第76話 予選の始まり

「ふぅ……」


 俺は蒸し風呂でゆったりとくつろいでいた。汗がじわじわと溢れてくるのは感覚で分かる。


 この蒸し風呂は、またしても混浴らしいのだ。これは最近知ったことなのだが、この世界では平民の風呂は混浴で、貴族階級の人が入る風呂は男女が分けられているらしいのだ。


 ここは平民が入る風呂のため、混浴である。蒸し風呂は大きな部屋が1つだけしかないが、広さ的に同時に20人近くは入るんじゃなかろうか。


 なぜ一人なのかといえば、断じて俺がぼっちになってしまったとかではない。これは、呉宮さんや紗希たちに先に入っておいてくれと言われたからだ。俺としては女性陣は遅れてくるので、それまでには風呂を上がりたいところ。何せ、遭遇すれば鼻から赤い水漏れをすることはまず、間違いない。俺にそんなものへの耐性を備えていないためである。


「……よし、出るか!」


 俺は蒸し風呂部屋を出ようと、入り口まで戻って片引きドアを開けた途端、タイミング悪く一人の幼女が駆けこんできた。


「あ、お兄ちゃん!」


「エミリーちゃん……!」


 俺はエミリーちゃんを見て、すべてを悟った。俺は間に合わなかったのだ……と。なぜなら、女性陣の皆々様がエミリーちゃんを一人で風呂屋に来させるわけがない。来るなら、誰か付き添いが最低一人はいるはずなのだ。


「エミリーちゃん!走ったら危ないよ……」


 顔を上げると、早歩きでエミリーちゃんを追いかけてきた呉宮さんがそこに居た。呉宮さんはタオルで見えてはいけないところを隠してはいるが、露出は十分多い。俺はそんな状態の呉宮さんを直視することが出来なかった。


 かと言ってエミリーちゃんをまじまじと見るわけにもいかず、視線が迷子になってしまった。呉宮さんも俺を見て「きゃっ!」と悲鳴を上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。


 先に言っておくが、全員タオルは装備しているので、見えてはいけない箇所はきちんと隠せている。だから、健全だ……というわけでもないわけで。


「それじゃあ、呉宮さん。俺はもう上がるから」


 俺は他のメンバーが来る前に、早足に呉宮さんの横を通り過ぎて脱衣所へと逃げ込んだ。


 俺が脱衣所の扉を閉めたタイミングで女性側の脱衣所のドアが開く音がした。その後で、紗希や茉由ちゃん、ラウラさん、オリビアちゃんの声が聞こえてきた。


「ふう、危なかった……」


 俺は体内にある空気を全部吐き出した後で、着替えて風呂屋を出た。にしても、呉宮さんの透き通る肌は刺激が強すぎる。思い出しただけで鼻の血管が切れそうになる。……ホントに危なかった。


 俺は風呂屋を出た後は宿屋に戻って、装備を整えて準備をした。装備といってもサーベル2本と丸盾バックラー鎖鎧チェインメイルを着込んだだけなのだが。


 そんな時、ドアをノックする音が部屋の中に響いた。


「……誰だ?」


 呉宮さんや紗希たちはまだ風呂屋にいるはずだ。まさか、もう帰って来たとかか?


 そんなことを思いながらドアを開けると、そこに居たのは寛之だった。


「……中、入っても良いか?」


 部屋の中を指差しながらそう訊ねてきたので、俺は断る理由も無いので了承した。


「なあ、寛之。結局、茉由ちゃんと仲直り出来たのか?」


「いや、何か話しかけづらくて……」


 こいつ、ヘタレか。いや、俺もヘタレだから人の事は言えないな。


 俺はその後、寛之の話を椅子に腰かけながら聞いた。寛之の目の下にクマが出来ていたから、その理由を聞いてみれば、ロベルトさんとウィルフレッドさんおっさん二人のいびきがうるさくてロクに眠れなかったらしい。……ご愁傷様。


 俺はとにかく茉由ちゃんとキチンと仲直りするように念押しした。


 ……そのあとは俺が「大きい胸に見惚れるお前はどうかしてる」発言をしたことから、お胸が大きい方が良いのか小さいのが良いのかで、いつも通りの口論になってしまったのだが。


「直哉君、予選の組み合わせ見に行こうか」


「そうしようか」


 寛之が帰った後、俺は部屋をグルグル歩き回っていた。そこへ呉宮さんたちが帰ってきたので、予選の組み合わせを見に行くことにした。


 予選の組み合わせは今日明らかになるが、前の方に試合があれば早速今日から試合だ。俺的には是非とも後の方であってほしい。


 俺はそう願いながら呉宮さんたちと予選の組み合わせを見るため、闘技場へと向かった。


 会場前は組み合わせを見ようとする人たちで大混雑だった。何とか人ごみをかき分けて、組み合わせが貼られている掲示板の前に行くと俺と紗希の名前はすぐに見つかった。


「第一試合……だと……!」


 俺と紗希の名前は掲示板の左端に書かれていた。対戦相手は……誰とも知らない人だった。


 紗希と合流してからウィルフレッドさんに対戦相手のことを聞いたところ、アイアンランクの冒険者だということが分かった。


 ――呉宮さんが見てるんだ。試合ではみっともないことは出来ない。頑張って勝ち残らなければ!


