがこの二人の関係の特徴で(主に美智留のキャラクターの貢献で)。そして、実は微妙にこの二人の仲は良好で。ほら、詩羽先輩も真っ先に美智留を出迎えてるし。
「お帰り美智留。ライブどうだった?」
「あーそういうのめんどくさいし、あたしが言うのは『ライブ最高だった』ってくらいだから、波島兄ちゃんにでも聞いて」
「報告、連絡、相談!」
「それどの口が言うんだ~?この口か?聞いたぞトモ~。澤村ちゃんとデートに出かけたんだって~?相談も連絡もなしに。事後報告はしたみたいだけど」
キッチンで淡々とコーヒーカップを洗う恵の姿を横目で確認する。
「でさぁ、澤村ちゃんとどこまでいったのさ~」
「秋葉原だよ?他意はないよね?」
「うりうり、トモ~そんなこときいてないぞ~」
以前のようにプロセスの技をかけることはなくなったものの、何かにつけて攻撃を仕掛けようとする美智留の、脇腹突っつき攻撃をかわしながら廊下を後退する。
「それより氷堂さん、ちょっと付き合ってくれるかしら。ロケハン、素材集めなのだけど、一人では行きづらい場所なのよ」
詩羽先輩はするっと横から俺と美智留の間に入り、美智留の腕をつかんで攻撃を制止する。
「なにさ、センパイ。今トモをいろいろと突っつきまわしてたところなのにさ~」
コーヒーカップを洗い終えた恵は、流しにかけたタオルで濡れた手をぬぐう。
「聞こえなかったかしら、付き合ってほしいの」
「センパイが人に、それもあたしに頼るなんて珍しいね。こりゃ明日は雨か?雪か?・・・うーん、でもセンパイと二人はなぁー。そうだ、トモ、あんたも一緒に来なよ」
「そうね。ラブホテルなのだけど、ご一緒してもらっていいかしら、社長」
詩羽先輩に横目で視線を送られて・・・
「あ、それならわたしも行きたいです!背景を書くのに見ておいた方がいいと思うので」
出海ちゃんが席から立ちあがって、右手を上げながら立候補する。
「いや~助かったよ波島ちゃん!センパイと二人じゃどうも調子狂っちゃうからさ~」
「同じくよ。波島さん。よろしく頼むわね」
助かったのは俺も同じで。
「じゃ、じゃあ、詩羽先輩と美智留、それに出海ちゃんでロケハンに行って来て。手続きは伊織とよく相談すること」
* * *
波島君に指定されたラブホテルの前まで来ると、波島さんに先頭を譲る。氷堂さんも含めてラブホテル初体験の三人は、波島(兄)君に電話でレクチャーを受けた波島(妹)さんを頼りにして入館する。よりによって、一番年下の女の子に先導を任せてしまったのはとても忍びないと思いながらも、それしか選択肢がなかったと自分を説得させる。自分が引き受けるにはレクチャーを受ける相手との相性が悪すぎるし、もう一人の方は任せたとして不安でたまらないから。
三人そろって緊張した面持ちでホテルの自動扉をくぐり、フロントで鍵をもらう。波島君が言うには、最近は女子大生やOLのあいだでラブホ女子会などという文化も広がりつつあるようで、女子会として予約をしておくので普通に見てくればいいとのことだった。
部屋へ向かって歩く間は、普通のビジネスホテルと大差がない。単に、男女が情事を行う目的で宿泊するのか、男女の番いに限らず休息をとる目的で宿泊のかの違いしかないように思う。
部屋に入室する。ビジネスホテルよりも広く、それなりに豪華な内装を模したハリボテといった感じだ。本物の洋館に住むお嬢様の部屋に慣れていると、ロマンチックにはほど遠く、下品な感じさえしてきてしまう。
「なーんか、男と女が、あーいうこととか、こーいうこととかする場所って聞いたからさー、いったいどんな場所かと思って来たら、安っぽい備品のスイートもどきって感じじゃん?こんなんで素敵って喜べるのかね?まぁあたしは部屋の具合なんて眠れればなんでもいいんだけど」
