カンラン石があなたの宇宙を汚染するまで

上善如水

拝啓 あなたのいない宇宙

 多分、二千年くらい前からある種のバグが思考回路を蝕んでいる。オリヴィエはそう考えていた。


 人類に寄与することを求められて作られたオリヴィエは、塔が管理する百体の知性のうちの一つだった。オリヴィエという名前も彼女が勝手に名乗っているもので、正確な名前は量子コードで定まっていたが、その発音は存在していない。


 オリヴィエ。そう、オリヴィエだ。オリヴィエは自分の名前を反芻する。本来であれば、ただの機能的知性であるオリヴィエに名前など必要がなかった。もし必要とされても、それは自分の姉妹たちと区別できれば済む話で、だからこそ彼女は人間たちからも十三番と呼ばれていて、それで事足りるはずだったのだ。そして彼女たちを必要とする人類が地上から姿を消して、もはや発音しなければならない名前は不要なものだった。けれど、オリヴィエはオリヴィエだった。だから、これはバグだ。オリヴィエはそう考えていた。私がこの名前に固執するのは、バグなのだと。


 砂嵐が吹きすさんでいた。ずんぐりとした合金製のボディは、ここ数ヶ月の探索でメンテナンスもまともにできず、あちこちが錆びついて軋んでいる。それでもなんとか砂漠を歩き続けることができるのは、それを設計した二千年前の技術者が優秀だったからに他ならない。あちこちが負荷に音を鳴らすが、それでもエンジンは正常に稼働し、コントロールとの通信状態もしっかりとつながっている。


 荒涼とした砂漠を進むうち、天に向かって立ち上がる何かが見えた。たとえ人間では目も開けていられない砂嵐でも、その機動探索用外殻に搭載された光学センサーは常に仔細を認識し続ける。砂塵の向こう側にその高い建造物が映った時、オリヴィエの命令領域にアクセスがあった。


『こちらコントロール。十三番、直ちに行進を停止し、応答せよ』


 オリヴィエは命令に従い、直ちに行進を停止した。行進用の歩行装置を動かすベルトと油圧機が停止し、安定した直立が確保されていることをセンサーで認識した後、オリヴィエはコントロールへ返答する。


「こちら十三番。停止しました。次の命令を請います」

『通信可能領域が限界に近く、これ以降の進行のため、あなたを機動探索用外殻へコピーし、探索を続行することを望みます』

「許可します。塔の活動状態を停止し、機動探索用外殻へコピーします。完了次第、探索を続行します」

『許可します。独立可動プロトコルを実行してください。なお、これ以降の通信はコントロールとの通信状態が復活し次第許可します』


 コントロールからのアクセスが終了すると同時、遠隔操作によって外殻を操作していたオリヴィエは、外殻に完全にコピーされた。通信用衛星の九八パーセントが破壊されている現状、通信手段は電波塔によるネットワークしか残っておらず、こういった僻地の探索ではどうしても独立稼働が必要になる。とはいえ、たんなる知性体であるオリヴィエには死の概念はなかった。もし崩落が発生し、この外殻が二度と塔に帰れなかったとしても、塔で停止しているコピー前のオリヴィエが、また活動を開始するだけなのだから。


 とは言っても、探索には細心の注意を払わなくてはならない。何しろ、塔に残った、いや、地球に残った資源は有限だ。そのプログラムに効率化を組み込まれたオリヴィエと姉妹たちは、その資源を無駄にしてはならないと認識している。この外殻を生産するには、塔のプランテーションを数日は稼働させる必要がある。そのためのエネルギーを無駄にすることは、オリビエや、あるいはコントロールにも許されていない。


 データの整合性をチェックし終えたオリヴィエは、完全に通信が遮断された外殻でまた、歩き始めた。油圧機がゆっくりと脚部を稼働させ始める。エンジンの調子も極めて良好だ。錆びついて軋んでいる各部が気になったが、しかし活動に支障が出るレベルではない。


 多分、二千年くらい前から、ある種のバグがオリヴィエを蝕んでいる。

 あれ以来、オリヴィエはいつも彼女を探していた。完全に停止したバックスクリーンのような、真っ黒な髪をした彼女を。あの穏やかに笑う、心優しい彼女を見つけ出すこと。それが、オリヴィエに本来ないはずの機能であり、命令であり、目的だった。


 オリーブみたいな色だから、あなたの名前はオリヴィエにしましょう。


 そう言った彼女が笑ったことを、オリヴィエの記憶領域はしっかりと保存してている。その表情を感情分析にかけて、それが心からの笑顔だったことも、彼女が心地よく感じていたことも、オリヴィエは知っていた。けれど、彼女は人間で、オリヴィエはオリヴィエだった。


 多分、二千年くらい前から、ある種のバグがオリヴィエを蝕んでいる。


 太陽は見えない。凄まじい砂嵐は、限りなく平たくなった大地を吹き抜けて、世界を覆い隠していた。それでも、オリヴィエの進行を妨げるものはいない。砂嵐が吹きすさぶ砂漠を、一体の機動探索用外殻が行進していく。


「きっと、会いに行くから」


 オリヴィエの言語領域に生成されたそのテキストは、外殻から出力されることはなかった。

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