血海のオデッセイア――遥かなる戦火の彼方へ――

アルベルトゥス・マグヌス

第二次真珠湾攻撃

 西暦二千四十一年、皇紀二千七百一年十二月八日――この日、大日本帝国ハワイ自治領のオアフ島真珠湾において、太平洋戦争開戦百周年を記念する帝国海軍第一、第二艦隊合同の特別観艦式が行われていた。

「うわぁ、大迫力! 何て素晴らしい眺めなんでしょう。見渡す限りどこもかしこも軍艦(ふね)! 軍艦! 軍艦よ!」

南国特有の澄み切った蒼穹の下、白い波濤を蹴って、無敵艦隊の勇姿を見せつけるかのごとく悠々かつ誇らしげに航行する戦艦や空母、それに巡洋艦や駆逐艦の艦列が見えた瞬間、帝国第一皇女にして海軍元帥兼連合艦隊司令長官である桜宮薫子内親王は、総旗艦『『大和』』の第一艦橋に設けられた観閲席から思わず黄色い歓声を上げて立ち上がった。

「元帥閣下、どうかお座りください。あまり興奮なされては軍部の威厳に関わります」

 司令長官席の傍らに立っていた参謀長の近衛犬麿少将が苦笑交じりにたしなめると、薫子はやや不満そうに頬を膨らませて、ツンと横を向いた。

「あら、別にいいじゃない。私だってこれだけの数の艦隊を見るのは初めてなんだから。大体軍部の威厳って何よ。近衛まで大本営の頭の固い老人どもと同じような小言を言うのね」

「まあ、そうおっしゃらずに。閣下には閣下のお立場というものがおありのように、私にも私の立場というものがあるのをどうぞご理解くださいませ」

 帝国随一の名門近衛公爵家の御曹司であり、かつ二十七歳の若さで連合艦隊参謀総長に就任した帝国海軍きってのエリートは、わずか十七歳の皇女元帥と大本営の重臣たちとの間で何かと板挟みになることが多い自身の気苦労を暗にほのめかすように言った。

「でも皇女様、いえ、元帥閣下のお気持ちはわかりますわ。何せ総数三百隻もの艦隊なんてわたくしも今まで拝見したことがございませんもの。何だかこうして見ているだけで圧倒されてしまいそうですわ」

 薫子の従妹にして彼女の女官兼副官でもある海軍中尉九条見栄子がうっとりとした表情で感嘆の声を洩らした。

「確かに今回の観艦式は、あの照和帝御即位記念の時の御大礼特別観艦式をはるかに上回る史上最大の規模だそうですから。しかしながら元帥閣下、何ゆえこの時期に我が帝国がこれだけの規模の観艦式をここ真珠湾で行ったか。その真の目的をゆめゆめお忘れなきよう」

 近衛少将の言葉に薫子は長い黒髪をかき上げながら、鼻歌でも唄うように答えた。

「ええ、無論忘れてなんかいないわよ。最近アメリカ国内ではまたも『リメンバー・パールハーバー』とかいって反日感情とやらが高まっているそうじゃない。おまけにアメリカだけでなく中国やオセアニア連邦といった周辺諸国もそれに同調しつつあるとか。でも先の大戦の敗者どもがいくら勝者を憎んだところで、これだけの大艦隊を見せつけられたらきっとそれだけで震え上がってしまうことでしょうね。フッハッハ……」

 薫子の哄笑につられて、近衛少将を除くその他の武官や女官たちまでが皆、おもねるように追従の笑い声を上げた。

 一同の笑声が収まるのを見計らったように、一人の若い通信士官が近衛の元に歩み寄り、小声で何かをささやくと一枚の電文をそっと手渡した。

 何気ない様子で電文に目を通していた近衛の横顔に微妙な影が差すのを薫子が目ざとく発見した。

「あら、どうしたの? 急に難しい顔をして」

「大本営からの通信文です。先日来、ポリネシア海域でのメタンハイドレード採掘権を巡って、帝国政府とオセアニア連邦との間で行われていた外交協議が本日一一三〇、今からちょうど二時間前に交渉決裂、それとほぼ時を同じくして、ムルロア環礁沖でメタンの試験採掘を行っていた我が国のサルベージ船三隻がオセアニア軍に拿捕されたとのことです」

「あらあら、やっぱり物別れに終わっちゃったんだ。でも我が国のサルベージ船まで拿捕するなんてオセアニアも随分強気ね」

「恐らく背後にアメリカという後ろ盾があればこそでしょうが、ここまで強硬な態度を取られてはただでは収まりそうにありませんな」

「ただで収まる?」

 上目遣いに近衛の顔を覗き込んだ薫子の切れ長の秀麗な眉目にまるで闇夜に光る猫の眼のような妖しい光が宿り、その端正な唇に小悪魔めいた冷笑の色が浮かんだ。

「近衛、そなたも皇帝陛下の御気性はよく存じているでしょうに。あの陛下がオセアニアごとき小国に手袋を投げつけられるような真似をされて黙っているはずがないじゃない。何かというといい子ちゃんぶって『余は無益な争いは好まぬ。外交的な手段で物事が解決されるならばそれでよい』などと口では言いながら、いざその外交的手段とやらで自分の欲しいものが手に入らないとわかるとすぐに、経済制裁とか要人暗殺とか国内のテロやクーデターを煽ったりとかいった陰険な手段で報復するんだから。全く、我が弟ながらあの性格だけはホント困ったものね」

