第2話 まがい物
外出して醍醐味を探すより手中の綺麗を求めがちな現在、地元で創られた蜜柑を売りに人を集めようと努力はしているが、芳しくはなく。
侘しさこそお得意で、映えるものはあまりない。そんな小さな町に、綺麗な花が一つ、話題になりつつあった。
それは、中華飯店
お客様方が名札から読み取れた可憐な少女の名前は、松崎
けれども、多くが彼女の眩しい明度に、疑問の言葉を忘れてしまう。そしてああ、下手をしたらこれは物語の中で溌剌としていた少女よりも尚、彼女はその名に相応しい子ではないだろうか、とまで感じてしまうのだった。
喧噪に右左。踏み出す足は、その整いに依って綺麗なステップを生み出す。伝う汗一つですら、彼女を煌めかせる一助にしかならなかった。旨味香る店内にて、笑顔で踊る少女は何より薫り高いものに見えた。
そう、記憶喪失と診断され仮名として朝子と本名に似通った名前を付けられた朝茶子は、その見目の端麗さを新しい庇護者の下で働きながら無闇に振りまいていたのである。
「おまちどうさま。はい、チャーハンです!」
「ありがとう。はは。いや、元気でいいね」
「そればかりが取り柄ですー」
謙遜でもなく本心を口にしてから、ただただ元気に朝茶子は、くるりと、スカートも円かに歩みをなるだけ早め続けながら、配膳を続ける。
彼女は頼まれれば笑顔で応じ、そうして料理が出来ればなるべく自分で届けたがった。懸命を好む少女は、愛される。その頑張りが自罰の一環であるとは誰も知らない。
新たに切り開かれた後調理されて多分に味を付けられた、豚の屍が乗っかったものを膳から降ろしながら、朝茶子は笑顔で言った。
「チャーシュー麺と、杏仁豆腐ですね。どうぞ!」
「ありがと。お嬢さん、あなたここらでは見ないような美人さんね」
「えへへ。ありがとうございます!」
「朝子ちゃん、っていうのね。どこから来たの?」
「えっと、どこからでしょう?」
輝く若さを羨望の目で見つめる老いの前にて首を捻る朝茶子。それは振りではなく、彼女の頭の中に一瞬故郷が出てこなかったのである。
今が楽しい、だから辛い過去は忘れる。それを自然にしてしまっている少女は、疾く記憶を引き出すことは出来なかったのだ。勿論、本物の記憶喪失ではないから、少し頑張れば栄えた郷里の思い出を引き出すことは可能だった。
遅れて、朝茶子が都会の喧噪を思い出し始めたところ、お客さんはこれは訳ありではと勘違いして、暢気な笑顔に向けて率直に聞くのである。
「何、秘密なの?」
「そういうことにしておいて下さいー」
頬をふやかしながらの、曖昧な肯定。秘密、そうされてしまえば拒絶されているわけでなくとも、どうにも深入りしがたいもの。
けれども、まるで硝子のような少女の意外な柔らかさに、世話焼きおばさんは静かにその矛を収める。そうして、何故か満足覚えて笑顔で言うのだった。
「……頑張ってね」
「はい!」
本当に、そんな優しい言葉が嬉しくて、そうして綻んだ蕾は下手な満開よりも美しく。朝茶子は、経年で薄汚れた店内にて、頬の薄紅浮かせた笑顔の花を大いに魅せた。セピア色に、鮮やかな頬紅が映える。
「朝子ちゃーん。申し訳ないが、注文頼んだよ」
「はいはーい!」
そして、朝茶子が背中合わせの位置から首を動かし声を掛けた馴染みのおじさんの方へと向くまで、彼女の周囲はまるで鮮やかな静止画のようだった。
拍動を忘れさせるほどに止まった時は、感動によるもの。綺麗が中心に来てしまえば、どんな平凡も特別と化してしまう。
世界を綺麗にするのはやはり花。誰かがそう思ったところで、ばたばたと、朝茶子は去って行ってしまった。
後は、淡さのない油でてらてらとした料理を前にした普通一般が残るばかり。強めの味を食んでも、彼らが味気なさを覚えてしまうのも仕方なかっただろう。
そう、極上の後では美味でも足りない、そんな事実を彼らは知ったのだ。
「こりゃあ、凄いわ」
客の誰かがぽかんと開けた口から零したその音色は、誰にも届かず騒々しさの中にて消えた。
高く響く声に弾ける足。飛び跳ねる少年少女らの遊びはまるで、元気という楽器を擦らして鳴らした幼稚の音。今は区切られた画面の中の別世界に惹かれる幼気も沢山あるが、それでも天気の下にて陽気を散らすような子供も未だ大勢残っていた。
その中にて、一段と駆ける足が達者な小さな女の子、美雨は一つ年上の男の子をからかい、幼子達と砂場を踏み荒らして、鉄棒から転げ落ちて笑ってから、一等好きなお姉さんのところへ舞い戻る。少女は面をくちゃくちゃにして、笑顔で言う。
「朝子おねーちゃん! 一緒にあそぼー!」
それに、優しさを表に出しながら朝茶子は当たり前のように応える。花が風に傾いだかのように、無闇に優美な所作を持ってして、頷いた。
「そうだね。何をする?」
「かけっこー!」
大好きな人と楽しいを、共有したい。ならば自分が一番好きなことを一緒にした方がいいと考えるのが幼子の自然。付いてくれるのが当たり前とでも言うように、美雨は疾く朝茶子に背を向けてから走り出した。
少女の頭の二つの大ぶり団子が大きく左右に揺れる。
