『今日もまた空が始まる』
初めての性交渉の相手は兄の彼女だった。
1
兄にとってはバスケットボール部の後輩マネージャーで、僕にとってはバスケットボール部の先輩マネージャー。兄は僕より三学年上だから、高校で被ることはなかった。先輩は僕の一つ上。だから兄が三年生の時、先輩は一年生で、付き合うようになり、先輩が二年生になった今も、その付き合いは続いていた。
兄は高校を出てから地元の国立大学に受かっていて、大学でもバスケを続けている。先輩との関係も良好で、先輩もまた人付き合いが上手く、美人で、良い人なので、双方の両親共々公認の付き合いだった。気が早い気もしたが、お互いに結婚を前提に付き合っているようだ。兄は真面目な人だし、スポーツマンで、国立大学生で、希望する職種は公務員だという。先輩の両親が一般的な感覚の持ち主だからというのもあるのだろう、就職難のこのご時世、兄のような相手なら、多少気が早くても良いんじゃないか、この先日本がどうなるか分からないのだから、相手が決まっているだけ、良いんじゃないか、という考えのようだった。
そんな関係だから、先輩が我が家に遊びに来ることは日常茶飯事で、父は寡黙な人間だし、帰りが遅いので、あまり接する機会はなかったようだが、母は底抜けに明るい性格だったので、先輩が家に来る度に喜んで、いつも楽しそうに世間話をしていた。もう、娘が出来た気でいるんだろう。十八年近く、男しかいなかった我が家に、将来家族になるかもしれない、可愛くて性格の良い女の子が来ている。喜んで当然だろう。誰の目から見ても、非難するべきところなんて一つもなくて、むしろ羨まれるくらい、出来すぎた関係だった。
ただ一人、僕を除いては。
僕は、兄と先輩との関係が、嫌だった。何故なら先輩は美人で、優しくて、部活でもお世話になっていて、先輩が家に遊びに来る時は僕と一緒に家まで帰宅したり、兄が大学から帰ってくるまで二人で雑談したり、という日々を送っているうちに、先輩が好きになっていたからだ。
兄の彼女だとは分かっているけれど。
どうしようもない。
僕の方が年齢が近いという、妙な優越感も荷担していた。僕の方が、面白い話を出来るという自信があった。兄と先輩が結婚すると、先輩は僕にとって義姉になる。なんだか、自殺を考えたくなるくらい、嫌なことだった。だからと言って、僕に何が出来るのか。
兄が嫌いなわけではない。先輩と付き合っている兄は憎いけれど、兄が先輩と付き合わなければ、僕はきっと、先輩とこんなに親しくならなかっただろう。そこのところは理性的に考えて、兄に感謝すべきだ。けれど、それでもやはり、兄は憎い。
兄と先輩が別れれば良いんじゃないか、と考える。けれど、普通に考えて、兄と別れたあとで、弟と付き合うとも考えられない。ほとんど、詰みの状態だった。八方ふさがり。どうしようもない。どうしようもない状態の中で、僕はひたすら、先輩との距離を縮めることに熱心になっていた。
「りっくん」先輩は僕をそう呼ぶ。「ごめんね、いつも話し相手になってもらっちゃって」
「いえ……」
いつの頃からか、先輩は普通に僕の部屋に来るようになっていた。当初はリビングで休んでいたのだが、兄の帰りが遅い時は、母も夕飯の支度で姿を消すので、居場所がなくなったのだろうと思う。
「部活どう? 最近、練習キツくなってない?」
「そうかもしれないです。なんか最近、部長、ガンガン来ますよね。いえ、辛いってわけじゃないんですけど……頑張ってるなあって」
「大会近いからねー」
「そうですね。まあ、やってられないってほどではないです。バスケ、好きですし」
「そっかー。りっくんはえらいね」
なんて、子ども扱いをする。
僕はそれが嫌だった。
僕はいわゆる童顔という類で、高一になっても、中学生に見られることが多い。少々なよっとした体付きに、中性的な顔立ち、どうあがいても丸まってくれない直毛。小さい頃から、子ども扱いされることが多かった。特に女性の先輩から。中学生の頃も、女子バスケ部の先輩に、からかわれたことがあった。僕はそれが嫌だったけれど、女性に強く出られるような性格でもなかった。
