『少女の寿命は短い』

「百合小説を書きたいと思うの」

 ノエルの言葉に私は驚く他なかった。な、なんだって。小説を書くというのか。文学部のくせに。気をしっかり持ちなさい。まったくもう。それも百合小説だなんて。気が違ってしまったのかしら。

「ねえマリィ、どうかしら」

「やめておいた方がよろしくてよ。いくら流行はやっているからって、そうそう流行りゅうこうに乗るのはおよしなさい。純粋な文学というものは、孤独の中から生み出されるものなのよ。それをあなた、ただ流行っているからという理由で、作品をでっちあげるだなんて。文学に対する冒涜ぼうとくだわ」

「違うのよマリィ。私はね、多分、生まれた時から同性愛のがあったの。それを何とも分からないまま過ごしていたのだけれど、最近になってようやく気付いたわ。ああ、私は可愛い女の子が好きなんだって」

「可愛い女の子が好きだなんて言う女の言葉はあてになりませんよノエル。そうやってすぐに感化されるのは、一般市民のやることです。気高きモノカキ[#「モノカキ」に傍点]であるところの私たちは、内なる衝動しょうどうを筆に乗せなければ。あなたは何のために三千円もするノートを買ったの? 美しく純度の高い文学を筆致ひっちするためでしょう」

 もう、本当に、ノエルと来たら影響されやすいのだから。二ヶ月前にはとある映画を観て、「私も映画監督になるわ」と言っていたのに。本当に、ダメな子。でもそれが愛おしくもある。

「あなたはまたおかしな文章を読んでしまったのねノエル。きっと同性愛をテーマにした作品だったのでしょう」

「違うの。違うのよマリィ。私ね、男性に対してあまり興奮出来ないの。ムラムラしないのよ。でもね、マリィ、あなたを前にしていると、とても気持ちがたかぶるわ。キスしたいくらい」

「やめてノエル。恋心が芽生めばえるわ」

はぐくみましょう、私たちの愛を」

「でもノエル、あなたのそれは、本心とは違うわ。だってあなたは中学二年生の頃、ちゃんと男子に恋をしていたもの。恋文ラブレターだってしたためたじゃない。私、それを応援していたのよ。忘れたとは言わせませんよ」

「あれは気の迷いというものよマリィ。でもね、きっと私は女の子が好き。だって、美しいんだもの。美しいものと美しいものが掛け合わさったら、美しいに決まっているでしょう? 私は美しい世界で呼吸がしたいの。だから百合にかれているのだわ。だから百合小説を書きたいの」

「本当に美しいものは、みにくい世界の果てにあるのよ、ノエル。あなたが望んでいるものは、美しいものではなくて、上澄うわずみというの」

「まあ! 辛辣しんらつ! でもそういうところが好きよ」

「好きになさい。あなたが百合小説を書くというのなら、止めはしないわ。けれど、その代わり、止まらないで頂戴。私を納得させたいのなら、それ相応の表現をきちんとするのよ。上澄みだけではないことを証明して頂戴ちょうだい

「ええもちろん。私は書ききるわ。たとえこの身が朽ち果てようと。少なくとも、部活中にツイッターのアプリをスクロールさせているだけのマリィより、私は文学部員である自覚があるわ」

「なんて酷いことを言うのかしらこの子は。あなたをそんな子に育てた覚えはありませんよ、ノエル」

「今に見てらっしゃい。私は明日から部活を休みますからねマリィ。そうして書きあがった日を楽しみにしているがいいわ。きっと私はあなたを開眼かいがんさせてみせるわ。そしてめくるめく乙女たちの楽園に突き落とすの」

「それは楽しみだわ」

 けれどお生憎様あいにくさま。私はもう中学生の時分に、同性愛の一時的な流行を終えてしまったのだから。特殊性癖に目覚めてしまうのは、健全な少女のたしなみと言えるのだ。


