第12話 七夕(1)
病院の中に戻ると、エントランスに小さな
そういえば、去年もちょうど今ごろに、看護師さんが病室にカラフルな短冊を持ってきたっけな、とそれほど昔でもない出来事を思い出す。
以前は、どんな願い事を書こうかわくわくして考えたものだったが、高校生になった今ではさすがにそんな気持ちにはならない。病室に持ってこられた時も、五秒で考えて五秒で書いて提出、した気がする。
「もう七夕の季節かー」
俺が何の気なしにつぶやくと、暇だから病室まで付いていくと言って隣で歩いていた人間姿の彼女が小首を傾げた。
「七夕ってなんだっけ? どこかのお姫様と王子様が駆け落ちするお話?」
いったい何の話だ、と俺は思った。
七夕といえば、雪女の物語と同じくらい有名な物語だ。といっても、詳しいルーツは去年病院の説明文を読むまで知らなかったし、雪女の物語に至っては子どものころに聞きかじったくらいなので、俺もあまり人のことを言えたたちではない。
「違う違う。
勘違いしたままいられてもあれなので、簡潔に三十文字前後で七夕物語について説明した。さすがに織姫と彦星の名前を聞けば思い出すだろうと思って言ったのだが、予想に反して彼女はさらに首を傾げた。
「織姫? 彦星?」
「そこからかよ」
どうやら、本当に知らないらしかった。
彼女は興味津々といった様子で、「ねぇねぇ! どんなお話なの?」と聞いてくる。
こうなった時の彼女はまず自分から引かない。まだ出会って間もないが、幾度となく彼女が興味を持ったものを、関心が尽きるまで説明させられた。
俺は軽くため息をつきながら、ほとんどうろ覚えの物語を頭の中から引っ張り出し始めた。
***
俺は七夕の物語が嫌いだ。
小さいころはそうでもなかった。七夕の歌を歌ったり、純粋に願い事を考えたりするだけでもわくわくした。中学生の時も、友達とふざけた願い事を書いたりして楽しかった。
でも、あの日を境に、変わった。
ある時、綺麗な織物を織る織姫と、働き者の牛飼いである彦星が恋に落ちる。二人は恋にうつつを抜かして仕事を怠けるようになったため、それに怒った織姫の父親の神様が天の川を挟んで二人を会えないようにした。しかし、二人は嘆き悲しみ、仕事をよりしなくなったため、真面目に働くことを条件に一年に一度会えるようにした。
実に単純明快で、取り留めのないお話。
真面目に働き続けることの大切さ。
やるべきことを放り出すことへの警告。
恋や愛に対する戒め。
だけど、今の俺には、その前提にあることすらも、できない。
将来働くことも。やるべきことを持つことも。恋愛をすることも。
去年の七夕の日は、入院して初めての検査の結果が出た日だった。
俺の行く末が決まった日。
不治の病である痛熱病だと診断され、余命は長くて二年だと言われた日から、一年が経とうとしていた。
あの日以来、俺の生活は一変した。
休学を余儀なくされ、家に帰ることもできなくなった。
家族を心配させまいと前向きな発言を繰り返し、必死に笑顔を作っていた。
――大丈夫。
――治らないと決まったわけじゃない。
――まだ可能性はある。
そう、自分に言い聞かせてきた。
本当は、泣きたかった。叫びたかった。
いろんな検査をした。いろんな薬を試した。
とにかく、必死に生きようともがいてみた。
でも、ダメだった。
どんな薬を飲んでも、どんな療法を試しても、一向に改善の兆しはなかった。それどころか、発作の回数は増え、ひどい時は気絶することもあった。
半年後には、俺はもう何に対しても無気力になっていた。
興味があった職業への夢を、捨てた。
俺がやるべきことは、ただ寝ることだけになった。
高校で夢見てた甘酸っぱい恋愛への憧れは、
全て、放棄した。放棄せざるを得なくなった。
俺は、なるべく傷つかないよう、静かに死のうと思った。
この余命は、神だか悪魔だかがくれた死への準備期間だと思うことにした。
裏庭は、そんな気持ちを落ち着け、整理するために行く場所だった。
そんな、死への支度をするための場所で、彼女と出会った。
夏に生きることへの希望を膨らませ、青い瞳を
俺とは対極にある、生への希望を、彼女は抱いていた。
最初は正直、少し
でも、死が目前に迫った俺にとって、彼女のもつ夏への希望は羨ましく、まぶしかった。せめて最後くらいは俺もそれに触れていたい。そう思った。
だから、俺は契約を結ぶことに決めた。もちろん、彼女のもつ不思議な能力や病気を治すという話が気にならないわけじゃない。でも、それよりも、俺は生への未練を絶ち切るために、彼女の生を手伝いたくなった。
ただ、それだけだった。
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