「兄さん、行こう!」


「ああ」


 俺は紗希に手を引かれながら、待合室へと向かった。道中、道に迷ったりはしてしまったが。


「兄さん、予選は1試合10分だけだったよね?」


「ああ、そうだ」


 予選に冒険者部門で出場するのは全部で128組。今日からの4日間で4組にまで絞るのだから、タイムスケジュールは勝ち上がるほどにハードになっていく。予選は試合数が多いため、1つの試合にかける時間が短いのだ。1回戦の試合は64試合ある。今日だけで1回戦の第31試合までやると掲示板には印が打ってあったと紗希から聞いた。


 それはさておき、1回戦の第一試合開始は今日の9時。あと15分ほどだ。


「兄さん、今日の試合はボクが全部やっちゃっていい?」


 ……『やっちゃっていい?』とか言われてもなぁ。明らかに相手の方がランクが下だから見くびってるだけだろ……。


「紗希。相手のランクが俺たちより下だからって、舐め過ぎなんじゃないか?」


「だって、兄さんの付加術は温存しておいた方が後々有利になるかと思って」


 本選のために俺の付加術は極力使わせない戦法か。まあ、付加術は隠し玉としての方が効果はあるしな……紗希の言う通り、それも悪くないか。


「……よし、分かった。じゃあ、予選は俺は紗希に戦っていいと言われるまでは戦わないことにする」


「うん、そうしてくれると助かる」


 俺はそう言って紗希と約束した。にしても、紗希の「助かる」って言葉……まるで俺が戦わない方が勝ちやすいみたいな言い方じゃないか。だが、俺は紗希より弱いのは事実のため言い返すことが出来なかった。


 俺は緊張で体をこわばらせながら、紗希と共に会場へと出た。


 客席を見渡せば、満席である。これはいくらなんでも、緊張する。足の震えが止まらない。俺が大勢の前で何かをしたことと言えば劇で木の役をやったことくらいである。いや、俺は戦わなくて良いんだ!何緊張してるんだ!落ち着け、俺!


「へぇ、ランクが俺たちより上だから強そうなのが来ると思ったが……」


「プッ、ひ弱そうな男と女が一人ずつ!これは勝ったッスね、アニキ!」


 向こう側で対戦相手の男二人がこちらを見ながらヘラヘラしている。さっきから隣の紗希が無言なのが、何だか怖い。実は、無言なだけが怖いわけではない。試合が始まる前なのに、すでにサーベルの柄を握って抜き払おうとする寸前なのだ。


 まあ、今から俺の仕事はあの二人が五体満足、無事に帰れることだけを神父になったつもりだけで祈ることだけだ。……アーメン。


 そして、鐘が鳴って試合が始まるやいなや、紗希の姿が俺の隣から消えていた。俺はハッとして、目線を対戦相手二人へと向けると、一人が地面に倒れており、もう一人も地面に崩れ落ちるところだった。


 紗希さん、試合開始から10秒くらいしか経ってないんですが、もう終わったんですか……


 というか俺、ホントにサーベルの柄を握ることも無く終わってしまったんですが。紗希さん、マジぱねえっす。


「兄さん、終わったよ」


 俺はそう言いながら爽快感溢れる笑みを浮かべる紗希が少し怖く感じた。


「ふう、これで次の試合は2日後か」


「確か、1回戦の試合2つが終わった後だよね」


 俺は歩きながら、紗希と次の試合をどうするのかを話し合った。次の試合も俺は動かずに様子見するように紗希から言われた。こうなれば、俺の付加術をとことん使わずに予選を終わらせるつもりなのだろう。


「分かった。予選は全部紗希に任せるよ」


「うん、任せて。あと、ボクも極力だけど敏捷強化は使わないようにするから」


 俺は紗希の言葉から予選は魔法を温存して勝ち抜きたいという紗希の心を察した。紗希がそこまでして予選を突破したいのなら、兄としては協力を惜しまない。


 俺たちはそこから小一時間ほど時間を潰して観客席に着席した。そこはウィルフレッドさんが団体席で押さえていてくれたところだ。明日からの3日間は別々になるとも言っていたが。


 なので、そこにはジョシュアさんたち運送ギルドの人たちも含めて全員がいた。懐中時計を見れば、10時になろうかという時間だ。10時から始まる試合はディーンとエレナちゃんの第1回戦の試合だ。


 二人ともアイアンランクだが、相手も同じアイアンランクの冒険者だった。試合の結果そのものはディーンとエレナちゃんの勝ちに終わったのだが、二人ともボロボロになっていた。本当に紙一重の差で勝利した形だ。


