第2話 目覚め

王都エストナ上空に星が流れてから、月日は廻り四年が経った。


 ガドモア王国の最西端にある辺境、通称陸の孤島ことネヴィル男爵家に生まれた、アデル、カイン、トーヤの三人はすくすくと育ち、五歳となっていた。


 だが、この三人の五歳児は普通では無かった。


 言葉を完全に覚えたのは一年前。それも教えられてからたったの二ヶ月程度で、話し言葉は勿論のこと、文字の読み書きまでもマスターした。


 また、算術に関していえば、これは言葉よりも習得が早く、教えられてから一月もしないうちに四則演算が出来るようになっていた。


 両親は勿論、家臣や領民たちもこの噂を聞き、または実際に目にして衝撃を受けると同時に麒麟児であると持て囃した。


 彼らは本当に麒麟児であったのだろうか? 否、彼らは決して麒麟児などというものではなかった。


 彼ら三人には共通するある秘密が隠されていたのだ。


 それは…………アデル、カイン、トーヤの三兄弟共に、前世の記憶を有していたのだった。


 三人の前世の記憶は一致していた。三人ともに高瀬賢一という日本人の記憶を有していたのだった。


 この高瀬賢一という人物の記憶を紐解いていくと、賢一は21世紀の日本人であり、義務教育を終えて高等学校へと進学し、さらに大学へと進みそこで歴史を専攻したのち、好きな歴史で食って行こうとしたが叶わず、一般企業に就職したのち、実家の総合問屋を継いでいた。


 この高瀬賢一の人生が幸せだったかどうかといえば、どちらかというと不幸よりであったといえる。


 彼が就職した一般企業を辞めたのは、総合問屋を営んでいた両親が事故で他界したからであった。


 会社を辞め家業を継いでからは、寝る間も惜しんで働き続けた。


 だが、仕事一筋となったがゆえに婚期を逃し、初老となったころには、外資系の大手通販サイトとその傘下の問屋勢に押され、業績は悪化の一途を辿り、遂には資金繰りすら困難な状況へと陥った。


 そして、心身ともに疲れ果てたところで、車の単独事故を起こし他界したというものであった。


 この記憶が目覚めたのは五歳になる直前くらいのことで、三人は突然頭の中に湧き上がってきた記憶に混乱した。


 最初はこのことを誰にも相談できず悶々としていたが、ふとしたはずみで、三男のトーヤが日本語を口に出したことが切っ掛けとなり、話し合った結果、三人共に同一人物の記憶を有していることが発覚した。


 彼らは話し合った。自分たちに何故、前世の記憶があるのだろうかと。


 その結果、賢一は常に三つの事を後悔し続けていたことに気が付いた。


 その三つの後悔とは、まず一つ目に両親に対して十分に孝行出来なかったこと。


 二つ目は、同級生、同僚、部下などが結婚し、幸せな家庭を築いていたのに対し、自分はそれを築くことが出来なかったこと。


 そして三つ目、自分が血を絶やしてしまったということ。




「三つの後悔か…………だから俺たち三人なのか?」




「う~む、偶然にしては出来過ぎている気がする」




「というと、何か? この三つの後悔というか願いというか、そういったものに気付かせ、この世界でそれを果たさせるために、俺たち三人に記憶が宿ったというのか? そんな馬鹿な」




 この時、三人は気付いていなかった。普通の五歳児は、こうして話し合い、論理的な答えを導き出そうとするような真似はしないということを。


 彼らの精神は、前世の記憶を宿したことで急速に、それも驚異的な速度で成長していたのだった。




「まぁ何にせよ、親孝行は当然するし、結婚もするし、というか俺なんか長男だからほぼ強制的にさせられるしな」




「そうだね。貴族だし血を残すためにも結婚させられるだろうね」




「じゃあ、全部叶うじゃん」




「願いが叶ったら、この記憶はどうなっちゃうんだろう? 残り続けるのかな? それとも全部消えちゃうのかな?」




 このトーヤの問いに、アデルとカインも首を傾げた。


 成し遂げてみねばわからない、ただそう答える他になかった。




 急激に精神が発達した三人は、次に現在自分たちが置かれている状況について話し合った。




「わかっているのは、ウチはガドモア王国に仕える男爵家で、ド田舎だということ」




 と、アデル。




「ガドモア王国は大国であるらしいということ」




 と、カイン。


 続いてトーヤはというと、 




「飯が不味い上に毎日ほぼ変わりばえしないということ…………」




 そう言いいながらガックリと項垂れた。


 成長期に入り始めた三人にとってこれは一番重要な問題であった。


 朝晩二回の食事で、量こそ十分に食べられるのだが、毎日食卓に並ぶのが大麦の粥と塩で味付けした豆のスープ、そして漬物としてオリーブの実の塩漬けで、これに日によって稀に茹で卵がついたり、野鳥、兎や鹿、家畜の鶏や山羊、羊の肉が加わるくらいのものであった。