部屋に入るや否や、ベッドに飛び乗ったかと思えば、胡坐をかいて部屋中を見渡すような人間と同じ感想を持ってしまったことに、自分の作家としての完成の陳腐さを嘆く。
「氷堂さん、あなたから素敵という言葉がでることも、スイートへの宿泊の経験がありそうなことも、男女のロマンチックな喜びを想起しているらしいことも、全部が全部、意外なのだけど」
話しながらソファへと腰かける。波島さんが細部を見て回っていることにクリエーターとしての努力がうかがえ、そうやってコツコツと貯めを作ってきたのだろうことに感心する。
「そりゃ、十年間もトモの書く妄想ラブストーリーを読まされてれば、ちょっとはそういうのわかるようになるっていうか。あと、スイートはツアーの時に宿を取り忘れたら、直前割引で安かったから一泊だけ」
十年という彼女の言葉に、自分のなかで若干のざわつきを覚える。
「それよりも、霞先生、美智留さん、見てくださいよ、写真にとるとけっこう豪華そうに見えますよ。ほら」
そういって私たちにスマートフォンの画面を見せる。文句も言わずに初めてのラブホテルの案内人を引き受け、ゲーム制作のための取材をきっちりとこなし、目に映る小さな発見に喜びを表現して見せる。健気な後輩ヒロインというのは、今まで自分の作品の中にはあまり登場させてこなかったとを思う。
「それより、センパイはいいの?取材しなくて」
「えぇ。だいたい雰囲気はつかめたから」
波島さんが空いているソファを移動して、ラフスケッチを取り始める。
「なんか落差あるよねー。波島ちゃんとセンパイ見比べるとさ」
「そういうあなたはどうなのよ」
「あたしはついてきただけだし。だいたいセンパイが言い出したんだからさ、もっとまじめにやってよ。センパイにはさ、もうちょっとこのゲームに注力してもらわなくちゃ困るんだよね。零細メーカだからって手を抜かずにさ。ほら、社員として?ゲームが遅れずにできて、ちゃんと売れてってしてくれないと、明日のご飯にもありつけなくなっちゃうしさ」
「あなたが心配することかしらね。あなたは会社がつぶれたって生きていける。というか、詳しいことは知らないけれども、もう会社からの給与よりも音楽活動での収入の方が多いんじゃなくて?」
決して手を抜いているわけではない、むしろどんなときだって本気で取り組んだことしかなかった創作活動を、手抜きと評価されたことへの怒りを悟られないように、冷静を装って話を生活の方へそらす。
「それは先輩だってそうでしょ。だからってあたしは手を抜かないから」
「あのー、それはわたしにとっては非常に切実なもんだいなんですけどぉ」
波島さんが申し訳なさそうに口を挟む。
「あの、波島さん、勘違いしてほしくないのだけど、私だって創作に関しては常に全力よ。請け負った先がどうかなんて関係ない。というか、全力で臨むことのできないような仕事はこっちからお断りよ」
「にしてはセンパイのシナリオはさ、ぐっとくるものがないんだよねー。センパイが、この主人公やヒロインたちにどうなってほしいのかとか、彼らを通して何を伝えたいのかとか、プレイヤーにどう思ってほしいのかとか、全然伝わらないんだよね。曲を付けるのだって大変だよー。澤村ちゃんの絵があるから何とかなってるけどさー」
シンプルに、思うままに生きているだけあって、指摘は鋭い。
「その、今回は、えーと、少し試行錯誤していて。テーマがこれまで私が書いてきたものと全く違うから」
苦し紛れの言い訳をする自分を情けなく思う。試行錯誤は本当のことだけれども、テーマより別の要請のためであって。
「センパイの書きたい作品を、全力で見せつけてやればいいんだよ。きっとトモもついてくるとおもうんだけどなぁー」
「変に気負いすぎなんですよ。霞先生は」