 ◇


「百合小説だなんて破廉恥はれんちな!」

 セツナ先輩は私の話を聞くなり、両耳を押さえて顔を真っ赤に染め上げた。なんと可愛らしいことか。私よりも三寸さんすんも背丈の低いセツナ先輩は、存在しているだけで周囲をいやす才能にあふれているのである。

「セツナ先輩もそうお考えになるだろうと思っていました。文学部員だというのに小説を書くなんて」

「それはまるで題材よりも執筆そのものを否定しているような言い草だな、小金井こがねい

「そうに決まっていますとも。執筆はおろかにも愚者ぐしゃのする愚行ぐこうですわセツナ先輩。社会不適合者に与えられた最後の行為ですもの。お遊びとは言え、私たちのような未来ある少女たちがすべき行為ではありません」

「文学部員の風上かざかみにも置けないことを言うね小金井。君はそれで、何のために文学部に在籍ざいせきしているつもりなのか」

「文学部が必ずしも作家の卵のつどいというわけではありませんもの。私は読書をたしなんで、少女力を高めるのです」

「女子力みたいな言い方をするね」

「少女力とはすなわち幻想ですわ」

「私には分からないことだ小金井。でも別に、創作をしない君をとがめるつもりはないよ。部誌も発行しなければ、品評会もしないこの文学部の中で、創作をする人間の方が珍しいことは確かなんだからね。それにしても百合小説を書くだなんて……ああ破廉恥!」

 再び思い出してしまったのか、セツナ先輩はまた両耳を抑えながら顔を真っ赤に染め上げる。膝を合わせて体をちぢめる彼女の脳内では、一体全体、どんな破廉恥な想像が生まれているのだろう。それを出来れば読み解きたいものだ。

「とにかく、そういうわけでノエルはしばらく部活を休むということか。部活を休むのにきちんと手紙を書いてくれるなんて、ノエルらしい」

「毎日部室に顔を出しているのなんて、私くらいなものですもの。本当に、他のみんなは一体部活に出ないで何をしているのかしら。セツナ先輩、あなたのことをお話しているのですよ」

いまだにパズドラとモンストを交互にプレイしている君に言われる筋合いはないのだよ、小金井。いい加減、学校にモバイルバッテリーを持ち込むのはやめなさい。君は立派なスマートフォン依存症だ」

「二十一世紀の少女の嗜みですわ、セツナ先輩」

「手書きで小説を書いているノエルの方がよっぽど文学部員らしいね」

「今時手書きなんて。時代遅れですわ」


 ◇


「たまに顔を出したらこれだ」

 世界儀せかいぎ先生は部室に入るなり、そんなことを言って、適当な席に腰を下ろしました。そして私をちらと見て、「携帯をいじるなら家でやりなさい」と言う。

「先生、これはスマートフォンです」

「iPhoneをいじるなら家でやりなさい」

「まあ失礼な! 私を侮辱ぶじょくしましたね! 機種名くらい知っています!」

「そうかそうか。しかしな小金井、健全な若者である君が、こうして放課後に何もせずに部室でただ時間を無為に消費しているというのは、大人である僕から見るととても悲しいものだ」

