第151話 二号店

「やぁっ!」


「よし、もう一回!」


「やぁっ!」


「オッケー、今日はここまでにしようか」


 俺は木刀を下ろし、エミリーちゃんに優しく微笑んだ。何十分と木刀を振り続けたエミリーちゃんはあふれ出る汗を服の袖で拭いながら笑顔を返してきた。


 俺は今、エミリーちゃんとの剣術の稽古を終えたところだ。それでも、未だに太陽すら昇っていない。


「直哉君。エミリーちゃん。お疲れ様」


「お姉ちゃん、ありがとう!」


「呉宮さん、ありがとう」


 俺とエミリーちゃんが木刀を手にしたまま地面に座り込んでいると、ワンピース姿の呉宮さんが水を持ってきてくれた。


 俺もエミリーちゃんも喉がカラカラだったために、ごくごくと水を一気飲みした。


「それじゃあ、私はコップを洗った後、オリビアちゃんを起こしてくるから。その間に直哉君とエミリーちゃんは汗とか流して来たら?」


 確かに汗とかで服が濡れていたり、肌と引っ付いたりして気持ち悪かった。だから俺は、呉宮さんの言う通り、部屋に着替えとかを取りに行った後、大浴場へと向かった。


「あ、お兄ちゃん!お先!」


「マジか、エミリーちゃん。もう上がったのか」


 エミリーちゃんは外出用の服装に着替え、大浴場から出てきた。まあ、俺が着替えとかを取りに行ってる間に汗を流すだけなら出来るか。


 呉宮さんもオリビアちゃんを起こして、着替えとかをさせてから来るって言ってたから、さすがにまったり入浴している時間はないだろう。


「それじゃあ、エミリーちゃん。俺もすぐに汗を流してくるから、玄関で待っていてくれ」


「うん!分かった!」


 俺はその場でまっているようにとエミリーちゃんにお願いした後、すぐさま大浴場で汗を流し、パパッと着替えて大浴場を出た。


「あ、直哉君。お待たせ!準備できたよ!」


 大浴場の外では呉宮さんがオリビアちゃんとエミリーちゃんの二人と楽し気に話しながら待っていてくれた。俺は元気そうに笑顔を浮かべている呉宮さんに微笑み返しながら、3人と合流した。


「よし!それじゃあ、出発しようか」


「うん!」


 エミリーちゃんの元気な返事と共に、俺たちはクレイアース湖の散策へと向かった。朝日が昇り始めるタイミングで湖に着いたのはラッキーだった。朝日が徐々に昇り、湖面が朝日を照らし返すところがこれ以上ないほどに美しい。


「わぁ……!」


 隣では呉宮さんが感動しているのか、感嘆の言葉を発しながら口元を両手で覆っている。足元に居る二人もキャッキャッとはしゃいでいた。特に、いつも物静かなオリビアちゃんがはしゃいでいるのは新鮮な感じがした。


 呉宮さんたちが感動したり、はしゃいだりするのも分かるほどに美しい日の出を湖畔で眺めた後、俺たちは湖の外周部を歩くことにした。


「二人とも!走ると危ないよ!」


「大丈夫~!」


 呉宮さんの注意も聞かず、エミリーちゃんはパタパタと足音を立てながら走っていく。オリビアちゃんは呉宮さんに注意されたことで、減速し、いつの間にか徒歩に戻っていた。


 心穏やかなひと時を過ごしながら、俺たちが湖畔を散策していると、前方に白壁の建物が見えてきた。


「呉宮さん、あれは……?」


「直哉君、私にも聞かれても……。というか、実際に行ってみようよ」


 呉宮さんの意見はごもっともであった。俺は少女二人を呼び戻して、その家の方へと向かった。


「よし、着いた」


 建物に着いた俺たちは、とりあえず、家の周りをグルッと一周してみた。真っ白な壁と木組みの家。外観の情報はそれだけで、実にシンプルだ。


「直哉君!」


 裏手にいると、表から呉宮さんの呼ぶ声がしたため、表へと急行する。


「どうしたの?呉宮さん」


「ここ、見てみて」


 俺は呉宮さんの指さす看板の文字を読んだ。その看板に書かれていることに俺は目玉が飛んでいきそうなくらいにビックリした。まさか、あの名前をここで見ることになるとは思わなかったからだ。それは……