 でも、試合でのディーンとエレナちゃんの二人の息の合った攻撃は見事だったと思う。勝因は俺はコンビネーションの差だと見た。


 ……まあ、素人目線だから合ってるかは分からないけど。


 その後はみんなで昼食を摂り、自由な時間を過ごした。だが、夕方4時からはスコットさんとピーターさんの試合があるので、それに間に合うように観客席へ戻った。


 二人の予選第一試合はもちろん、スコットさんたちの勝利で終わった。中々一進一退の攻防が続いてたけど、二人同時に放った精霊砲での決着には会場が湧いていた。もの凄い破壊力だったし。


 出来れば、この二人とも一度は戦ってみたいものだと思う。


 そして、16時40分からはバーナードさんとシルビアさんの試合だ。この二人の戦いは本当に大した盛り上がりを見せることなく、あっさりと各々1人ずつを相手取っての撃破という形の決着だった。


「予選の第二試合はスコットとピーターと戦うのか」


 試合後にバーナードさんがトーナメント表を見ながら言ったことがキッカケでスコットさんとピーターさんは背筋が凍り付いていた。


 つまり、スコットさんとピーターさんは3日目の16時40分から行われる予選2回戦でバーナードさんとシルビアさんのコンビとぶつかることになったのだ。


「俺はお前たちが相手でも試合では手加減をするつもりは無いからな」


 バーナードさんは呆然としている二人に笑みを浮かべながら一言を置いて、宿屋に戻っていった。


 その日のローカラトの冒険者ギルドからの出場者メンバーは試合がなかったので、その日はそれで引き上げた。夜は俺たち4組の予選1回戦の勝利を祝っての祝勝会が行われた。これはもちろん、ウィルフレッドさんの奢りだ。


 ただ、奢ることに関してはウィルフレッドさんが酔っ払いながら言ったことだったので、本人は酔いが醒めてから随分と後悔していたと翌日にロベルトさんから聞いた。


 2日目に観戦する試合は11時20分からのデレクさんとマリーさんの試合と、15時20分からの洋介と武淵先輩の試合、16時40分からのローレンスさんと、ミゲルさんの試合。そして、20時20分からの寛之と茉由ちゃんの試合の合計4試合だ。


 今日は俺はずっと試合がないため、ゆっくりすることが出来る。


「直哉君、今日はずっと一緒だね」


「……そうだな。また明日からはまた試合にも出ないといけないが」


 俺は呉宮さんと他愛もない話をしながら、デレクさんとマリーさんの試合までの時間を過ごした。


 俺は呉宮さんが笑顔で楽しそうに話しているのを見ているのが一番楽しかった。俺はこの笑顔を守りたい。それを再確認した。この大会で何か、一つでも強くなれるものを持ち帰ろう。そう心に誓った。


 デレクさんとマリーさんの試合は二人の圧勝だった。何せ、二人の相手はアイアンランクの冒険者二人だ。スチールランクの二人が負ける理由がなかった。


 昼食の時は昼食後に試合がある洋介と武淵先輩を励ましながら、みんなで一緒に食べたりした。それから宿屋に戻って少しだけ昼寝をしたりもした。


 俺は昼からの試合は、エミリーちゃんとオリビアちゃんの二人を呉宮さんとの間に挟んで観戦した。紗希からは「子連れ夫婦みたいだね」などとからかわれてしまったが、全く悪い気はしなかった。呉宮さんから「何人くらい欲しいの?」と聞かれたのには驚いたが。


 話は変わるが、洋介と武淵先輩の試合は二人とも魔法を使わずに武器だけで勝利を収めてしまった。理由を洋介に聞いてみれば、俺と紗希が魔法とか魔術を使わずに試合に勝っていたから同じ条件で勝ちたかっただけだと言っていた。


 その後は、話を聞いていた寛之と茉由ちゃんも「自分たちもそうする」とか言い出して大変だった。ちなみにケンカの件は二人の間で話が付いたらしい。試合前に仲直りが出来て一安心だ。


 次のローレンスさんとミゲルさんの試合ではミゲルさんの硬化魔法で敵の攻撃を防いでいた。一方のローレンスさんの音魔法で轟音を発し、相手の連携を乱していた。相手は魔法を使えないらしくミゲルさんの硬化魔法を抜くことは出来ず仕舞いに終わり、二人の勝ちに終わった。


 その日の夕食は20時20分からの寛之と茉由ちゃんの試合が終わってからみんなで食べようということになり、みんなお腹を鳴らしながらも二人の試合を見届けた。


 結果は茉由ちゃんが一人で対戦相手二人を立て続けに撃破して片が付いた。茉由ちゃんの剣術の上達を直に見ると何やら胸の内で焦るモノがあった。俺も上達してないわけではないが、茉由ちゃんに比べると上達が遅いのだ。


『俺ももっと、剣術の練習を頑張ろう!』


 そんなことを思わされたのが、茉由ちゃんの試合だった。明日は予選3日目、俺と紗希の2回戦の試合が始まる。

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