先輩は一人っ子らしいので、僕のことを可愛い弟として見ているのかもしれない。そして近い将来、実際にそうなるのだろう。それを考えるだけで、胃が縮んで行くようだった。
「どうしたの?」
「いえ、考え事です」
「どんな?」
「大したことじゃないですよ。なんていうか……漠然とした、将来のこととか」
「ふうん? なんかかっこいいね」
「そんないいもんじゃないです」
最近の先輩の定位置はベッドの上、僕の隣だった。僕の勉強机が部屋の奥にあることや、回転機能のない、普通の椅子なので、向かい合って話すのが難しいというのもあって、自然にベッドに隣同士で座ることが多かった。童貞で、彼女などいたことない僕だけれど、女性の先輩にからかわれた経験が多かったせいで、あまり女性に忌避感を覚えることはなかった。そのせいもあって、先輩も僕を男として極端に意識はしていなかったのかもしれない。
先輩のスカートは短い。
出来るだけ考えないようにしても、先輩の生足がすぐ近くにあって、冗談で触れる距離にあって、それがとても白くて、その延長線上に下着があって、ということが事実としてそこにある。スカート、下着、その二枚だけを隔てて、僕のベッドに座っている。ほとんど裸みたいなものじゃないか、と僕は思う。スカートなんて、五十パーセントしか密閉されていなくて、ほとんど下着姿。下着なんてものはほとんど裸に近い。だったら制服なんて、ほとんど裸だ。
「啓司さん遅いなあ」
独り言で兄の名を呟く。僕はそれが嫌いだった。でも、嫌いなんて言えるはずがない。
「授業、多いのかな?」
「聞いてないんですか」
「ん、んー……あんまりそういう約束とか、そう言えばしないなあ。大体、このくらいの時間には帰ってくるし」
「遊んだりしてるんじゃないですか……」
僕は、既に、限界を迎えていたのだろう。
性欲が。
男としての。
雄としてのもの。
「……女の人ととか」
明らかにトーンの違うセリフを吐いた。空気が変わるのを感じる。耳に、硬い感触があった。けれど先輩は、
「えー、啓司さんが? それ、嫌だなあ」
「なんか、最近遅い日もありますし。十一時とか、そのくらいの時とか……」
「えー……そうなんだあ」
と、いつも通りの口調で言った。
あれ、あんまり、違和感ないのかな。
僕はそう思って、先輩を見る。
目が動いていなかった。
「いっ……いや、多分、兄ちゃんのことだし、そんなことないと思うけど……兄ちゃんモテるから、無理矢理誘われたりしてんのかなって……思ってさ」
「あはは、りっくん、敬語じゃなくなってる」先輩は、スイッチが切り替わるように、笑い出す。「でも、啓司さん確かにモテるもんねー。大学で、良い人見つけちゃったりして」
「いや……そんなことない、ですよ」
「んー?」
「先輩が彼女だったら、絶対、浮気とかしない……ですよ」
自分で自分の発言に自信が持てなかった。言葉の意味ではなくて、それをどういう意味で言ったか、ということを。僕なら浮気をしない、と言いたかったのか、兄は浮気をしないと、慰めたかったのか。
「先輩、すごく綺麗だし、性格も良いし、兄ちゃんもよく、先輩のこと褒めてるし……僕に自慢してくるくらいだから、そんなことないと思う……思います」
「啓司さん、自慢してるんだ? ふうん……私、あんまり褒められたことないなあ」
「そうなんですか……?」
「うん。啓司さん、あんまり言葉で言ってくれるタイプじゃないんだあ」
「……恥ずかしいんじゃないですか?」
「言葉で言って欲しい子って、多いと思うんだけどな」
玄関の開く音がした。すぐに先輩が身体を起こして、「啓司さんだ」と、立ち上がる。僕の楽しい時間は今日はここまでか、と、落胆した。
「……あ、りっくん」
「はい」
「今日は変な話しちゃったね」先輩はいつもみたいな笑顔で、僕に言った。「ごめんね、なんか。多分、私が変な感じにしちゃったと思う」
「いえ……あの、先輩」
「んー?」
「僕こそすみません。でも……僕は、思ってることしか、言ってないです。あの、兄ちゃんが浮気してるとかそういう方じゃなくて」
「……うん」
「先輩は……すごく、素敵な人だって、僕は、思ってて……」
「そっか、ありがとう」