「……困った性格なのは皇帝陛下だけでしょうか」

「あら、何か言ったかしら」

「いえ、別に……。それより私にはオセアニアの政府や軍が一体何を考えているのかがいささか気になります。たとえオセアニアがアメリカという虎の威を借る狐であったとしても、両国の軍事力を合わせても帝国軍の三分の一にも及びません。常識的に考えればとても勝算のない戦いのはずですが」

「あら、じゃあ一つ訊いてみるけど、仮に我が参謀長殿が帝国軍に無謀な戦いを挑もうとする虎と狐の立場だったらこの状況をどう打破するのかしら」

「そうですね。私ならば帝国から攻撃を受けるより先に……」

 思案顔でそう話す近衛の言葉を遮るように、突然艦橋に甲高い警報が鳴り響き、通信士が緊迫感に満ちた声で叫んだ。

「レーダーに異常反応! 真珠湾南方約五百カイリの洋上に多数の機影発見! その数およそ四百以上、マッハ二.五の速度で北上しつつあり!」

「四百機以上だと!」

 艦橋に居並ぶ将兵たちの間に動揺が広がりかけた瞬間、薫子が先刻までとは打って変わったような毅然とした表情で司令官席から立ち上がり、凛とした声を響かせた。

「うろたえるな! 今、この真珠湾には帝国連合艦隊の約四割が集結している。敵がここを狙って奇襲攻撃を仕掛けてくることなど戦略戦術の常道ではないか! 誇り高き帝国軍人ともあろう者が我が前で醜態を晒すな!」

 刺すように鋭い眼光で抑え込むように幕僚たちを睥睨すると、薫子は近衛に向き直った。

「どうやらそなたの予想が当たったようだな。褒美に後で金一封でもくれてやろう」

「恐縮でございます。しかし四百機以上もの航空機を一度にぶつけてくるとは、オセアニアの戦力もなかなかどうして侮れませんな」

「ふん、どうせ大半は米軍からレンタルした借り物の寄せ集めの烏合の衆に決まってるわ。にしても芸のない奴らね。百年前の真珠湾攻撃の恨みを同じ場所、しかも同じ戦法でもって晴らそうとはな。戦争で同じ手は二度も通用しない――その鉄則を西洋の白豚どもにもう一度再教育してやりなさい!」

 薫子はいったん大きく息を吸い込むと、手に持っていた元帥杖の石突を艦橋の床に叩きつけ獅子吼した。

「連合艦隊及び真珠湾基地総員に告ぐ! 総員第一種戦闘配備! ただちに<ガーディアン・システム>を作動させ、迎撃態勢を取れ! 偉大なる我ら大日本帝国に刃向かう虫けらどもを一匹たりとも生かして返すな!」


「攻撃目標まで距離四五〇、全機イエローゾーンに到達しました。これよりLRASM(長距離対艦ミサイル)発射シーケンスに入ります」

 フライトヘルメットに内蔵されたヘッドフォンから戦闘支援AIの自動音声が流れると、アメリカ空軍第七航空戦隊のジョン・スミス大佐はコックピットのメインディスプレイの右隣に貼りつけられた一枚の古びたセピア色の写真に目をやった。

 写真に写っているのはアメリカ海軍の軍服を着てやや照れ臭そうな笑みを浮かべている一人の青年。手には赤ん坊を抱いている。スミス大佐の曽祖父の若き日の姿だ。

 この写真を撮ったちょうど一週間後、大佐の曾祖父は百年前の今日、日本軍の真珠湾攻撃に巻き込まれて戦死した。戦艦『アリゾナ』の乗員だった曽祖父は遺体を引き上げられることもなく、今も真珠湾の底に眠っている。

 当時まだ生後八ヶ月だった祖父は母親とともにアメリカ本土に移り住んだが、それからわずか二年後のサンフランシスコ大空襲によって今度は母を失った。

 幼くして戦災孤児となった祖父は、戦後の疲弊したアメリカ社会で数え切れないほどの辛酸を嘗め尽して八十有余年の生涯を終えた。

 死神がその瞼を閉じる最期の瞬間まで、両親を奪い、おのれの人生を大きく狂わせた大日本帝国とその軍隊を呪いながら。

 その憎しみのDNAは子供から、そして孫へと受け継がれ、今もなおスミス大佐の血脈に流れている。

――祖父さん、あんたが死ぬまで抱き続けていたジャップへの恨み、今こそ晴らしてやるぜ。

 大佐は写真に軽く指を触れると、心の中の亡き祖父の面影に向かってそっとつぶやいた。

「全機レッドゾーンに突入しました。LRASM発射シーケンス完了。ターゲットに照準をセットしてください」

 再びヘッドフォンから流れてきたAIの自動音声が大佐の意識を追憶の世界から現実へと引き戻した。

 あらかじめコンピューターにインプットされていた日本軍の艦艇識別コードがメインディスプレイにリストアップされる。

 その中から、大佐は自分の中にある敵意と殺意の全てをぶつけるにふさわしい最大の標的を選択した。

――大日本帝国連合艦隊総旗艦<YAMATO>!

「照準ロックオン! ミサイル発射!」

 低く鋭い掛け声とともに操縦桿の発射ボタンを押すと、F-25サンダーバードの機体から二本のミサイルが射出された。他の機体からもほぼ同時にミサイルが放たれ、白い噴煙の尾を曳きながらはるか八百km彼方の敵艦に向かって大空を翔けていった。

――よし、やったぞ! 先手を打った!

 大佐は小さくガッツポーズを取ると、ディスプレイをレーダースコープ表示モードに切り替えた。

 青い光点で表示された味方のミサイル群が、赤い光点で示された敵艦隊に向かってまっしぐらに突き進んでいく。

「ミサイル命中まであと十秒、九、八、七、六……」

昂る気持ちを必死に抑えつつ、AIが刻むカウントダウンにじっと耳をそばだてる。

「五、四、三、二……」

 無数の青い光点の群れが放たれた矢のような勢いで赤い光点に肉薄していく。

――今だ! 当たれ! 当たれーッ!

