第39話 切れる糸

 いよいよ準備が整ってきた。

 開店には自信を持って臨む事ができるだろう。


「父様、そろそろ開店の日ですね」

「うん、僕は楽しみにしてるけど、アムはどうだい? 不安だったりする?」

「不安はもちろんありますが、楽しみでもありますね。今までにない体験ができそうですから」


 夕食後のひととき。

 予行演習の成果を二人で噛み締めながら、近づく開店の日に思いを馳せていた。

 実際に僕が教えられた事なんて些細だ。お店向けに軌道修正したに過ぎないだろう。元々持っていた彼女たちのポテンシャルが発揮できるよう少しの補助をすればいいだけだった。

 育成師としてはまだ実績を残せたとは言えないだろうな。

 開店したら店のプロデューサーに専念するか、更に別の子を並行して育成するか、考えなければならない。育成師と名乗るならば後者を選ぶべきだろう。

 選んだとしたら、アムちゃんと過ごす時間が短くなるのは避けられないだろう。

 僕が本当にしたいのは何なのか。

 決めなければならない。


 一段落した今を契機に思い直して、いっそ育成師となるのは諦めて、他の道を模索するべきだろうか。

 ロムという人が育成師だったから、僕が継がなきゃならないとは限らないはずだ。育成師が僕に合っているのか疑問が残る限り、与えられた環境に染まり、レールに乗っかったまま人生を進めたのでは後悔しかねない。

 僕がやりたいのは、これでいいのか――


 就寝し、自分の気持ちを確かめようと思い巡らせていると、突然に頭を横殴りにされたような痛みを覚えた。

 アムちゃんが寝帰りをうって蹴っ飛ばされたのか、とも思ったが、寝息が耳のすぐ近くから聞こえるので違うだろう。

 和らいできて気付いたのは、じんわりと広がる痛みは外からではなく中からのようだった。

 思い出す。

 この世界にくる直前に覚えたあの感覚。


 ふと、モニタに映る画面が浮かび上がってきた。

 画面にはアムちゃんがいる。いや、僕がメイキングしたアムちゃんと同じ容姿をした子がいる。

 モニタの前には大福が置かれている。まるでお供えのようだ。

 なんだか、辛くなる光景だった。


 ――それは夢だったのか。

 起きたら朝が来ていた。


+*+*+


 朝食を食べてすぐに、その痛みの原因を知っているだろう人に聞きに行った。


「とうとう繋がったようだね。上手くやれば記憶の定期的な共有ができるかもしれない」

「そうね。意図的に操作する技術は確立してないけど、補助くらいならできるかも」


 チアキさんとヨシエさんの顔がマッドサイエンティストのようになっているのに不安しか感じないが、僕の今持ち得る人脈ではこの二人に頼る他ないだろう。

 でも、確立していない技術を施して、いいように実験台にされているように聞こえるんですが。


「これから僕はどうしたらいいんですか?」

「一旦は様子見だね。経過観察だ。次に異常が発生したらまた言ってくれ。症状によって出方が変わるから」

「例えば?」

「徐々に馴染んで記憶が融和していくのが理想なんだが、そうはならずに頭痛が酷くなっていって生活が難しいくらいになったら、以前行った逆の施術をしてパーティションを取っ払う方法を取らざるを得ないかもね。でもそれをすると、ロム君の記憶が開放される代わりに、レンヤ君の記憶は吹き飛ばされてしまう可能性が高い」

「要するに、元通りにしちゃったらこの世界に君という意思が介在する余地がなくなって、自我が失われてしまう危険が伴うって事。最悪、君という存在が消えてしまうかもしれない」


 チアキさんとヨシエさんが、僕を亡き者にする方法を紹介してくれた。

 勝手にこの世界に呼び出しておいて、勝手に消し去ろうとするなんて身勝手極まりない。断じて、僕は抵抗すべきだろう。


 ――いや、違う。そうじゃない。

 僕はもう、心に決めている。


「でしたら今すぐにでも、ロムさんの記憶を開放してあげてください」


 するりと、決意を言葉にして口から吐き出した。

 チアキさんとヨシエさんは、僕の言葉をとても面白い顔で受け取ってくれた。よっぽど虚を突かれたのだろう。


「本当に? いいのかい、それで?」

「はい、元よりこの身体に居候してたようなものみたいですし、本来の持ち主に返すべきでしょう」

「う……む」


 チアキさんは苦渋の表情を浮かべている。


「私は英断だと思うわ。巻き込んでしまった私達が言うと掌返しになってしまうけど、人間の身で世界間転移に加担すべきではないのだから」


 ヨシエさんは沈痛な面持ちとなっていた。

 