先輩はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行った。
その日を境に、先輩は僕の部屋には来なくなった。
2
決して先輩との関係が希薄になったわけではない。学校で顔を合わせれば挨拶をするし、部活でもよく会話をして、先輩が家に来る日は一緒に帰宅したりもした。けれど、先輩が頑なに、僕の部屋には来なくなった。もともと、僕が誘ったわけではなく、先輩が勝手に出入りするようになったのだけれど、それがなくなった。
きっと、僕の好意に気付いたんだ。
それが嫌で、距離を置いたんだろう。
嫌われているとは考えなかった。何故なら、僕がそれを危惧して日常生活で距離を置いても、先輩の方から話しかけて来てくれたからだ。だから、嫌われたわけではないと思う。たが、先輩は僕と二人きりになろうとしなかった。それはだから、僕が男で、先輩が女で、危険を察知したからなのだろう。
家に残る、先輩の香りを探しては、僕はそれを頼りに自慰に耽った。愛情と性欲が直結して、僕は今までで一番、性に敏感になっていた。先輩が部屋に来ていた時よりも、より激しく、性を身体から削ぐことに必死だった。
清くなりたかった。
精液を吐き出してしまえば、残った身体は清くなれるものだと思い込んでいた。
けれどそれは間違いなのだ。
「りっくん、今日、お邪魔してもいいかな?」
先輩が部屋に来なくなってから、二ヶ月ほどが過ぎた。先輩が家に来る頻度も少なくなっていたが、それは単純に、部活の大会が近く、練習が遅くまで続いたからだ。つい先日にその大会が終わり、弱小チームであった我が校のバスケ部は、一回戦で敗退。三年生は早くも引退してしまった。
「ええ……大丈夫ですよ」
「良かった。じゃ、一緒に帰ろう」
出逢った当初の先輩は肩口に届くくらいの髪の長さだったのだが、今はかなり伸びてきて、後ろで軽く縛っていた。兄の趣味なのだろうか、と、それを観察する。すごく嫌な気持ちになる。何故だろう。僕も、長い髪の毛は好きなのに。
「りっくんち行くのも久しぶりだなー」
「そうですね……あの、こういうこと聞いても良いのか微妙なんですけど」
「嫌だったら答えないから、聞いていいよ」
「兄ちゃんと、最近会ってます?」
「ん、んー……土日とかは会ってるよ。どうして?」
「あ、いえ、最近、あんまり家にいらっしゃらなかったので……いえ、順調そうなら、いいんです」
「何、順調って」先輩は笑いながら言う。「まあ、お陰様で、特に何も起きてないよ」
「喧嘩とか」
「うん。するほど、話もしないし」
もしかしたらそれは僕の希望的観測なのかもしれない。けれど、先輩のその言い方に、僕は、聞いて欲しいことがある、というメッセージを読み取った。けれど、ストレートに聞いても答えてくれないことは、目に見えている。
「僕も最近、兄ちゃんとはあんまり、話さないですね」
「りっくんもなんだ」
「帰りが遅いし、僕も帰る頃にはへとへとだったりで……まあ、そういうのですね」
「そっか。そうだね」
「兄ちゃんは色々出来てすごいなって思いますよ。勉強もちゃんとしてるみたいだし、バスケも続けて……先輩ともお付き合いしてて。本当、元気だなって」
「りっくんは?」
「いや、勉強、完全に置いてきぼりです。そろそろ頑張らないとやばいかなって……せっかく頑張って、良い高校入ったわけですし」
「じゃなくて、彼女」
「あー……からかってます?」
「あ、ううん、ごめん、そういうつもりじゃなくてね」先輩は、笑っていない。「確認、みたいな」
「何のですか?」
「ねえ、りっくんさ」
先輩は僕の質問に答えない。
「啓司さん、今日も帰り遅いんだって」
「……そう、なんですか」
「りっくんち、行ってもいいかな」
僕も、先輩の質問には答えなかった。
3
家に帰ると母はいなかった。リビングのテーブルに書き置きがあり、おばあちゃんのところに行っています、と書いてあった。僕はこの事実をどう利用するか考えていたが、流石に来慣れているだけあって、先輩はすぐに「お母さんいないんだ」と言った。
「みたいですね」
「部屋、行っていい?」