 ――料理屋ディルナンセ・二号店


 そう、それは商業都市ハーデブクにある店。俺たちが武術大会の時に打ち上げなどでお世話になった店である。


「おや、ナイスガイがいると思えば、君だったか」


 店の奥から相変わらずバーテンダーの服装をしたマヌエーレさんに俺は背筋に悪寒を覚えたのと同時、呉宮さんが俺を庇うように前に進み出た。このイケメンさに俺は惚れてしまう。マヌエーレさんはそんな呉宮さんを見て、オールバックにしたセピア色の髪を指先で触りながらこちらを見ていた。


「あ、美少女さんです!」


 マヌエーレさんの横をすり抜け、呉宮さんへと一直線に突き進んできたのはアニエスさんだ。ギブソンタックにしたライムイエローの髪が特徴のディルナンセの女性店員だ。


 出会い頭にアニエスさんは呉宮さんの太ももを指先で撫でまわしていた。俺は一瞬、思考が固まったが、次の瞬間にはアニエスさんはこういう人だったことを思い出して、見て見ぬふりをした。アニエスさんには女の人を見ると、つい全身を撫でまわしたくなるクセがあるのだ。それと同時に、紗希も大変な目に遭ったことも思い出された。


 ……え、彼女が襲われてるのに助けないのかって?そんなの、俺が助けなくても……


「えっ、あっ!ごめんなさい!つい、吸血魔法を……!」


 うちの彼女は吸血鬼だ。それに、呉宮さんのことだ。パニックになれば謝って魔法を発動させるであろうことは百も承知だ。だから、あえて助けなかったのだ。


 俺はアニエスさんを抱きかかえ、店内へと運び込んだ。マヌエーレさんに話を聞いてみれば、武術大会以来、店の売り上げもよく、支店を構えられるほどになったのだという。


 また、ローカラトの町で宿屋を営んでいる父親もハーデブクの家に移ってもらったことなどを話してもらった。


 その後、俺たちの方も近況報告をし、今は伯爵家に寝泊まりしていることを伝えた。


「そうだったのか。だったら、明日に開店するから、良かったら来てくれないか?」


「もちろん。みんなにも声をかけて明日来ます!」


 俺がそう言うと、マヌエーレさんは心底嬉しそうに表情を崩していた。やはり、開店前であれば人が来るのか、心配だったのだろう。今までの硬い表情から一変して柔らかい表情になったので、見ているこちらも安心した。


「直哉。今からでも遅くない、私に愛を誓って――」


「それだけは嫌です。そんなことになるなら、死んだ方がマシです」


 キス顔で迫ってくるマヌエーレさんを俺は全力で拒んだ。むしろ、拒む以外の選択肢があるのか。


 さすがに、俺が全力で嫌がっているのを見て、マヌエーレさんもそれ以上は何もしてこなかった。その辺りは助かった。


 そんなことがあった後、俺がエミリーちゃんと店内で遊んでいると、マヌエーレさんがカウンターの奥から話しかけてきた。


「折角だし、何か食べていくかい?」


 今の時間帯は昼過ぎ。俺はマヌエーレさんに気を遣わせているような気がして、遠慮した。何せ、二号店の開店は明日だ。そんなフライングで料理を頂くのは申し訳ない。


「そうか、いらないか。折角、豆スープも作れるように準備してあるんだけどね……」


 マヌエーレさんはそんなことを独り言ちながら、チラッとエミリーちゃんを見やった。俺はまさかと思ったが、結果は予想通りのものとなった。


「豆スープ!?」


 エミリーちゃんはタタタッとカウンターへ駆け寄っていった。こうなれば、俺に止める術はない。そこからはマヌエーレさんの思惑通り、ディルナンセで昼食を食べることになってしまったのだった。


 ……まあ、ディルナンセで出される料理は美味しいから好きだし、いいか。


 マヌエーレさんは自分たちの分も含めた6人分の豆スープと温かいパンを一人二個ずつテーブルに並べた。そこに、ウナギの塩漬けが加わった。


 食べる量としては少なめだが、呉宮さんや少女二人はそこまで食べないから、ちょうどいい量かもしれない。


「「いただきます」」


 俺と呉宮さんは完全に習慣化していることを食事前に行ない、テーブルにあるものをペロリと平らげた。


 どれも美味しかったが、豆スープをパンに吸わせて食べるのと、ウナギの塩漬けが美味しい。特に豆スープとウナギの塩漬けに関しては、久々に食べたことも関係しているのかもしれない。