 大佐が声なき叫び声を上げながらコックピットのコンソールに拳を叩きつけたその瞬間、突然何の前触れもなく人工音声のカウントダウンが止まった。ディスプレイに表示されていた青い光点が次々と瞬くうちに画面から消滅していく。

「何だ!? 一体何が起こった?」

 思わぬ事態に呆然とする大佐の耳にAIの冷静すぎる音声が飛び込んできた。

「ミサイルをロストしました。カウントダウンを中止します」

「ロストだと? そんな馬鹿な! 数百発ものミサイルが全て一瞬で撃墜されたとでもいうのか!」

 驚愕する大佐。その視界を不意に音もなく稲妻のような閃光が切り裂いた。

 大佐と共に翼を並べて飛行していた友軍機がまるで神の雷に撃たれたかのごとく次から次へと立て続けに紫色の光線に刺し貫かれて爆発炎上し、黒煙を噴き上げながら青い海に向かって墜落していく。

「なっ……!」

「敵艦隊からのレーザー攻撃です。回避不可能。ただちに脱出してください」

「レーザー兵器だと! そんなものが実用化され――うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 再度飛来した紫色の禍々しい閃光が大佐の視界を覆いつくす。コックピットに絶叫がこだまする中、スミス大佐は搭乗機と共に真っ赤な火の玉と化して爆散した。


「ミサイル全機撃墜しました。敵航空部隊も戦力の大半を失い撤退していきます」

 通信士官からの報告を聞いた薫子は満足げにうなずくと、再び静寂を取り戻した広い真珠湾を勝利の美酒に酔いしれるような視線でゆっくりと見渡した。

「見たか。マッハ二十の超高速で飛来する最大千発もの大陸間弾道弾でさえも同時に捕捉・追尾することが可能で、しかも対ステルス機能まで備えた高性能マイモレーダーと、それら全ての目標を十秒以内に撃破・殲滅することが可能な対空レーザー網。この二つを連動させた史上最強の防衛システム<守護天使(ガーディアン)>がある限り、この広大な海も、そして無限に広がるこの青い空も、全て我が大日本帝国のものよ! フッフッフ……ワーッハッハッハ……!」

 古の戦国時代の覇者のごとく真紅のマントを翻し、魔王のごとき高笑いを上げる薫子。

 しかしその笑いを瞬時に吹き飛ばすような轟音が真珠湾一帯に響き渡り、湾の入り口付近に停泊していた一隻の駆逐艦が突如立ち上った巨大な水柱に吞み込まれ真っ二つにへし折れた。

「あ……」

 大口を開けたまま、棒を飲んだように硬直している薫子の目の前で、さらに追い打ちをかけるように数本の水柱が立ち、何隻もの巡洋艦や駆逐艦がまるで泥舟のようにあっけなく沈んでいく。

 生まれて初めて自分の目の前で味方の艦を撃沈されるのを目の当たりにした薫子の表情が、見る見るうちに鬼のような凄まじい形相に変じていった。

「こっ、近衛っ!」

 薫子のヒステリックな大声が艦橋に響いた。

「こっ、こっ、こっ、これは何だ! いっ、いっ、いっ、一体何が……」

「どうやら潜水艦による雷撃のようですね」

「わかっているのなら早く何とかしなさいよ!」

「落ち着いてください。すでに対潜哨戒部隊が索敵を行なっております。ですが、しかしながら……」

「しかし何だ!」

「先程から駆逐艦や哨戒機が何十発ものソナーを撃っているのですが、それらしき影が全く見当たらないそうです。それに魚雷の発射音も全く感知できないと……」

「何ですって……」

 アクティブ・ソナーにもパッシブ・ソナーにも反応しない潜水艦。それはステルス戦闘機以上に姿の見えない敵を意味していた。

近衛の言葉に愕然とする薫子の耳に九条中尉の悲鳴に近い叫び声が飛び込んできた。

「ああっ! くっ、空母が!」

 薫子と近衛がはっと振り向くと、『大和』の目と鼻の先に停泊していた帝国海軍が誇る機動部隊の中核をなす赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四隻の空母の周囲に次々と何本もの水柱が立ち上るのが見えた。

「何をしている! ただちに輪形陣を取って空母を守りなさい! 艦長! 『大和』も前へ!」

「お待ちください! それでは閣下の御身にまで危険が!」

「ええい、うるさい!」

 狂ったように取り乱す薫子を幕僚たちが必死に押しとどめようとする。そうしている間にも、飛龍を除く三隻の空母は、次第に船体を傾け始め、やがて水面に横たわるような格好で海中へと没していった。

「とっ、とにかく真珠湾の中では狭すぎて艦隊が密集せざるを得ません。ここはいったん艦隊を外洋へ――」

 一人の参謀の提案に別の参謀が反論する。

「馬鹿な! 敵は間違いなく真珠湾の外から誘導魚雷で我が艦隊を狙い撃ちにしている。にもかかわらず狭隘な湾の入り口を通って外洋に出ようなどとは。それこそ敵の格好の餌食になるだけではないか!」

