47話目 言うか否か
タクシーから降りたその場所は、見慣れたを通り越して、見飽きたと言えるほどになじみのある裏通りだった。目の前には、細長い7階建てのビルがある。
そう。ここは、俺の勤め先である山田鮮魚店が入っているビルであり、毎日のように通っているところだ。
「この中に、マッターホルンが?」
「ハッ! ハッ! 間違いありません! においます!」
「グレイト! いよいよファインドアウトね!」
まさか、ササキの本体は会社に居るのか。クロマグロの死体を抱えながら仕事をしているのか。そんなバカな。
「においは、そのドアの中に向かってるの?」
1階の廊下、その少し奥にある灰色のドアを指差して聞いた。
「いいえ! そのドアは素通りして、奥に向かっています!」
ということは、エレベーターに乗って、もしや母艦に戻ったのだろうか。
俺たちは、においの跡をたどって廊下を進むことにした。その途中、灰色のドアの前に来たとき、ためしにアーツに聞いてみた。
「この中からどんなにおいがする?」
「ハッ! ハッ! チョウチンアンコウとメカのにおいが強烈です!」
どうやら、アーツの嗅覚は本物らしい。ドアを開けずに、社長と
「あと、イカのにおいも!」
続けざまにアーツが言った。
「イカ? それは、中にイカ星人が居るの? それとも、イカくさい人間が居るの?」
「両方です!」
両方か。そうか。
待てよ。会社にイカ星人が居たのか。今朝、出社したときには、イカ星人など居たように見えなかったが。
「ハリアップ! ツナを追うのが先でしょう!」
ペーターに言われ、今の優先事項を思い出した。
会社の前を通り過ぎ、エレベーターの前に着いた。
「においは、エレベーターの中まで続いてる?」
「はい!」
となると、やはり母艦か。
エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。上昇していく途中で、アーツが「あっ!」と短い声を出した。
「どうした?」
「においが通り過ぎました!」
途中の階で止めようかと思ったが、どうせ最上階には行ってしまう。最上階まで行ってから引き返そう。
「においは何階だった?」
「2階です!」
2階だって!? 2階といえば、あの店がある階じゃないか。
一度、最上階に着いてから、2階のボタンを押した。少しの間、下降したエレベーターがやがて止まり、扉が開くと、その向こうに店名を記したドアが見えた。
そう。ここは、ニューハーフマッサージ店、「
ササキが通っていた店であり、マッターホルンが働いていた店でもあり、そしてその2人が出会った場所である。
「間違いありません! この中からにおいがします!」
「ゴーゴーゴー!」
突入しようとするペーターを制止する。
「ウェイト! ちょっと待って」
エレベーターから降り、店のドアの前に立って、ためしに数回ノックしてみた。が、しばらく待っても反応はない。
ノックに対する反応はなかったが、ドアの向こうから、ずっと複数人の声のようなものが聞こえていることに気づいた。
「静かに入るよ」
口に人差し指を当てながら、ペーターとアーツに言い、ゆっくりとドアを開けると、中からは鬼の
ぐおおお、と地の底から響くような重低音だ。しかも、鬼は1匹ではないらしく、複数の
薄いピンクの明かりが灯る店内を、ゆっくりと進んでいくと、受付があったが、誰も居なかった。
そのまま通り過ぎ、奥へと進む。
抜き足差し足で曲がり角まで進み、そっと顔だけ出して様子をうかがってみた。
そこで目にしたものは、マッサージベッドの上に横たわる、頭と骨と尾だけになったマッターホルンと、その周囲で
その巨大マグロたちを見てピンと来た。このマグロたちは、全員この店の従業員だ。その中の1匹は、紛れもなく店長のエベレストだった。
一応、ほぼ全員が顔見知りではある。しかし、この状況で声をかけてもいいものだろうか。
逡巡していると、耳元で大きな声が鳴り響いた。
「フリーズ! 怪しいツナども、そこまでよ!」
ペーターが右ストレートを繰り出しながら叫んでいた。
こっちの心臓がフリーズするところだった。
数匹の巨大マグロが、一斉にこちらを見た。
「あら……あんた、山田さんところの……。うぉぉぉぉろろーん」
店長のエベレストである。
「あ、どうも。あの、いったいどうしたんですか」
「マッターホルンちゃんが……マッターホルンちゃんが……。うう、ひどい」
どうやら、巨大マグロたちは、マッターホルンの死を悼んでいるらしい。それもそうか。彼女ら――あえて彼女らと呼ぶが――からすれば、同種の個体が解体された死体を目の当たりにしているのだ。
「いったい、誰がこんな……」
「マッターホルンちゃんが、こんな殺されかたをするなんて」
「犯人は生かしておけないわ」
「すき身にしてやる!」
空気がどんどん不穏になっていくのを感じる。
彼女らの中では、マッターホルンが殺されてこんな姿になったことになっているらしい。まあ、無理もないが。
しかし、実際には事故死だったはずだ。そして、新鮮な内に俺がさばいた。
あとで変な誤解をされるより、今、この真相を話しておいたほうがいいだろうか。
--------------------------------------------------------------------
マッターホルンの死の真相について話してみる? それとも、すっとぼけて一緒に悲しむ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます