あむ・らび
井守ひろみ
第1話:めい・こす(Maid Costume)
『朝ごはんです。温めて食べてね』
「はぁ…今日もか…」
朝起きて、食卓に置かれているそっけない書き置きとラップに包まれている冷めた朝食。
最近ずっとこんな感じで朝を迎えている。
両親は共働きで、父の経営する会社に母が専務として就いて二人三脚している。
父の経営する会社は運送業で、最初は軽トラック一台で近所に限定した運送サービスをしていたらしい。
地域限定の頃は格安の送料でサービスを提供していた。次第に範囲を拡大しながら軌道に乗ってきた頃、従業員を雇って範囲を広げてきた。
行き届いたサービスが人気を博し、今や本州全土をカバーして来月中には国内全域を配送地域に拡大する予定らしい。
それだけに忙しい日々が続いているらしく、朝早くて夜遅くまで仕事をしている。
ただ、全国展開を前に大きな問題がある。あたしではどうにもできない大きい問題が…。
「いただきます」
そんな激務の日々を送りつつも母は朝食をしっかり作ってくれているし、お昼のお弁当も置いてある。
過労で倒れてしまわないか心配で仕方ない。
カチャカチャ…
食べ終わったお皿を洗って、流し台に置く。
栗色の長い髪がグシャグシャになってしまわないよう、寝る時は頭に髪を巻き上げてターバンみたいにまとめている。
それでも寝癖はついてしまうので、朝はドライヤーで髪を
あたし自身、容姿はそれほどパッとする方ではないと思っている。
身長も155cmと平均身長より少し高い程度。
両方の側頭部で細く三つ編みにして、三つ編みにした両方を後ろで軽く束ねる。
ナチュラルメイク程度で軽く済ませて、ふんわり花の薫るコロンを一吹き。
これがいつもの日課になっている。
ぱん
花が置かれている黒い両開きの棚に飾った女の子の写真に向かって、目を
あたしには姉がいた。
だけど少し前に交通事故で亡くなってしまった。
散々泣きはらして、やっと気を持ち直してきたのが最近のこと。
こうして毎日、冥福の祈りを捧げている。
とても気丈な姉だった。
学校を卒業してからは家族の運送業を手伝いながらも、あたしのことをよく気遣ってくれた。
仕事では何か大きな案件が動いていたらしいけど、姉の死去をもって自然消滅してしまう。
それが何だったのかは、もう知る手段がない。
少なくとも、先方と思しき取引先から姉あての連絡は今もなお一度たりともない。
「行ってきます」
身支度を済ませて空っぽになった家を後にする。
家の門扉には
最初は読めない人が圧倒的に多い。
運送のトラックにはひらがなで「くぬぎ宅送便」と書いてあって、櫟と「くぬぎ」が結びつかないから、余計に読める人が少ない。
中には「
確かに文字の部品は少しだけ似てるけど、磔って何よ。磔って。あたしの家系は罪人か何かかって話よ。
小雪がちらつく季節。
もうすぐ桜が咲いて、次々に花が芽吹く頃。
ビュオッと一瞬だけ強い風が吹き、マフラーやスカートを揺らしていく。
「おはよー、
家を出て5分程度のところで後ろから声をかけられた。
「
この人はクラスメイトの
肩に少しかかる長さの艷やかな黒髪に、あたしより少し背が低いけど、あたしと違って出るところはしっかり出ている。
顔もかわいい感じで、女のあたしから見ても正直うらやましい…。
狙ったとはいえ、今通っている高校は徒歩20分ほどでギリ徒歩圏の場所に位置している。
この高校は平和な校風で、ネットの口コミでもイジメらしいイジメは起きてないということは確認済み。
菫ちゃんと何気ない会話をしながら校門をくぐる。
「おはようございます」
「おはよー!」
二人で教室の中へ挨拶して入る。
あたしは丁寧な言葉遣いを心がているから、挨拶する時も省略しないで最後まで言い切る。
少々他人行儀な響きにもなってしまうのはわかってるけど、親しき仲にも礼儀ありの精神で言葉を選んでいる。
「茜さん、これ借りてた本よ」
「わざわざありがとうございます。読んでみていかがでしたか?」