文章を書くということは、誰かを喜ばせ、快感を与え、夢中にさせる行為である。それと同時に、その裏返しとして、意図せずに誰かをに傷つけ、不快な思いをさせ、しらけさせてしまう行為でもある。部外者である私が、作品を書くことによって、加藤さんと倫也君の幸せを壊してしまうわけにはいかない。
「そもそもトモのゲーム作りって、十年以上そんな感じで続けてるしね。やりたいことやってる!って感じで。だからあたしもついていくっていうか、やりたい音楽でぶつかるっていうか」
「あーわかります。わたしたちのやりたいことも受け入れて、どんどんゲームをよくしていくっていうか。まぁ、そのあたりは倫也さんだけじゃなくて、恵さんの力によるところも大きいんですけどね」
倫也君はいつもそうだった。和合市のホテルで夜を共にして書いたシナリオも、私が書いたシナリオに追加したハーレムエンドも。
昔を思いだしながら、はたと気づく。私がやりたいことを、何らかの思いを、この作品に込めていなかったということに。今回の創作活動をとおして、私は書かない理由しか言ってなかったことに。
波島さんがスケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが耳に響く。
「あー。ギターでも持って来ればよかったなぁー」
氷堂さんがベッドに仰向けになって不平を言う姿を見て、倫也君の家で同人活動していたころが思い出される。
私がやりたいことは・・・、私がやりたいことは、過去へのリベンジかもしれない。自分には能力があったからこそ、というよりは彼には能力がなかったからこそ選ばれなかった、アンフェアな勝負を、彼が自信を持ち始めた今の段階で、今のフェアな状況で、昔のように皆で争いたい。私は、そんな過去への執着心を、未来への願いを、そして今の思いを、作品にして送り出したいと思っている。それと同時に、自分の過去の決意を、彼を加藤さんに譲って、彼の夢が叶うことを願い続けると決めた一大決心を、否定する選択肢を拒絶しているということにも。彼らの幸せを、奪いたくないということを言い訳にしていただけだ。
「あなたたちは、昔に戻りたいと思うことはないの?」
「それってどういう意味ですか?純粋にやり直したいってことですか?」
違う。あの時点に戻ったとしても、結果は同じだ。彼は加藤さんを選び、私と英梨々は別々の十年間を送る。その十年間には後悔はないし、十年前の選択にも悔いはない。
「そうではなくて、でも、昔のようにやれたらって思うことはない?」
「美智留さんどうですか? Icy tail は美智留さん以外のメンバーは変わっちゃってますけど、もう一度、エチカさん、トキさん、ランコさんと昔のようにやれたらとか思います?」
「う~ん、どうだろ。ないかもね。彼女らには彼女らの人生があるしさ、あたしはあたしでやりたい音楽を人生賭けてやってきたんだよね。それで、違っちゃった。そりゃ、彼女らともう一回できたらって思うこともあるけど、そんときには、彼女らも本気で音楽をやって、あたしに追いつけ追い越せでいてくれなきゃ。・・・それに、ギターボーカル以外全員メンバーが変わってるってのも、なんか Megad○th みたいでかっこいいじゃん。まぁあそこは結局ベースだけはまた一緒にやってるみたいだけど」
そういって、私も彼をあきらめた。クリエーターとして決定的に違ってしまったがために、お互いに別々に、各々の道を歩むという覚悟を決めた。でも、icy tail と決定的に違うのは、彼が執念深く追い続けて、近づいてきてしまった。再び、人生が交わる可能性を見出してしまった。そして、今が実際に交点にさしかかっている。氷堂さんが例にだしたベーシストのようになれるかもしれない、瀬戸際に。
「・・・それで、あなたたちは、その、なんというか、恋、・・・の方はどうかしら」
「えっと、倫也さん、・・・のことですよね」