「私だって同じ気持ちですよ先生。先生みたいな美男子が、定時上がりもせずに部室に顔を出しているだなんて。恋人とちちくりあったらいいじゃありませんか」

「僕の恋人は小説なのさ、小金井」

「先生、小説なんて書くのはおやめになった方がよろしくてよ。人生が無駄になるだけなのですから。もっと貴重な体験をしなければ」

「僕には、ゲームアプリに一喜一憂いっきいちゆうしている小金井のような人間の方が、よほど無駄な人生を送っている気がしてならないのだ。それはとても悲しい気持ちだよ」

「えっち! 先生のえっち!」

「なんだぁ?」

「すけべ! 変態! 誰かーっ! 教師に裸を見られてしまいます! 助けてください!」

「反論の余地のないことを言われたからといって、子どものようなことをするのはよしたまえ小金井。君があきれるほどの人間のクズだということは僕は分かっているつもりだ」

「いやぁーっ! 無理矢理抱かれてしまいます! きゃぁー!」

「他の先生方も小金井の虚言癖きょげんへき熟知じゅくちしておられる。いかに僕を暴漢ぼうかん仕立したて上げようとしても、それは無理な相談だよ」

「先生……ひどい……私、初めてだったんですよ……責任を取ってください……」

「そうかそうか。僕は知らぬ間に強姦魔ごうかんまになってしまったのだな。たまには無理矢理愛を育む作品を書くのもよかろう」

 先生はそれきり喋らなくなり、持ち込んできた私物のノートパソコンで小説を書き始めてしまいました。私は相手にされないことに悲しくなり、仕方なくツイッターを更新することにしたのでした。


 ◇


「さあ書き終わったわマリィ。是非ぜひ忌憚きたんない感想を聞かせて頂戴」

 一週間後の同じ日に、ノエルは小説を書いて私に手渡した。ノートの約半分に、美しい字で記されているのは、どうやら本当に百合小説であるようだった。

「まあ、本当に書いたのねノエル。それも百三十ページも」

「そうよ。私は本気なのだから」

「心地よい風が頬を撫でる。新学期の始まり。新しい出会いを予感させるには十分な季節だった」

「音読は!」

「私はごく普通の少女である。名前は小倉恵おぐらけい。何の変哲へんてつもない名前であるが、気に入っている」

「きいいいいいいいいいいいい!」

「読書が出来ないわノエル」

「人の! 小説を! 本人の! 前で! 声に! 出して! 読まない!」

「うるさいわノエル」

「法律よ! 法律! 人の小説を音読するのは違法!」

「そうだったのね。ごめんなさいノエル、落ち着いて。ちょっとした冗談だったの。まさか警察に突き出さないわよね」

「言葉に出されて初めて、私は自分の文章力のなさというものに触れることが出来たわ。マリィ、それにめんじて通報だけは許してあげる」

「ありがとうノエル。ねえ、これは家に帰って一人で読んでもいいかしら」

「あら……あら、そうね」

 ノエルは少し寂しそうにしていたけれど、これ以上音読されてはたまらないと思ったのか、顔を赤らめながら、「仕方ないわね」と言ったのだった。

「そんなに読みたいというのなら、いいわ、一晩限り、私のノートを貸してあげます。けれど、変なことを書き加えたりしてはだめよ」

「もちろんだわ。私の部屋に筆記用具なんてひとつもないもの」

「学生の本分は! 勉強!」

「痛いっ」

 ノエルは私の広い額にデコピンを食らわすと、しかし愛おしそうに私を抱き締めたのだった。

「けれどあなたはあせらなくていいのよマリィ。きっといつか目が覚める日が来るのだから。今はスタミナの回復時間に合わせてスマートフォンの電源を入れる毎日でもいいのよ」

「ありがとうノエル。優しいのね」

「だってあなたのことが好きなんだもの」

「百合に感化されているのねノエル」

「心も体も百合仕様なの。あなたを抱き締めることだって出来るわ」

 ノエルはとても良い匂いがした。ずっと嗅いでいたくなるような匂いだ。私はノエルのやわらかいおなかに鼻先を押し付けて、そのまま眠ってしまいたくなった。


 ◇


 帰宅後、就寝前にノエルの小説を全て読み終えたあと、興奮冷めやらぬうちにベッドの上でひとり自慰じいふけった私は、百合とはなんと甘美かんびで素晴らしいものなのだろうかと、ひとり神に感謝を捧げるのだった。


