風船男 ー その男の正体はシーマ ー                

zizi

第1話

               1


 頬を掠める風が冷たくなりはじめた初秋の深夜。切れかかった街路灯の明滅が、緑濃いプラタナスの葉を弄んでいる。

 何もかも忘れたい心境で、つい飲み屋を三軒廻ってしまった。通い慣れた色レンガ敷きの歩道を、朦曨としながら投げやりな気分で歩いていた。

 指先でワイシャツの胸ポケットに入れたはずの煙草をさがす。ぺしゃんこになった函を取り出すと、かろうじて一本だけ残っていた。それも原型をとどめないくらいに曲がったやつ。

 一軒目でマイルドセブンを買ったから、夕方からもう十九本喫ったことになる。明日から煙草をやめればいい、だからこれが最後の一本だ、と自分に言い聞かせると、立ち止まってライターを鳴らした。いつものこと、これっきりだと思うものの、やめられたためしがない。

 深く吸うことができない。自然と躰が拒絶しているようだ。口の中がいがらっぽい。それでも、飲み過ぎたのを反省しつつ半分ほど喫った。足元に棄てた吸殻をつま先で揉み消すと、はっきりとしない足取りでふたたびアパートに向かって歩きはじめた。

 スナックで歌った歌を思い出して鼻歌交じりで歩いていたとき、突然十メートルほど先で、地響きに似た重い音と、物が潰れるときの鈍い音が同時に聞こえた。

 何の音だ? ほろ酔い気分なために、一瞬目の前に起きたことがまったく理解できない。

 駅から少し離れたこのあたりは、予備校やオフィスビルが立ち並んでいる場所で、ほとんどが六、七階建てばかりである。たまたまそのあたりは街路灯がないところにきて、立派に葉を茂らせたプラタナスが間隔なく二本立ち並んでいるために、闇が濃くなっていた。

 目を凝らすと、歩道の真ん中にくろい塊りが横たわっている。嫌ーな予感がした。

 悪酔いをしたのかもしれないと思いつつ、目を瞬かせてゆっくりと近づいて行く。というよりも自分のアパートに向けて歩いているのだ。

 そろそろと傍まで行って覗き込んだとき、心臓が止まりそうになった。塊りは、うつ伏せで両手を拡げ、片脚をくの字に曲げた中年の男だ。足元は靴下のままだった。

 頭の部分から流れ出した血が黝い海のようにゆっくりと流れ出している。凄まじい光景を目のあたりにしたとき、足先から震えが這い上がってきた。

 確かめるように横から覗き込んだとき、薄くなった頭部がばっくりと割れて、血の海に浸る中に鮮やかなピンクの脳髄が覗いているのが見えた。そんな状態で人間が生きていられるのかどうかの知識は持ち合わせてない。

 息が荒くなり、心臓が口から跳び出しそうなくらい早鐘を打っている。しばし呆然としたあと、助けを求めるようにあたりを見廻したが、不運なことに誰一人としていなかった。

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