 しばらく、静かに時だけが流れていったものの。

 ついぞ両者のからは僕の判断を覆そうとする言葉は発せられなかった。

 三竦みの状況がいつまで続くのかと思い始めた頃、観念したような顔になったチアキさんが質問を投げ掛けてきた。


「他の子達に言ってからにするかい?」

「いえ、それはしません」


 しないのではなく、できない。

 もしも引き留められたら判断が揺らぐのは必然だろう。

 アムちゃんや聖薇ちゃんの困惑する顔を見ちゃったら、ヘタレの僕は思い留まるに決まっている。

 唐突にこの世界に来たように、唐突に去るのが妥当だ。


「今すぐに、お願いできませんか」

「……わかったよ」


 チアキさんの手が僕の額に当たる。


「本当にいいんだね?」

「はい」


 即答。

 そして、頷き俯いたまま、去来する感情を押し込める作業に没頭した。


 ややあって訪れる痛み。

 僕と、この世界を繫いでいる糸が切れた。そんな感触があった。


+*+*+


 夢だったのだ。


 聖薇ちゃんとの再会。そんなの、夢の出来事でしかあり得ない。


 ゲームで作成した美少女が受肉して、人間としての生々しい思考と感情と意志を持って共に生活する。そんなの、夢の出来事でしかあり得ない。


 どんなにバーチャルが発達しようと到達できないような世界の体験。


 僕は、冬休みの間にずっと、夢を見ていただけなんだ。


 夢から、覚める時が来た。


*+*+*


 ぶり返した頭の痛みに叩き起こされ、突っ伏した机から顔を起こした。

 目の前には、しばらく見ていなかったが見慣れたモニタがある。

 見慣れたモニタ。

 そのモニタがあるのは、元いた世界のはずなのに。


 モニタに映る、アムちゃんの姿。

 しかしその見た目だけはアムちゃんらしき人物は、ポリゴンデータで出来ている、僕がパラメータを調整して作った方の、まだ名前も付いていないゲームのキャラクターだ。

 あの、僕に想いを寄せてくれるアムちゃんとはまるで違う。限られた容量のプログラムで行動するだけのNPC《ノンプレイヤーキャラクター》に過ぎない、二次元世界の存在だ。


 押し寄せる喪失感に押し潰されそうになりそうだったので、画面から逃げるように首を傾け、周囲に視線を巡らす。

 ここは僕の部屋だ。間違いなく、僕が借りているアパートの一室だ。


「戻った…? 元の世界に…?」


 元の世界だ。

 元の世界に還ってきたんだ。


 深呼吸をする。

 埃っぽい自室の空気が、生活臭と共に肺へと流れ込んでくる。

 とてもじゃないけど、女の子を呼べるような部屋の環境ではない。

 ――ここに、アムちゃんがいるはずはない。


 現実を直視する。

 再度、モニタに向き合ってアムちゃんの姿を見定める。

 右下の決定ボタンを押す。押せないまま進むはずのなかったゲームの世界が、ついに動き始める。

 ドアの開く音がする。


「おはようございます、御主人様」


 ボイス付きのゲームは感情移入しやすくていい。しかもこのキャラクター設定だとアムちゃんの声にそっくりな声優さんが演じるようだ。なんとも出来すぎだ。


 肩が叩かれる。

 バーチャルにしても、肩にバイブレーション機能が影響を及ばせるとは一体どんな仕組みなのだろうか。


「御主人様、明日から学校なのですから休みボケは治してくださいね」


 肩を引っ張られ、ゲーミングチェアがぐるりと回転し、背後に居たメード服姿の女の子とご対面した。


「その休みボケ、アムが治してさしあげましょうか」


 黒髪とヘーゼルアイに様変わりしたアムちゃんが、そこにいた。

 

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