僕は戸惑っていた。何故か怖ろしかった。何が怖いのだろう。先輩の表情は、笑っていないだけで、いつもと変わらない。口調だって、気迫がないだけで、いつもと変わらない。それこそが、いつもと変わっているということなのだろうか。変わっているって、なんだろう。
「ねえ」
「いいですよ。汚いですけど」
二人で二階に上がり、部屋に入る。先輩が来なくなったり、最近部活で疲れていたのもあってか、部屋の掃除を怠っていた。汗臭い部屋だろう。先輩は慣れたように、ベッドに腰掛けた。
「久しぶり」
「二ヶ月ぶりくらい、ですね」
「数えてたんだ」
「いえ……いやでも、即答って、気持ち悪いですね」
「そんなことないよー」
先輩は腕を伸ばし、背後に置いて、足を交互に揺らした。
「啓司さんは、別に浮気したとか、そういうのはないの」
何の話題だろう。僕は黙っている。
「普通に、大学生して、勉強して、バイトして、バスケして、ってやってて……それで、休みの日に私とデートしてくれて、バイトし始めたからかな、最近、ホテルに行ったりするようになったんだ」
空気が変わったのが分かった。
座り方を直す。先輩の口から、そういう意味の言葉が出るだけで、自分の意志とは関係なく、性は脈動する。
「啓司さんは卒業しちゃったし、仕方ないよね。休みの日にちゃんと会ってくれるし、私に優しくしてくれるし、お金も出してくれて、きっと私と結婚しようと思ってくれてて、勉強頑張ったりしてるんだと思う」
「……」
そうですね、とすら言えない。
何を言えば良いと言うんだ。
「それでも私は、りっくんと一緒にいる時間の方が、長くなっちゃった」
先輩は、困ったように、僕を見た。
「さっき、数えてたんだって行ったら、りっくん、気持ち悪いなんて言ってたけど……そういうの、普通だと思うよ。私、啓司さんとりっくん、どっちと一緒にいるんだろうって漠然と考えて、概算してみたら、りっくんの方が多くなってた」
「……まだ一年経ってないのに、ですか」
「うん。だって、啓司さんは三年生だったから、引退しちゃったし」
ああ、そうだった。それから兄は受験勉強。そうしながらも、一緒に帰ったりして、同じ時間を共有してはいたのだろうけれど、今の僕に匹敵するほどの時間は、共有していなかったのだ。
「私ね、浮気とか、許せないし、寂しいからって浮気する女の人とか、信じられないって思ってる」
「……はい」
「でもさ、寂しいんだね」
先輩は、僕の指に触れた。
自分でもみっともないくらい過敏に、僕の左手は、反応してしまう。
「……嫌?」
「何がですか」
「彼女、いないんだよね」
「あの、僕は……」
「私、りっくんのことも好きだよ」
「……僕は、そんなの嫌です」
少し触れていた手を、僕は引いた。
それがスイッチになってしまったんだろう。先輩は僕に勇気がないことを悟ったのだ。僕に覆い被さるようにして、僕を押し倒した。
ああ、天井のライトが眩しい。
先輩の顔は美しかった。
「私のこと、嫌いかな?」
「……先輩は、兄ちゃんの彼女じゃないですか」
「うん。きっとこれからもずっと、啓司さんと別れることはない」
「じゃあ……」
「でも、寂しいの。人をね、ぎゅって抱き締めてると、私、安心出来るんだ」
「……めちゃくちゃですよ」
「そうだね」
「僕のことを……弄んでるんですか……ばかにしてるんですか……」
「ううん。大切に思ってる。だから、りっくんの気持ちも分かるよ」
「分かってないじゃないですか……兄ちゃんと別れる気もないのに、僕と……僕に……」
「ねえ、りっくん」
僕は腕で顔を覆った。眩しかった。瞳が湿っぽかった。先輩の顔を見たくなかった。
「あのね、思ってたより、あっけないものなんだよ、男女って」
そんな言葉は、信じたくなかった。
けれど、先輩はそう言って、僕の唇を塞ぐ。
初めてのキスだった。それはたったの一秒で終わる。
とても気持ち良くて、とても熱くなった。
「……たってるね」
もう、何も言えない。なんでこの人は、僕にこんなにひどいことをするんだろう。どうして、僕を、奪おうとするんだろう。
「ねえ、えっちなキスしてもいい?」