「何だと! 馬鹿とは何だ馬鹿とは! 言っとくが俺の方が貴様より先任だぞ! 青二才はすっ込んでいろ!」

「誰が青二才だ! 先任だからって偉そうな口を叩くな! 士官学校の順位は俺より下だったくせに!」

「なっ……! 貴様よくも言ったな! 表へ出ろ!」

「おお、いい度胸じゃねぇか! かかって来い!」

 たちまち掴み合いを始めた二人の参謀たちの間にもう一人の参謀が割って入った。

「こら、やめんか貴官ら! こんなところで喧嘩をするなみっともない! 畏れ多くも元帥閣下の御前なるぞ! こら! やめろと言っとるのが聞こえんのか!」

 薫子だけでなく司令部全体が大混乱に陥りかけたその時、近衛がふと静かに口を開いた。

「元帥閣下、私に一つ策がございます」

 その言葉に、周囲の喧騒がぴたりと止んだ。艦橋にいた全員の視線が近衛に集中する。

「策とは何だ。申してみよ」

 薫子に促されて、近衛は手に持っていた指揮棒で艦橋中央に置かれた海図の一点を指し示した。

「戦艦『陸奥』を真珠湾湾口、イロクォイ・ポイントまで移動させます」

「『陸奥』を!? 何を言うか! そんな場所に戦艦を移動させたらそれこそ敵の集中攻撃を受けるだけではないか!」

「そうです。それが目的です。『陸奥』は間違いなく敵の集中攻撃を浴びて轟沈するでしょう。しかしイロクォイ・ポイント付近の湾の幅はおよそ三百m、水深はわずか十二mしかありません。それに対して『陸奥』の全長は約二百二十五m。たとえ沈んでも真珠湾の入り口をふさぎ、敵魚雷からの盾となってくれることでしょう」

「……つまり、『『陸奥』』一隻を犠牲とする代わりに、他の全ての艦隊を守ろうというわけか」

「御意にございます」

淡々とした口調で壮絶きわまりない作戦内容を語る近衛の姿に、その場にいた誰もが迂闊に反論できないような静かな気迫のようなものを感じた。

「しかし、いくら窮余の策とはいえ、戦艦一隻を使い捨てにするとは……。何も『陸奥』でなくとも、輸送船やタンカーなどでもよろしいのでは……」

「この乱戦の中、足が鈍く、しかも装甲の薄い輸送船やタンカーが敵の魚雷や味方の艦船をかいくぐって目標地点まで無事にたどり着けると思っているのかね。かえってリスクが増えるだけだ。それに対して『『陸奥』』は未だ無傷で装甲も厚く、一発や二発魚雷を受けた程度では沈む心配はないし、何より今真珠湾にいる戦艦の中でも最も湾の入り口に近い位置にいるではないか。貴官にはそれがわからんのかね」

 一人の若い参謀が思いきって異を唱えたものの、近衛にあっさりと論破され、むっつりと押し黙ってしまった。

 意に介さずといった風で近衛はさらに言葉を重ねる。

「それに、戦艦とはいっても『陸奥』』は半年後に退役することが決定済みの老朽艦です。退役後、廃船として処分されるぐらいなら、今ここで三百隻の艦隊と百万の将兵を守るため、役に立ってもらいましょう。私からの説明は以上です。閣下、どうか御決断を」

近衛に冷徹な視線を向けられた薫子は、硬い表情をしたまま、しばし沈黙していたが、やがて一つ深呼吸をすると、目に見えない何かを断ち切るような口調で決断を下した。

「よかろう。貴官の策を取る。すみやかに作戦を実行せよ」


「承知いたしました。軍令、謹んでお受けいたします」

 近衛参謀長からTV通信で作戦内容を伝えられた戦艦『陸奥』艦長の直江正治大佐はためらうことなく即答すると、深々と頭を下げた。

「本当によろしいのですか。司令長官閣下は作戦の内容が内容だけに、今回に限って命令拒否も可とすると仰せですが」

「ありがたきお言葉ながら、帝国軍人にとって君命はおのが命よりも重しと心得よと、士官学校の頃より教官や上官から叩き込まれて参りました。それに百万の皇軍と司令長官閣下をお守りするための盾となるは武人にとってこれに勝る栄誉はございません。ただ、一つお願いしたきことがあるのですが……」

「何でしょう。私にできることならば何でもいたしますが」

「この作戦を実行すれば、本艦の乗員は小官を含め恐らくほぼ全員が戦死するでしょう。その遺族に対しては充分なご配慮を賜りとうございます」

「無論です。言うまでもありません」

「それとあと、もう一つだけお願いがあるのですが……」

「何ですか」

 やや言いにくそうな様子で艦長が言葉を濁す。

「実は小官には七歳になる娘がいるのですが、小官が戦死した後、娘にどんな物でも構いませんので、司令長官閣下から何か御品を賜ってやっていただけないものでしょうか。まことに僭越であるとは存じたてまつりますが、娘はその、何というか……皇女殿下のファン、いえ、子供ながらに司令長官閣下に対する憧憬の念がことの他強く、TVなどで閣下のお姿を拝見するたびにいつも『私も大きくなったらお父さんみたいに軍人になって皇女元帥様と一緒に『大和』に乗って戦うの』と言い張っては私や妻を困らせるのです」

「……わかりました。艦長殿のお言葉は私が責任をもって必ずや閣下にお伝えしておきましょう」

「ありがとうございます。娘もさぞかし喜ぶことでしょう。これで心置きなくあの世に逝くことができます。小官にこのような大任をお任せくださった司令長官閣下の御高配、たとえ七度生まれ変わっても決して忘れはいたしませぬ」

