冴えない夫婦生活(トゥルーエンド)の育みかた

せりざわ よし

第1話 完全無欠?のメンバーで、新プロジェクトを立ち上げました

 チュン、チュン。

 スズメの鳴き声に導かれて、厚手のカーテンを開ける。広く開いたカーテンの間からあふれ出す朝の白い光に目を細める。

「も~、何? 倫也くん。今、何時だと思ってるの?」

 ダブルベッドの上で目をこすりながら上半身を起こして不平を言うのは、我が blessing software 副社長であり、演出担当でもあって、メインヒロインでもある、加藤恵改め、安芸恵だ。

「おはよう、恵。今は四時四十分だ」

「そういうことをいってるんじゃなくてさ~」

 起こしていた体を反転させて、おそらくむくれているであろう顔を枕にうずめて片目だけこちらに向ける。

「まだ興奮が冷め止まなくてさ。完全無欠のチームでさ、最高の時間がさ、また味わえるんだって思うと、興奮しないでいられないんだよ」

「えっと、昨日の倫也くんはいつもどおり勝手に出したと思ったら、すぐにスース―寝息立てて眠っちゃってたみたいだけど。冷め止まない興奮なんてどこにあったか不思議なんだけど。できればもっと私と一緒に感じててほしかったんだけど」

「あの、恵さん、それゲーム作りの話だよね?出したのはお金でいいんだよね?昨日は交渉で疲れて早く寝たってことでいいよね?恵も今日の初回打ち合わせが楽しみで眠れなさそうだったから一緒に喜びを分かち合いたかったってことだよね?というか詩羽先輩の専売特許うばわないであげて」

 ブルルルルル。新聞配達の原付が近所を回っているらしい。

「で、英梨々と霞ヶ丘先輩は何時にくるんだっけ?」

「夕方の五時ごろっていってたかな」

「じゃあ今日は合宿になりそうだね。それまでにできるだけ体力残しておこうよ」

恵はタオルケットをめくって俺が入り込むスペースを用意する。

 俺は恵の隣に滑りこんで、恵の頭を胸に抱きかかえる。恵の温かさと、髪のなめらかさと、ほのかに甘い香りを味わう。

「あのさ、倫也くん」

 恵は俺の胸元から額を離して、俺の顔に自分の顔を近づけながら上目遣いで訴える。

「今回は、裏切りとか無しだからね。夫婦生活に転なんていらないからね。そういうのはゲームの中だけにしておいてね」

「ん。わかった」

 過去の失態を掘り返されても、「おい加藤、寝取られフラグ全力で立てるのやめて」と茶化すことも、「その節は本当に申し訳ありませんでした」とうろたえて土下座をすることもしないで、余裕で肯定の言葉を返せるのは、恵がそばに居てくれるからだ。

「絶対に、絶対だからね」

 念を押す恵を悲しませてはいけない。俺は心に誓い、恵の頭を軽くなでて、髪をはらった額にキスをする。恵に対する最大限の感謝と愛をこめて。

 瞼を閉じると昔のことが思い出される。新聞配達の途中の探偵坂で恵と運命の出会いを果たしたこと。恵と詩羽先輩、英梨々を巻き込んで、俺が考えるさいきょうのゲーム作りを始めたこと。恵を怒らせて数か月口をきいてもらえなかったこと。それでもサークルを、ゲームづくりを、そして俺のことを本気で好きでいてくれたこと。美少女キャラとのイチャラブ展開しか考えていなかったあのころの俺にはとても想像もできなかった甘美で贅沢な記憶に浸りながら、深い眠りへと引き込まれていった。


* * *


 西日の差しこむアパートの一室。俺と恵の部屋のお隣、間取りをちょうど左右反転させた、俺たちの部屋だと寝室にあたる部屋。有限会社となった blessing software の社長室 兼 応接室。俺と恵とテーブルをはさんで相対しているのは、金髪華奢なハーフ美人、柏木エリ先生こと、澤村スペンサー英梨々と、大人の黒髪クールボブ美女、霞詩子先生こと、霞ヶ丘詩羽である。ついでに紹介しておくと、イケメン同人ゴロで、当社のプロデューサーである波島伊織が、テーブルの上に置かれたディスプレイのネット通話画面にうつされている。

「で、倫理君、いいえ、安芸社長、シリーズ構成とトゥルーエンドは社長自ら手掛け、その他のシナリオを私にご依頼ということでよかったかしら」

「その通り。あ、でも、詩羽先輩、じゃなかった、霞先生が書いてきたシナリオに応じて、その都度構成は調整していく予定だから、まずは霞先生の本気のシナリオをかいてほしいんだ」