「味付けが塩のみってのがいけない。まぁ素材の味を楽しめるといえば、聞こえはいいが、単に調味料や工夫に欠けているだけだと思う」




 まだ幼い彼らは知らなかった。これでもこの世界では、贅沢な方であることに。


 平民ならばよほど特別な日でも無い限り、麦粥あるいは豆のスープのどちらか片方しか、食卓には並ばない。




「せめて毎日茹で卵が食べたいなぁ…………」




「だいたい卵の採取の仕方、いや、鶏の飼い方に問題がある。常時放し飼いで、朝偶然卵を見かけたときにしか採取出来ないというのでは、毎日卵を食べることなど出来やしない」




「じゃあいっその事、養鶏場を作って領内の鶏を全部一か所に集め、一元管理して生産性を高めるってのはどう?」




 それだ! と三人は頷いた。


 そうと決まれば即行動である。


 父の書斎にある机の上から羊皮紙を数枚くすねて来ると、その羊皮紙を用いて事業立案計画書を作成した。




「さっそく前世の記憶が活きたぞ」




「早速父上とお爺様に見せに行こう!」




「これで毎日、茹で卵や卵焼き、目玉焼きにスクランブルエッグが食べられるぞ!」




「馬鹿、それだけじゃないぞ! 鶏肉だって毎日食べられるようになるかも知れないんだぞ!」




「塩スープだけじゃなくて鶏がらスープも飲めるじゃないか! 最高だな!」




 三人は意気揚々と父の居る書斎を訪れた。




「父上ーっ! これを見て下さい!」




 そう言ってアデルはダレンに羊皮紙を差し出した。




「ん? あ、お前たち! これはここにあった羊皮紙ではないか!」




 思わず差し出された羊皮紙を受け取ってしまったダレンは、それを見て三人が落書きをしたと思い拳骨を見舞った。




「ぐえぇっ」




 拳骨を喰らったアデルは、まるで鶏が絞められる時に発するような声を上げながら、頭を押さえ悶絶する。




「断りもせずに盗むとは何事か! まったく油断も隙もあったものではないな。いいか、お前たち! 羊皮紙は貴重なのだぞ、決して無駄遣いなどしてはならぬ。良いな?」




 そう、この時代、羊皮紙は貴重であった。紙も普及し始めてはいるが、紙は羊皮紙よりもさらに貴重であった。


 まったくしょうがない子供たちだと、ダレンはアデルから手渡された羊皮紙に再び目を通した。


 手渡された時に、羊皮紙にびっしりと文字が書かれているのはわかっていた。最初、それらの文字は手習いか何かで書いたもので、その出来栄えをただ単に見せに来たものだと思っていた。


 だが、違った。


 目を通していくうちに、目尻が吊り上がり、眉間に深い皺が寄っていく。




「…………お前たち、これをどこで手に入れた? そしてこれは誰が書いたのか?」




 はい、僕たちが書きました! と、三人が声を揃えて言うと、大人を馬鹿にするでないとアデルの頭に二発目の拳骨が振り下ろされた。




「なんで、俺だけ…………それに本当のことなのに…………」




 頭に二つ目の瘤をこさえたアデルは、両手で頭を押さえながらその場に蹲った。




「父上! 本当ですっ! それは僕たちが書きました。卵を毎日食べれたらいいな、と思って……」




「なに?」




 ダレンは混乱した。血の繋がった親と子である。


 その顔を見れば、子供たちが嘘をついていないことがわかる。


 そして三人が、類稀なる才知を持って生まれたということも知っている。


 だがしかし、いくら麒麟児だからといって、五歳の子供がこのような計画書を作成出来るものだろうか?


 結局、ダレンはこの件について自分一人の手には余るとして、その羊皮紙を持って父親であるジェラルドに相談することにした。

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