 そう言って直江艦長は画面の向こうの近衛に向かって敬礼した。

 『大和』からの通信が切れると、直江は軍服のポケットからスマートフォンを取り出し、フォトアルバムの中に保存されている一枚の画像を開いた。

 画像には妻の恵子と娘の弥生が写っていた。

――恵子、お前も軍人である私の妻となって以来覚悟はしていたとは思うが、ついにこの日が来てしまった。だが悲しまないでくれ。お前に泣かれると思うとどうしてもこの世に未練が残ってしまう。平民出身、それも東北の貧しい百姓の家に生まれ、親兄弟を養うために仕方なく軍人になった俺を、こうして戦艦の艦長にまで取り立ててくださった御国のご恩にやっと報いることができるんだ。だからお前も俺と一緒に喜んでくれ。後のことはお前に託す。苦労をかけることになるが、どうかお前の手で娘を立派に育ててやってほしい。そして弥生よ。私にとってお前は、お母さんと結婚してから十年も経ってやっと恵まれた、本当に大切な宝物だった。たった七年しか一緒にいてあげられなかったこと、本当に申し訳ないと思うが、お父さんはお前にとって一番の憧れの存在である皇女殿下をお守りするためにあえて死地へと向かう。だから私がいなくなっても堂々と胸を張って人生を歩んでいってほしい。ただ、大人になっても軍人になるのだけはやめてくれ。そして私の仇を討とうなどとは夢にも思わないでくれ。自分自身軍人でありながら身勝手な願いだとは思うが、私はお前にだけは戦場で人を傷つけたり、殺したりするような人間にはなってほしくはないし、また、誰かを恨んだり憎んだりするような人間にもなってほしくはないのだ――。

 画像の中の妻子に最後の想いを伝えると、直江はスマートフォンを再びポケットの中にしまい、今度は艦長室の室内をゆっくりと見渡した。

壁には『陸奥』の歴代艦長の写真と、そして『陸奥』の艦影を写した写真が飾られている。

 『陸奥』は建造されてから今年で四十九年。奇しくも直江と同年齢だ。

 就役から半世紀近く、軍の上層部から時に老朽艦呼ばわりされることがあっても、直江は自分と同じ年に生まれ、同じ歳月を生き、そして艦長に就任してからの二年間、常に同じ戦場を戦ってきた『陸奥』に対し、誇りと親近感を抱いていた。

「『陸奥』よ、今まで本当によく働いてくれた。お前も俺と同じようにいろいろと思うところがあるだろうが、帝国海軍の戦艦として最後の最後まで御国のために役に立つことができるんだ。俺もお前も、お互いに本懐というべきだろう」

 まるで旧い戦友と話すように、写真の中の『陸奥』にそう語り終えると、直江は写真の中の『陸奥』に対し背筋を伸ばして敬礼し、艦長室を出た。

 直江が艦橋に入ると、副長の色部勝中佐はじめ艦橋スタッフ全員が待ちかねていたように一斉に敬礼した。

「副長、艦の状態はどうだ? この船も歳のせいか、最近エンジン・トラブルが多いからな」

「はっ、すでに最終点検も終わり、万端準備は整っております」

「そうか。一応念のために機関室に確認しておこう」

 そう言って、直江は艦内通信のTV電話で機関長の藤山勇太大尉を呼び出した。通信画面に軍人というよりもいかにも頑固一徹そうな職人といった風貌をした藤山大尉が現われた。

「機関長、エンジンの調子はどうだね?」

「何だ。緊急事態かと思ったらそんなことでわざわざあっしを呼び出したんですかい。艦長も相変わらず苦労性なこってすな。ご心配しなくても今日の『陸奥』は絶好調! 何せあっしは三十年以上もこの船の機関室で働いてきたんですよ。こいつの腹具合がいいか悪いかなんてそれこそエンジンの音聴いただけでわかりまさぁ。ですから艦長も最初っから出力全開で遠慮なくぶっ飛ばしてくださいよ。この『陸奥』を散々ボロ船呼ばわりしてきやがった連合艦隊のお偉いさんたちに最後に一発、目に物見せてやりましょうぜ! ガッハッハ!」

「うむ、そうだな」

 藤山の豪快な笑い声を聞きながら、直江はかすかに微笑んでみせた。

 機関室との通信を終えると、色部が話しかけてきた。

「あと、連合艦隊司令部より電信が届いております。本艦の予定進路上にいた全ての艦を退かせた。出撃のタイミングは艦長に全面的に委任するとのことです」

「そうか。司令部からそこまで信頼していただけるとはありがたいことだ。その信頼に是非応えてみせなくてはな」

 そう言うと直江は艦橋から見える真珠湾の光景に視線を移した。

 湾内のあちこちに正体不明の潜水艦に一方的に叩きのめされた味方の艦の残骸が沈没、座礁している。

 奇襲を受けた当初、いち早く危険を察知した直江は『陸奥』を湾の入り口から見て死角になるサウスイースト・ロックに退避させたが、逃げ遅れた多くの艦が魚雷の餌食となり、艦隊は一時恐慌状態に陥った。

 しかし今ではやや態勢を持ち直し、戦艦や空母のような大型艦を湾の奥に後退させる一方、俊敏で小回りの利く軽巡洋艦や駆逐艦を前衛に押し出し、ありったけの機雷や爆雷を湾内各処に投下して果敢に防戦に努めている。

――連合艦隊司令長官とは名ばかりの、単なる威勢がいいだけのお飾りのお姫様だとばかり思っていたが、いったん総崩れになりかけた艦隊をこの短時間でここまで建て直すとは。無論、あの若い参謀長や他の幕僚たちの助力があってこそだろうが、それでも敵の航空部隊を<ガーディアン・システム>を駆使して即座に撃退した時の手腕といい、未だ粗削りではあるが、どうやら生まれながらに指揮官としての才能と統率力に恵まれているようだな。