 ◇


「のえるだいすき」

 私はノエルが部室に来るなり、彼女を抱き締めて頬と頬をすり合わせる始末だった。

「どうしたのマリィ。あなたも百合に目覚めてしまったの」

「それもあるけれど、それだけではないの。目覚めたというより、思い出したのね。あの時私が通った一過性の流行を、また思い出しているだけ。けれど、抱擁ほうようの理由はそれだけではないの。あなたの言う通り、私は開眼したのだわ。一過性ではない、真の愛に」

「詳しく聞かせて。あと感想も」

「素晴らしかったわ。鬼気迫ききせまる少女同士の禁忌きんきへの筆致ひっち。それに加えて秘めた想いを地文という形で素直に私の脳にすべらせた巧妙こうみょう文脈ぶんみゃく。恐れ多くも、私はノエルの小説を読んで興奮したわ。恥ずかしながら、一人遊びにも耽ってしまった始末。ノエル、これは百合小説などではないわ。恋愛小説。いえ、純愛作品と呼ぶべきね」

「あなたがこれほどまでに感化されやすい人間だとは思っていなかったわマリィ」

「きっと私にもその気があったのでしょうね。その証拠に、私は中学生の時分に百合にどっぷりハマったことがあるわ。その頃は環境が悪かったから最終的なところまでは至らなかったけれど、今ならノエルとどこまでもちて行く覚悟があるわ。さながらけい千恵ちえのように、結婚もせずに老後二人で暮らしていく約束だって出来るわ。彼女たちという前例があるのだから、何だって出来る」

「人の小説の登場人物をまるで実在の人間のように言うのはやめて!」

「小説賞にお出しなさい。そして新人賞を取るの。みんなにこの素晴らしさを教えなくちゃ。そうしたら一緒に暮らしましょうノエル。結婚は出来ないけれど、いつか私が法律を変えてみせるわ。私、本気なの。本気であなたを愛しちゃったみたい」

「ねえマリィ、あなたがこんなに小説を喜んでくれて、私は嬉しいの。でもね、ひどいことになる前に忠告させて。これは、ただの、お遊びなのよ」

「おあ……おあ?」

 私は言葉の意味が分からず、しきりに首をかしげる。初めての性交渉の前に、実は冗談だった、クラスのいじめっ子たちから強要された罰ゲームだったのだと宣言された童貞男子のような気持ちだった。

「お遊びなのマリィ。聞いて」

 私はさながらセツナ先輩のように、両耳を塞いで顔を真っ赤にした。けれどそれは、羞恥によるものではなかった。

「私は確かに百合が好きだわ。美しいものと美しいものが掛けあっている姿が大好き。でもね、それは、現実では起こり得ないことでしょう。いくら頑張ったところで、私とマリィがくんずほぐれつしたところで、美しくなんてないのよ」

「いや! やめて! 聞きたくない!」

「現実を受け入れなければならないのよマリィ。私とあなたは、とても平均的な顔立ちの、日本人だわ。造形の美しさで言えば、セツナ先輩や世界儀先生には及ばないでしょう。私たちはただ若いだけなのよマリィ。美しくなんてない」

「嫌いよノエル! 私に現実を突きつける人間は何人たりとも許しませんから! 魔界にかえって!」

「お遊びなのよマリィ。美しい少女たちを使って、百合という甘美な世界観を表現しているだけなの。ごめんなさいマリィ。あなたがここまで私の作品に落ちてしまうなんて思わなくて。私は百合が好きだけれど、可愛い女の子が好きだけれど、結局普通に男性に恋をする、ただの女なの」

「もう聞きたくない! お母さんのお腹に帰りたい! 胎児たいじになりたい!」

「そうね。分かるわ。でも、女の子同士では繁殖すら出来ない。あなたのような子どもが生まれることもないのよ」

「現実は嫌い! 現実は嫌い!」

「私とマリィが本気でお付き合いすることはないのよ。お遊びならともかく」

「なむさん!」

 私は思わず文学部の部室を飛び出していた。なんということだろう! ノエルは自分で素晴らしい百合小説を生み出しておいて、結局私を裏切ったのだ。信じられるだろうか。私は両耳を抑え、両目をつむったまま、とにかく廊下を走り抜けた。すると当然、誰かにぶつかることを余儀よぎなくされる。