「マヌエーレさん、美味しかったです」


「それならよかった。何だったら、私も美味しく頂いてくれても……」


「遠慮します」


 俺は形だけ笑顔を作って、キッパリと断った。マヌエーレさんはショックを受けたような表情をしていたが、壁の方を向いてしゃがんでいじけるのはやめて欲しい。まるで、俺がイジメたみたいじゃないか。


「直哉君、そろそろ……」


「だな。そろそろ、おいとましようか」


 俺たちはマヌエーレさんとアニエスさんに明日、また来ることを伝えて店を出た。マヌエーレさんもアニエスさんも変わりなく、元気だったのは良かった。


 ――そんな時だった。どこからか大勢の人の悲鳴が聞こえてきたのは。


 ◇


「フィリス様。辺境伯がお待ちです」


「ああ、承知した。案内してくれ」


 直哉たちが港町アムルノスへ出発した4日後の夕方。ローカラト辺境伯邸に王国軍総司令を務めるフィリスの姿があった。


 彼女はウェービーロングにしたウィスタリア色の髪を小刻みに揺らしながら、辺境伯の執務室へと入室する。


「ローカラト辺境伯、お初にお目にかかります。私は王国軍総司令を務めるフィリスと申します」


「ああ、堅苦しいのはいい。その辺に適当にかけてくれ」


 格式ばった堅苦しい挨拶をするフィリスに対して、気楽そうに後頭部で手を組んで椅子にもたれかかっているシルヴァン。この二人の態度は、実に対照的である。


「それで、ここに来た用件は?」


「本日は町の近郊で野営をさせていただきたく、その許可を頂きに参ったのです」


 フィリスの包み隠すことのない答えにシルヴァンは顎に手を当てて、一瞬唸るような素振りを見せた。


「分かった。野営は許可しよう。どうせ、国王の命令でここまで来たのだろうからな」


 実にあっさりと許可を出した。理由としても、特に断るような理由が無かったという方が正しい。


「それで、総司令閣下が連れてきた兵は何のために連れてきたんだ?許可を出す以上、それだけは教えてもらおう」


 シルヴァンは念のため、自らに危害を加えるための兵なのかを確かめるため、そのような質問をした。


「ハッ、それはこの先のヴェルダ海で猛威を振るっている海賊団ケイレスを討伐するためです。そのため、国王陛下に私自らが兵を率いて討伐する許可を頂きました」


 フィリスの言葉に対して、シルヴァンは「そうか」と返しただけに留まった。その後は何を話すわけでもなく、フィリスは一礼をして執務室を退室していった。


 辺境伯の屋敷を出て、野営地へと戻ったフィリスは全軍に夕食を摂った後に、ゆっくりと休息を取るように指示を出した。


「総司令。食料は町で余った食料を買い集めて参りました」


「ああ、すまない。面倒をかけたな」


「いえ……!」


 フィリスが率いる兵は王国軍の精鋭1400。内訳は騎兵が700、戦車兵が700。戦車チャリオットの後方は荷台になっているため、そこに心ばかりの食料を積んでいた。


 だが、基本的には食料は行く先々で、その日売れ残った食料を安く買い集めたモノであった。本来であれば、食料を運ぶ輜重隊や歩兵を含めた編成を行なうのだが、それでは移動速度の面で海賊団ケイレス相手に後手後手に回ってしまう。


 それゆえに、機動力を重視した編成を取った。しかし、現に食料は残り物であるために、王都で食べていた食事に比べれば、微妙である。だが、兵士全員がフィリスを尊敬しているために、文句の一つも言わずにフィリスの指示に従っていた。


 また、フィリス自身も兵士と同じ食事をしていることも、不満が上がらない要因の一つとなっているとも考えられる。


「総員、明日は日の出と同時に発つ。各自、夕食を摂り終えたらすぐに休むように」


「「「「「はいッ!」」」」」


 兵士たちの元気ある声にフィリスはフッと笑みをこぼし、自らの幕舎に戻っていった。


「海賊団ケイレス……先代の総司令の頃からの課題だ。何としても、この私が討伐を果たしてみせる」


 フィリスは先代の王国軍総司令。尊敬すべき男の顔を浮かべ、眠りについたのだった。

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