 直江は心の中で若い皇女元帥をそう評した。

 目を凝らすと、真珠湾の最奥部、イースト・ロックに、おびただしい数の艦艇によって周囲をびっしりと取り囲まれている『大和』の姿が見える。

 その威容に向かって深々と最敬礼すると、直江は大声で命令を発した。

「総員戦闘準備! これより作戦行動を開始する! 戦艦『陸奥』、最大戦速で発進せよ!」

 艦長の号令一下、『陸奥』は隠れ家のサウスイースト・ロックから発進すると、真珠湾の入り口目指して緩やかなカーブを描きながら疾走し始めた。

 その動きを察したように、四本の魚雷がたちまち向きを変え、白く長い尾を曳きながら急接近してくる。

「艦長! 敵の魚雷が!」

「構うな! デコイを投下しつつ、このまま突っ切れ!」

 目標地点のイロクォイ・ポイントまでは約五km。『陸奥』の最大船速ならばわずか十分少々でたどり着ける距離だ。

――頼む。十分、十分の間だけでいいから耐えてくれ。

 直江は心の中でそう念じた。

 『陸奥』の至近で魚雷が爆発し、艦橋にも届くほどの巨大な水柱が噴水のように次々と立ち上る。

 その間を強引にかき分けるように、『陸奥』はひたすら前を目指して突進していった。

「敵の魚雷、全弾回避しました」

 航法士の報告に艦橋にいた全員が一瞬安堵の息をつきかけたが、別の叫び声がそれを打ち消した。

「敵魚雷、第二波来ます! その数およそ六!」

「どうやら敵は早くも我が艦の動きに気づいたようだな」

 直江は苦笑めいた笑みを色部に向けた。

「しかし、敵は湾の外から攻撃を仕掛けているのでしょう。水中にいる潜水艦がソナーも使わずに遠距離から、しかも入口の狭い袋のような真珠湾の中にいる相手の動きをこれほどまでに正確に掴むなど不可能です」

「そう、常識的に考えれば不可能だ。しかし現に敵はその不可能なことをやってのけている。どうやら我々は従来の軍事的常識が全く通用しない、想像を絶する敵と戦っているようだな」

 直江の言葉が終わるよりも早く、轟音と衝撃が『陸奥』の巨体を大きく揺り動かした。

「どうした!」

「左舷に二発被弾! 機関部損傷! その他第二、第四ブロックにおいても死傷者多数!」

「落ち着け! 機関部に被害状況を確認しろ!」

藤山機関長の安否を気遣いながら、直江は被害状況の確認指示を出した。

「機関長より艦内通信です! 機関室の損害軽微! 負傷者五名を出すもエンジンは未だ健在なりとのことです!」

通信士の報告に思わず直江は胸中で安堵のため息をついた。

藤山とエンジンが健在な限り、『陸奥』はどれだけ魚雷を喰らってもその動きを止めることはないだろう。彼はそう固く信じていた。

傷つき、多くの死傷者を出しながらも前進を続ける『陸奥』。しかし、その行く手を阻むように第三波の魚雷群が獰猛な鮫の群れのように『陸奥』に向かって襲いかかってきた。


「『陸奥』、またも被弾した模様。左舷から黒い噴煙が上がっているのが確認できます」

 遠視カメラを通じた映像を見ながら、観測士がかすかに震える口調で報告した。

 連合艦隊司令部の幕僚全員が、『大和』艦橋のメインスクリーンに目を向け、敵魚雷の猛攻に必死で耐えている『陸奥』の姿を固唾を吞んで見守っている。

 薫子もまたぐっと唇を噛みしめながら、青白い表情でスクリーンを凝視していたが、やがて忍耐の限界に達したように司令官席から立ち上がって叫んだ。

「第八駆逐艦戦隊に命令を出せ! 今すぐ『陸奥』の援護に向かわせなさい!」

「お待ちください!」

 素早く近衛の声が飛んだ。

「駆逐艦を援護に付けてもあの魚雷のスピードと威力では一発で沈められてしまい、弾除けにすらなりません。かえって犠牲が増えるだけです。それに今から援護に行ったところで、どうせ間に合わないでしょう」

「では『陸奥』をあのまま見殺しにしろというのか! 一体何のための連合艦隊だ!」

「これ以上の被害を最小限にとどめるためにはやむを得ません。百万の兵を守るためにはあえて一万の兵を犠牲にするもやむなし。それが軍人というものです」

「軍人軍人って、それでは結局軍人というのは鬼や悪魔も同然ではないか!」

「ええ、ある意味おっしゃる通りでございます。よくお気づきになられましたね」

「なっ……!」

近衛が言い放った一言に薫子は思わず絶句した。

「いくら大義や名誉、あるいは国益などといったものを振りかざしたところで、戦争の本質とは結局大量殺戮であり、軍人の本質もまた殺戮者です。現に閣下も先程、<ガーディアン・システム>を用いて四百機近い戦闘機と、それと同じ数のパイロットをことごとく抹殺しなさったではありませんか」

「あっ、あれは敵じゃない!」

「敵であろうと味方であろうと同じ人間であることに変わりはありません。戦争とは閣下が大好きな子供向けのアニメや特撮ヒーロー番組とは違い、ただ敵だけを倒せばそれでいいというような、そんな単純なものではないのです。必要とあらば心を鬼にしてでも、直江大佐のような、死なせるには惜しいほどの立派な人物や、戦艦『陸奥』の乗員二千人に対してあえて『軍や国家のために死ね』と命じることができるような人間、そして部下に対して自分の命さえも喜んで捨てさせることができるような人間でなければ帝国軍の将帥たる資格はございません。創設以来百七十年、常勝不敗の皇軍の栄光を担ってきたかつての名だたる将軍や提督たちも皆、敵だけでなく多くの味方の血を流しながら、この大日本帝国をドイツと並ぶ世界の二大超大国の一つへと築き上げてきたのですから」