ニコリと笑顔で聞いてみた。
「とても面白かったわ。今度は続編を自分で買ってみようかなって思っちゃったの」
「そうですわね。そのほうが作者の方もきっと喜びますわ」
お嬢様を気取っているわけではないけど、以前に姉つながりで家へ来た本物のお嬢様を見て、あたしもこうなりたいと意識しているところはある。
高校に上がってから、姉つながりで一度お目にかかっただけでも、その上品な物腰はあたしの心を動かした。
「キャー!来たわよっ!」
「やあ、みんなおはよう」
どこかの王子様でも気取っているのか、わざとらしさすらある装いを感じる鼻にかかったような喋り方がいちいちイラつく。なぜか彼の周りだけキラキラオーラが見えてしまうけど、気にしないことにしている。
あの化粧品から航空機まで手掛ける明先財閥が
ただし口を開くと残念さが際立つ
それでも彼のファンは多くて、常に何人かの女子が入れ代わり立ち代わりで、あたしから見ると残念な彼を取り巻いてる。
「茜くんもおはよう」
目を閉じて髪をファサッと片手で軽く
キラキラオーラのキラめきが、あたしの頬を撫でる。
「おはようございます。明先さん」
なぜかいちいちあたし個人に挨拶してくるけど、もう慣れたから微笑みながらサラッとかわすことにしている。
最初は何であたしだけ名指しで挨拶してくるのか女子に問い詰められたけど、あたしのほうが知りたい、の一点張りにしていたらいつしか沈静化した。
実際にそうだから、他に答えようもなかった。
問い詰めてきた女子たちは多分、普段のあたしを見ていて彼をめぐるライバルにはなりえないと判断してくれたのだろう。
必要以上に関わらないことにしているあたしだけど、なぜか隆紫くんはあたしに絡んでくる。
ハッキリ言って
ただし明確な一線を引いているのは内緒。
何しろ、彼に関わるとロクな結果にならない予感がひしひしとするから。
その彼が…なんでよりによってあたしの隣の席なのよ…。
せめて席が離れてくれていれば彼の鬱陶しさから逃れられるのに。
でもそれももうすぐ終わり。
二年に上がればクラス替えがあるし、仮に運悪く同じクラスへ入ったとしても隣の席に来るなんて可能性は限りなくゼロに近い。
でもあの日に見た名前も知らないお嬢様みたいに、微笑みを絶やさず柔らかな接し方を忘れずに過ごしている。
それまでのあたしは言葉遣いも雑な方だし、不満があると大声をあげて反論してしまっていた。
それまでの自分を変えるのは容易じゃなく、気を抜くとすぐに地が出てしまう。まだまだあの時に見たお嬢様までの道のりは遠い。
「おーら、朝のホームルーム始めるぞ。席につけー」
担任の先生が入ってきて、時間切れになった。
「学年末試験も終わって一安心と言いたげだけどな、進級が危ないやつは春休みに補修あるぞ」
『えええぇぇぇぇーーーっ!?』
大勢から先生の発言に不満の声を上げる。
そんなに危ない人だらけなのかな。
あたしは春からアルバイトを始める予定でいる。
というのも家計が危なそうだから、自分のことは自分で稼いで親の負担を減らしたいと思った。
期末試験の結果はまずまずだったし、アルバイトしたくらいで成績下げるつもりはさらさらない。
「茜くんはどうだったんだい?」
「隆紫さんには遠く及ばないですよ」
それにしてもわざとらしい。
あたしの学年末試験は点を知ってるくせに。
何かと話を振ってくるけど、話を早く切り上げるための返事をしている。
「まあそうだろうな。何しろ僕は」
「全教科95点超えで、学年トップ3に入ってるんですよね」
「さすが僕のことをよく分かってるな」
キラキラオーラを振りまきながら、陶酔しきった顔で答える。
「10回は聞きましたから、覚えますよ」
そう。
ドヤ顔での自慢をかれこれ10回は聞いてきた。
いや、聞かされてきた。
実際すごいとは思うけど、これだけしつこいと尊敬する気は失せてしまう。
はぁ…。
隆紫くんの相手は本当に疲れる。
半ばぐったりしながら家路を急ぐ。