答える気なんかないんだ。すぐに僕の口の中は蹂躙されてしまった。甘い匂いがする。とても、ひどく、扇情的だった。僕は腕を解いた。眩しかった。眩しくて、天井を見たくない。先輩の身体を持ち上げて、二人して、横向きになった。横向きになって、キスをした。舌を絡めるキスをした。信じられないくらい熱くなって、信じられないくらいに下半身が膨張していた。
「私はね、特別だと思ってたの。普通とは違う、素敵な彼氏と素敵な恋愛をして、素敵な結婚生活をして、素敵な家庭を築くって。世の中にあるような、どろどろした男女関係とかとは無縁で、ずっと美しいままでいられると思ってたの」
「はあ……はぁ……」
「でもね、啓司さんとえっちして、それはすごく気持ち良くて、会えないと寂しくて、切なくなるの。誰かとこうして抱き合ったり、キスしたり、そうしていたくなるの。最初はなかったものなのに、なくなると、埋めたくなるの」
「……先輩、さわっていいですか」
「どこを? ……ううん、どこでもいいよ」
一番最初に、先輩の髪を解いた。
頬に掛かる。
それをかきあげるように、唇に触れる。
そして、キスをした。
淫乱、という言葉の明確な定義を僕は知らない。けれど、僕の下半身を撫でまわす先輩の手つきは、その言葉通りだった。幻滅していいのか、興奮していいのか分からない。尚も僕は興奮し続けた。先輩の胸や秘部に触れる自信はなく、ただ抱きついているだけで、脳に炭酸を注がれたような気持ちになった。
「りっくん、したこと、ないんだよね」
「キスもしたことないです」
「電気、消した方が良い……?」
「よく分からないです」
「敬語だと、ドキドキするね……やっぱり、電気消そうか」
僕はこのまま先輩と離れたら、ここで全てが終わってしまうのではないかと不安になった。それでも、すぐにドアに向かって、スイッチをオフにした。同時に、自慰をする時のように、誰も入って来られないように、ドアの前にダンベルの入った箱を置いた。
「消しました……」
振り返ると、先輩はシャツのボタンを外していた。
「下着、脱ぐね……りっくんも、脱いでいいよ」
「いやっ……」
「脱がないと出来ないよ……?」
慌てたように、上着を脱いで、シャツのボタンを外す。焦っていつの倍以上時間がかかった。
「りっくんって、肌綺麗だね」
「よく分からないです」
「おっぱい好き?」
「……多分」
「さわっていいよ」
先輩は、上半身だけ裸になった状態だった。電気が消えて、カーテンが閉め切ってあっても、まだ夕方なので少しは見える。おもむろに、先輩の胸にさわった。とてもやわらかかった。
「はあ……」
「りっくん、えっちな顔してる」
「あの……口つけても、いいですか」
「ん……おっぱい吸いたい?」
「……」
「いいよ、おいで」
先輩に抱き締められるように、胸に吸い付いた。先輩の小さい声が漏れる。無意識のうちに、先輩の太ももに、下半身をこすりつけていた。
「……気持ち良い?」
「はい……気持ち良いです……」
「さわってあげようか」
頭のどこかに、この人は兄の彼女なんだ、兄ともこうしたことをしているんだ、という現実があったが、それを正確な情報として落とし込むことが出来ずにいた。僕は羞恥や困惑を忘れ、ベルトを外し、下着姿になった。
「やっぱりいい身体だね」先輩は僕の腹筋を撫でる。「でも、りっくんは細いんだね。やっぱり肌が綺麗」
「あの……」
「膝立ちになれる?」
言われるがままに動き、先輩の両手が僕の下着を下ろした。下着を取り払えば、全裸になってしまう。けれどそれは恐怖以上に、そうなった時、とてつもない快楽で自分がどうにかなるんじゃないかという不安が多かった。「さわるね」
すぐに先輩の手が触れた。今までに感じたことのない快感があった。
「大丈夫? 出ちゃわない?」
「大丈夫です……」
「気持ちいい?」
「はい……」
先輩の手でさわられながら、またキスをされた。先輩の舌が入って来るだけのキスだったが、僕も舌を入れてみる。
「ん……」
先輩の声が漏れる。
「は……あ。ねえ……えっちしたい?」
「したいです」
「あ。でも、ゴムとか、持ってない……よね」
「……ないです」
「どうしようか」
先輩はスカートの中に手を入れ、下着を抜き取った。スカート一枚だけを身につけた状態だった。