「痛いっ!」

 反動で吹き飛ばしてしまった相手は、小柄で私よりも三寸小さいセツナ先輩だった。セツナ先輩は小さな体を丸めながら受け身を取っていて、何ともない様子で「どうしたんだい小金井」と言った。

「セツナ先輩……私、私……ノエルに振られてしまいました」

「振られるということは前段階として告白をしたんだな! なんて破廉恥な! しかもノエルは女じゃないか! 女が女に告白するなんて、不潔ふけつだぞ!」

「純愛だったのですよ先輩! そんな不埒うらちな気持ちでした軽薄な告白ではないんです! 前戯ぜんぎのための愛の言葉とは違うのです!」

「聞きたくない!」

「セツナ先輩待って! 私をなぐさめて! この際セツナ先輩でもいいんです!」

「ええい、青柳あおやなぎに振られたからといって、女なら誰でも良いという精神状態におちいっているようだな! 私をそんな女になびく安い女だと思わないでくれ! そもそも私は、レズビアンとたわむれる趣味を持ち合わせてなどいない!」

 セツナ先輩は私の頬を軽く叩くと、そのままふんと鼻を鳴らし、文学部の部室へ向かって行ってしまう。

「先輩! せんぱぁい!」

 私はみじめなまま、廊下にひれ伏していた。なんということだろう。セツナ先輩に愛されたいわけではなかったのだ。私はセツナ先輩に慰められたかっただけなのだ。普段であればセツナ先輩は、きっと傷心中の私を慰めてくれたはずなのに。だというのに、どうしてあんな態度を取ったのだろう。いつもなんだかんだと言いながら私の世話を焼いてくれていたセツナ先輩が。あの態度の豹変ひょうへんぶりと来たら、まるで異物を見るような目ではなかっただろうか!

「それはね」

 私の頭上で低音が響いた。

「その声は世界儀先生!」

「それはね、小金井、君が同性愛者であるという宣言をしたからだ」

 私は廊下に正座をし、のぞきこむようにかがんでいる世界儀先生と目を合わせる。

「意味が分かりません先生。そもそも何故先生が、今の私の悩みを知っているのですか」

「全て聞かせてもらったからだ」

「いつの間に!」

「先ほど部室に行った時、青柳に事の顛末てんまつを聞いておいたのさ。そして心配になって、小金井を探していたのだ」

「先生、何故ノエルもセツナ先輩も、私に辛く当たるのですか。あんなに仲が良かったのに!」

「小金井、君は創作というものをよく知らないらしい。この機に教師らしいことをしてやろう」

 世界儀先生は廊下の掲示物に、胸に差したボールペンで大きな丸をいくつか書いた。

「中心にある円が僕たちのいる世界だ」

「はあ」

「その円と一部分重なっている円は、創作の世界だ」

「創作の世界」

「ここでは何をしても許されるのだ。犯罪、不道徳、非現実、超理論。同性愛だってそうさ。けれどね、現実世界と創作世界が重なった部分にある、この小さな面積は、禁忌と呼ばれる世界なのだ」

「禁忌とは、地方の近畿ではなく」

「禁じられたいままわしい世界を差す言葉のことだよ。内なる衝動を創作に落とす。それは君も分かるだろう」

「けれどその衝動は内にあるものなのでは! 内にある衝動は、現実そのものなのではありませんか!」

「それを現実に起こすことこそが、禁忌とされる。だから人は創作をするのだよ。小金井、共感者を探すが良い。創作に触れ、その作品に感化され、共感し、禁忌に触れる覚悟のある者だけが、結ばれ合うのだ。青柳の同性愛創作は、小金井の琴線きんせんに触れたようだが、しかしながら青柳はお遊びとしているようだ。もし青柳を我が物にしたいなら、小金井よ、小説を書くが良い。そして美しくなれ」

