第零部:彼はこういう人です(外伝です。読まなくても本編をお楽しみいただけます。読む場合”-5話”からになります。)

-5話


「…朝か」


 宿舎にしている部屋の窓から、太陽光が否応なく差し込む。


 野宿が日常であるこの仕事にとって、朝の目覚めは苦ではないが、寝坊したい一日があることは否定できない。


 俺の朝にはルーティーンがある。


 まず最初にやることはうがい。


「ガラガラガラガラ…ペッ」


 それと顔を洗うことだ。


 部屋に用意された簡素な洗面台の鏡が、俺の顔を映し返す。


 いつも通りの黒髪黒目に、少しだけ面長な顔。前髪は目の上寸前まで伸ばされ、後ろは襟に届かない程度の長さだ。柔らかく、比較的いい髪質だと我ながら思う。身長は百八十センチほどで、二十を超えたあたりから一切変わっていない。


 右腕は義手で、肩を含めて腕を丸ごと失った。特殊な素材を使っているので魔力さえ操れれば自由に動かすことができる。腕は失ったが、優秀な変わりがあるため、苦労したのは最初だけだった。


 義手は黒鉄(こくてつ)という特殊な金属でできている、文字通り黒い鉄だ。


 色々な理由があって、左腕は普段オーダーメイドで作った革製のアームホルダー(腕の骨折時、腕を動かさない為に補強する、肩から腕を釣る器具)で固定している。


 一般人と比べれば筋肉質な方だろう。体に余分な脂肪は一切付けていない。


 次にやることは一杯のコーヒー。


 目が覚めてからしばらく残る口の中の不快感を、一撃で消し去るのにこれ以上の対抗手段はない。


 コーヒーは決まって窓辺で飲む。


 野宿であれば木の上など、決まって眺めがいい場所だ。


 そこから眺める景色に昨夜との差はないか、違和感を探し出す。


 いつからか習慣にしているこれをやり逃せば、目覚めの口の違和感のように、一日中独特な不快感が俺を包み込む。


「村は今日も異常なし。…森じゃあるまいし、村の中では少しは落ち着けるようになりたいところだ。まぁ無理な話か」


 警戒を解けばすぐに死が迫りくる。魔物の生息域とはそういう場所だ。


 俺の日常のほとんどはそこにあるため、警戒を解くなんてことは自ら死という名の沼に片足を突っ込むのと同じだ。


 ただし死が怖いわけじゃない。


 死から遠ざかりたいわけではない。


 なぜなら俺の友人たちの多くは、その向こう側にいるからだ。


 そんなネガティブ思考を脳でくゆらせつつ、俺の思考は仕事へと向かっていた。


「…そろそろ準備するか」


 朝日を全身に浴びるように、窓辺で大きな伸びをする。


 そうすれば思考は一瞬で切り替わる。


 俺は宿舎で出される朝食をとろうと、部屋のドアノブに触れる。


「アバッフ!!!!????」


 ドアノブは向こうから俺を迎え入れた。というか俺が手を触れた瞬間に俺の顔面に扉が突進してきたという表現の方が近いだろうか。


 俺は両開きの扉の前で、鼻を赤くしながら立ち尽くした。


「あらギルちゃん?扉の前にいたのかい?それは悪かったね~」


 扉から申し訳なさそうに俺を覗くのは、この宿舎の主:マァサ。


 アームホルダーに入った左腕を心配そうに見ている。


 非常に恰幅のいい女性で、その体系に見合った優しさを兼ね揃えている。


 いつも通りのチェックのシャツに、その上からエプロンをかけている。そして頭を包み隠すようにチャック柄のバンダナをしている。眉毛も髪も茶髪だ。お団子にまとめてその上からバンダナをしている。


 顔に重ねた皺が、彼女の年齢を悟らせる。


 おそらく歳は四十代後半といったところだろう。


「マァサさん、部屋のノックは最低限のマナーですよ。…まぁそれはそれとして、どうかされたんですか?」


 俺は少しだけひりひりする自分の鼻を数度なでながら返事をする。


「それがねぇ…今日の夕食の為に裏の倉庫から寸胴鍋を取り出したいんだけど、上に乗った大荷物のせいで取れないんだわさ。ギルちゃん力持ちだから、とってきてくれないかしら?」


「それくらいならすぐにでもやっておきますよ」


 我ながらお人好しな方だと思う。ある種戦闘を生業とする者にとって、そういった感情は足を引っ張ることもあると理解している。


 だがこれは俺の性分で、幾度治そうとしても治らなかった。


 この宿舎に滞在してから一か月が経過しようとしていた。


 居心地の良さと、調査範囲の広さからなかなか仕事を終えることができない。


 俺は二階の部屋から、すぐに裏の倉庫へと移動して、現状を確認した。


 想像以上の汚さだった。これは寸胴鍋が取れないとかいう次元ではない。何かを取ろうとして上から落ちてくる他の荷物が、そのうちマァサさんの命を奪うだろう。


 積み重なった歴史が、迫力と埃をかさまししていた。


「はぁ…便利屋ではないんだけどな。ま、一時間ってところか」


 俺はすぐに整理を開始した。


 全身に埃を積もらせることになったが、豪快に整理したおかげで三十分もかからなかった。これくらいなら何の問題もない。


「あらギルちゃん、戻ってきたの?」


 一階にある食堂に戻ると、マァサさんが出迎えてくれる。


「寸胴鍋をとってきましたよ。それに整理もしてきました。マァサさん、あの状態はそのうち人を殺しかねませんよ?こまめな整理をアバッフ!!!???」


 扉の前でマァサさんに小姑が如く説教をしていると、背後の扉が突然開き、今度は俺の後頭部を殴打した。


 その衝撃で俺に積もっていた埃が舞い上がった。


 俺は偉そうなことを口にしていた分、気恥ずかしさにその場に立ち尽くした。


「あっ!ギル君!助けて!!!お父さんが!!!」


 俺は便利屋ではない。


 しかし辺境の村に冒険者が集まりにくいのも事実、頼る人間が俺くらいしかいないというのなら仕方がない。


 息を荒げた少女が、顔を真っ青にして俺の方を見ている。少女の名前はマリ。


 まだ七歳くらいで、茶色い髪を後ろで一つの三つ編みにした少女だ。頬には少しだけそばかすが見える。


 村で俺を見かければ話しかけてくれる明るい少女だ。母親はいないらしく、いわゆる父子家庭だそうだ。


 確か村に数少ない冒険者の一人娘で、彼女が来たということはある程度何が起きたか状況を察することができる。


「まずは落ち着いて。一体どうしたんだ?」


 だから俺はまず、マリの頭を優しく撫でた。

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