「妊娠したら困るもんね」
「……」
「ここまでにしとこうか?」
僕は興奮でどうにかなりそうだった。先輩を押し倒すと、自分からキスをして、舌を容赦なく抉り込ませた。右手で秘部に触れる。どこがどうなっているのか分からないが、かろうじて、ぬめりけのある場所を見つける。そっと触れてみると、口の向こうで先輩の悲鳴が上がった。ゆっくり指を進めると、すんなりと入って行く。ああ、ここに入れれば良いんだな、と、僕の残り少ない自尊心が告げていた。
避妊のことや何かをあまり深くは考えていなかった。今これを逃したら全てがなくなってしまうのだという恐怖だけが僕を突き動かしていた。焦るように先輩の足を開き、無理矢理に身体を割り込ませ、先輩に押しつける。
「……りっくん」
先輩は、ああ、自覚しているんだろうか、蕩けた表情で、僕を見ている。眩しくなんてないはずなのに、腕を額に乗せて、目を細めている。
「……分かる?」
手探りで場所を探り当て、そこに思い切り押し込んだ。上手くいったらしく、また、やはり本能的にそう埋め込まれているのか、一度入れると、あとはスムーズに動くだけだった。先輩の甘い声が漏れる。それがどこかに聞こえるんじゃないかと不安で、口元を押さえつけた。その腕を、先輩が掴んで、剥がそうとする。仕方なく、唇を押しつけた。先輩が舌を絡めてきたところで、あえなく僕は、一度目の終わりを迎える。けれど、当然、高ぶっていた僕の性欲は終わることがなく、繋がったまま、三十秒ほどのインターバルを経て、再び動き出す。
「あ……すごい」先輩が小さく言う。「りっくん……あ……」
「静かにして」
僕はまた先輩の口元を抑えた。キスをしながらでは動きにくかった。先輩は今度はそれを拒まなかった。僕はこれが上手に出来ているのか分からなかったが、ただ一心不乱に腰を動かした。普段使わない筋肉が稼働している。先輩は僕のふとももに手を添えて、何かを耐えているようだった。
「ん……」
喘ぎ越えとは違う声がして、そっと手を離すと、先輩が勢い良く抱きついて、僕を捕獲した。そして、僕にキスをする。再び、僕は先輩の中に性そのものを吐き出す。幸福感と脱力感が同時に襲ってくる。その間も、僕の舌は蹂躙されている。
「すごい……まだかたいね」先輩は蕩けたような声で言う。「まだ出来るの……?」
「多分……出来ます」
「中で出してるね」
「……すみません」
「私、だめかもしれない。りっくんのやり方、嫌いじゃない」
「やり方?」
「強引なの……」
「よく分からないです」
回復したな、と思ったところで、また動き出す。もう、心に余裕があった。冷静に先輩を眺める。そして、この人が兄の所有物であることを思い出し、それを奪い取ることや、その関係が希薄になるのがこんなにもあっけないものなんだと、思い知る。
「あ……りっくん……ぎゅうってしたい……」
「もうちょっと待って」
「キスか……手、繋ぎたい……」
「いいよ」
先輩の手を握ると、折られそうなくらい強く握り返される。指と指を交互に絡める。今まで一度もしたことがないのに、何故すんなりとこんな繋ぎ方が出来るんだろう。
手を繋いだまま、キスをした。
その瞬間、僕の中で、先輩は、憧れの先輩ではなくなっていた。
4
三度目で本当に僕に限界が来た。先輩はそれ以上求めてはこなかった。過酷な部活をこなしている僕にはあまり辛い運動ではなかったが、先輩にはきつかったのか、息が荒かった。
「……大丈夫ですか、先輩」
「うん、ありがと」
「ティッシュとか……あった方が良いですよね」立ち上がる時に、全裸なんだな、という客観視がノイズされる。「タオルとか、持ってきましょうか」
「ううん、ティッシュだけでいいや」
箱ティッシュを手に持って、何枚か取り、先輩に渡した。僕も自分の下半身を拭う。ほとんどが乾いていた。
「中出しされちゃった……」
とても甘美な響きだった。正直、もう一回出来そうな気がしたが、口には出さなかった。
「やばいですか」
「普通はやばいよ。でも、今日は多分、大丈夫。そういうの、考えて来たから」
「ああ……」
「……嫌だった? わけ、ないよね」
「嫌じゃなかったですけど」