ふと、コンビニエンスストアがあったから、立ち寄ることにした。
別にジュースを買うわけではない。
フリーペーパーのアルバイト情報を確認するため。
「近くのエリアがいいわよね」
エリア別のフリーペーパーがマガジンラックに置いてあって、学校から家の間を含むエリアの冊子を手に取る。
パラパラと斜め読みして、いくつか気になるものがあったからかばんにフリーペーパーをしまう。
家までもう少し。
この辺は住宅街で、夜道でもかなり明るく照らされている。
まだ日が沈んではいないけど、さっきのフリーペーパーをチェックしたくて足早に家の門扉を開く。
「もし…」
あたしは声の主がいると思われる方に振り向く。
「どなたですか?」
「失礼ですが、貴女は
見ると、執事のようなピシッとしたスーツを着た推定30くらいの男がいた。
「…そうですけど、何かご用ですか?」
警戒心を煽るようなその空気に、あたしはわずかに身構える。
スッ
男が右手を挙げて、あたしは半歩後ずさる。
ふと後ろにすごい存在感を放つ左右二つの何かに気づいた。
「お連れしろ」
ガシッと肩や腕を掴まれ、体の自由が効かなくなる。
「離してっ!何するのよっ!!」
抵抗する間もなく、黒塗りの長い車が横付けされて、あたしは車に連れ込まれる。
執事のような人は運転席にいた。
「あたしを誘拐しても大したことは無いわよ?」
「誘拐?」
執事(?)は小さくハハハと笑い
「とんでもない。ある人にあなたを招待するよう仰せつかっています。間もなく到着します」
車はどこまでも続く塀の一角にある門を通り過ぎて、巨大なお屋敷に横付けされた。
何がなんだかわからないうちに部屋へ連れ込まれ、女性二人の手であたしは着替えさせられ、執事(?)さんが先導するままあたしは付いていくことになった。
「ったく…何なのよ…?」
展開が急すぎて、あたしの考えが追いついてない。
「どうぞこちらへ」
促されるまま見知らぬ人に誘導された。
いっそ暴れてやろうかと思ったけど、ここがどこだかもわからないまま暴れても途方に暮れてしまうかもしれないと思い、ここは思いとどまった。
それにしても…このヒラヒラな服は一体何よ?
静かにドアが開け放たれ、広い部屋がドア枠越しに飛び込んでくる。
目の前には丸いテーブルがあり、一抱えほどある壺には造花か生花かわからないけど、こんもりした丸型の花が部屋を彩っていた。
他にも調度品はいろいろあって、どれも悪趣味ギリギリの、それでいて高級そうなものが並んでいる。
「うわー、天井たかーい。部屋ひろーい…」
「よっ、似合ってんぜ。その服」
部屋の奥から声がした。
「その声は…」
声の主はあたしに背を向ける配置のソファに腰掛けて、コーヒーをすすっていた。
あたしの姿を確認しているのは、どうやら壁の鏡を見てのことらしい。
「
「かしこまりました」
猿楽と呼ばれた執事(?)は視界から消えた。
「なんであんたがこんなところにいるのよ」
すごく腹立たしい相手がそこに映っていた。
「なぜって、ここは僕の家だからさ」
「隆紫くん。この非常識な広さ、学生には持て余すでしょうがっ!」
そう。そこにいたのはいちいち腹の立つ言動であたしをイラつかせる隆紫だった。
「だから君に来てもらったんだ。その仕事服でね」
「仕事服?」
少し奥へ進んで、あたしの姿を鏡に映した。
黒を基調とした布で、胴回りはわずかにゆとりがあるけど、二の腕はふわっと膨らんだ加工がされている。スカートは末広がりのフレアーで、さらにパニエで膨らんでいる。
その黒い服の上から眩しいくらい純白のエプロンがかけられている。
エプロンは肩まわりがフリルだらけで、腰から下の前掛けのエッジもフリルだらけ。
頭にも同じくフリルの付いたカチューシャが備えられていた。
「なっ…何よこれ~っ!?」
隆紫は鏡越しにニヤリとするその顔がまた腹立つ。
「似合ってるな。そのメイド服」
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