第35話 経緯と、経過(1)
「あの、これ……」
「あ、うん。ありがとう」
俺は缶ジュースを受け取ると、そのままつられて彼女――佐原さんの顔を見た。三十分前に見た岡本の顔よりも数段力がなく、目も赤くなっていた。
「……ひどい、よね? 私の顔」
「いや、そんなこと……」
「ううん、大丈夫……気を遣わなくて。さっき、スマホのインカメラで見て、ぞっとしたから」
自嘲気味に笑いながら、彼女は目元を拭う。その手の甲に滴が乗り、そのままツーッと下に落ちた。
俺たちが今いるのは、屋上のイベントエリアにある小さなベンチだ。イベントエリア中央では、さっきも見たゆるキャラが見事なステップで踊り、観客を魅了していた。
「そういえば……」
ゆるキャラショーには目もくれず、彼女は視線を缶ジュースから俺の方へと移した。
「私と霜谷くんって、二人で話したこと……あんまりなかったよね?」
「ああ、そういえば」
言われて思い返してみると、佐原さんと話す時はいつも夏生か岡本がいた気がする。二人になった時と言えば、片方がいなくてもう片方がトイレにでも行っている時くらいだ。
「私、元々内気な性格で……ほとんど話したことがない人と話す時、緊張しちゃうんだ」
言葉を選ぶようにゆっくりと、彼女は言った。
「今も少し緊張してて……遅くてイライラするかもしれないけど、ちょっとだけ、お話を聞いてくれないかな?」
「うん、いいよ」
俺と佐原さんの間には距離がある。それは、これまでほとんど話さなかったことや、今も話し方の端々から俺に気を遣っているのが見て取れることからも、明らかだった。岡本とのことを話す前に、まずはこの距離を少しでも縮めないといけないと思った。
「ありがとう」
そこで佐原さんは、ふぅーっと息を吐いた。ほとんど深呼吸に近い、長い息。そこまで緊張していたのか、と俺は少し心の中で落胆する。
「えっと、私と佳くんが喧嘩した理由は、聞いた?」
「ああ、聞いたよ」
落ち込んでばかりもいられないので、俺は頭を切り替えて頷いた。
「そっか。じゃあ……私の夢とかについても?」
ためらうように、佐原さんは聞いた。彼女の視線は手元の缶ジュースの一点に留められ、何かをじっと待っているみたいだった。
この話は佐原さんにとって話しにくいことなんだろうな、と思った。俺はこの話を、直接佐原さんから聞いていない。でも、喧嘩のことを聞いたあの日、岡本と夏生しか知らない事実を俺は聞いてしまった。ここで頷いていいものかと一瞬迷ったが、
「うん、聞いた……ごめん」
俺は頷き、頭を下げた。
「その……病室で岡本から話を聞いていた時に、成り行きで……ごめん」
ここで隠し事をしても意味がない。というより、ほぼ間違いなくやぶへびになりかねない。
佐原さんはそんな俺の返事を黙って聞いていたが、やがて小さく笑った。
「ふふっ。霜谷くん、深刻になりすぎだよ。そんな大層な話じゃないし」
でも、夏生ちゃんが言っていた通り良い人だね、と佐原さんはまた短く笑った。
なんだか釈然としないが、そこまで気にしていないようなので良しとすることにした。不要なモヤモヤを飲み込むように、手に持った缶ジュースを一息にあおる。果汁の香りが鼻孔をくすぐり、時間が経って弱くなった炭酸が乾いた喉にしみていった。
「でも、そこまで聞いてくれてるなら、話しやすいや。実はね、聞いてほしいのは……佳くんについてなの」
「岡本について?」
こくっ、と佐原さんは首を縦に振った。
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