安っぽいプライドを守るための『一般に恋といっているのだから』という言葉は封印して、首をゆっくりと縦に振る。
「そうですねぇ。もう家族みたいな感じですかね。倫也さんと恵さんのあの感じを十年も見せつけられたら、わたしなんて入り込む隙間なんてないみたいに思えてきて。今の立ち位置も、結構気に入ってますよ」
「そうそう、あたしは実際に親戚で、家族といえば家族なんだけど、あの二人のどちらかが無理して一緒にいるって感じなら、どうにかなるって思うんだけど、本当にあの二人はお互いのことが好きすぎるからねー」
私は、倫理君とは遠いところで、十年前の気持ちを抱えたまま、彼が再び舞台に上がってくるのを待ち続けた。あの時には加藤さんルートしか選べなかった彼が、強くてニューゲームをするように他のルートも選べるようになる可能性を信じて、彼がそれを実現するときまで、RPGの裏ボスのように君臨し続けていられるように、自分の人生を全力で進んでいようと覚悟を決めただけだった。彼女たちのように、十年の間にありのままを受け入れたのではなく。
「でも、澤村ちゃんだったら、どうなるかわからないよねー」
「美智留さん!?」
「だってさぁ、トモは加藤ちゃんに出会う前はずっと澤村ちゃんのことを好きだったわけでしょ?そのことは加藤ちゃんも気がついちゃってるからさー」
そしてさらに突き付けられてしまう。英梨々にあって、私にない十年間のことを。
「とにかく、私たちは蚊帳の外ということね。とてもとてもとても、気に入らないけれども」
「そゆこと。だからさ、もし、センパイがそこところに引っかかってシナリオが書けてないって思ってんならさ、遠慮なく自分のやりたいようにやっちゃえばいいと思うよ」
「そうそう、みんなで協力していきますから」
今回ばかりは、誰もが幸せになるシナリオを思い描くことができない。誰かが何かをあきらめる一方で、何かしらを得ることのできる、一方的に不幸になる登場人物のいないシナリオが思い浮かばない。なによりも、どのように動いても悲劇を背負い込む登場人物は自分であって。それであれば、選べる選択肢は限られていて。
「今日は女子会プランで取ってあるって言ったわよね」
「はい、そうですけど・・・」
「買い出しに行くわよ。今日はここで三人で女子会?をしましょう。みんなで雪が降る夜に公園に出かけて、滑り台を滑りながら主人公とメインヒロインを応援する宣言とか、そういうイベントはなしよ」
* * *
それから数日後。
協力者から共有してもらった情報をもとに適切なタイミングを割り出して、ことを実行に移す。
倫也君、加藤さん、ごめんなさい。でも、私にはこうするしかなかった。あなたたちをこれから葛藤の渦に引きずり込むことになる事件を起こすことになる。
そして、氷堂さん、波島さん、ごめんなさい。相談に乗ってもらって、協力さえしてもらったのに、あなたたちをだまし討ちにするようなことをする。
電車に揺られながら、倫也君にメッセージを書く。本来であれば面と向かって言うべきことを。
『本当に申し訳ないのだけれども、今回のプロジェクトを下ろさせていただくことにしたわ。これまで書いてきたシナリオ、相談したプロットのアイディア、すべての権利は放棄するから、自由に使っていただいて結構よ。倫也君と加藤さんには、とても迷惑をかけることになってしまうけれども、私のわがままをお許しください。これからも、あなたが作るゲームを楽しみにしているから』
送信ボタンを押す。顔を上げると外は真っ暗闇で、車窓には自分が乗っている車両の中しか映らない。
既読が付いたことを確認すると、スマートフォンを鞄の中にしまい、鞄を抱えるようにしてうつむいて目を閉じる。あふれてくる涙に栓をするように。
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