29話目 経緯

 しばしの間、思案しながらステンノの横顔を見つめていた。


「どうしたんだい。花火を見なよ」


 彼女は、夜空を見上げたまま言った。


「いや、ちょっとね」

「また、あたしのグラスを取ろうってんじゃないだろうね。その必要はないよ。さっき見た花畑が、あたしの生涯で最高の光景だった。あれを見られただけで充分さ。それに――」


 ステンノはこちらを見て、微笑んだ。


「あの光景を、あのままとっておきたい。そんな気分なんだ」


 そう言って、彼女は再び夜空を見上げる。

 彼女がそう思っているのならそうしよう。思い出の景色を、汚さずに保存しよう。そう思った。


「ああ、いい夜だね」


 その声とともに、右手の上に、彼女の左手の感触が伝わってきた。そのあと、しばらくの間、2人とも無言で、夜空を見上げ続けた。

 篠笛の音が鳴り止むまで。




「これにて、花火大会は終了いたします。本日の花火が、皆さまの心に、少しでも感動や喜びを生むことができたのであれば、これに勝る幸せはありません。依然、消えない花畑花火につきましては、今後調査を続け、来年までには消せるよう努めて参ります。お集まりくださった皆さま、ありがとうございました」


 この言葉の数秒後に、スピーカーからのノイズも消えた。


 浮島のほうを見ると、篠笛を吹いていたイタリア人が、ほかのスタッフと握手や抱擁を交わしている。よく見ると、イタリア人以外のスタッフの多くはイカ星人のようだ。


 あのイタリア人には、イカ星人も普通の人間に見えているのだろうか。いや、そんなはずはない。普通の人間であれば、花火大会のさなかに、現場で篠笛を吹いたりはしない。となると、あのイタリア人も、精神のかせが外れているのだろう。


 周囲の人々が席を立ち、三々五々に去っていく中、ステンノと2人でまだ座っていた。


「こんな素敵な夜は初めてだよ。ありがとね」


 ステンノが、これまでで一番素直な笑みを見せた気がした。


「いえいえ。喜んでもらえたなら何よりです。勇気を出してお誘いしてみてよかったです」

「工房でのあんたは、勇気を出してるようには見えなかったけどね。ふふ。ハニワ工房の見学者が、急に職人を口説くなんて、どういうことなんだい」


「どういうことと言われても。ひと目見た瞬間に、あなたに惹かれてしまったんです。しょうがないでしょう」

「そもそもあんた、なんで工房に来たんだい。あたしに会いに来たわけじゃないんだろう」


「なんでって、それは――」


 はっとした。それと同時に、胸ポケットで何かが喋りだした。


「ようやく思い出してくれましたか、僕のこと」


 そうだ。ササキだ。居たなそんなやつが。もはや、誰も覚えてなかったんじゃないだろうか。


「いや、ずっと気にはかけてたよ。やけに静かだなと思って心配してたんだ」

「絶対忘れてたでしょ。僕も空気を読んで黙ってたんですよ。いい雰囲気でしたし。お2人の会話に僕が混ざると、ややこしくなりそうでしたし」


 ステンノが小首をかしげてこちらを見ている。


「実は、こいつの修復をお願いしたくて工房に行ったんです」


 胸ポケットからササキを取り出して、彼女のほうへと差し出しながら言った。

 彼女は、その破片をつまみ上げ、しげしげと眺める。


「この割れかたは、ずいぶんとショックなことがあったんじゃないかい? もう、この世の何もかもが嫌になっちまうくらいの」


 さすがハニワ職人。破片を見ただけでそこまで見抜くとは。


 簡単に、これまでのいきさつを話し、改めて修復のお願いをしてみた。


「うーん、修復ねえ」


 少し意外な反応だった。ステンノであれば、ハニワくらいあっという間に修復できそうな気がしていたのだが。


「何か問題があるんですか」

「ただ修復するだけなら簡単なんだが、今の話を聞いちまうとねえ」


 ステンノはあごに手をあてて考え込み、ややあって、言う。


「とりあえず、工房に戻ろうかね」


 自分の浅はかさを呪った。ササキの話をすれば、こうなることは予測できたはずだ。ステンノとの夜はこれからだというのに、今、工房に戻ってどうする。

 なんとか、流れを変えることはできないか。


「ステンノさん、もう1度だけ、あの花畑を見てみませんか」


 夜空を指差しながら言うと、彼女は素直に夜空を見上げた。そのタイミングを逃さず、素早く彼女の保護グラスを奪う。


「あ、ちょっと」


 と言いながらも、彼女は目を潤ませる。


「ああ、すごい。素敵。ああ……」


 彼女は艶めかしい声を発しながら、目から拡散レーザーを連射した。

 少しの間、それを堪能してから保護グラスを返した。


「やってくれたじゃないか」


「もう一度、ステンノさんに見てほしくて」

「変わったやつだね、あんたは。でも、感謝する。最高の眺めだったよ」


 彼女は大きく息を吐いて続けた。


「はあ。今日は楽しかったよ。工房から出ること自体、めったになかったからね」


「工房から出たのは、どれくらいぶりなんですか」

「あまり覚えてないけど、数百年ぶりくらいかね」


「そんなに! その間、ずっと工房でハニワを?」

「まあ、そういう仕事だからね」


 これは思っていたより壮絶だ。


「あの、ひとつ聞いていいですか」

「なんだい」


「ステンノさんは、何がきっかけで、ハニワ職人になったんですか?」


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 ステンノは、なぜハニワ職人なんかになってしまったのか!

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