「でも、トゥルーエンドは譲らないと。わかりました。一応言っておくけど、会社のこれまでの作品、今回の作品の企画書、そしてトゥルーエンドの構想は頭に入れたけれども、それを踏まえて霞詩子作品として作らせてもらうわよ」

「わかってるよ。ていうか、そうじゃなきゃ霞先生に依頼した意味がないよ。俺が才能の差を感じてトゥルーエンドのシナリオを書けなくなるくらい、徹底的にやっちゃってよ」

「望むところだわ」

「それで、あたしは詩羽と倫也のシナリオに絵をつければいいと」

「そう。英梨々、じゃなくて柏木先生は、ひとまず差し当たっては企画書から各登場人物のキャラデザと、キービジュアルのイメージを練っておいてよ」

「あたしを誰だと思ってるのよ。柏木エリよ。それくらいお安い御用よ」

「そうこなくっちゃ。それじゃあ、blessing software 史上最高の、といってもまだそんなに数は出してないんだけど、史上最高の、神ゲーにしていこう!」

 俺はテーブルに片足をあげ、上を向いて、左手を高く掲げて、チームを鼓舞する。

「倫也くん、じゃなかった、社長。ちょっと声が大きいよ。それに、アラサーオタクのガッツポーズっていうのは、こう近くでまじまじと見せつけられると、ちょっと気持ち悪いね」

「そこはちょっとは立ててよ、副社長」

 さっきまでの勢いとは対照的に、フラットに突っ込まれて冷静さを取り戻し、ソファに腰を掛ける。

「制作はこのスケジュールに沿って進めてもらうってことで。柏木先生、霞先生、よろしくお願いします」

 四人は「よろしくお願いします」と声を出して、順番に握手をする。


「それでは、失礼するわね」

 詩羽先輩は握手が済むと同時に立ち上がって、バッグをもって踵を返す。

「ほら、英梨々、行くわよ」

 詩羽先輩の一言は、それまでのなごやかで、どこか懐かしい雰囲気のする打ち合わせの風景を一変させる。

「ちょっと待ってよ詩羽。せっかく倫也と恵と、それとついでに氷堂美智留と波島出海と、一緒に仕事ができるっていうのに」

「英梨々、わきまえなさい。これは十年前の同人サークルの活動と同じじゃない。お互いにプロであり、ビジネスよ」

「何よそれ。あんただって、ここに来る前は『倫理君、倫理君』ってウキウキだったじゃない。それを今になって、どうしてそんなことを言うのよ」

 詩羽先輩は英梨々を見つめたまま声を発しない。英梨々に自分と一緒に帰ることを強要する言葉をその瞳で語りかける。英梨々と詩羽先輩の懐かしい痴話喧嘩ではない厳しさをもって。

「そうだね。僕は霞先生の意見に賛成だね。会社の外の人間と、会社の人間。きっちり分けて考えた方がいい。これは契約だ。それと、さっきはスルーしたけど、倫也君と副代表と、氷堂さんと出海の他に僕だって会社の人間だってことを忘れないでほしいな」

 これまで沈黙を守ってきたディスプレイが語り掛ける。英梨々はディスプレイを睨みつける。

「でも一番は、グループのなかで取っただの取らないだのゴタゴタにまきこまれたくないヵ・・・」

 恵はスピーカーの電源を切って皆に笑顔で提案する。

「そうだね。やっぱり、今日のところは、いったん解散にしようよ。それでいいよね。社長」

 恵の笑顔の背後に殺気を感じ、提案を否定できるわけもなく。

「おっおう。じゃあ、今日はとにかくありがとうございました。シナリオ、キャラデザ、お待ちしています」

 詩羽先輩は軽く頭を下げて毅然として、英梨々は詩羽先輩に手を引かれながら憮然とした表情で、blessing software の社屋を後にする。

 あの頃にはどうやったって戻れないのかもしれないな。社屋前で二人の背中を見送りながら思う。恵も、同じ気持ちだろうか。左側に立って同じように二人の背中を見送る恵の顔を見る。

「なぁに、倫也くん」

「あ、いや、なんでもない」

「そ、じゃあ、部屋に戻ってご飯にしよっか」

 恵は、これまで演出を任せたゲームのヒロインのように、実際の感情を隠して見栄を張った、やさしくて、どこか憂いのある笑顔を俺に振りまいて、さっさと部屋の中に入ってしまう。

 初日から俺は、皆の背中を見てばかりだ。十年間、必死に頑張って、ここまで来たのに、まだ背中をみなければならないのか。

 しばらく立ち尽くしたあとで、自分のほほを叩く。

 弱気になっていては、その間必死に支えてくれた人たちに、特に恵に申し訳が立たない。自分を鼓舞し、気合を入れ直して部屋のドアノブをひねる。


* * *


 その日の夜。俺は眠りにつくことができず、かといって恵と一緒に入ったベッドから抜け出すこともなく、天井を見上げながら眠気がやってくるのを待っていた。

「ねぇ、倫也くん」

 恵が俺の方を向いて語りかける。

「なんだ恵、起きてたのか」

「英梨々たち、帰っちゃったね」

「そうだな」

「なんだか、眠れないね」

「そうだな」

「昼間に寝すぎたからかな」

「そうだな」

「準備、してたのにね」

「そうだな」

「期待、してた?」

「そうだな」

「ふぅん・・・」

「だから、なんだよ」

「今日、思ったんだ。やっぱり、倫也くんにとってあの二人は特別なんだなぁって。まぁいいんだけど」

「まぁいいならなんであえて言う?」

「別に」

 恵がこういうときには、何か訴えたいことがあるはずだ。

「恵にとっても、あの二人は特別だったろ?」

 いまさら俺は恵を裏切ったりなどはしない。

「そうだね」

 二人との関係を、高校生の鈍感最低主人公としてではなく、大人としてうまく保っていかなくてはいけない。

「また、二人を引き入れて、二人がサークルを抜ける前みたいに、元通り完全無欠のblessing softwareを夢見て一緒に頑張ってきたんだよな?」

 同じ夢をもって、ともに歩んできてくれた恵だから、それは恵も信じてくれているはずだ。

「それもそうだね」

 ならば、きっと、英梨々たちの去り際には、恵も俺と同じ気持ちをもって、無理をして感情を隠していたのだ。

「待ちわびたチーム再結成のチャンスだったのに、ビジネスだって線を引かれて、ちょっと残念だったよな」

「全く元通りなんてありえないんだよ、倫也くん」

 完全に元通りなんてことはないことはわかっていた。

 十年間という時の流れの中に、元通りにできないこと、元通りになんてしたくないこともたくさんある。英梨々に「好きだった?」と問われて、英梨々と喧嘩をしてからの十年間をなんの努力もせず無為に過ごしてきた自分を激しく悔いて、この十年間は死に物狂いで努力を重ねてきたつもりだ。そこで実現してきた成果、築いてきた人間関係、そして作り上げてきた自分。

 英梨々や詩羽先輩だってそれは同じはずだ。

 それは頭ではわかっていても、どうしても、「あの頃」と同じように、一つのゲームをつくる仲間として、利害関係を超えたところで、最強の神ゲーを作りたい。二人が戻ってきたから、それができるのではないか。そんな期待が、どうしても頭に上ってきてしまって。

「頑張ろうな、俺たちの最新作」

 眠ってしまったのだろうか。恵からの返事はない。

 いずれにせよ、俺たちは、俺たちで走っていくしかない。理想と違っていても、目の前にあるものが現実だ。これはそういう小説ではないので、俺は最高の結末を求めてタイムリープを繰り返したり、異世界転生したら今の気に入らない現実がいきなり強みになっていて期待どおりの物語をつむぐことができたりするわけではない。

 状況を受け入れることができたところで、眠気がやってきて、しだいに意識は重力にまかせてベッドの下の方へと流れ込んでいった。


* * *


 倫也の寝息が深く規則的になって十分な時間が経って、もう深い眠りにはいって目を覚まさないことを確信したころ、恵は額を倫也の額に軽くあてる。

「倫也くん・・・」

 眠りの世界で自分の声など届かないであろう倫也に恵はささやきかける。

「そうだけど、違うんだよ・・・」

 自分の中に駆け巡っている相反するいくつかの気持ちをそれ以上言葉にすることはできず、恵は倫也の額から顔を離して自分の定位置に戻る。

「あぁ、あの人がいたら、また『倫也君、重いよ、君の妻は』とか言われちゃうんだろうな・・・」

 明日からも、この気持ちを悟られないように表面上はフラットに、呆れや苦笑や皮肉を交えながら、接していこう。だって、私はメインヒロインで、彼の夢を追いかける最強のパートナーで、そして今は彼の妻。それができれば大丈夫なはずだから。

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