嫌じゃなかったけど。
何かを失った気がした。
それが何だったのか、思い出せない。
何か、跡形もなく、大事にしていた宝石のようなものが、なくなってしまった。それをなくしたことに、今はまだ気付けているけれど、すぐにその存在すら忘れてしまうんだと思うものが、失われてしまった。
「嫌じゃ、なかったです」
「……良かった」
「先輩は?」
「え、えっと……りっくん、えっちのとき、強引なんだね。なんか、意外、っていうか……すごい、好みだったかも」
「よくわからないです」
「自覚ないの?」
「あんまり、考えてないです」
「敬語じゃなかったよ」
「そうですか? ……すみません」
「ううん、いいんだけど」
先輩は少しずつ衣類を身に纏い、女子高生へと戻って行く。僕は制服は着ずに、部屋着に着替えた。
「……浮気しちゃった」
「そうですね」
「軽蔑、した?」
「いや……あんまり」
正直な感想だった。
浮気なんて、大嫌いだった。
死ねば良い概念だと思っていた。
けれど、あまり、気分が悪くなかった。
どうしてだろう。
自分が、当事者だから?
それとも、それでも良いくらい、先輩が好きだったから?
答えは分からない。
けれど、あまり、嫌な気持ちじゃなかった。
「兄ちゃんとは、別れないんですよね」
「うん……と思う。別れて欲しい?」
「いや、そうも思わないです」
「うん……」
「僕は、浮気をした人間が、それを秘密にすることを、悪いことをしたから隠すんだと思っていたんですけど……もしかしたら、言わないことで、傷付けまいとしているのかって、今、少しだけ、思っています」
「ん……なんとなく分かるよ」
「許されることではないのに」
「うん……」
「本当は、最低で、許される行為じゃないのに……そんなことを思うのは、それでも多分、僕も、先輩も、兄ちゃんのことが好きなんでしょうね」
ああ、なんて救いようがないんだ。
けれど、どうしても全てを憎めない。
どころか、愛おしくすら思う。
「……ねえ、また来ても良い?」
「兄ちゃんがいない時にですか?」
「……うん」
「いいですよ」
「……良かった」
「他の人とも、するんですか?」
卑劣な問いかけだった。同時に、牽制の意味もあったのだろうか。あるいは、私利私欲のための。
「ううん。言っても、信用してはもらえないと思うけど、りっくんじゃなかったら、こんなことしようとは思わなかったと思う」
「……それは、罪悪感を共有出来るからですか?」
「……最低だね、私」
「それすら、僕と共有してます」
「……ごめん」
「だから、嫌じゃないんですよ。あんまり。不思議ですけど……あんまり、嫌な気持ちじゃないですよ、今。だから、気にしないでください」
「うん……りっくん、優しいね」
「多分、麻痺してるんです」
心も、体も。
善も、悪も。
何も、かも。
5
日常に変化はなかった。キスをして、身体を重ねて、世界が変わると思っていた。けれど世界はそのままで、別段景色が変わって見えるということもない。
けれど僕は、人に言えない秘密を持ったことで、それを補おうとしているのか、勉強熱心になり、部活にも熱中し、先輩との逢瀬もさらに数を重ねた。勉強会をすると称して、部屋に呼ぶことが度々あった。
先輩は兄の彼女で、事実上婚約していて、その弟の僕と仲良くしていても、誰も強くは言っては来ない。二人がセックスしていて、浮気をしているというのに。
けれどもしかしたら、気付いているのかも。
僕より様々な経験をしてきた、兄、母、父。気付いていても、それを口にした瞬間に世界が崩れてしまうから、言わないだけなのかもしれない。目を背けているだけなのかもしれない。
世界は変わらなかった。
けれど、世界を壊す要素を、手に入れてしまったのだろうか。
土曜の朝、日の出の頃に目が覚めて、外の景色を眺めてみる。時が止まったような空があって、冷凍庫から取り出したばかりのような空気があって、たくさんの秘密を抱えた世界が解凍されていく。
僕の心を麻痺させるために、今日もまた空が始まる。
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