 淡々とした口調でそう語る近衛の顔を、薫子はしばし無言のまま憎々しげに睨みつけていたが、やがて乱暴な動作でふんっと顔を背けると、視線を再びメインスクリーンに戻した。

 手に持っている元帥杖を放り投げて、この場から逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えながら。


 降り注ぐ魚雷の雨の乱打を浴びながらも、『陸奥』は目標地点の真珠湾入り口に到達しつつあった。

 被弾した魚雷の数は左右両舷にそれぞれ六発。速度は四ノット以下にまで低下していたが、それでも合計十二発もの魚雷を喰らいながらも辛うじて沈まずにここまで来られたのは、敵の集中攻撃を受けながらも、紙一重で致命傷を受けるのをかわし続けた直江艦長の操艦の絶技によるものといっていい。

「イロクォイ・ポイント沖まであと三百mです!」

「よし、面舵一杯! このままイロクォイ・ポイントに艦首を向け、真珠湾入り口を完全にふさぐような形で横向けに停船しろ!」

 『陸奥』の艦首が大きく右に回頭していくのを見ながら、直江は艦内通信で再び藤山を呼び出した。

 艦橋の通信画面に藤山機関長の姿が現われた。機関士服のあちこちが血と油にまみれ、頭にも赤く染まった包帯を巻いている。

「機関長、今までご苦労だった。かなり負傷しているようだが大丈夫かね」

「ああ、ご心配はいりません。この程度の怪我なんざ、あっしにとってはかすり傷みたいなもんですよ。もっとも、機関室にいた人間はあっし以外全員やられちまいましたけどね」

「そうか……。私も随分と罪深いことをしてしまったな。作戦のためとはいえ、多くの部下を死なせてしまった……」

「なあに、艦長がお気になさることはありませんよ。みんなこの『陸奥』を、そして連合艦隊を守るために死んでいったんだ。誰一人として悔いちゃいませんよ。それにあっしも艦長もどうせあと二、三分の命でしょうが、この船を墓場にして死ぬことができるんだ。お互い最高の死に場所じゃあないですか」

「ああ、そうだな」

 直江が言ったその時、はるか彼方からどぉーんという大きな大砲のような音が聞こえた。

「あれは……『大和』の主砲……!?」

 直江が驚く間もなく、『大和』に続いて真珠湾にいたその他の戦艦や巡洋艦、駆逐艦が一斉に空砲を撃ち鳴らし始めた。

 その意味を悟った直江は、画面の向こうの藤山に向かって再び話しかけた。

「藤山、貴官にも聞こえるか、あの砲声が。『大和』をはじめ、この真珠湾にいる連合艦隊の全ての艦が我々に向かって喝采を送ってくれているんだ。恐らく司令長官閣下の御指示であろう」

「ええ……ええ……聞こえますとも。あのお姫様も最後になかなか粋な計らいをしてくださるじゃあないですか。これであっしも胸を張って死んだ女房に会うことができます。俺は……俺は……帝国海軍の最高司令官から直々にお褒めの言葉を頂戴したんだってね……」

 そう言い残すと、藤山はこみ上げる涙を見せまいとするように自分から通信を切った。

 回頭を終えるとほぼ同時に、『陸奥』の全ての機関が停止し、エンジン音が静かに止んだ。

――いいぞ『陸奥』。よくやった。最後までよく頑張ってくれたな。お前は私にとって……最高の戦艦だった。

 直江が心の中でつぶやいたその瞬間、四発の魚雷が左舷に連続して炸裂し、その衝撃で『陸奥』はそのまま右方向に横倒しになるように轟沈した。


――戦艦『陸奥』、撃沈しました。

――ああ、だがああして真珠湾の入り口のど真ん中で沈まれてしまってはこれ以上の攻撃は無理だな。

――ええ、ですが帝国軍も随分と思いきった手を使ってきましたね。戦艦一隻を犠牲にしてまで、我々からの攻撃を防ぐ盾にするとは。

――ふん、何が思いきった手なものか。一部の将兵を捨て駒に用い、その犠牲を基にして作戦という名の数式を組み上げ、そして勝利という名の結果を導き出す。その上で捨て駒にされた者たちを称揚し、英霊として祭り上げ、臣民や兵士たちに皇軍のため、帝国のために死ぬことこそ最大の名誉であると信じ込ませ、次々と戦場に駆り出し、そしてまた新たなる殉教者を作り出す。それが奴らの常套手段ではないか。だが、そんな手はもう通用しないということを我々の手で教えてやる……。ところで<セイレーン>の状態はどうだ。

――はい、先程様子を確認いたしましたが、実戦で初めて『能力』を用いたせいか、心身共にかなり消耗しているようです。

――そうか。初戦にしては充分な戦果を上げたし、どうやら潮時のようだな。『ユリシーズ』号総員に告ぐ。作戦終了、撤収だ。

――はっ。


 かくして、第二次真珠湾攻撃は終わった。この戦闘によって、大日本帝国連合艦隊は、アメリカ・オセアニア連合軍の戦闘機三百八十機を撃墜したが、正体不明の謎の潜水艦の攻撃によって戦艦一隻、空母三隻を含む大小二十隻の艦艇が轟沈ないしは大破、四十隻以上の艦艇が中小破という損害を受けた。