「美しく……」

「スマートフォンを捨て、言葉少なに過ごし、美容に気を使い、服装を気にかけ、所作しょさに気を付け、生活を見直し、小物を洗練せんれんするのだ。そして美しい人間となれ。さすれば禁忌を超えられよう」

「先生……! 私、私、小説を書きます!」

「そうだ。それでいい」

「先生も禁忌に感化してくれる人を探して、小説を書いていらっしゃるのですね! だから私にこのような助言を!」

「そうとも。察しが良いな」

「さすれば、先生はどんな禁忌を?」

「僕の禁忌かい? 聞かない方が良いと思うがな」

「そんな殺生せっしょうなことを言わず、どうか迷える子羊に助言をください!」

「そこまで言うなら教えてやろう小金井。僕の禁忌は、女子生徒との肉体関係さ」

 私はさっと血の気が引くのを感じ、先の失態を、ノエルやセツナ先輩に謝らなければならないことを直感的に悟った。なるほどと思った。世界儀先生は私を抱くなどとは一言も言っていないのに、この人と一緒に会話していてはならないという拒絶感を味わった。ノエルやセツナ先輩も、同じ気持ちを味わったに違いない。私はいそいそと立ち上がると、「それでは先生、失礼致しました」と距離感を保った言葉を口にし、足早に帰路を目指した。


 ◇


 そして私は小説を書いている。

 一時的な流行に乗った哀れな少女として、ノエルもセツナ先輩も、再び私を受け入れ、もう一度仲良くしてくれるようになったのだ。私はスマートフォンを解約し、読書を心掛け、美容と健康に気を使い、言葉づかいに留意りゅういし、スカートの丈を少しだけ短くして、美しくなる決意を固めた。

 少女力など幻想である。私に本当に必要なものは少女性であるのだ。世界儀先生はあれ以来、私を見るなり「今日も綺麗だね」と簡単に言うようになったが、お互い禁忌の世界に足を踏み入れているからこそ叩ける軽口なのであろう。私もそれに対して、「性犯罪者の声を聴くと耳が破水はすいします。以後許可なく私に口を利かないよう」と答えることにしている。「まだ一度も女子生徒に手を出したことはない」「左様でございますか」「冷たいね小金井」「気安く名前を呼ばないでください」「冷たいなあマリィ」「キイ!」禁忌に惹かれ合う者としては、自分の禁忌を守らねば、世界儀先生の禁忌に吸い込まれ、いつか彼と肉体関係に至ってしまいそうな気がしてならないのである。

 私は文学部員らしく、毎日小説を書いている。原稿用紙をそろえ、万年筆を手にした。スマートフォンを解約するむねを伝えたら、そのくらいの出費ならと両親が買ってくれたのだ。少女はアルバイトをして道具を揃えたりはしないのである。人に買ってもらうのである。「僕で良ければ、プレゼントしてもいいんだよ」「セクハラで訴えますよ、先生」「幸いにもまだ君より僕の方が、先生方からの信頼は厚い」「セクハラ教師。死ね」とにかく私は世界儀先生からのほどこしを受けるつもりはない。少女は気高けだかいのである。

 私の夢は、いつか自分の書いた小説に感化され、共感し、共に禁忌を犯す少女を見つけ出すことである。しかしながら、あと数年もすれば私は女になる。少女でなくなった私が、自ら禁忌の世界の住人になるなど、許されることではない。禁忌の世界は、美しい者のみが足を踏み入れることの出来る聖地サンクチュアリなのである。ならば私は、残り少ない猶予ゆうよの間に、女になる前に、禁忌を開拓しなければならない。そのためには、毎日を無駄にしてはいられない。無為に過ごすわけにはいかないのである。だから私は小説を書く。

 書かなければ。

 今、この瞬間に。

 美しくいられる内に。

 少女の寿命は短いのだ。

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