ゼロの畝土<セト>

よつま つき子

第1話  ―始― 十<とお>




むかしむかし、まだ空に星が輝く前のころ。

神々はそこにいた。

何一つ生えない不毛の大地を目の当たりに、絶望を抱えて立っていた。


神はもとは一つであり、全能であった。

はじめはただ、たゆたうだけで、それ以上でも以下でもなかった。

ある日神は、自分が学べる者であることを知った。

一つ知れば、もう一つ。

知識に対する欲望が、己の中にあることを知った。


神は自分の体を少しずつ千切り、その一つ一つに能を分けた。

一つの能に一つの体。

こうしたお陰で広く知を集めることができ、やがて神々は何もかもを知るようになった。

知らないことはもう何もない。

何もないはずなのに、神々は満ち足りなかった。

そこで、新たなことがらを創ろうとした。ないなら創ればよいだけのこと、そこから新事実が生まれれば、全知への道がまた一歩拓けるはずと思ったのだ。


神は、自分たちの住む楽園――”始まりの郷地”の恩恵を一つずつ能として持っている。

今降り立ったばかりの、この茶色く横たわった大地にそれらを授ければ、またもう一つ同じ楽園ができる算段だった。


ある神は光を与えた。

風を与えた。水を与えた。

すべての神がおのおのの施しを授けたはずだ。

なのに、大地は応えない。

ここは来た時と何一つ変わらない。


我らは力のすべてを尽くした。だとすれば、これ以上何ができようか。

何かが間違っているのだろう、だがそれを正せる術が我らにはない。


そう言って神はみな、涙をこぼした。

それはそれぞれの掌に落ち、中心に集まり、徐々に形を成していった。

自分たちとよく似た姿の、だがとても小さな生き物がそこに生まれたのだ。

柔らかい。きっと力も弱いだろう。

だが、絶望から生まれ落ちたそれは、神々に希望を与えた。


我らはあらん限りの力を振り絞ったのに、何も得ることはできなかった。

ここで終わると思った。

だがその先があったのだ。

見よ。

この小さき者は、我らが一歩先へと進んだ証なのだ。


神々はその小さき者を、全能の恩恵を与えた大地に下ろした。

彼らの素足を茶色い大地がくすぐり、彼らは笑った。

喜びを知ったのだ。

そして生みの親を見上げ、深々と礼をした。

感謝を知った瞬間だった。


神々は、その姿に感動した。

なんと素晴らしい生き物だろう。

我らと同じ、彼らも何も知らなかった。

だが、もう二つのことを学び、己がものにしている。それも恐るべき速さで。

彼らなら出来るのではないか。

ゼロから一を、やがて百にも千にもなるものを、創りだせるのではないか。


神々は小さき者の前に跪いた。


我らは全能の神である。

我らに知を与うる者――人よ。

そなたらに敬愛の情をもってお頼み申す。

芽を息吹かせ、根を張らせ、枝葉を茂らせよ。

今は不毛の大地、この”ゼロの畝土セト”を育てるのだ。

どうか我らに、そなたらの生きる姿を見せてほしい。


そうして、各々が生み出した人に、己の名を教えた。

神々はこの時また一つ、教える、ということを知った。







ぎょくずいぜん、またそのお話かよ~?」


 足をだらしなく前に放り投げ、天井を仰いで抗議するろく


「こら!駄目でしょう、漉ちゃん! お行儀が悪い!」


 あおいがそんな漉慈の足をぱしっとはたき、ぎろりと睨みつける。


「おれもう十になったんだぜ? こんな子供っぽい話、飽きちゃったよ。この後どうなるか知ってるしさ」

「そうかなあ。私は何回聞いても楽しいよ」


 しずくが首を傾げながら、不思議そうに呟く。


「ねえ、そう思わない?」

「……うん、俺もそう思う」


 雫に問われ、一瞬の間をおいてからとうが答える。


「うわあ何だよそれ。おまえだってあの話聞いたら眠くなるって言ってたじゃないかー!」

「眠くなるけど、飽きたとは言ってない」

「な……何かずるいぞ! おれ一人だけ悪いやつみたいになってるし!」

「漉ちゃんはいい子だよ~」


 葵に頭を撫でられて、漉慈はそれを不機嫌そうに振り払った。


「やめろよ葵! 何ですぐそうやっておれのことからかうわけ?」

「漉ちゃん、面白いから」


 真剣に怒っているのに、それをもからかうように笑う葵。漉慈はむっとして口をつぐみ、そっぽを向いた。


「ほらほら、皆。神学の勉強はまだ終わっていないのですよ」

「えっ、神学? おとぎ話を聞かせてくれる時間じゃ……」


 玉髄の言葉に雫がそう尋ねると、葵はようやく収まりかけた可笑しさが再びこみ上げたようで、小さく肩を揺らし始めた。


「雫、今まで神学は楽しいお話の時間だと思っていたのね。通りで熱心だと思った」


 葵の言葉に、雫の頬に少しだけ朱が差した。


「勉強は楽しくないから、一生懸命になれないのは仕方ないもん。でも、神話は大好きだから、その、神学ならがんばれる。……気がする」

「あら。それなら神学の時間を増やせば、かごしきに放り込まれる回数も少なくなるかもしれないわね」

「すぐにお勉強を怠けて父さまにお仕置きされるもんねぇ」


 葵に指摘され、縮こまる雫。


「それをすぐに迎えに行くのが籐馬だよな~」


 漉慈がにやにやしながら籐馬を振り返る。


「だって雫が可哀想だろう。あんな暗い部屋、俺だって怖いのに」


 特に動じることもなく籐馬が答えると、漉慈は眉根を寄せてため息をついた。


「それじゃあお仕置きにならないじゃないか。おまえ馬鹿なの?」

「お前よりはましだ」


 わいわいと、授業もそっちのけで騒ぐ子供たちを、玉髄は目を細めて見守っていた。

 どうか、この平和なひとときが悠久のものとなりますように。

 そう、心で願いながら。



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