 『大和』の司令官室の窓辺に立ち、薫子は真珠湾に沈む夕日を眺めていた。

 つい数時間前までここで最新鋭の兵器が互いにぶつかり合い、血で血を洗うような激戦が繰り広げられていたというのに、戦闘が終わった後の真珠湾はその現実を否定するかのようにどこまでも静かで、そして美しかった。

 不意にドアをノックする音と共に今一番顔を合わせたくない人間の声が聞こえた。

「失礼いたします。近衛であります。入室の許可を願います」

「……入りなさい」

 窓の外の光景に視線を向けたまま薫子が言うや否や、まるで猫のようにするりとした動作で、近衛が何枚もの書類を手に室内に入ってきた。

「司令長官閣下にいくつかご報告があって参りました。少しお時間をいただけますか」

「悪いけど、少し後にしてもらえないかしら。今はそんな気分じゃ……」

「恐れながら閣下、軍隊においては部下は上官に対し報告すべきことは可及的速やかに報告すべき義務があり、上官もまた部下の報告を――」

「わかったわよ! 聞くわよ! 聞いてあげるからその報告とやらをさっさと言いなさいよ!」

「では申し上げます。先程、皇帝陛下は真珠湾に対する奇襲攻撃をアメリカおよびオセアニア連邦によるものと断定し、両国に対し宣戦布告をお出しあそばすと同時に、大本営を通じて陸・海・空の三軍に対し総動員令をお下しになられました」

「そう。では私もかねてより軍令部が作成していた海軍作戦綱領に基づき、戦後処理がすみ次第、第一艦隊と第二艦隊を率いてアメリカ本土を直撃する。艦隊各員にそう伝えておきなさい」

「その件についてですが……」

 近衛が少し言葉を濁した。

「皇帝陛下におかれましては、戦後処理がすみ次第、連合艦隊司令長官はハワイ周辺海域の守備及びアメリカに対する作戦行動を第二艦隊に任せ、速やかに第一艦隊を率いて帝国本土に帰還し、もって本国防衛の任に当たるべしとの仰せでございます」 

「なっ……!」

 思いもかけない言葉に薫子はきっと柳眉を逆立て、近衛の顔を睨みつけようとしたが、すぐに視線を元に戻して静かな声でつぶやいた。

「そう……要は帝国が百年ぶりの世界大戦を始めようという今、お飾りの連合艦隊司令長官には前線指揮は任せておけないから本国に戻ってこいということね……」

「いえ、決してそのような……。そもそもこの真珠湾が奇襲攻撃を受けた以上、本土もまた、いつ敵の奇襲を受けるかわかりません。それに本土防衛こそが第一艦隊の本来の任務であり、さらに言うならば連合艦隊全体にとっても最重要の任務です。それを軽視するようなお考えはどうかおやめくださいませ。それが何よりも閣下御自身のためでございます」

「近衛……」

「はい」

「そなたは相変わらず正論ばかり吐くな」

「……恐れ入ります」

「確かに貴官の言う通り、ここは大人しく陛下のお言葉に従っておいた方が賢明ね。いくら三つ年下の弟とはいえ、あの子は私よりはるかに偉いんだから……」

「あとそれともう一点ご報告がございます」

「何だ」

「閣下の御命令に基づき、戦艦『陸奥』の沈没地点の周辺水域を厳重に捜索させましたが、残念ながら生存者は確認できませんでした。恐らく直江艦長以下乗員全員が戦死したものと思われます」

「そう……。『陸奥』の乗員は特別に全員三階級特進、遺族年金は倍額にして支給しなさい」

「三階級特進に遺族年金倍額ですか。前例がないだけに海軍省や厚生省がうんと言うかどうか……」

「無理だというならば私が皇帝に直訴する」

「いや、それは……。承知しました。閣下のご希望に添えるよう何とか交渉いたします。しかし閣下も珍しくお考えになられましたね。『陸奥』が任務を達成した瞬間を狙って全艦隊に空砲を撃つようお命じになられるなんて。きっとどんな賞賛よりも強く『陸奥』の乗員の心に響いたことでしょう。他の将兵も皆一様に感動しており、中には泣いている兵士までおりましたよ。では小官はこれにて――」

「……待ちなさい」

 退出しようとする近衛を呼び止めると、薫子は自分の首にかけていたルビーのペンダントをそっと外して、執務机の上に置いた。

「忘れていたわ。『陸奥』の艦長との約束。これを艦長の娘に贈ってやりなさい。いい? そなたが必ず自分の手で直接渡しにいくのよ。だって艦長は……そなたが立てた作戦で死んだんだから……」

「はあ、承知いたしましたが……しかしこのペンダントはひょっとして今は亡き皇后陛下――皇女殿下のお母上の形見の御品ではございませんか!? いくらなんでもこんな貴重な品を……! そうだ! 相手は七歳の女の子でしょう。だったらこんなペンダントよりもほら、閣下が御幼少のみぎり、いつも大事そうに抱いておられたあのブタのぬいぐるみでも下賜なさった方がきっと相手も喜び――」

「いいから黙って持っていきなさい! 殺すわよ!」

 逃げるようにして近衛が立ち去ると、薫子はまた窓の外の風景に視線を戻した。

 港を真っ赤に染めて沈む夕日。その夕日を黙って見つめていた薫子の肩が急に小刻みに震えたかと思うと、その後ろ姿ががっくりとくずおれた。

 堪えきれずに両手で顔を覆った十七歳の皇女元帥の掌の隙間から、低いすすり泣きの声が漏れ、静かに、そしてゆっくりと部屋の中を漂っていった。

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