「わー、まってー」
「きゃ、おねーちゃんはやーい!」
しかし、そこに直ぐ様朝茶子は追いついていく。
油断がなければ、その細身の腱も鋭く働くもの。ちょっと駆けっこが得意な程度の子供では、陸上部崩れの少女から逃げ切ることなど出来ない。
そうしてぎゅうっと幼子は不審者に捕まり、そのままくるくる振り回され、やがて一対の向日葵がうるさく咲いた。嬉しい悲鳴が黄色くあれば、笑顔はそのまま太陽の花の如し。
二人が作った喜色の景色に、周囲の子供達は大いに惹かれて突貫した。
「きゃっきゃ」
「美雨ちゃんくるくる~、って皆どうしたの……わぁ!」
「朝子おねーちゃん、僕もー」
「私も!」
「わわ、重量おーばー、すっごい重いよお!」
「おねーちゃん、頑張ってー」
陽気に惹かれた十歳にも満たない小ぶりな子供達が、朝茶子に果実の如くにぶら下がる。その数一二と増して行き、容易く女の子には耐えることの出来ない重さになった。
最後に一番小さなポニーテールが覆い被さり、そうして朝茶子は崩れ落ちる。騒々しく、哀れ公園一番人気の玩具はぺちゃんこに。しかしその細身に怪我一つなく、彼女は高く響く子供達の声に笑い声を重ねるのだった。
「あははー。やっぱり駄目だったー」
「おねーちゃん、大丈夫?」
「いたたー」
「朝子ねーちゃん、ぱわーないな!」
「むむ、りょう君、言ったねー。うりうり」
「うおう、脇腹つつかないでよ、朝子ねーちゃん」
「あは、うん。皆大丈夫みたいだねー」
揶揄する少年に突いて離れる意地悪で幼い接触をしてから、朝茶子は三々五々に起き上がってくる子供達の元気を確認してまたにこにこ。お空の青にその身伸ばして、燦々に紛れた彼女は照っていた。
つい先までほの暗い道を進んでいた少女がきらきらと。重み一つ持ち合わせていない朝茶子の心はまるで羽のよう。笑って、跳ねて、容易に留まらない。
だからこそ、子供達と合ってしまい、故にその世話を厭うこともないのだった。
「よーし、じゃあ次は、皆、何をしたい?」
「ダンス!」
「えー、みーちゃん、なにそれー」
「おお、いいね! あたしの盆踊りの腕前、見せてあげるよー、そーれ」
「朝子ねーちゃん、何か古くせー」
「なにおぅ!」
都合三度目の邂逅ですっかり骨抜きにされてしまった子供たちは、優しくしてくれている綺麗なおねーちゃんに、彼女が自分と同程度であると知らず、元気擦れ合うために寄りかかる。
身体をふりふりしているばかりの幼子の隣でひらひらと、舞う朝茶子。彼女が振る舞えば、大きめジーパンの裾すらどうにも、美麗な軌跡となってしまう。
けれどもその貴重を知らずに、子供たちはただただ喜ぶのだ。相手の自分に対する本気を知って、愛してもらえているのだと誤認して。
その笑顔の花咲く光景に、見守っていた親達にも安堵を超えた感嘆の息が漏れた。緑樹の下の澄んだ空気を吸って、彼女たちは次々に評を口にする。
「朝子ちゃん、いい子ね」
「そうねえ。暇だから子供たちの面倒見させて下さい、って言い出した時はこの子、頭大丈夫かしらと思ったけれど……まあ、飽きないこと」
木陰のベンチに座して、未だ老いに若さを損ねきってはいない母たちは、朝茶子の真剣を何となしに理解して、微笑む。
子に遠慮なく、大切に大切に遊ぶ、朝茶子。あれは、子供に毒なくらいに、甘くある。どうしようが、我が子を傷つけるような存在ではない。
そう、マーダーに対してレッテルを張ってから、ふと、りょう君のお母さんは呟くのだった。
「何だか、勿体ない気もするわね」
「貴女も、そう思う?」
粉々の陽光を、集めて輝く一人の少女。そのもとに集まるのが、物知らずの幼子達しか未だないというのは、愛され上手な既婚者達には、どうにも認めがたいもの。
その綺麗さが自分に欠片でもあれば、どんなに周囲を振り回せたかを夢想した。やがてそうすると何となく、もっと彼女に自分の身の便利さを教えてあげたくもなる。しかし木陰に安堵している二人は揃って考えるのだった。
「眩しいわ」
「そうね」
朝子という少女は、そんな軽度の悪辣さを身に付けさせることすら躊躇ってしまうくらいに、無垢であり過ぎるな、と。
「あははー」
砂で肌の大体が汚れて、経験した子らの重みでぐちゃぐちゃ皺だらけの服を纏いながら、それでも何一つ、汚れていないと信じて少女は笑む。笑窪の隣を汗が溢れて飛散し、瞬きに消えた。
まるで、穢れ一つ分からない、そんな姿。だがしかし、朝茶子は、知っている。けれども、彼女はそれを受け止めなかった。
だから、ひたすらに汚れに染まらない陶磁器の色のまま、似た色をした白無垢と戯れたがる、今がある。そんな事実を、この場の誰一人たりとて判ぜなかったのは、果たして幸運だったのだろうか。
「皆、大好き!」
再び飛びついて来たその場の未熟さを出来るだけ抱えながら、大好きだったものの中身の温さを被って紅く汚れたことのある彼女は、美しいままに、そう囀るのだった。
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